『ニルヤの島』 柴田勝家 (ハヤカワSFシリーズJコレクション)
復活したハヤカワSFコンテストの第2回大賞受賞作。著者の柴田勝家は風貌やたたずまいがあまりにも“武士”なためにネットでも話題騒然。
SFマガジンの著者インタビューなどを読んで、著者のキャラクターだけでなく、作品も面白そうだなと勢い込んで読み始めたのだが、困ったことに、俺の苦手なタイプの小説だった。
近未来を舞台としてSF的ガジェットがふんだんに使われているわりに、かなり人文科学よりのSF。
4つのパートが交互に語られる形式になっているのだが、このパートどうしのつながりがわかりづらい。
はじめのうちはケンジ=タヤだと思っていて混乱したし、タヤに関わる少女も複数いるし、そうすると、少女の母親も当然のように複数いるわけで……。しかも、別名、仮名、襲名の罠が仕掛けられている気がする。いや、読み間違っただけなのかもしれないけど。
そもそも、生体受像とか、主観時間とかとやらで時間軸が入り乱れているせいで、どことどこがつながっているのかわかってくるのは、本当に終盤に入ってから。
途中までは五里霧中の中、手探りで進んでいるうちに、サーッと霧が晴れていく感じは悪くないのだけれど、あまりに不親切で、途中脱落する読者は少なくないんじゃないか。
DNAによる演算処理の理屈はよくわからなかったが、これはただの文学的装置だと思っていいんですかね。科学的にあり得るかどうかは別として、そういうものだと受け入れろと。
そういうガジェットよりも、ひとの意識が主観時間として再生可能ならば、そして、その体験をミームとして他人に移植可能ならば、この物語を再生しているのが誰なのか。
もしくは、これを再生しているのが“読者”だとするならば、なぜこれを再生(たとえば、伊藤計劃の『ハーモニー』みたいに)させているのか。
というところに興味があったのだけれど、最終的にはテーマそのものに直結した、悪く言えば、そのまんまじゃないかというところに落ち着いてしまった。
テーマとしては科学技術の進展に伴う天国と地獄の喪失と、新たな死後の世界の獲得をミーム(模倣子)を絡めて描いた作品ということになるのだろうけれど、なかなかこのテーマに共感しづらいところがなんともかんとも。
興味深くはあるのだけれど、熱狂的に惹きつけられるわけではないという感じ。
結局のところ、複雑に絡み合った物語の構造を解き明かすというパズル的な読み方しかできなかったのは、著者にとっても残念なことでござろう。