ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

俳句の〝エキス〟

2019年06月11日 | 俳句

 今日は俳句教室、爽やかな風が吹いてカラッとした気持ちの良い日でした。昨夜から今朝にかけては半袖一枚ではちょっと寒いぐらいでしたので、シャツを羽織って出かけましたが、午後になるとやはり気温が上がってきて少し暑くなりましたね。

 でも、まだエアコンをいれるほどではありません。兼題は「夏帽子」。何の説明もいらない季語ですから、これをどう処理するかが問題です。

  火の山の裾に夏帽振る別れ       高浜虚子

 この句には、〝昭和六年六月二十四日 下山。 とう等焼岳の麓まで送り来る。〟という「詞書」がありますが、この句の前に〝 昭和六年六月二十四日 上高地温泉ホテルにあり。 少婢の名を聞けばとうといふ。〟という「詞書」で〈飛騨の生れ名はとうといふほととぎす〉という句を詠んでいます。もしかしたら焼岳登山の吟行にでも来ていて、ホテルで句会でもしたのかも知れませんね。それとも虚子の定宿だったのでしょうか?ちなみに、このホテルは創業明治19年、標高1500メートルにあって現在も立派に営業している自家源泉かけ流しの宿です。

 焼岳は、飛驒山脈南部の、長野・岐阜県境にある標高2455メートルの活火山。下山した虚子一行を麓まで見送りに来た少女や宿の人たちへの別れですから、当然男女の湿っぽい別れなどではなくて、明るく、〝また来て下さいね~〟とか言いながら手を振る人たちに夏帽子を振って応える虚子の笑顔が見えてきます。ここは「火の山」が生きていますし、それを背景に帽子を振るという具象性がいいですね。

 さて、今回は高点句よりも点が入らなかったものにおもしろい句があったのですが、ここに紹介するわけにいきませんので…ゴメンナサイ!そこで他の句を紹介しましょう。原句は〈お隣の納屋に穂高の養蜂家〉でした。「蜂飼う」が春の季語にありますので、ここはそれと同じ養蜂家が季語。〝どうして隣の納屋にと言わないといけないの?〟と聞くと、〝隣の納屋に灯が点くと、今年もまた穂高の養蜂家が来ているんだなあと思うからなんです〟と、作者。もちろん穂高とは長野県の地名で、近くには穂高岳も聳えているところ。

 まあこのままでも意味は分かりますが、これでは折角の句材なのに余りにも抒情がないですよ。作者はきっと、もう養蜂家が来るような季節になったんだなあということに感慨を覚えたのでしょうから、そこをしっかり生かして詠まないと…

 養蜂家は、蜜蜂の箱をトラックに積んで、南から北へと花を求めて移動します。そもそもが穂高の人ならば寒いところでしょうから、先ずは南国の九州から上ってきてこの山口へ来たのでしょう。しばらくすればまた上の方へ移動する。こんなまたとない句材に出会ったんなら、これを物にしない手はありませんよね。そういうことが分かっていれば、細かいことを気にせず、ズバリポイントだけを句にしてみましょう。そこで〈蜂飼の来てをり穂高まだ冬と〉と直してみました。こうすると下五の「と」が効いてきます。養蜂家と作者の会話があれこれ想像できるでしょう。また、「養蜂家」はよそよそしい感じがしますので「蜂飼」とすれば、土着性があって親しみが湧きますね。ちょっとしたことですが、どこを削ってどこを膨らませるか、そして、そこに何かが生まれるように…。

 やはり俳句にはエキスが必要です。〝ああ、そうですか〟というだけのただ事俳句では感動は生まれません。これは非常に難しいことですが、でも皆さん、それを探して、さあ頑張りましょう。

 写真は、「金糸梅」で、夏の季語。蜂かしら?花の蜜を吸っていて逃げようとしませんでした。

 

    

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日は〝時の記念日〟

2019年06月10日 | 俳句

 今日は6月10日、「時の記念日」です。天智天皇の10年(671年)4月25日に、大津宮に初めて漏刻(ろうこく・水時計のこと)が設置されました。その日を新暦に換算すると6月10日にあたるので、この日を記念して、大正9年(1920年)生活改善同盟会の発意により「時の記念日」としたということです。時間を尊重して生活を合理化し、生活改善を進めることを目的とした全国行事です。

 時の日の花鬱々と花時計(ときのひのはなうつうつとはなどけい)

 歳時記にあった下村ひろし氏の句です。わが俳誌「馬醉木」に掲載されたもののようですが、いつ頃の句か分かりません。しかし、この句どうなんでしょうね。「時の日」と「花時計」に加えて「花」の重複…普通だったらここまで重ねるとくどいと言われそう。

 でも、考えてみて下さい。どれを省くことができるかと。「時の日」を省けば代わりの季語が必要になります。普通「花」は桜のことなので季語になりますが、ここでは花時計の花ですから桜ではありません。ならば、花時計にふさわしい花、例えばパンジーとかがよく使われますが、これは春の季語になります。じゃあ夏の6月頃に咲いている花は?と考えると、サルビアとか松葉牡丹とか金盞花、マリーゴールドなど、いろいろあるでしょう。しかし、一種類の花だけでできている花時計はないでしょうから、なんだかその花だけがクローズアップされてしまいます。ここでは恐らく、それに使われている花はどれも「鬱々と」咲いていたんだと思いますから。そして、なぜそのような把握を作者がしたのか?それはきっと今日が「時の日」であったということが重要なことなのでしょう。そう考えていくと、どの語も省くわけにいかなくなりますよね。

 更に、この句を何度も読んでみて下さい。それぞれの語がお互いを邪魔することなく…いや、むしろリズミカルな感じになって、却ってその軽さの中に隠されている作者の物憂いこころまでも伝えているような気がしませんか。それは何かを背負って、咲く…即ち生きていくということなのかも。時を刻むということは、つまるところ〝命を刻む〟ことに他ならないのですからね。

 作者の下村ひろしについては、以前書いたことがありますので、詳しくは述べませんが、長崎生れで、終生長崎で活動した馬醉木の大先輩です。もうお分かりでしょう。長崎といえば原爆とは切っても切れない所。この句もそこで生きてきた彼の感慨であるということが。

 写真は、今日捥いだ今年の梅の実。他の梅の木には今年も殆ど実が生りませんでした。これは豊後梅で数は少ないのですが、その分大きな実が生りました。青いのを友人に1㎏ほどあげた残り。もう少し黄色くなるまで置いて梅ジャムでも作ろうかなと思っています。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

兼題は〝更衣〟

2019年06月09日 | 俳句

 このところ蒸し暑い日が続いていましたが、昨日は少し気温も下がって、最高気温も23度、最低気温17度と過ごしやすい日になりました。でも、やはりちょっと湿度が高いのでしょうか、カラッとした感じがないので洗濯物もイマイチかな…。でも、今日は朝から雲一つない快晴で、洗濯日和になったと喜んでいましたが、やっぱり午後にはもう曇ってきました。残念!

 昨日は午後と夜のダブル句会の日でしたので、帰りも遅くなりちょっと疲れてブログ書く気になりませんでした。ゴメンナサイ!

 さて、午後の部の兼題は「更衣」でした。陰暦4月1日をもって衣服や室内調度などを夏のものにあらためることで、初夏の季語です。現在でも制服のある学生や職員たちが夏服に替わっている姿を見ると、この季語を実感しますね。でも、昔のように何日からと厳しくは決めずに、その時の気候の状況に合せて柔軟に行っていているようです。しかし、概ね6月前後に行われているかな。

 ちなみに、10月頃に行う夏服から冬服に替わる「更衣」は、「後の更衣」とか「秋の更衣」といいますので、注意しましょう。

 ところで、俳句をしない人にこの季語を言うと、殆ど「衣替え」と書きます。それで「更衣」が本来の字ですよと教えますと、みんな不思議な顔をします。これはもともとは宮中行事で、「更衣(こうい)」というのが本当で、帝の側にあって身辺の世話をした女御更衣という役職からの言葉でした。この貴族社会の約束事が一般にも広まったものですので、俳句ではもともとの字を使って季語としています。

  一つ脱いで後に負ひぬ衣がへ(ひとつぬいでうしろにおいぬころもがえ)

 芭蕉の『笈の小文』の中の1句です。『笈の小文』(おいのこぶみ)とは、1687年10月江戸をたち、鳴海(名古屋市緑区)、保美(愛知県田原市)を経て郷里伊賀上野(三重県伊賀市)で越年、2月には伊勢参宮、3月には坪井杜国との2人旅で吉野の花見をし、高野山、和歌浦を経て4月8日奈良に到着、さらに大阪から須磨、明石まで漂泊した際の紀行文です。

 この句は、吉野の花見をした後、高野山から和歌浦へ向かうときに詠まれた句のようです。ちょうど陰暦4月朔日の更衣の時期、歩いていると道すがら出会う人々はみな身軽な服装をしていることだ。自分は漂泊の身で衣を更えようにも何も持ち合わせていない…せめて一枚脱いで後に背負い身軽になって、これで更衣をしたことにしょうか…とこんな句意でしょう。その時一緒に旅をしていた万菊丸(杜国のこと)が次のように詠んでいます。

  吉野出て布子賣たし衣がへ(よしのでてぬのこうりたしころもがえ)

 「布子」とは綿入れのことで、冬の季語になっていますが、メイン季語は「衣がへ」。ここでは更衣の時期なので、もう冬物の布子は暑くて来ていられないし、脱いでも荷物になることだから、なんならここで売ってしまいたいものだよ…と。

 芭蕉と万菊丸(坪井杜国)、まるで掛合いのようなこの二句をみると、いかにも楽しい旅をしている二人の姿が目に浮かんできます。ちなみに、芭蕉はこの時45歳、万菊丸は?と年齢は分かりませんが、とても美しい青年であったという話。なんだかオモシロい!と思いません?

 写真は、〝虫取撫子〟(むしとりなでしこ)で、夏の季語。ナデシコ科の一年草で、ヨーロッパ原産。花の下の茎から粘液を分泌するので、虫取撫子とか蠅取撫子と呼ばれているが、濃紅色の小さな五弁花を散房状につけたカワイイ花なんですよ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

〝質より量〟という遠~い昔の話!

2019年06月06日 | 俳句

 今日は一日どこへも出かけずに家でゴロゴロして、俳句を考えていました。でも、時間があるからと言って、句が出来るものじゃあありませんけれどね。今初心の頃を思い出すとよくあんなことしていたなあ~と、今さらながら感心するばかりです。

 殆ど毎日3句作って3人でFAX句会をしていました。それぞれが出した兼題で3句作り、選句は1週間分をまとめてやる。しめて1人1週間で21句、それが3人分揃うと63句。それを欠かさず続けると1ヶ月で…要するに1人90句近くは詠んでいたということになります。それがまだ現役の時代ですから、当然俳句をする時間は夜。それも家事が全て終ってからだし…見たいテレビもあったでしょう。体調が悪かったり、どうしても今夜中に仕上げねばならない仕事があったりと、徹夜するときも…、それは並大抵ではなかったと思います。

 投句した句をまとめるのは主婦専業の友人がしてくれましたのでいいのですが、当時のFAXは感光紙でしたから、家に戻るとその紙がズルズルと…まるで巻紙のように機械から垂れ下がっていました。しかし、その紙はそのまま置いておくとやがて字が消えてなくなりますので、それをノートに書き写して句稿を作っていました。だから、その手間もかかっていたんです。夜のうちにできないときは朝とか、それでもダメなときには2日分まとめて出すからと、兼題だけを送ったこともありました。

 これ以外にも句会がありましたから、1ヶ月に最低100句は作っていました。その中から、毎月の投句が7句、7句、5句、3句と、22句は必ず投句。毎年応募する特別作品などにも必ず…と、とにかく〝質より量〟を目指して作句していたときがあったんです。みんな若かったからできたんでしょうが、今ではいくら時間はあってももう体力的に無理です。アハッ…(笑)

 そのころから考えれば、感光紙は普通紙に変ってそのまま保存できますし、時間はたっぷり、さらにはPCでメールという速くて便利なものもできています。あとは本人の〝やる気〟だけなんですが、それが……。昔からよく言っていますね。〝鉄は熱いうちに打て!〟と。

 しかし、これもやはり仲間がいたからこそできたことなんです。自分がくじけるとそこでダメになって、みんなに迷惑がかかるからと、必死で頑張ったんです。だからいつも〝戦友〟だよねと、お互いを励まして合ってできたことだと思っています。

 〝こんな時代もあったっけ!〟という、本当に懐かしい昔、昔の話。(これも昨夜書いて途中でダウンし、今朝仕上たもの。ゴメンナサイ!)

 だから写真は、ありません。これもゴメンナサイ!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

兼題は〝五月晴〟

2019年06月05日 | 俳句

 昨夜はテニスの全仏オープン準々決勝が行われ、錦織選手の応援でした。やはり11度の最多優勝を誇り、三連覇がかかる第2シードのラファエル・ナダル選手は強い!ストレートの完敗でした。前回の試合はフルセットで、それも2日間にわたっての試合。見る方もくたびれましたから当然やっている方はこんなものではなかったでしょう。どんなに疲れたことでしょうか…

 このナダルとの試合は、見ていてもサービスゲームがなかなかキープできないし、アッという間に追い込まれて6-1、6-1で2セットを落し、3セット目で少し調子が出て来たかなというときに雨で中断。結局6-3で終了でした。本当にお疲れ様!でもよく頑張りました。拍手です!

 錦織選手の試合を見る度に思うのですが、つくづく彼はスロースターターなんだなあと…だから後半になって調子が出だすととてもねばり強いんですね。前半が強い人は後半はだんだん疲れてきて最後に追い込まれていくという試合、今回もそういう試合が多かったですね。

 ところで、昨日は俳句教室。兼題は〝五月晴〟でした。この季語は「さつきばれ」といって、陰暦五月の梅雨の只中の晴れ間をいいます。これを梅雨の前の陽暦五月の晴れに使っているのをよく見かけますが、それは誤用ですので、みなさん気を付けましょう。

  五月晴天安門に人溢る       塩川滋也

 先日からテレビニュースや新聞で、中国の天安門事件のことをしきりに報道していました。この天安門事件というのは、1989年6月4日(日曜日)に北京市にある天安門広場に民主化を求めて集結していたデモ隊に対し、軍隊が武力行使し多数の死傷者を出した事件です。即ちその事件から今年で30年という節目を迎え、その犠牲者の追悼や事件を風化させないための動きなど、いろいろと取り沙汰されている情況だからでしょうか。事件が起こった当時、私は子育てと仕事の両立で、自分のことだけで手一杯。お恥ずかしいことながら中国で大変なことが起こったらしいという認識しかなく、〝天安門事件〟という言葉だけが記憶に残りました。だからあれこれ言う知識も全く持ち合わせていませんし、とにかくこういう難しい話は遠慮しておきます。ゴメンナサイ。

 俳句的に鑑賞すれば、この句はやはり陽暦五月のカラッとした晴れではなく、結構湿度のある梅雨時の晴れ間のような気がします。きっと中国へ旅行された時の句でしょう。今天安門広場に立ってみると、当時の暴動が嘘のように空は晴れ渡っている。そして、何もなかったかのように広場は観光客で溢れかえっていることだなあ~という感じかしら。でもそこには何かしら他では感じられないような重たい空気も漂っていて…と。この句はいつ頃詠まれたのでしょうか。俳誌「築港」に掲載された句らしいので、この俳誌の創刊の平成6年(1994年)以後ということになります。とすると天安門事件から5年以上は経っているということ。それで生じた感慨でしょうか。

 写真は、先日の「ゴテチア」のお宅の〝花菖蒲〟です。常盤公園の菖蒲苑よりこちらの方が広いし花も大きく美しいような気がしました。これもご夫婦の丹精の成果でしょうが…。もう80歳を過ぎて居られますが、何とも若々しいお二人でした。大したもんです!

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

常盤公園の菖蒲園へ

2019年06月03日 | 俳句

 このところ最高気温と最低気温の差が縮まって、昼間は汗をかくほどのこともないし、夜も冷えることがないので快適に過ごしています。今日の宇部は最高が23度で最低は20度と、毎日こんな感じだったらいいのに…。

 さて、昨日の日曜日、天気予報では午前中曇り午後からは雨でしたので、ちょっと悩みました。なぜかって?例の着付教室の〝着物でお出かけ〟のイベントがあって、今回は常盤公園の菖蒲園見学だったんです。

 娘と二人もう着付を済ませていましたので、少しぐらいの雨なら行くしかないと、待合せの常盤公園西駐車場へ。やがて先生たちと落ち合って菖蒲園に入りました。お天気はなんとかもちそう…。ヨカッタ!菖蒲の花もまだ少し早いかなと思ったんですが、そこそこ咲いていて綺麗でしたよ。そう言えば公園の入口に来週の日曜日が〝菖蒲まつり〟と貼り出してありました。1週間後は本当にちょうどいい頃合でしょう。天気がよければ、きっと人が多いでしょうから、今日で良かったわねといいながら散策。日も余り照らなくて、却ってラッキー!と…

 花菖蒲には様々な名前が付いていましたが、よく咲いているのだけ撮りましたので、あしからず。 

 その後昼食場所へ。今回は参加者が少なかったので予約をせずに行ったものですから、第一候補の店は本日貸切でダメと断わられてしまいました。それで他の店に行くことに…そこは大丈夫。少し待たされましたが、やっと食事にありつけました。ホッ!

 車を降りると、午後からの雨の予想が外れて、太陽が…。それはそれでウレシイ誤算でしたが、段々と暑くなってきて馴れぬ着物が身にこたえました。しかし、6月に入りましたので、着物は袷(あわせ)ではなく単(ひとえ)でしたから、少しはマシなんですけどね~。着物には結構季節ごとのルールがあって、いろいろと大変なんですよ。知らないときは気にもなりませんでしたが、6月からは長襦袢から着物に帯、草履と手提げまでも夏物を用いるんです。だから着物を着るたびにいつも思うのですが、昔の人は本当にスゴイ!の一言に尽きます。だってこういう面倒な物を365日着て過ごしていたんですからね。それも朝起きてから夜寝るまで…いや寝るときも着物でしたね。私なんか一日で根を上げてしまいそうなのに。

 食事が済んで解散となりましたが、私と娘二人は山口宇部空港の薔薇を見て帰ろうと行きました。ところが、もう盛りは過ぎていて、どこもかしこも残り花という感じ。中に〝プリンセスミチコ〟の薔薇が一輪綺麗に咲き残っていましたので、それを写真に撮ってきました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

〝蛍籠〟を作りましたよ!

2019年06月02日 | 俳句

 昨日は夕方から義母を連れて〝吉部(きべ)蛍まつり〟へ。その前に、先日の〝ゴテチア〟の花を義母がまだ見たことがないというので、寄って行きましたが、前の時より花菖蒲が随分開いていて、見頃ももうすぐのようでした。写真を撮ってきていますので、今度に。

 この日は前日地域の新聞に満開のゴテチアの写真入りで報道されましたので、夕方になってもまだ見学に来る人がいました。そのためか切花が売切れていて残念がる母の為に、外におられたご主人にお願いして分けて頂きました。アリガトウございました。

 ところで、山口県には蛍観賞のできるところがあちらこちらとたくさんあって、一番有名なのはやはり山口市の一ノ坂川かしら。確かここも6月1日が蛍まつりだったような。また、宇部市の小野地区でも蛍まつりがありますが、ここは先週すでに終りましたし、以前観に行ったこともありましたので、今回は初めての吉部地区に来たのでした。

 途中行くまでに殆ど家もなく、本当にこんなところで祭などがあるのかと思いましたが、吉部ふれあいセンターに着くともうかなりの人で賑わっていました。蛍の観賞は8時過ぎからですので、それまではバザーで食べたり飲んだり、買物をしたり…と。そうそう、ステージでは踊や歌なども6時から始まっていました。

 しかし、私がここに来たかった一番の理由は〝蛍籠〟を作る体験があるということ。私は子供の頃に作った記憶があるのですが、昔のことですし、主人は見たことも聞いたこともないので、どんなものか全く想像がつかないと言いますので、是非作ってみたいと思ったのです。ところで、私は一体どこで習ったのでしょう?とにかく藁で編んで上手くできたと誉められた記憶があるんです。小学校1年生のとき大分県の別府市に引っ越してきましたが、それ以後のことではなさそう…そういう麦藁が手に入るようなところではありませんでしたから。だとすると、それ以前に住んでいた福岡県の久留米のときかしら?ああ、こんなことなら母に聞いておけばよかったと思うことしきりですが、いつも遅かりし…です。

 さて、藁で作った蛍籠…私の記憶通りのものでしたよ。私も作り方を教えて貰いながら、やっとできました。ウレシイ。それがコレ!まあまあでしょう?中には蛍草が入れてあります。でも、その道の人が作ったのが次の蛍籠です。やっぱり年季が入っていますので、とても綺麗!これは100円で売っていました。もちろん体験代も100円でしたが…。

  蛍籠編みてしばらく膝に置く           伊藤道明

  喪籠りの蜑(あま)の編みたる蛍籠        浅井陽子

 この二句とも、藁で編んだ蛍籠を詠んだものでしょうね。

 7時半からはビンゴゲームもありましたが、例によって我が家は全滅!悔しい!こんな時一度でいいから当たってみた~い

 そうこうするうちに空が藍色に染まっていって…やがて真っ暗に。このあたりは灯を消すと本当の闇になります。さあ、出発です。距離でAコースとBコースがあって、短い方のコースですが、それでもおばあちゃんが危ないので早めに引き上げて帰りました。

 蛍はもちろんたくさんいましたよ。写真は残念ながら…でも、ここのは殆どが平家蛍で、光も小さめでしたが、やっぱり幻想的!観に来てよかったです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

〝外郎(ういろう)〟という和菓子の話

2019年06月01日 | 俳句

 今日も快晴の洗濯日和です。昨日は遅くまで全仏オープンの錦織選手を応援していました。今回の全仏オープンは、大坂選手と錦織選手が入れ替り立ち替わりして毎日試合が放送されていますが、今までどれもすんなりとは見られない試合ばかりでした。昨夜の錦織選手もどうにかこうにか勝ち進んで、ベスト16まできましたが、この先は全く分かりませんね。今までのパターンでいくと、3回戦までで全精力を使い果たして…ついに力尽きたという試合が多かったんですもの。昨夜も4時間半のフルセット、普通のストレート勝ちなら2試合分は闘っています。今夜は大坂選手の試合です。前2試合とも立ち上がりが悪くてフルセットでの逆転勝ちですから楽ではなかったでしょう。今夜の3回戦もそうそう簡単な相手ではなさそうですのでどうなることやら…またハラハラドキドキさせられるのかしら。

 と書いて出かけまして、夜3回戦をLIVEで見ました。でも、いいとこなくてストレートで負けてしまいました。残念!

 ところで、先日Y新聞の山口版にあった記事です。読者から「山口県人として言いたいこと」を募集してそれを発表するコーナーができていたんです。調べてみると、4月からパワーアップした目玉企画が、都道府県代表で構成されるAKB48チーム8のメンバーが月に1度、出身地の地域面で展開する連載で、題して、「月刊チーム8~もしAKB48が本気で新聞をプロデュースしたら~」というんだそうです。「新聞を楽しくしたい!」と意気揚々のメンバーが考えた珠玉の企画、それが山口県では〝下尾みうの言いたいことがあるんだよ〟のタイトルで、今回は〝外郎と言えば、山口だろ〟だったんです。そんなことちっとも知りませんでした。

 さて、この企画を始めたきっかけが、彼女の大好きな〝外郎〟だったんですって。私も外郎は大好きですが、私の外郎との出逢いは〝宮崎の外郎〟でした。兄が宮崎から帰る時いつもお土産に外郎を買ってきていましたから。それはなんともひなびたお菓子で、ほんのりと甘くまるでお団子を平らにしたもののようでした。最近の味は知りませんけど、兄が亡くなって久しい今ではとても懐かしい忘れられない味です。

 やがて結婚して宇部に来ると、この外郎は山口の銘菓だと言うではありませんか。てっきり宮崎と思い込んでいた私はびっくりです。すると、今度は友人から外郎は名古屋が本場なんよと教えられ…どれがホント!と、さっぱり分からなくなりました。

 ところが、朗読ボランティアの会で練習に〝外郎売り〟を読むことになって、さらに分からなくなってしまいました。〝外郎売り〟の外郎とは〝透頂香(とうちんこう)〟という薬なんです。その薬の〝外郎〟を製造販売しているところが小田原にあるからと教えられ、東京に行った帰りに寄ってみたことがあります。まるでお城のような建物でしたが、そこの仁丹のような銀色の小粒の薬が〝透頂香〟すなわち〝外郎〟だと教えられ、試しに一番小さいのを買って帰ったことがあります。その時、奥にある蔵が外郎博物館になっていて、そこを見せてもらい説明を聞いてやっと謎が解けました。説明すると長くなりますのでそれはカット、要するに薬を考えた人がお菓子も考えて作ったので同じ〝外郎〟という名になったということ。

 Wikipediaによると、お菓子の外郎は、江戸時代にはすでに日本各地に製法が広まり、製造販売が行われるようになっていて、現在でも各地の名物となっていることが確認されていると。原材料や製法は、製品や地域によって変化に富み、味、食感、見た目にはさまざまなものが存在し、世間的には名古屋銘菓の代名詞のような扱いをされているが、他にも小田原市・京都市・山口市のものが比較的知名度が高いのだと。

 また、外郎という和菓子は、典型的には米粉などの穀粉に砂糖と湯水を練り合わせ、型に注いで蒸籠で蒸して作る。穀粉には米粉(うるち米、もち米)、小麦粉、ワラビ粉などが用いられ、砂糖には白砂糖、黒砂糖などが用いられる。小豆あん、抹茶など、さまざまなものが加えられることも多い。室町時代のころから存在する黒砂糖を用いた「黒糖ういろう」が本来の姿と考えられているとも。

 山口の〝外郎〟は、ワラビの粉に砂糖を加え、蒸して作られます。小豆、抹茶等が加えられることもあり、他の地方のういろうと異なって、わらびもちを彷彿とさせる、くせのないとろりとした食感が特徴の上品な和菓子です。

 特に私は「豆子郎」の生外郎といって、商品名は「生絹豆子郎」(すずしとうしろう)といいますが、それが一番好きです。お土産に何がいいかと聞かれれば、一番にこれを勧めるのですが、ただ消費期限が三日と、日持ちのしないのが欠点なんです。でも、絹のような滑らかな口溶けが特長で、 蒸したてのやわらかな口あたりを一度味わうとクセになりますよ。是非お試し下さい。 

 写真は、豆子郎の「生絹豆子郎」と御堀堂の「外郎」です。(写真はお借りしました。スミマセン)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする