今日はもうほら、朝から雨ですよ。もちろんザーザー降りではなく、春雨のしっとりした感じですがね。でも、昨日洗濯しておいてよかった!最高気温も昨日は17度と…でも今日はもう5度も下がって12度ですって。こうやって、一雨毎に暖かくなったりまた寒くなったりしてお彼岸に向かっていくんでしょう。あの〈毎年よ彼岸の入りに寒いのは〉の子規の句のように、一気に暖かくはならないで徐々にというのが納得です。
ところで、昨日の兼題〝春灯〟で、とても心の惹かれる句なのに意味のさっぱり分からないのがありました。〈春灯や映画の齣の一つずつ〉という句です。みなさん分かりますか?
そもそも俳句とは、五七五の十七音という最小の言葉で表す〝詩〟の一つ。じゃあ〝詩〟とは何でしょう。ここを取り違えてしまうとあらぬ方向へ行ってしまうことがありますので気を付けましょう。〝詩〟を辞書で調べてみると、「自然・人情の美しさ、人生の哀歓などを語りかけるように、また社会への憤りを訴えるべく、あるいはまた、幻想の世界を具現するかのように、選び抜かれた言葉を連ねて証言された作品」という、『新明解国語辞典』の解説が私には一番ぴったりきました。『漢語林』での解字の説明もみますと、「言+寺で、音符の寺は、之に通じ、ゆくの意味。内面的なものが、言語表現に向かっていったもの、〝うた〟の意味を表す」と。なるほど!
だから我が結社では〝生きた証〟のこころを詠むという目標を掲げて作句に励んでいるんです。要するに〝内面的なもの=こころ〟を五七五で表現するということ。それが伝わらなければ、季語があり五七五であっても俳句ではないということです。
じゃあ、先ほどの句を見てみましょうか。一つ一つの語は分かりますよね。ならば、それが絡み合って一つの情景なり心情なりが見えて伝わってくるかどうかということなんです。〈映画の齣〉とは〝映画のシーン〟でしょうから、それが〈一つずつ〉ということになると、今映画を見ている最中なのかしらということになります。となると、〈春灯〉はどこに?映画の一つずつの場面に春の灯がともっていたということか、それとも映画館の中にか?…などと考えるとさっぱり分からなくなるでしょう。
こういう季語で作句する場合、〝春灯〟は見えるものですから、作者の立ち位置をしっかり決めてから詠むようにしましょう。まず室内か戸外かぐらいはハッキリさせておかないといけません。そうでないと読者が迷ってしまいますから…。
作者に聞いてみると、〝映画を見て外に出ると、春の灯火がさっきの映画の中のシーンと重なってとてもいい雰囲気だったのでそれを詠もうと…〟ということでした。それならば、〈春灯や映画の余韻まだ覚めず〉とすれば、映画館を出て帰る道すがらの街灯が作者を一層感傷的な気分にさせているということになるのではないでしょうか。
要するに、俳句は読者の立場に立って客観的に全体の構成を見直すことが大事。自分の思いだけを先行させて詠まないように心掛けてほしいものですね。
写真は、昨日撮った〝黄水仙〟。水仙は冬の季語ですが、これは春(仲春)の季語です。
喇叭水仙黄なり少年兵の墓 山崎ひさを
午前中にこれ書いて、先ほど健康体操から帰ってきましたが、午後はかなり雨がひどくなっていました。気温もグッと下がって…寒い!