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近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

喜捨の意味するところ(2回シリーズその2)

2012年12月17日 00時00分02秒 | 緑陰随想

 イスラム世界の喜捨の本来の意味は「浄め」で、イスラム教徒に課せられる財産税のことである。その使途が困窮者への救済のために用いられる。この制度は自発的な喜捨(サダカ)を含み、物心が付いた子供の頃より家族や他人から教えられ、イスラム社会にも自然に定着している。
 貧しい人間も誇りを持って喜捨を要求し、喜捨を受ける。喜捨を受けた者が更にもっと貧しい者に喜捨をする姿を垣間見たとき、これこそ日本人が忘れた奉仕の思想と共通するとの感じをもった。奉仕の思想は結局、自分に課せられることで自らを啓発する行為であることがわかる。我が国では、目線の問題で、哀れむことや同情を禁句とし、差別意識につながることになるとして毛嫌う風潮があることも事実であり、むしろ社会的に弱い人々を見て見ぬふりをしてきたような気がする。他人の不幸は密の味、対岸の火事ではないが、自分とは関係なしとして、目をつぶってきた。
 反面、三面記事に事欠かないホームレスや独居老人の孤独死、若者のいじめ問題などはその顕著な例である。

 奉仕は単なるサービスではない。英語ではSacrifice(自己犠牲・献身)に近い意味となろう。何の見返りを求めずに、自らの地位や権威を捨て、一人の人間として喜びを持って喜捨するまたは受けるという、どちらの立場でもできるすばらしさを甦らせたいと乞い願う。ボランティアの世界の中にはまだまだ探求し、深めていかなければならない領域があることを思った次第である。(このシリーズ最終回です)