鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

写真撮影のテクニック(マニュアル撮影入門編)5/6

2012年12月24日 00時00分01秒 | マニュアル

 順光が終われば逆光を。同様に露出を変えて撮影する。更にはISO感度を変えてみる。
標準レンズを広角レンズに換えたり望遠レンズに換えたり、いろいろなバリエーションで撮影してデータをとる。
 撮影は晴天ばかりでないため、曇天や夕暮れ、光源を変えて蛍光灯の下や、白熱球など撮影条件は撮りたいと思う光源の元で撮影し、データをとる。このことは、ホワイトバランスの選択という操作である。ホワイトバランスは、光源の違いにより被写体の色(反射光)が変化するためである。一般的な撮影シーンではオート設定で十分であるが、晴天時の屋外、日陰、曇天の屋外、白熱電球、蛍光灯フラッシュ使用時にはホワイトバランスを調節する。
 設定の方法はカメラによって若干異なるため、取扱説明書を参照して選択する。
 こうして、ある程度の経験を積むと徐々に撮影条件の調節が感覚的にわかるようになる。

 最後に、重要な要素はピント(焦点)である。オートフォーカスはカメラが勝手にピントを合わせるが、マニュアル撮影では手動でピントを合わせることになる。ピントを合わせる操作は、撮像素子に被写体を正しく結像させるため、レンズを前後に動かす。ピント合わせでは露出との関係を理解しておかなければならない。
 ピントが合う範囲を「被写界深度」という言葉で表す。露出が絞り込まれるほど被写界深度は広くなる。逆に言えば露出が開放されるほど被写界深度は狭くなり、ピントが合う範囲が狭く、範囲外はぼける。
 ピントがあった位置からどの範囲でピントが合うのかはレンズの種類によっても異なり、広角レンズになるほど被写界深度は広くなる。望遠レンズは逆に被写界深度は狭いため、ぼけやすい。
 手ぶれ防止機能やノイズ減少機能を必要以上に使うことによって、ピントが適正であっても、適正画像の細部まで削除してしまうので、かえって不鮮明さが目立つ画像の原因となるので注意する必要がある。
 視度調整をしておくことも大切である。オートフォーカスの機能は精確なので、これを信じ、チャート等ではじめに画像をオートフォーカスでピントを合わせ、ファインダーの視度調整ダイヤルで裸眼の視度を合わせておく。三脚を使いカメラを固定して調整を行う。 
(次回はまとめとして撮影のステップを掲載します)

写真撮影のテクニック(マニュアル撮影入門編)4/6

2012年12月23日 00時00分01秒 | マニュアル

 (シャター速度とISO感度との関係)
 シャッター速度が一定のとき、静止画像では曇天で撮影すると光量不足になる。光量不足を解消するにはISO感度を上げ、撮像素子への光量を多くする。つまり、感度を上げる。晴天では光量が多いので、ISO感度は100を基底にして撮影する。動体画像の場合には、シャター速度を早めに設定するため、ISO感度を上げて撮影する。シャッター速度が遅いと鮮明な静止画像は撮れず、ぼけた画像となる。逆に速すぎると光量不足となり、ISO感度を上げるが、画像が粗れる。この加減の判断が熟練を要する。

 (ISO感度と露出との関係)
 ISO感度が一定の時(画像が荒れない範囲はISO感度800程度までで、これ以上上げるとノイズが発生しやすくなる)ISO感度は100でよい。光量が不足している場合は、露出を開放に近づける(絞り値を小さくし、光量を多くする)。光量がある場合には露出を絞り込む(絞り値を大きくし、光量を少なくする)真夏の太陽が照りつけ、遮蔽物が全くない場合は、反射光が強すぎるので、光量が多すぎ、ハレーションといって、白トビが発生する。それを抑えるためには、ISO感度を下げる。100以下には設定できないので、NDレンズをフィルターとしてレンズ全面に装着し、強制的に減光させる。フィルターは3種類が発売されており、ND2は露出1段階、ND4は2段階、ND8は3段階絞る効果がある。サングラスをかけるのと同じ原理である。


 撮影条件はどのようなときにどの条件がよいかは経験によるところが大きく、できあがる画像の表現の仕方によっても異なってくるため、決定的なことはいえないが、一般的にいえることは、標準設定からどの程度、調節すれば満足行く画像になるかは体験を通して、実証的な積み重ねによることが近道と思う。
 たとえば、標準レンズを装着したカメラを使って、晴天時に静止した被写体を逆光ではなく順光で撮影する。ISO感度100、露出5.6、シャッタースピード1/100秒で1枚撮影し、次に露出を8,10と2段階変えてそれぞれ撮影し、更に露出を開放に向け4,2.8と2段階撮影する。撮影し終えたらプレビューで撮影画像を確認してみる。(次回へ続きます)

写真撮影のテクニック(マニュアル撮影入門編)3/6

2012年12月22日 00時00分01秒 | マニュアル

3.ISO感度
 撮像素子の感度のことで、通常100を基底にし、この数値が大きいほどわずかな光であっても感光する。暗いところでも、写真撮影が可能となる。ISO感度が高くなるに従って、画像が粗くなり、ノイズが多くなる。通常ISO800ぐらいまでが限界である(最新のカメラではではISO6400などもある)。光量が少ない撮影は困難を期す。光が弱いところではストロボによる強制発光かスローシャッターを切る(バルブ撮影)ほかないが、この場合はカメラが三脚等で固定さていないと画像がぶれてしまいよい画像とはならない。強制発光では光が届く範囲が意外と狭いため、遠く被写体の撮影には向かない(最大で10メートル以内)。

 主に、これら3つの要素の関係が撮影する画像の出来映えを左右させる。マニュアル撮影とは主に、3つの組み合わせをそれぞれ操作することによって設定し、このことを、撮影条件を決めると言う。ではそれぞれの要素同士がどのような関係になるか詳しく見ると以下のようになる。

 (露出とシャッター速度との関係)
 露出(絞り値)を一定にしたとき、シャッター速度が速ければ速いほどレンズを通して入ってきた光量は減少する。撮像素子は暗くなるため適正な画像を得るには、露出(絞り値)を広げ、光量を多くしなければならない。逆にシャッター速度を遅くすると遅くなればなるほど光量が増し、撮像素子を明るくする。(この条件で噴水やシャワーを撮影すると白い帯状になる)適正画像を得るには露出(絞り値)を狭め、光量を下げなければ白トビを起こす。白トビが起こると撮影後の画像修正が効かなくなる。

  参考;絞り値の列数において、それぞれの数字の2乗は次の数字の2乗の約半分に相当している。このことは、絞りの値を1段進めるごとにレンズを通過する光の量は1/2ずつ減少することを意味している。たとえば、F8で1/250秒の露光が適正であれば、F11に絞ればシャッター速度は1/125秒にしなければならない。露光量に関する限り、シャター速度を2倍速くするには絞りを1段広く(開く)するように、絞りとシャッター速度との関係は相対的に変化する。(次回へ続きます)

写真撮影のテクニック(マニュアル撮影入門編)2/6

2012年12月21日 00時00分01秒 | マニュアル

 最近、これでも満足のいく写真が撮れないという声を聞くことが多くなった。そこで今回、思いどおりの写真に近づけるためのヒントとして、デジタル一眼レフカメラのマニュアル撮影ができるようになると読替え、ご参考になればと思った次第である。


[カメラ機能の3要素]
良い写真といわれるためには3つの基本要素(露出、シャッター速度、ISO感度)を理解しておくと良い。

1.露出(絞り値)F値
 レンズを通して撮像素子(受光体)に当たる光量調節である。動物で言えば瞳孔に当たる。明るいところでの猫の目はまぶしいため、瞳孔は細くなる。暗くなると瞳孔は開き、黒眼になる。つまり光が強いと露出(絞り)は閉め、暗いところでは絞りを開く(広げる)。
 F値は明るいほど数値は大きく設定し(F22等)、暗くなるとF値を小さく設定する(F4等)。中間はF5.6~F8。レンズを通した光が撮像素子に当たる光量を加減する働きである。

 参考;絞りの値は次のような値で示される。2,2.8,4,5.6,8,11,16,22,    32,45,・・・・
    これらの数値はレンズの焦点距離を絞りの有効口径で割った値で、口径比(F値)と呼ば    れる。

2.シャッター速度
 通常、閉まっているシャッター(幕)はシャッターボタンを押すことによって、一瞬幕が開くその速さ。100なら1秒間の1/100秒を示す。被写体が上下左右等に動く場合は、シャッター速度を被写体の動きに合わせないと静止した画像の撮影はできないため、シャッター速度を300とか500に設定する。数値が大きいほどシャッター速度は速くなる。ジェット旅客機も静止画像で撮影できる。シャッター速度が被写体の動きに合っていないと画像が流れる。遠くの移動体は同じ速さであってもゆっくりと見える。近くでは相当速いスピードである。近くの移動体ほどシャッター速度を速く設定する。(次回へ続きます)

写真撮影のテクニック(マニュアル撮影入門編)1/6

2012年12月20日 00時00分02秒 | マニュアル

今日ほど日常生活に写真が氾濫し、生活の一部として、映像文化が定着している時代はない。画像を鑑賞し、共有し易くなったのも携帯電話のカメラ機能が果たしている役割が大きい。誰しも鑑賞だけではなく、気軽に映像を写真という形で撮影できることも、もはや常識となった。更に、携帯に便利で、簡単に操作できる映像機器といえば、固定焦点レンズのデジタルカメラであろう。低価格で画素数の高い写真が作成でき、カメラ本体でのスライドショーや動画撮影等の機能の進歩は目を見張るばかりである。鑑賞方法も多岐にわたる。写真として印刷しなくても、直接本体とテレビをつないで、テレビ画面で鑑賞、パソコンや、写真専用の表示装置(フォトビュワー)も利用されている。

 デジタルカメラを購入すると、標準的な設定はメーカー側が行っているため、すぐにも使えると思うが、メモリー(画像記憶媒体)の挿入や、バッテリーの初期充電は購入者が行う。さほど難しいことではないが、メモリーカードの挿入位置や方向、バッテリーの充電時間等はメーカーによって若干異なる。

 しばらく使っているとどうも思ったような写真が撮れないと感じることがある。液晶画像(プレビュー画面)でチェックしてみるとピントが合っていないことが多い。手ぶれ(シャッターを押したときに微妙な振動)が影響する。構図では画面のバランスがいまいちだとか、余分な電線や人が入っていることもある。風景を撮ると絵はがきのようでおもしろくないなど。室内の撮影や、夕暮れや夜間、花火や走っている車、夕焼けや日の出、雪景色や曇天時の撮影、逆光の時の人物撮影など標準設定では思いどおりには撮れない。
 被写体が決まってしまえば、アイコンから選択し、設定すると目的の画像が撮れるカメラもあるが、なぜアイコンで選択すればよいかというと、メーカー側で撮影条件に合わせて、設定条件を変えているためである。標準設定以外の設定を、つまり、マニュアル設定を自動化しているからである。(次回へ続きます)

デジタルとアナログ世界(2回シリーズその2)

2012年12月19日 00時00分02秒 | 緑陰随想

 太陽暦でも閏年では2月29日があるように結構イージーに日付が決まってきた。数年前に閏秒を行い、一斉に時計の秒針を修正した記憶がある。こうしたことが起こるのは太陽を回る地球の周期が365日でないことに依る。正確には一周回るのに(公転周期)約365.2422日であり、端数がでるため、その端数の調整に閏日を入れることになる。
 4年間に1度2月に29日となるのも頷けるが、端数が0.25日でないことで、どこかで閏年を調整する年がでてくる。このことは決してデジタルの世界では起こりえない。

 さて、アナログの世界からデジタルの世界へと技術の流れが変わってきた。最近の家電製品へ組み込まれた電子制御や通信制御技術は、各種のセンサーが一体となり、遠隔操作や自己チェック機能等まさに知能を持った機械・装置が誕生している。小生などの中高年齢者はアナログ思考に慣らされてきたし、閏秒の修正もアナログで針を視ないと落ち着かない。物事の考えがアナログでしか考えられない時代を過ごしてきたせいか、1-0(イチゼロまたはオンオフ)にはどうも馴染めない。デジタルカメラの1000万画素の精度には驚かされる反面、モノトーンのフィルムを焼き付けた感光紙が持つ色の変化に、デジタルの世界ではまだまだ越せない領域があると、ほくそ笑む態度を尻目に、最近のデジタル技術を駆使したデジタルフォトフレームやインクジェットプリンターの精度には、もはや敗北の色濃しである。(このシリーズ最終回です)

デジタルとアナログ世界(2回シリーズその1)

2012年12月18日 00時00分02秒 | 緑陰随想

 2013年(皇紀2773年;西暦に660年を加算する)が1月から始まるのは当たり前としているが、年度単位で業務を行う職場では4月1日を起点とする会計年度が用いられている。どの時点を起点とし、一年間をどのように月として区分するかはその国の歴史が関わっており、宗教観や為政者の強い意図も影響しているようである。古くは我が国でも陰暦(太陰暦)が使われてきた。現在でも陰暦による生活習慣は依然として存在しており、月の満ち欠けによる大潮、若潮、長潮や小潮など漁業関係者にはなじみが深い。潮干狩りに適する日は陰暦の1日、15日は新月と満月で大潮である。大潮を迎えると時間的に視て、ちょうどお昼頃に潮が最も引くので潮の満ちる前に貝を採ることができる。

 太陽暦(グレゴリオ暦)の1年はおよそ365.25日であるが、陰暦では月が地球を1周するのに29.5日かかるので、これに近いのは12ヶ月(約354日)であり、12ヶ月をもって1年としている。陰暦の1年は太陽暦よりも約11日短い。
 陰暦は1年の長さが1回帰年よりも短いため、暦と実際の季節との間にずれが生じる。これを解消するために閏月を適宜挿入することで暦を調整しているのが太陰太陽暦である。
現在、公式の暦として使われている太陰暦はイスラム暦と呼ばれているヒジュラ暦である。閏月を置かず、1ヶ月は29日か30日である。各月と季節との関係は毎年ずれ、32.5年で一巡する。また、1日は日没に始まり翌日の日没に終わる。

 イスラム暦はアラブ世界では一般的で、断食月(ラマダーン 第9月)等を決めるのは月の満ち欠けによるものとされている。イスラム世界で一斉にラマダーンにはいれるのはサウジアラビアの高僧が望遠鏡で月を視て決めることを、以前中東へ技術協力に行っていたときに、現地の信心深いモスリムから聞いた。21世紀になっても人の力で月の始まりを決める-全くアナログ的である-のはどう判断すればよいか迷うが、イスラム教徒の多いインドネシアの天気が悪ければ、何によって月初めを決めるのか疑問となるが、そこはよくしたもので、雨であればサウジアラビアに聞いて決めるそうだ。(次回へ続きます)

喜捨の意味するところ(2回シリーズその2)

2012年12月17日 00時00分02秒 | 緑陰随想

 イスラム世界の喜捨の本来の意味は「浄め」で、イスラム教徒に課せられる財産税のことである。その使途が困窮者への救済のために用いられる。この制度は自発的な喜捨(サダカ)を含み、物心が付いた子供の頃より家族や他人から教えられ、イスラム社会にも自然に定着している。
 貧しい人間も誇りを持って喜捨を要求し、喜捨を受ける。喜捨を受けた者が更にもっと貧しい者に喜捨をする姿を垣間見たとき、これこそ日本人が忘れた奉仕の思想と共通するとの感じをもった。奉仕の思想は結局、自分に課せられることで自らを啓発する行為であることがわかる。我が国では、目線の問題で、哀れむことや同情を禁句とし、差別意識につながることになるとして毛嫌う風潮があることも事実であり、むしろ社会的に弱い人々を見て見ぬふりをしてきたような気がする。他人の不幸は密の味、対岸の火事ではないが、自分とは関係なしとして、目をつぶってきた。
 反面、三面記事に事欠かないホームレスや独居老人の孤独死、若者のいじめ問題などはその顕著な例である。

 奉仕は単なるサービスではない。英語ではSacrifice(自己犠牲・献身)に近い意味となろう。何の見返りを求めずに、自らの地位や権威を捨て、一人の人間として喜びを持って喜捨するまたは受けるという、どちらの立場でもできるすばらしさを甦らせたいと乞い願う。ボランティアの世界の中にはまだまだ探求し、深めていかなければならない領域があることを思った次第である。(このシリーズ最終回です)