今日は俳句教室、爽やかな風が吹いてカラッとした気持ちの良い日でした。昨夜から今朝にかけては半袖一枚ではちょっと寒いぐらいでしたので、シャツを羽織って出かけましたが、午後になるとやはり気温が上がってきて少し暑くなりましたね。
でも、まだエアコンをいれるほどではありません。兼題は「夏帽子」。何の説明もいらない季語ですから、これをどう処理するかが問題です。
火の山の裾に夏帽振る別れ 高浜虚子
この句には、〝昭和六年六月二十四日 下山。 とう等焼岳の麓まで送り来る。〟という「詞書」がありますが、この句の前に〝 昭和六年六月二十四日 上高地温泉ホテルにあり。 少婢の名を聞けばとうといふ。〟という「詞書」で〈飛騨の生れ名はとうといふほととぎす〉という句を詠んでいます。もしかしたら焼岳登山の吟行にでも来ていて、ホテルで句会でもしたのかも知れませんね。それとも虚子の定宿だったのでしょうか?ちなみに、このホテルは創業明治19年、標高1500メートルにあって現在も立派に営業している自家源泉かけ流しの宿です。
焼岳は、飛驒山脈南部の、長野・岐阜県境にある標高2455メートルの活火山。下山した虚子一行を麓まで見送りに来た少女や宿の人たちへの別れですから、当然男女の湿っぽい別れなどではなくて、明るく、〝また来て下さいね~〟とか言いながら手を振る人たちに夏帽子を振って応える虚子の笑顔が見えてきます。ここは「火の山」が生きていますし、それを背景に帽子を振るという具象性がいいですね。
さて、今回は高点句よりも点が入らなかったものにおもしろい句があったのですが、ここに紹介するわけにいきませんので…ゴメンナサイ!そこで他の句を紹介しましょう。原句は〈お隣の納屋に穂高の養蜂家〉でした。「蜂飼う」が春の季語にありますので、ここはそれと同じ養蜂家が季語。〝どうして隣の納屋にと言わないといけないの?〟と聞くと、〝隣の納屋に灯が点くと、今年もまた穂高の養蜂家が来ているんだなあと思うからなんです〟と、作者。もちろん穂高とは長野県の地名で、近くには穂高岳も聳えているところ。
まあこのままでも意味は分かりますが、これでは折角の句材なのに余りにも抒情がないですよ。作者はきっと、もう養蜂家が来るような季節になったんだなあということに感慨を覚えたのでしょうから、そこをしっかり生かして詠まないと…
養蜂家は、蜜蜂の箱をトラックに積んで、南から北へと花を求めて移動します。そもそもが穂高の人ならば寒いところでしょうから、先ずは南国の九州から上ってきてこの山口へ来たのでしょう。しばらくすればまた上の方へ移動する。こんなまたとない句材に出会ったんなら、これを物にしない手はありませんよね。そういうことが分かっていれば、細かいことを気にせず、ズバリポイントだけを句にしてみましょう。そこで〈蜂飼の来てをり穂高まだ冬と〉と直してみました。こうすると下五の「と」が効いてきます。養蜂家と作者の会話があれこれ想像できるでしょう。また、「養蜂家」はよそよそしい感じがしますので「蜂飼」とすれば、土着性があって親しみが湧きますね。ちょっとしたことですが、どこを削ってどこを膨らませるか、そして、そこに何かが生まれるように…。
やはり俳句にはエキスが必要です。〝ああ、そうですか〟というだけのただ事俳句では感動は生まれません。これは非常に難しいことですが、でも皆さん、それを探して、さあ頑張りましょう。
写真は、「金糸梅」で、夏の季語。蜂かしら?花の蜜を吸っていて逃げようとしませんでした。