『天冥の標IX ヒトであるヒトとないヒトと PART1-2』 小川一水 (ハヤカワ文庫 JA)
ついにここまで来た。尻切れトンボの第1巻はともかく、リアルに涙を流しながら読んだ第2巻の時点で、これから10年間での最大の傑作であろうことを確信した《天冥の標》全10巻の最終巻ひとつ前。
“ヒトであるヒトとないヒトと”のサブタイトルの通り、1巻目から謎めいた符牒として語られてきた各種族がそれぞれの想いを抱えながら最期の戦いへ集結していく。ヒトとは何かを問い詰めていく物語は、仲間と非・仲間を線引きする意味を問いかけてくる物語でもある。
今思えば、なんだか不要な寄り道だった気がする4巻も、まさしくこのテーマにつながるターニングポイントだったわけだ。
そして今回の目玉は、遂に明かになった二惑星天体連合軍の全貌と目的。その想像を絶する規模と、その派遣軍に含まれるホモ・サピエンスのわずかな数に戦慄を覚える。計算があっているのかどうかもよく分からないが、とにかく、セレスの質量がすべて兵器と化した場合であっても、これを殲滅しうる規模だというのだ。そこに《救世群》の残した恐怖の大きさを感じる。
そして、彼らの目的。そのひとつはセレスに残されているであろう人類の救出だった。しかし、それも、かわいそうだからとか、正義や人道的見地からなどではなく、ホモ・サピエンスを絶滅から救うという目的もあるに違いない。おい、まさか、太陽系に残された人類はメニー・メニー・シープの生存者よりも少ないなんて言うんじゃないだろうな。っていうか、ほかの惑星をこのためにぶっ壊したから二惑星だなんて言わないよな。
せっかく朝が戻ってきたメニー・メニー・シープにも、休む間もなく次の戦いが待っている。はたして本当の最期の戦いはどちらに転ぶのか。あれだけあっさり太陽系を壊滅させたのだから、すべてがうまくいく大団円は期待しない方がいいのかもしれない。
ところで、PART1からPART2までに時間がかかったのは、このままだと破綻することに気付いてしまったからだと著者がtwitterで言っていたような気がするが、どこが問題だったのだろう。気になったのは、対《救世群》の宇宙軍に二惑星天体連合軍がいつの間にか大量に投入されていたことぐらい。まぁ、鳥頭なので気付いていない伏線はいっぱいあるんだろうけど。