ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

〝生きた証〟を詠もう

2019年03月06日 | 俳句

 今日はもうほら、朝から雨ですよ。もちろんザーザー降りではなく、春雨のしっとりした感じですがね。でも、昨日洗濯しておいてよかった!最高気温も昨日は17度と…でも今日はもう5度も下がって12度ですって。こうやって、一雨毎に暖かくなったりまた寒くなったりしてお彼岸に向かっていくんでしょう。あの〈毎年よ彼岸の入りに寒いのは〉の子規の句のように、一気に暖かくはならないで徐々にというのが納得です。

 ところで、昨日の兼題〝春灯〟で、とても心の惹かれる句なのに意味のさっぱり分からないのがありました。〈春灯や映画の齣の一つずつ〉という句です。みなさん分かりますか?

 そもそも俳句とは、五七五の十七音という最小の言葉で表す〝詩〟の一つ。じゃあ〝詩〟とは何でしょう。ここを取り違えてしまうとあらぬ方向へ行ってしまうことがありますので気を付けましょう。〝詩〟を辞書で調べてみると、「自然・人情の美しさ、人生の哀歓などを語りかけるように、また社会への憤りを訴えるべく、あるいはまた、幻想の世界を具現するかのように、選び抜かれた言葉を連ねて証言された作品」という、『新明解国語辞典』の解説が私には一番ぴったりきました。『漢語林』での解字の説明もみますと、「言+寺で、音符の寺は、之に通じ、ゆくの意味。内面的なものが、言語表現に向かっていったもの、〝うた〟の意味を表す」と。なるほど!

 だから我が結社では〝生きた証〟のこころを詠むという目標を掲げて作句に励んでいるんです。要するに〝内面的なもの=こころ〟を五七五で表現するということ。それが伝わらなければ、季語があり五七五であっても俳句ではないということです。

 じゃあ、先ほどの句を見てみましょうか。一つ一つの語は分かりますよね。ならば、それが絡み合って一つの情景なり心情なりが見えて伝わってくるかどうかということなんです。〈映画の齣〉とは〝映画のシーン〟でしょうから、それが〈一つずつ〉ということになると、今映画を見ている最中なのかしらということになります。となると、〈春灯〉はどこに?映画の一つずつの場面に春の灯がともっていたということか、それとも映画館の中にか?…などと考えるとさっぱり分からなくなるでしょう。

 こういう季語で作句する場合、〝春灯〟は見えるものですから、作者の立ち位置をしっかり決めてから詠むようにしましょう。まず室内か戸外かぐらいはハッキリさせておかないといけません。そうでないと読者が迷ってしまいますから…。

 作者に聞いてみると、〝映画を見て外に出ると、春の灯火がさっきの映画の中のシーンと重なってとてもいい雰囲気だったのでそれを詠もうと…〟ということでした。それならば、〈春灯や映画の余韻まだ覚めず〉とすれば、映画館を出て帰る道すがらの街灯が作者を一層感傷的な気分にさせているということになるのではないでしょうか。

 要するに、俳句は読者の立場に立って客観的に全体の構成を見直すことが大事。自分の思いだけを先行させて詠まないように心掛けてほしいものですね。

 写真は、昨日撮った〝黄水仙〟。水仙は冬の季語ですが、これは春(仲春)の季語です。

   喇叭水仙黄なり少年兵の墓     山崎ひさを

 午前中にこれ書いて、先ほど健康体操から帰ってきましたが、午後はかなり雨がひどくなっていました。気温もグッと下がって…寒い!

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兼題は〝春灯〟

2019年03月05日 | 俳句

 今日は快晴で洗濯日和…先日どなたかがブログに〝二晴二雨〟と書いていらっしゃったんですが、まさにその通り。やっと溜まった洗濯物が全部片づいてすっきりしました。

 午後からは俳句教室。兼題は〝春灯〟で、もちろん三春の季語です。歳時記には「春の夜にともる灯火には、明るさやのびやかさ、華やぎがあって、特に朧夜の滲んだような灯には濃艶な趣がある」と書いてあります。確かに「夏の灯」「秋の灯」「冬の灯」と比べるとそれぞれの情趣の違いがよく分かりますね。

   春燈や衣桁に明日の晴の帯    富安風生

 いいですね~。こういう句をみると、やはり日本でしか感じられない情緒そのものでしょう。〈明日の晴〉とは結婚式でしょうか。だとすると、金糸銀糸の豪華な袋帯…それも娘さんの帯ではなくその母、すなわち自分の妻の帯だと私は思うのですが…。しみじみと明日の娘の晴れ姿と妻の姿を重ね合せて想像しながら、もしかしたら春燈の下で一杯やっているのかも。これは嫁に出す娘を持つ父親だけの感傷的な思いに違いありません。

 今回も面白い句がありました。それは〈春灯やたつた二人の祝ひ膳〉の句。

 結構点が入っていましたので、どこが良かったのか聞くと、〝二人だけでお祝いの膳を囲んでいる雰囲気が季語の春灯に合うので…〟〝そうですね。なかなかいい雰囲気ですよね~〟(笑)〝ところで何のお祝いなのかしら?〟すると、作者が名乗り出て、〝創作なんですけど…誕生日のお祝いで…〟〝ホントはみんなに祝ってもらいたかったのでは?〟〝そうなんですけど…〟〝旦那様はお祝いしてくれる?〟〝とんでもないですよ!〟すると、みんなもワイワイガヤガヤ…と。どこのお宅でも誕生日といったってな~んにもなしなんですって!まあ、私たちの年代の男性ってみんなそうなんです。きっと照れ臭いのでしょうね。

 ところで、その不満が心のどこかにあるでしょうと作者に聞くと、〝そりゃあまあ…だから理想を詠んだんです〟と。ほら、俳句って正直ですね。その気持が句にしっかり表れていますよ。どこでしょうと聞くと、???

 もうお分かりでしょう。〈たつた〉という言葉、「二人だけの」という語と比べてみて下さい。同じだと…でも音数が足りないのでと思って作者は使ったのでしょうが、言葉のニュアンスは全く違います。辞書の例文にも「たったこれだけ」とあるように、数量が少ないさまを強調するとき用いることが多いのです。ということは「二人」というのに不満が残っているということ。そこで、〈二人だけの祝ふワインや春灯〉と直し、〝誕生日じゃ面白くないから…ここは結婚記念日にしましょ!ならば邪魔者がいない方がいいわよね~〟と。嘘でもいいから皆さんどんどん俳句の中で〝遊びましょう〟。そうすると、楽しくなりますよ。

 事実を言うのは報告、一般論を言えば理屈といつも言われるので、考えたすえの句なんですよ~とは作者。よ~くよく分かります。でも、皆さん考えすぎはいけませんよ。気楽に頑張りましょうね。

 写真のこの〝実〟なんだと思いますか?先日の常盤公園に行ったときあちこちに落ちていました。見上げると大きな裸木にまだたくさんブラブラと下がっていました。スズカケ(プラタナス)の実のようでしたが、こんなにトゲトゲしていたかしら?ちょっと違うようでしたので、調べてみると〝モミジバフウ〟の実でした。別名〝アメリカフウ〟とも。秋の紅葉も美しい木なので公園や街路樹などでよく見掛けます。この実(種はみな飛んでなくなってその殻ですが)もリースやインテリアとして工作したりと楽しめるもののようです。

 

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今日は〝雛祭〟

2019年03月03日 | 俳句

 今日は「三月三日」。「上巳」(じょうし)と言われる五節句の一つで、女児の息災を祈って行われる行事、古くは「桃の節句」、「雛遊び」などと言われました。この桃の節句は、雛に桃の花を飾り、白酒・菱餅・あられなどを供えて祝います。また、人形(ひとがた)で身体の穢れを祓い川に流した上巳の日の祓の行事に、雛遊びの風習が習合したもので、「雛祭」として、江戸時代からは紙雛にかわって内裏雛が多く作られるようになり、豪華な段飾りへと発展したもの。

   雛祭る都はづれや桃の月       与謝蕪村

   天平のをとめぞ立てる雛かな     水原秋櫻子

   目覚めけり上巳の餅を搗く音に    相生垣瓜人

 フォーユーの学習発表会は今日は9時からですが、健康体操の実技発表は11時ですので、それに間に合うように出かけました。13持からはお菓子やパン教室の販売がありましたので、そちらの方へ…でも、一人5個までと言うので、頼まれていた娘の分を買うのに、2回も並んだんですよ。最初は30分以上前に行ったのにもう行列ができていて…。もし主人なら絶対に並ばないで、帰ってくるでしょうが。残り少なくなっていましたが、どうにか娘の分も無事に買えました。

 15時終了で、展示など全ての撤収作業です。15時30分には解散。みなさまお疲れ様でした。パンを届けに娘のところによって17時前に我家に戻りました。

 3月の大きな行事が一つ終りました。あと定例の句会・教室は当然のことですが、それ以外の行事がこの月には目白押しなんです。どうにか一つ一つこなしていかないと…だから病気などしておれないんですよ。明日は明後日の教室の準備…しばらくサボっているリハビリへも行かなくっちゃ…ああ、忙しい!忙しい!

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フォーユー学習発表会の〝プレバト俳句〟

2019年03月02日 | 俳句

 今日、明日はフォーユー定期文化講座の学習発表会。天気もまあまあ…朝からさあお出かけです。

 俳句教室の展示と俳画の展示は昨日の準備の時に見ましたので、改めて見るつもりはないのですが、俳句の展示は年々カラフルになって昨年よりも変化があり、楽しい展示になっています。ああ、写真撮ってくるのを忘れましたので明日にでも…

 それよりも今年は大変なんですよ!何がって?  実は始めての試みで、琴やオカリナ演奏など実技発表の12時から13持までが空いているので、それを埋めるために〝フォーユープレバト俳句〟を実演(?)することになったんです。ウ~ン、やっぱり緊張しますよ。初めてのことに挑戦するのは…どうなることやら。だってぶっつけ本番なんですから。

 投句は当日の午前中…先ず果たして投句箱に句が入っているかという心配。もしもの場合にあらかじめ俳句教室の人には投句する人がいなかったら〝さくら〟を頼んでおきましたが、行ってみると、既に7、8人の投句があると聞いてホッとしました。その後もギリギリに投句する人がいて大慌てです。結局13句、同一人物で2句出しているのがありましたので、しめて9句の判定です。しかし、これはなかなか難しいですね。

 プレバトの判定は、70点以上が〝才能アリ〟69点から40点までが〝凡人〟39点以下は〝才能ナシ〟です。それにならって…ウ~ン、これはやっぱり難しい!あの夏井いつき先生はどこで決めているんでしょうね~。まあ、今回は初めてのことですので私の独断と偏見で判定しました。ザンネンながら才能アリは一人、才能ナシが二人、後は全部凡人です。テーマは〝ひなまつり〟。知らなかったんですが、2月28日の本物のプレバトが同じ〝ひなまつり〟だったんですって。エエッ、これはマズイなあとは思いましたが、もう手遅れです。とにかく〝やるしかないっちゃ〟と頑張りました。句についてはここに出すとマズイのもありますので、大丈夫なものを少し紹介しましょうか。ちなみに作者は全て分かりません。

   娘の眉によく似た雛購ひぬ   まさこ  凡人58点

 作句のポイント(娘と書いて「こ」と読ませない方がよい。「子」とすれば男の子だとも考えられるし、ポイントの「眉」が生きる。「似た」は口語なので「似し」と。歴史的仮名遣いと口語のちゃんぽんはよくない。)

 添削句 子の眉によく似し雛選びたり   

 ちなみに「雛」は俳句では「ひいな」という。「購ひぬ」(あがないぬ)は「買った」という意味だが、これでは報告臭くなるので、いま買おうとして選んでいる場面だとすると臨場感が出るので「選びたり」と。思うに、この作者は全くの素人ではないでしょうね。ついでにもう一句…

   初孫に馳せる初節句     古希近し  才能ナシ20点

 作句のポイント(俳句は五七五の定型が基本で、これでは中七が全く足りない。更に同じ言葉を不必要に重ねない。ここは「初」がダブってくどくなっている。とにかくまず意味が分るように詠むこと。)

 すると、突然作者が名乗り出てきて、〈馳せる〉のあとに「気持の」を書くのを忘れたんです…と。ところで、俳句での「初節句」は、5月5日の「端午の節句」を指しますので、兼題の「ひなまつり」にも該当しないんですがね。そこで次のように…(実際は最後の句でしたので、時間がなくて添削まではできませんでした…ゴメンナサイ)

 添削句 思い馳せ初孫に武具飾りけり

 私の教室の人たちもたくさん応援に来てくれて、とてもアリガタイ!感謝、感謝です。それに、メモを取っている人もたくさんいて…みんな熱心でしたよ~。初めてで多少手順が悪くモタモタしてしまったこと、折角作ったプラカードがあまり活用されなかったことなど反省点ばかり。来年はもっとスマートにして面白く出来るように工夫したいと思っています。

 写真は、その時の様子。アシスタントは娘に応援を頼みました。主人も来て写真を撮ってくれて…みなさんアリガトウございました。 これで無事終了。終った後展示を見て、お抹茶を頂いて帰りました。ああ~疲れました。

 

 

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「三月」と「弥生」

2019年03月01日 | 俳句

 昨日で2月も終り、今日からもう3月です。朝方から日が差してきて…最高気温も15度まであがるそうですからまあまあ…。でも、午後からはくもりと。

 去年の〝2月尽〟で似たようなことを書いていますが、読んでみるとやっぱり去年の方が寒そう。今日はフォーユー定期文化講座の発表会の準備なので今から出かけます。

 ところで、「三月」と「弥生」…意味的に同じと思って用いる人がいますが、似てはいても全く季感が違いますので注意して詠みましょう。

 「三月」は、春は名ばかりだった二月と違いめっきり春らしくなって、鳥も囀り始め、雛祭やお水取り、彼岸会などの行事とともに春たけなわに近づいていく頃。中旬以降には待ち望んだ桜も…。こんな春の陽気に浮かれ出たくなる気分なんです。

 しかし、「弥生」は、陰暦三月の異称で、今でいえば四月ごろですから野山にはいよいよ鳥は囀り、巷にはいろいろな花が咲き乱れていて、まさに桜花爛漫の季節なんです。

  雨がちにはや三月もなかばかな     久保田万太郎

  降りつづく弥生半ばとなりにけり    高浜虚子

 どちらも雨の句で似ていますね。そこで統計的な降水量を見てみました。もちろん一番多いのは梅雨の時期ですが、3月は1,2月に比べると大体倍、更に4月は3倍以上になっています。この頃は〝一雨毎に草木も芽吹いて暖かくなっていく〟と言われますが、それは「弥生」の語源が草や木がいよいよ生い出る意の「いやおひ」からきたものだということにも分かるでしょう。

 さて上掲の二句、万太郎の方は〈雨がちに〉と、控えめに雨の日が増えたことを言いながら「彼岸」に近づいたことを〈はや…なかばかな〉と、感慨を込めて詠んでいます。ということは、よく言う〝暑さ寒さも彼岸まで〟の思いがあったのでしょう。 虚子の句では、〈降りつづく〉に思いが籠ります。ちょっともう雨にも飽きたなあ、そろそろ止んでもいいのに…という感じかな。とすると、万太郎の句には春到来への期待と喜びが、虚子の句には残り少なくなった春を惜しむ情が強く働いているようですね。

 先ほど準備を終えて帰ってきました。途中親子連れの高校生を見掛けましたが…ああ、そう言えば今日は卒業式だったんだなあと、昔が懐かしく思い出されました。私がかつて勤めていたのは女子校でしたので、女の子の祭の〝雛祭〟にちなんで、〝三月三日〟が卒業式でした。それが共学になって、公立高校と同じ三月一日に変えたんです。これは山口県でのことですが、他県では卒業式はいつなんでしょうか?まさに今日は下の句のようでしたよ。

   ゆく雲の遠きはひかり卒業す     古賀まり子

  写真は大好きな〝白玉椿〟、今日行ったフォーユーの庭に咲いていました。

 

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