神なる冬

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[SF] ラブスター博士の最後の発見

2015-03-02 23:59:59 | SF

『ラブスター博士の最後の発見』 アンドリ・S・マグナソン (創元SF文庫)

 

あらすじを読んで見送りにしようかと思っていたけど、書評で評判がいいので購入。しかし、その内容は表紙や紹介文から想像されるようなさわやかなラブストーリーではなかった。

体裁的にはスラップスティックなドタバタコメディ。そこで描かれているテーマは、マーケティング(ステマを含む)による世界支配と、その愚かしさではないかと思う。

広告や宣伝が世界を支配するというテーマはSF小説にかぎらず、都市伝説でもよく知られたテーマだ。これは、そのテーマを寓話的に推し進めた世界での物語。

この物語がラブストーリーであるのは確かなのだけれど、あまりにひねくれすぎているので、まともなラブストーリーを期待する人には到底オススメできない。

読み終わった後で考えてみると、誰かさんの計算ミスで世界はズタズタになってしまうわけだけれども、ラブスター博士による「インラブ」の計算が間違っているとはどこにも書かれていない。シグリッドの相手がインドリディにならなかったのは計算間違いなどではなく、意図的な犯罪の結果だったわけだし。つまり、真実の愛は計算できないなんて、どこにも書かれていやしない。

だからこそ、自由意志なんて存在しないということを逆説的に強調してしまっている。人間の嗜好は計算しつくされ、それがために、人間の行動はメディア(明示的な広告やステルスマーケティング的な情報)によって簡単に操作できる。

博士は愛と死を計算し尽くして、最後には祈りや神の存在までも計算し出すわけだけれども、それだって、間違っていたとはかかれていない。そこにはちゃんと神がいたのだという解釈で正しいんじゃないか。そして、自分自身を計算しなかったことが皮肉な悲劇であると。

おもしろいのは、この物語は比較的最近に書かれたのにもかかわらず、舞台は過去のレトロフューチャーっぽいこと。

これは物語の寓話的性格をより強調しているだけでなく、かつての計算機万能な未来予測ってこんな感じだったよねという懐古的な意図もあるんじゃないか。さらに、そこで扱われていたメディアへの警鐘は、困ったことに今でも有効だよねと。

そして、こんな奇妙な万人受けしない作品を、真実の愛を説く優しいラブストーリーとして売ろうとする商業的書評はまさにマーケティング的ねじ曲げそのもの。

書評家のM氏は本当に最後まで読んだのかよ。