喫煙道宣言 著者:馬場 啓一 出版社:山愛書院
煙草吸いの、煙草吸いによる、煙草吸いのための自己美化運動である。
痛烈な批判ではない。
ここまで来ると、見守りたくなるくらい大らかな心境である。(笑)
さて、煙草を吸うか吸わないかはこの際問題ではない。
一つの文化として、本書を読んでみてください。
世の中には両面があります。
その両面を知ることで、自分自身の中に、新たな世界が生まれます。
喫煙という世界も同じです。
川越芋太郎は禁煙派です。(馬場さん、すいません。)
しかし、生涯禁煙かというと「嘘」です。
昔、一時期、喫煙していました。
その頃を紹介しましょう。
多分、本書より一掃、読者に身近でありましょう。
私の喫煙は自然の成り行きでした。
祖母、祖父ともに喫煙派でした。
父も母も本数は少ないのですが、喫煙していました。
しかし、子供の面前や室内での喫煙はしていなかったようです。
(ようですとは、記憶がないからです。)
喫煙派の家系であり、武士の家(寄居兜刀に囲まれた)であった
家系としては、道具に凝っていました。
子供心にそのような喫煙道具が記憶に残っています。
私が始めたのは、我が家の経済が復旧した頃、即ち、大学3年から
でした。
葉巻から始まりました。
今考えてみると、「なんとも凄い話です。」
葉巻⇒パイプ⇒紙巻の順番です。
大学時代は、誰しも通る道で、友人の進めもあり、喫煙道の
入り口でぶらぶらしました。(笑)
深入りしなかったことが、現在の健康を確保しております。
そして、大学卒業と供に終了しました。
もう、30年禁煙しております。(笑)
実は、高校時代から趣味で武道をはじめ、
健康には気をつけていました。
大学の2年間のみ、興味と健康の比率が逆転した訳ですね。
正直に言うと、経済的余裕が原因かもしれません。
経済の余裕が生まれ、やってみたかったことをしただけ
かもしれない。
では、話を「喫煙」に戻します。
本書で著者が嘆くように、禁煙権が巾を利かせる時代になり、
禁煙圏が拡大しております。
これは、ヒステリー症状かもしれませんが、
原因は喫煙者にあると言うのは言いすぎでしょうか。
紳士道と喫煙道を結びつけるような気概のある方々であれば、
(本著者や映画の中での主人公など)
このようなまねはしないのでしょうが、現実は以下の通りです。
歩き煙草で火がついた方を外側に向けて悠然と歩く
吸殻やフィルター部分を街路かまわず捨てる
女性や禁煙者の前でも、断りなく喫煙する
臭い域を吐きかけ、一向に気にしない
喫煙を注意されても逆切れする
レストランや飲食店でも平気で喫煙する
(場所をわきまえない、料理の味などかまわないのであろうか)
車の中で吸いながら、吸殻を路上に捨てる
初も出の中でも煙草をふかす(危険・神前も意識しない)
公衆への迷惑より自分の欲望優先の姿勢が目に余る。
あなたの捨てた吸殻をだれが掃除するのでしょうか。
あなたの持つ煙草の火で子供の顔が危険にさらされている
あなたの煙で周囲が「けむたい」状況下にあることを考えましたか
満員電車でヤニ臭い息や服装・髪のにおいを我慢する人を考えましたか
一度も考えたことはないでしょう。
度が過ぎたのです。
日本人は我慢強い民族です。
それもで、禁煙権を主張するには限界を超えたからです。
(流行ではない本物です)
喫煙者はもう一度、喫煙権を主張したいなら、己の身のこなしを
冷静に考え、改めるべきところは改めて欲しい。
それが、本当の喫煙道であろう。
単にイメージやカッコよさでない、本当の喫煙道が身についたとき
周囲も変わるでしょう。
違いますか、馬場さん。
煙草吸いの、煙草吸いによる、煙草吸いのための自己美化運動である。
痛烈な批判ではない。
ここまで来ると、見守りたくなるくらい大らかな心境である。(笑)
さて、煙草を吸うか吸わないかはこの際問題ではない。
一つの文化として、本書を読んでみてください。
世の中には両面があります。
その両面を知ることで、自分自身の中に、新たな世界が生まれます。
喫煙という世界も同じです。
川越芋太郎は禁煙派です。(馬場さん、すいません。)
しかし、生涯禁煙かというと「嘘」です。
昔、一時期、喫煙していました。
その頃を紹介しましょう。
多分、本書より一掃、読者に身近でありましょう。
私の喫煙は自然の成り行きでした。
祖母、祖父ともに喫煙派でした。
父も母も本数は少ないのですが、喫煙していました。
しかし、子供の面前や室内での喫煙はしていなかったようです。
(ようですとは、記憶がないからです。)
喫煙派の家系であり、武士の家(寄居兜刀に囲まれた)であった
家系としては、道具に凝っていました。
子供心にそのような喫煙道具が記憶に残っています。
私が始めたのは、我が家の経済が復旧した頃、即ち、大学3年から
でした。
葉巻から始まりました。
今考えてみると、「なんとも凄い話です。」
葉巻⇒パイプ⇒紙巻の順番です。
大学時代は、誰しも通る道で、友人の進めもあり、喫煙道の
入り口でぶらぶらしました。(笑)
深入りしなかったことが、現在の健康を確保しております。
そして、大学卒業と供に終了しました。
もう、30年禁煙しております。(笑)
実は、高校時代から趣味で武道をはじめ、
健康には気をつけていました。
大学の2年間のみ、興味と健康の比率が逆転した訳ですね。
正直に言うと、経済的余裕が原因かもしれません。
経済の余裕が生まれ、やってみたかったことをしただけ
かもしれない。
では、話を「喫煙」に戻します。
本書で著者が嘆くように、禁煙権が巾を利かせる時代になり、
禁煙圏が拡大しております。
これは、ヒステリー症状かもしれませんが、
原因は喫煙者にあると言うのは言いすぎでしょうか。
紳士道と喫煙道を結びつけるような気概のある方々であれば、
(本著者や映画の中での主人公など)
このようなまねはしないのでしょうが、現実は以下の通りです。
歩き煙草で火がついた方を外側に向けて悠然と歩く
吸殻やフィルター部分を街路かまわず捨てる
女性や禁煙者の前でも、断りなく喫煙する
臭い域を吐きかけ、一向に気にしない
喫煙を注意されても逆切れする
レストランや飲食店でも平気で喫煙する
(場所をわきまえない、料理の味などかまわないのであろうか)
車の中で吸いながら、吸殻を路上に捨てる
初も出の中でも煙草をふかす(危険・神前も意識しない)
公衆への迷惑より自分の欲望優先の姿勢が目に余る。
あなたの捨てた吸殻をだれが掃除するのでしょうか。
あなたの持つ煙草の火で子供の顔が危険にさらされている
あなたの煙で周囲が「けむたい」状況下にあることを考えましたか
満員電車でヤニ臭い息や服装・髪のにおいを我慢する人を考えましたか
一度も考えたことはないでしょう。
度が過ぎたのです。
日本人は我慢強い民族です。
それもで、禁煙権を主張するには限界を超えたからです。
(流行ではない本物です)
喫煙者はもう一度、喫煙権を主張したいなら、己の身のこなしを
冷静に考え、改めるべきところは改めて欲しい。
それが、本当の喫煙道であろう。
単にイメージやカッコよさでない、本当の喫煙道が身についたとき
周囲も変わるでしょう。
違いますか、馬場さん。
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