世代交代が、空き家になって久しい家屋がどのような経緯か定かではないが、売りに出された。80~70坪ぐらいであったが平屋とそれに付属する2階建ての住居であった。境界を別にする場所にあったため、父母と息子夫婦が居住していたが、父親は十数年前に他界し、母親と息子夫婦が暮らしていた。母親が逝去する前に息子夫婦は家を出て行った。その後、しばらくして病気で長男息子は他界した。弟がいて、早くに渡米していたためか、めったに顔を合わせることはなかったが、ここ数年帰国の都度、雑草の生えた庭を手入れしていた。
この地にいるものと思っていたところ、売りに出され、不動産会社の管理下になったが、売地なのかわからない時期があった。3区画に区切られ、突如2か所の建築が始まった。時々、新聞の折り込みで入る新築の紹介には5千万円前後の建売の情報がのっていた。何人かの見学者が見えたが、最近、一世帯が入居したようである。残る建物と、一区画については手付かずの状態であるが、いずれ入居者が決まり、建物が建ち、新たな住人が入居することになると思われる。世代交代の典型と思う例であるが、事情を勘案すると、様々な知らない世界が展開され、進んでいることに、こんなものであるとの諦めと侘しさを感じる。
近所付き合いの範囲を逸脱したわけではないが、これも高齢化社会の典型であり、別の言葉でいえば、世代交代とは、御和算(?)であり、付き合いの多少にかかわらず、全くの赤の他人となり、御和算となる。それでよいのであって、以前の関係は流れ去ることによって新たな人間関係が生まれるのである。ことさら未練を残すこともない。淡白に、粛々と経過が過ぎるだけなのである。近所付き合いの淡白な時代となってはいるが、虚しさが募れば、近所付き合いのメリットですら失われることに危惧を感じるが、所詮、無関係な世界との出発点に戻っただけと割り切るしか仕方がない顛末であった。
他界した両親を責めたところでどうなるものではない。せめて、挨拶ぐらいはとも思ったが、地域との接点がなければ住居といっても別世界であれば、無関係で過ごしたほうが、負担が減る。過去の記憶を消し去るとの決断であるが、寂しさと侘しさは埋めようがない。といっても別段思い出の中身は、たわいもない世界なのであり、経過に過ぎないのである。
むしろ、これからの出会を共有する隣人として、受け入れる心の余裕と広さを持って接していきたいと思っている。向こう3軒両隣は遠い過去の因習でなければ良いのであるが・・・・。