『地球の長い午後』を髣髴させる生態系SF、と見せかけて、いろいろ意地悪なテーマを織り込んだ作品。
大人になる直前、なったばかりの若者を主人公に据えたジュブナイルでありながら、出版形態は四六判ソフトカバーなので、少年少女は図書館でしか出会えなさそうなのが惜しい。
実は意図的なミスマッチを狙っている節もあるのだけれど、疑い出せばきりが無い。それぐらい、意地の悪いひねくれたラストが用意されている。
あえてネタバレ全開で語るので未読の方は注意!
個人的に気になったのは、人工物と自然の対比と、ジェンダー問題。
まずはSF的に馴染み深い、人工物と自然の対比について。
やっぱり、『風の谷のナウシカ』を思い起こさないわけには行かない。もしもナウシカが主人公だったとしたら、彼女はどのような選択をしただろうか。
自分は科学技術に関して楽観的なので、最終的には科学技術がすべてを解決できると信じている。そのため、遺伝子工学や環境工学に対して大きな不安は無いし、ぶっちゃけて言えば、コミック版のナウシカの決断には懐疑的だ。
一方で、この物語において問題とされているのは、実のところ、自然か(無軌道な)工学かという対比の問題ではなく、知性や意識の問題ではないかと思った。
主人公のアイルたちが島を脱出するのは、進みすぎた工学的ハザードのせいでも、遺伝子改変への恐怖でもなく、自分たちが自分らしく生きるためにという、意志や意識の問題であったのだと。
もしも、文字通り森と共生して生きる融化子が知性を保てる存在であったならば、そして、巨人たちが最初から真実を語っていたのならば、彼らの決断は変わったのだろうか、それとも、変わらなかったのだろうか。
融化子が知性をそのまま保てるならば、森に生きるために特化した存在として生きることは積極的に選ぶことのできる選択肢だったのではないかと思う。
もうひとつの問題はさらに複雑だ。
物語中にはジェンダーの固定化が肯定的に語られる部分がある。力の強いものが戦い、弱いものが機を織る。ただし、巨人たちのテクノロジーによって、この世界で卵を得るのは定住者の性ではなく、巡回者の性である。
回りくどく書いたけれども、これが最後の意地悪な罠。主人公は明らかに定住者である少女で、巡回者の少年と出会い、家庭を持とうとするわけだが……。
ウェブの感想を読んでみると、この部分に言及している読者が少ない。ネタバレを気にしているのか、それとも、まさか気付いてないのか。
はっきり言うと、ジェンダー問題の解決には男女の性別を入れ替えて固定するのではなく、流動的になるべきだ。すなわち、“政治的に正しい性的役割分担”とは、どちらの姓でも卵を得ることができたり、巡りに参加できたりすることではないだろうか。
あるいは、敢て固定化された性を肯定的に論じたうえで、最終的にその立場を逆転させることによって、読者の固定観念を明らかに(あえて糾弾とは言わないけれども)しようということなのか。
いずれにしろ、この部分はもっと論議を呼ぶべきなんじゃないかと思った。
で、七面倒くさい裏の議論をさておけば、生命の濃厚な匂いに満ちた、良質なジュブナイルSFである。ので、中学校や高校の図書室なんかにはガンガン入れて欲しい小説だった。