鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

ボランティア活動に参加して(2回シリーズその2)

2012年12月31日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 歩道を車いすで通ると、クッションの効かない車いすは、凹凸の振動をもろに身体が吸収し、乗っているものにとっては極端な負担となる。歩道の凹凸が発生する理由には、都市計画の段階や、施工当初、平坦な歩道であっても、補修による舗装材料の違い、度重なる改修や、今まで無かった車の乗り入れ等が原因しているようだ。もちろん、車いす運行のバリアとなるのは、路面の幅の不均一性、電柱等の障害物、急勾配や、段差等数えればきりがない。町内を車いすで巡ってみればよくわかる。また、信号機のある横断歩道では、車を運転する側の信号待ち時間と、車いすで渡る側の時間とでは感覚的に相当の開きがあることだ。
 もちろん、車いすで渡るほうが短く感じる。横断歩道の途中で歩行者用青信号が点滅する場面では、危険な状況に身を置く不安さえ感じた。

 車いすの操作については小中学校でその取り扱い方の講習を行っている記事を見たことがあるが、高齢化社会に必要と言われるだけでなく、利用者が車いすの利用で、生活範囲を拡大してきた点からすると、人生の早い時期から操作を体験しておくことは有意義である。市中の至る所で、自由に使える車いすがあれば、利用者にとって朗報になるに違いない。管理やメンテの点は具体的に考える必要はあるが、地域の社会福祉協議会に申し込みさえすれば、無料で借りるサービスを行っているところも多い。ボランティアがいないと使えないのではなく、健常者の誰もが車いすの操作ができる社会となるべきで、障害者や高齢者が住みやすい環境の整備には誰も異論のないところであろう。それに携わる人が多いに越したことはない。バリアフリーの生活環境が良くなることに誰しも異論はないが、障害者の身になって、行動し、対策を考えることの重要性を痛感している。(このシリーズ最終回です)