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近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

喜捨の意味するところ(2回シリーズその1)

2012年12月16日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 日常生活ではあまりなじみのない方もおられると思うが、世界の3大宗教といえば、キリスト教(20億人)、イスラム教(13億人)、仏教(3億6千万人)である。宗教人口から言えばヒンズー教(9億人)や道教なども多い。我が国は仏教国といわれているが、僧侶は別として、多くの日本人は果たして仏教徒なのか疑問である。最近の葬儀では、誰々を偲ぶ会や、宗教色が全くないお別れ会など様々な形があり、埋葬においても、変化が出てきている。この傾向は人心と宗教との距離が離れていっていることを如実に示しているようだ。檀家の減少が、寺院の財政基盤を狭め、後継者がいない廃寺が多くなったと聞く。日常の生活の中に宗教があまり関与しない生活を行っていることに若干疑問を持っている。

 すべての仏教徒が守るべきことに五戒がある。因みにそれらは、不殺生、不ちゅう盗、不邪淫、不妄語、不飲酒(殺すな、盗むな、不倫するな、嘘つくな、酒を飲むな)である。
 同様に、イスラム教の教典コーランは5つの行動をモスリム(イスラム教徒)に課している。礼拝、喜捨、断食、巡礼、ジハード(聖戦)である。その中で喜捨(ザカート)は我々が失った世界を彷彿とさせ、見習わなければならない戒律であると感じている。

 東北北関東沖地震で揺れた一昨年であったが、阪神・淡路大震災を契機として、災害ボランティアと呼ばれる多くの人たちの活動が話題になった。その活動には大いにエールを送る一人であるが、どうもイスラム世界やキリスト教で行われてきた無償のドネーションとは違って見えたのは小生だけではなかったのではないだろうか。
 我が身は定年退職後にボランティアを始めたが、在職中にはボランティアの経験がない。道徳観としてもおそらく一度も触発されていないし、少年時代や青年時代に家族を含め、ボランティア活動に従事したことがない。

 災害ボランティアの溌剌とした活動や勝ち誇った様子の報道に接すると、他人を思いやる気持や同胞としての支援にはほど遠い自分が浮かび上がり、自己嫌悪感に陥る。なぜかと言えばボランティアの経験がない分、理屈と現実とがマッチしなかったからである。(次回へ続きます)