豪雪の降った後にベニマシコ♂が一羽餌を食べに来ていました。今年初めて撮ったベニマシコです。3回に分けてお届けします。
数日前の東京FMラジオから当地に残る伝承の話が聞こえてきた。南武線の久地駅と津田山駅の山手側に位置する緑が丘霊園の久地駅側入り口近くに、松寿弁財天の祠(ほこら)があり、そこには大木の「綱下げの松」があったとのことである。現在では老木は切り倒され、若木の松が植えてあるそうで、伝承とはいうものの、宿河原駅の山側にある常照寺には古い地図と松を背景に弁財天が描かれた絵が残っているそうである。
常照寺では前住職が近隣の子供を対象に算盤塾を開いていた時期があり、自分も好きではなかったが、母親の薦めで算盤を習った場所でもある。その寺に松寿弁財天の絵があったとは聞いたことはなかったが、たとえ、絵や古文書があったとしても記憶を失っている。
いまから56~7年前のことなので失念しても仕方ないが、このころ伊勢湾台風があり、多摩川が登戸ダム上流で決壊したことがある。幸い自宅は宿河原駅の多摩川側で、南武線の線路基盤の高さが住宅地から5~6メートル上であっため、そこが堤防の役割を果たし、浸水は免れたが、反対側の多摩丘陵に至る箇所は殆どが水没し、濁流に呑み込まれた。このとき、多摩川は古くから暴れ川として堤防が決壊し、住民に被害を与えた河川であることを知った。その後も東京都狛江市側でダムが決壊し住宅が流されたことがあった。現在では堤防が補強され、可動式のダムとして改修されたため、決壊の危険性は低い。
多摩丘陵の久地駅近くには下綱(さげつな)という地区がある。現在はバス停に名前が残っているが、松寿弁財天にある「綱下げの松」は下綱地区の上にあたる多摩丘陵の高台にあったようで、多摩川の洪水によって、被害を受けた人々を救った松ということである。
松から白い布が下りてきてそれを掴んで高台へ避難したということは十分に考えられる。
欲深の人がその布を持って帰ろうとしたところ、白蛇に変わったということで、後に白蛇は弁財天の化身として顕れ、民を救ったと考え、祠を建て、丁重に祀ったということである。他にも俗説があるようだが、実際に子供の頃洪水が起き、そのすごさを経験した者にとっては、松があったおかげで被災者を救えた話は信憑性が高い。車で走っても直ぐ近くなので、墓参りのついでにでも、行って見ようと思っている。