芋太郎、救急車に乗る!
予兆か偶然か!ここ最近ブログを更新する元気がなく、
金融取引も停止していた。
事は、勤務地で始まった。
どうやら、腰のあたりが重く、優れない。
周囲は、ヘルニアではないかと危惧をする。
退社時間には、かなり悪化し、すでに、腹痛を伴いだした。
そそくさと退社する。
とはいえ、自宅まで10分間隔で3度電車を乗り継ぐ必要がある。
一度目の「乗り換え」で、車中で立っている事がきつくなる。
「もう、すぐだ」とばかりに「自分にいい聞かせ」、2度目の乗り換え。
すでに、寄りかからずには居られない。
電車を降りて、自宅までの冷たい雨と徒歩。
バスはない。路線から外れた住宅街である。
不思議と、タクシーを利用する考えが思いつかなかった。
人間、状況判断が出来なくなると、帰巣本能のみ働くようだ。
帰宅後、着替えを行う。
上着とネクタイを外した段階でへたり込んでしまった。
奥が異常さを感じてか駆けつける。
奥の力を借りて、とりあえずパジャマに着替える。
そのまま倒れるようにベットに入る。
すでに、20時近い。
電話で夜間診療を奥が確認する。
近隣の内科は生憎夜間診療できず。
救急指定病院は3病院。
区内の一番近い某病院へタクシーで直行。
しかし、なんと診療拒否。
理由はわからないでもなし。
緊急患者の心臓カテーテル処理に入るところで、「3時間かかるか
5時間かかるかわからない。」との看護婦の答弁。
事務局員と2名の看護婦が途方にくれていた。
芋太郎より緊急性のある患者が運び見込まれたらどうするのだろうか。
奥は怒り心頭であったが、芋太郎はなぜか冷静である。
どうやら、生命に関わらないことを自分で理解していたようだ。
「待ちます」という奥に救急車を病院に呼ぶように指示する。
なんとも、皮肉な対応である。
人のことを考えている余裕はなく、痛みを止めるほうが優先でした。
「病院からは救急車には電話できません。」との看護婦の言葉から、
奥が院内の公衆電話から119番。
救急車は5分も経たずに、夜間緊急出入り口に到着。
救急隊は、二人が芋太郎の症状を確認。一人が看護婦と会話。
救急車で別の区の救急指定病院へ搬送される。
腰痛と腹痛は有るものの、頭は鮮明に働いている。
救急車の中をじっくりと拝見する余裕がある。
不思議だ。
とはいえ、このようなことを記載すると怒られるかもしれない。
緊急時に利用するのが救急車だと。
確かに、そのとおり。
異論はない。
私は実は痛みに耐える「我慢強さ」が人一倍であることとして
勘弁して欲しい。
それが、17年前に死にそこなった原因である。
実は、芋太郎は、17年前に福岡の地で九死に一生を得ている。
その時の体験から冷静に対応出来たといえる。
人が死ぬという時の痛みがどれほどのものか。
あの時は、七転八倒し、吐き、何も出来なかった。
一つ以外・・・何も。
今の奥からの電話に出る事意外。(奥との出会い)
電話口で「うう~」という言葉をはくのが精一杯。
救急隊が駆けつける数分間の出来事である。
独身単身赴任地での出来事であり、緊急手術12時間に及ぶ。
その承諾をしたのが、実は「奥」。
家族でもない娘さんが、芋太郎の母に電話で了解を得て。
目が覚めたときに奥が居た事がなによりの驚きでした。(笑)
「命」救われたと思いました。
あれから、また救急隊のお世話になるとは考えても見ませんでした。
今回は、「腎臓結石」
初回の苦しみから比べれば、「死なない」との予測ができた。(笑)
無論、痛いのですよ。
救急隊の皆さん、本当にありがとうございました。
二番目の病院で当直医と話していた言葉が忘れられません。
「万一、入院の可能性がある場合は、近くのほうがいいでしょうね。」
という当直医の言葉に、
「いえ、一度受入拒否をした病院に患者を差し戻すようなことはしたくない。
ぜひ、その場合はこちらで対応願いませんか。」
命を預かるプロの重い言葉でした。
ありがとう。
二つの病院の違いはまたの機会にお知らせしましょう。
近いうちに、体調しだいで。(笑)
予兆か偶然か!ここ最近ブログを更新する元気がなく、
金融取引も停止していた。
事は、勤務地で始まった。
どうやら、腰のあたりが重く、優れない。
周囲は、ヘルニアではないかと危惧をする。
退社時間には、かなり悪化し、すでに、腹痛を伴いだした。
そそくさと退社する。
とはいえ、自宅まで10分間隔で3度電車を乗り継ぐ必要がある。
一度目の「乗り換え」で、車中で立っている事がきつくなる。
「もう、すぐだ」とばかりに「自分にいい聞かせ」、2度目の乗り換え。
すでに、寄りかからずには居られない。
電車を降りて、自宅までの冷たい雨と徒歩。
バスはない。路線から外れた住宅街である。
不思議と、タクシーを利用する考えが思いつかなかった。
人間、状況判断が出来なくなると、帰巣本能のみ働くようだ。
帰宅後、着替えを行う。
上着とネクタイを外した段階でへたり込んでしまった。
奥が異常さを感じてか駆けつける。
奥の力を借りて、とりあえずパジャマに着替える。
そのまま倒れるようにベットに入る。
すでに、20時近い。
電話で夜間診療を奥が確認する。
近隣の内科は生憎夜間診療できず。
救急指定病院は3病院。
区内の一番近い某病院へタクシーで直行。
しかし、なんと診療拒否。
理由はわからないでもなし。
緊急患者の心臓カテーテル処理に入るところで、「3時間かかるか
5時間かかるかわからない。」との看護婦の答弁。
事務局員と2名の看護婦が途方にくれていた。
芋太郎より緊急性のある患者が運び見込まれたらどうするのだろうか。
奥は怒り心頭であったが、芋太郎はなぜか冷静である。
どうやら、生命に関わらないことを自分で理解していたようだ。
「待ちます」という奥に救急車を病院に呼ぶように指示する。
なんとも、皮肉な対応である。
人のことを考えている余裕はなく、痛みを止めるほうが優先でした。
「病院からは救急車には電話できません。」との看護婦の言葉から、
奥が院内の公衆電話から119番。
救急車は5分も経たずに、夜間緊急出入り口に到着。
救急隊は、二人が芋太郎の症状を確認。一人が看護婦と会話。
救急車で別の区の救急指定病院へ搬送される。
腰痛と腹痛は有るものの、頭は鮮明に働いている。
救急車の中をじっくりと拝見する余裕がある。
不思議だ。
とはいえ、このようなことを記載すると怒られるかもしれない。
緊急時に利用するのが救急車だと。
確かに、そのとおり。
異論はない。
私は実は痛みに耐える「我慢強さ」が人一倍であることとして
勘弁して欲しい。
それが、17年前に死にそこなった原因である。
実は、芋太郎は、17年前に福岡の地で九死に一生を得ている。
その時の体験から冷静に対応出来たといえる。
人が死ぬという時の痛みがどれほどのものか。
あの時は、七転八倒し、吐き、何も出来なかった。
一つ以外・・・何も。
今の奥からの電話に出る事意外。(奥との出会い)
電話口で「うう~」という言葉をはくのが精一杯。
救急隊が駆けつける数分間の出来事である。
独身単身赴任地での出来事であり、緊急手術12時間に及ぶ。
その承諾をしたのが、実は「奥」。
家族でもない娘さんが、芋太郎の母に電話で了解を得て。
目が覚めたときに奥が居た事がなによりの驚きでした。(笑)
「命」救われたと思いました。
あれから、また救急隊のお世話になるとは考えても見ませんでした。
今回は、「腎臓結石」
初回の苦しみから比べれば、「死なない」との予測ができた。(笑)
無論、痛いのですよ。
救急隊の皆さん、本当にありがとうございました。
二番目の病院で当直医と話していた言葉が忘れられません。
「万一、入院の可能性がある場合は、近くのほうがいいでしょうね。」
という当直医の言葉に、
「いえ、一度受入拒否をした病院に患者を差し戻すようなことはしたくない。
ぜひ、その場合はこちらで対応願いませんか。」
命を預かるプロの重い言葉でした。
ありがとう。
二つの病院の違いはまたの機会にお知らせしましょう。
近いうちに、体調しだいで。(笑)
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