『すばらしい新世界〔新訳版〕』 オルダス・ハクスリー (ハヤカワ文庫 epi)
伊坂幸太郎の帯文ではないが、本当に「どうして今まで、この本のことを教えてくれなかったのか」。いや、さんざん教えられてたけどな!
実際、古すぎて読みずらい小説なのだろうと思って敬遠していたのだけれど、今回は大森望の新訳ということもあり、ものすごく読みやすかった。雰囲気的には完全にレトロSF=黄金期SFの世界。しかし、これが書かれたのは40年代にアメリカでSFが勃興する前の1932年なのだよね。第二次世界大戦よりも前だなんて信じられない。
人工授精と人工子宮による出産。家庭ではなく社会による子育て。遺伝子レベルからの社会階層への最適化。睡眠学習による洗脳。SF的なネタを上げていけばきりがないくらいに溢れていて、社会的な問題意識も全く古びていない。
そう、ここはまさしく、伊藤計劃が『ハーモニー』で描いた世界。清潔で、健康で、誰もが幸福な社会。
同じようにディストピアSFの古典とされる『一九八四年』と比較しても、あっけらかんとした明るさが特徴的だ。この社会の市民は誰もこの世界に不満を持っていない。そもそも、この社会はディストピアなのだろうか。
主人公のひとり、バーナードは胎児の時期に不幸な事故によりアルコールにさらされ、胎児性アルコール症候群の影響を受けて発育不全ではあるが、自分の出生に対しての呪詛はあるものの、社会に対する不満や疑問は無い。「幸福は義務です」などと言う必要も無い。なぜなら、みんなが幸福だからだ。
あえて言わせてもらえば、“世界一幸福な国の欺瞞”とも本質的に同じものかもしれない。
これまた不幸な事故により、この社会の外で野人として育てられたジョンは、この社会に適応できずに精神を蝕まれていく。しかし、それは社会への不適合が原因であり、この社会がディストピアであるからではない。これって、すごく重要な視点だと思う。
現代社会に生きる我々は、この社会はおかしいと簡単に切って捨ててしまえるけれども、果たしてそんなに簡単なものだろうか。『すばらしい新世界』が我々の社会とは異なるところは指摘できても、この社会がなぜ間違っているのかをきちんと説明できるひとは少ないのではないか。
たとえば、共働き世代の増加、若年層の貧困により家庭での子育ては崩壊しており、社会での子育てが必要という意見は、今まさに現代の日本で議論されようとしている問題ではないのか。
あるいは、現代日本でも、あそこの家の子とは遊んじゃいけないと睡眠学習のように親から刷り込まれることが、いじめや格差の固定につながっているのは同様ではないのか。
『すばらしい新世界』は、理想的な社会とは何かを考えるうえでも、現代日本社会が抱える問題について考えるうえでも、ものすごく参考になるテキストだと思った。
そしてふたたび、この小説が80年も前に書かれたのだということに、あらためて驚愕するのである。