昨日は〝土用の丑(うし)の日〟、久し振りに義母の処に集まってみんなで鰻(うなぎ)を食べました。
この日については以前のブログにいろいろ調べて書きましたので、今回は簡単に…
本来は春夏秋冬の最後の18日間を「土用」といいますが、通常は夏の「土用」を指します。だから立秋前の新暦7月19日ごろからがそうで1年の最も暑い時期に当たります。その土用期間中の「丑の日」(今年は7月27日)で、その日に食べる鰻を「土用鰻」といい、これも夏の季語なんです。栄養価の高い鰻を食べて英気を養うというのも一種の〝暑気払い〟になるのかも知れませんね。
ひと切れの鰻啖(くら)へり土用丑 石塚友二
石塚友二(いしづかともじ)は、明治39年(1906) 生まれ、昭和61年(1986)79才で没。新潟県出身の俳人・小説家・編集者。北蒲原郡の笹岡尋常高等小学校高等科卒業。農業学校を出て家業の農業に従事したのち、1924年に叔父を頼って上京。
俳句は、当初秋桜子の「馬醉木」に投句。1937年、石田波郷を主宰として「鶴」を創刊、発行編集者となり、のちに波郷が応召された際には代選も務め、1969年に波郷が没してよりは同主宰を継承。代表作に「百方に借りあるごとし秋の暮」などがあり、日々の生活を題材とし、私小説的な世界がそのまま俳句となるような句境を開いた人。(Wikipedia参考)
経歴をみても分かるように、友二は決して裕福な生れではありません。師であった石田波郷は、作者の根底にあるものとして「庶民道徳としての倫理観」を指摘していますが、この句も〈ひと切れの〉に、庶民感情がよく出ていると思いませんか。当時とすれば「鰻」は高価な食べ物、それが土用丑の日ともなればさらに値が張ったことでしょう。また、当時はまだ天然ものが主流で、今のようにスーパーなどで安価な外国の養殖ものが手に入るような時代ではなかったんですよね。彼には他に〈遣り過す土用鰻といふものも〉という句もあります。この〈…というものも〉という表現に込められているのは、土用鰻どころではなく、他のものでもという、庶民にはそうそう簡単に手に入らないものが多くあって、それを諾って暮らすしかないのだという…諦観とも自嘲的ともいう感情が底辺にあるのではないでしょうか。恵まれた生活ができるのは極限られた人ばかり…という諷刺的なアイロニーも込められているのかも。だから、せめて〝ひと切れ〟でも食べられるのはまだましな方…。それが単純に「食べたり」などとせずに〈啖へり〉という語を用いたところに込められているような。実はこの「啖」という字は〝むさぼりくらう〟という意味なんですからね。分かるでしょ!
でも、今でも鰻は高いものにつきますよ。一家中で天然物を食べようとすれば、ほら…。アハッ! もちろんこの写真の鰻は天然もので、鹿児島産ですって。毎年買う鮮魚店に予約していたものですから。ああ、美味しかった!ゴチソウサマ。 (写真写りがちょっと悪かったかしら…🙇)