『夢違』 恩田陸 (角川書店)
![](http://www.kadokawa.co.jp/cover_b/200912/200912000005.jpg)
夢を記録、保存、再生ができるようになったらというIFから始まる物語。そこに、予知夢を見ることができる女性の死と、夢札を引いた(夢を記録した)子供たちの異常。謎を解明するため、死んだはずの女性を追う夢技術者。
恩田陸はジャンルミックスな作家だ。この作品も、全体構成はミステリであり、設定はSFであり、雰囲気はホラーであり、最後はラブストーリーに終わるという見事なミックスっぷり。しかし、それぞれのジャンル小説ファンからは、どうしても物足りなさを覚えるのは必然かもしれない。
実際、途中まではゾクゾクするようなホラーだと思って読んでいたら、この肩透かしのような結末には怒る人もいるだろう。俺は、まぁ恩田陸だからなぁという感じ。意外だったけれども、こういう結末もありだと思った。
SF的にみると、夢を記録する装置の設定が問題になるが、これは何と言っても名称の素晴らしさがすべての突っ込みどころを吹き飛ばす勢いだ。
装置の名前は“獏”。そして、夢を記録することを「夢札を引く」という。
未来の話ではなく、現代の設定。アメリカの研究所で開発されたとか、当初は白黒で曖昧にしか見えなかったが最近はフルカラーでくっきりと記録できるようになったとか、細かい設定がいろいろあるものの、「夢札を引く」という日本的な表現方法によって、まるで昔からの伝統行事っぽい雰囲気も醸し出し、なんとも言えない不思議な気分になる。
カギとなる、夢で見る風景もどこか懐かしい日本人の原風景と言える。小学校の廊下。満開の桜。山の上に見えるお堂。特に、小学校の廊下と桜は、現代の日本人ならば誰でも知っている風景。いわば、集合的無意識の象徴としては的確すぎる。
しかし、後から考えると、この「引く」という表現は英語の pull の直訳ではないかと思い至った。機器にデータを出し入れすることに、技術用語では pull/push という動詞を使うのだ。恩田陸は割と理系ネタ好きなので、この用法を知っていてもおかしくない。
英語の技術用語を直訳した単語が、とても日本的な感覚の用法になるとは。こういうのを《センス・オブ・ワンダー》というのだ。
さて、肝心のストーリーなんだけれど、どうもプロットを明確に決めずに、気の向くままに書いた感じが伝わってくるようで、場当たり的な展開が目立ってしまう。しかし、そこを最後は綺麗にまとめるというのは、いつも思うのだけれど大きな才能だ。
とはいえ、もう少しちゃんとプロット組んだ小説も読んでみたい。
![](http://www.kadokawa.co.jp/cover_b/200912/200912000005.jpg)
夢を記録、保存、再生ができるようになったらというIFから始まる物語。そこに、予知夢を見ることができる女性の死と、夢札を引いた(夢を記録した)子供たちの異常。謎を解明するため、死んだはずの女性を追う夢技術者。
恩田陸はジャンルミックスな作家だ。この作品も、全体構成はミステリであり、設定はSFであり、雰囲気はホラーであり、最後はラブストーリーに終わるという見事なミックスっぷり。しかし、それぞれのジャンル小説ファンからは、どうしても物足りなさを覚えるのは必然かもしれない。
実際、途中まではゾクゾクするようなホラーだと思って読んでいたら、この肩透かしのような結末には怒る人もいるだろう。俺は、まぁ恩田陸だからなぁという感じ。意外だったけれども、こういう結末もありだと思った。
SF的にみると、夢を記録する装置の設定が問題になるが、これは何と言っても名称の素晴らしさがすべての突っ込みどころを吹き飛ばす勢いだ。
装置の名前は“獏”。そして、夢を記録することを「夢札を引く」という。
未来の話ではなく、現代の設定。アメリカの研究所で開発されたとか、当初は白黒で曖昧にしか見えなかったが最近はフルカラーでくっきりと記録できるようになったとか、細かい設定がいろいろあるものの、「夢札を引く」という日本的な表現方法によって、まるで昔からの伝統行事っぽい雰囲気も醸し出し、なんとも言えない不思議な気分になる。
カギとなる、夢で見る風景もどこか懐かしい日本人の原風景と言える。小学校の廊下。満開の桜。山の上に見えるお堂。特に、小学校の廊下と桜は、現代の日本人ならば誰でも知っている風景。いわば、集合的無意識の象徴としては的確すぎる。
しかし、後から考えると、この「引く」という表現は英語の pull の直訳ではないかと思い至った。機器にデータを出し入れすることに、技術用語では pull/push という動詞を使うのだ。恩田陸は割と理系ネタ好きなので、この用法を知っていてもおかしくない。
英語の技術用語を直訳した単語が、とても日本的な感覚の用法になるとは。こういうのを《センス・オブ・ワンダー》というのだ。
さて、肝心のストーリーなんだけれど、どうもプロットを明確に決めずに、気の向くままに書いた感じが伝わってくるようで、場当たり的な展開が目立ってしまう。しかし、そこを最後は綺麗にまとめるというのは、いつも思うのだけれど大きな才能だ。
とはいえ、もう少しちゃんとプロット組んだ小説も読んでみたい。