隔月発行なのですっかり忘れていたSFマガジン。1ヶ月遅れで書店に行ったら平積みだったので一安心。その今号は伊藤計劃特集。
伊藤計劃はぜんぜん新しくなくって、あれはクラシックで王道だと言い続けているつもりだけど、いまだに“伊藤計劃以後”、“ポスト伊藤計劃”なんてことが言われ続けている。実に6年だよ、6年。
それはさておき、今月号の座談会を読んで、“伊藤計劃以後”と呼ばれるものが何なのかわかってきた気がする。それはSFのスタイルではなく、テーマにあるわけだ。
“伊藤計劃以後”を代表する作家として新鋭の(とはいえ、伊藤計劃と同世代の)藤井太洋に加え、仁木 稔と長谷敏司の二人が座談会に参加している。この二人は伊藤計劃よりも前にデビューしているわけで、“伊藤計劃以後”と名付けるにはかなりの違和感がある。
しかし、彼らは伊藤計劃と同世代として同時代を生きることによって、技術によるヒトの変革という同様なテーマを同様に描こうとしてきた。
ヒトの変革自体はSFの古典的テーマでもあるが、2000年代の日本において、社会をまさに変革したケータイ文化に代表される技術が、ヒトそのものへも変革を迫るという世相を反映した新しいテーマとして浮かびあがってきたのではないか。
それまでとは質的にも量的にも異なった、いわゆる普遍的にパーソナルなものとしての技術革新がSFの世界に“伊藤計劃以後”を作り出したのではないか。
“それ”は、伊藤計劃の死がなければ、おそらく別な名前で呼ばれていたであろうものであるけれども、どう呼ばれようが、新たなトレンドとしてくくられるべきものがあったのは確かだと思う。
で、その死を、良くも悪くも商業的に利用したのがハヤカワの“伊藤計劃以後”というキャッチフレーズであり、これが思いのほか成功して、若い人々の中に“伊藤計劃チルドレン”とでも呼ぶべき世代が生まれてきたというのも凄い話だ。
それでもやっぱり、このへんのムーブメントを“伊藤計劃以後”と呼ぶのは、納得し難いのだよね。伊藤計劃以外の業績を軽んじているようで……。
ところで、隔月刊行になったせいか、今号の小説は連載も読みきりも、胸焼けしそうなほどに濃厚でボリュームも大きかった。特に「アノニマス」は堪能したけれども、やっぱり隔月で連載っていうのは前回の出来事をすっかり忘れてしまうな。
○ 「無能人間は涙を見せない」 上遠野浩平
元祖中二病小説。これって、不定期連載じゃなくて読みきりなのか?
○ 「彼女の時間」 早瀬耕
夢オチかと思わせて……夢オチとか、時間の進みが出てくるので光速かと思わせて軌道上とか、いろいろ裏切られた気がするけど、気持ちよく読めた。
○ 「イシン―維新―」 マデリン・アシュビー/幹 遙子訳
ドローンSFであり、バディもの。年配のオヤジと少年のコンビがスーツを通じて感覚を共有するとか、あっちの方面で受けそうな。上上下下コマンドはやり
すぎ。
○ 「苺ヶ丘」 R・A・ラファティ/伊藤典夫訳
これ、著者名を隠して当てろといわれたら、絶対にラファティの名前は出ないと思う。えーっと、キング?
○ 「罪のごとく白く、今」 タニス・リー/市田 泉訳
読みながら、これってシンデレラなのか白雪姫なのかと迷ったけれど、それらいろいろ全部なのか。最後に時系列のつながりを間違って理解していたことがわかって、ありゃりゃりゃ。