贈り物をすることは生活の中で自然に生まれてきたことであろうが、あまり意識してこなかったが、セント・バレンタイン・デイなる日が製菓業界の思惑もあり、また日本型ともいうべき女性からの愛の告白などと称して、チョコレートを男性に送るというイベントが定着化している。遊びの域を出るものではないが、過激な職場でのやりとりが逆セクハラになる場合等、何故か遊びの域を脱した話も聞く。チョコレートを貰ったぐらいで恋愛に発展することもないが、特定の日に何かのイベントを設定するのは、良い面ばかりではないと思うが、如何なものか。
鳥の世界でも給餌行為といって、雄が雌に餌を与えて求愛する。カワセミやコアジサシなどの野鳥で見ることが出来る。この場合は雄から雌への求愛であり、カンムリカイツブリでは餌の大きさや捕る速さまで雌にチェックされるという。
結婚記念日や誕生日を関係者が祝うことや死亡した先祖や関係者を命日に弔うことなどは生活習慣として行われている。宗教的な意味ではなく、子供の成長を願い、夫婦の円満を想い、先祖を弔うこと等は人々が一般的に持つ感情の現れである。年齢を重ねると忘れることが多くなり、○○の日とするのは合理的ともいえるが、だからといって、特定の日だけを祝うことや弔うわけではない。祝日や祭日にされてきたカレンダー上の特異日はイベント性が高く、それなりの意味があると思うが、日にちばかりでなく交通安全週間やバードウイークなど週間もある。○○○月間は一ヶ月に及ぶ。
例えば、製菓業界のチョコレートの売り上げ増を目的とするための、こじつけた日を設定するという思惑があると話はちょっと変わってくる。思惑があるとその宣伝に乗って追従する大衆の愚かさが見え隠れする。行事とはそのようなものであると割り切っても、打算的な思惑は発明、記念日、6月4日を虫と呼んで虫歯予防デイとするような語呂合わせとは違い、裏側で躍動する画策が引っかかるのかも知れない。
贈り物は贈る側と受け取る側の利害関係が形となって表れたものと理解しているが、極端な便宜供与や金銭が絡み、政治性を持つと、贈賄・収賄となってどちらも罰せられる犯罪となる。しかし、我が国の古くからの慣習もあり、ご祝儀、弔慰金、お年玉や寸志、餞別金、謝礼金、心付け等名前は違うが、機会ある毎に金銭の授受が行われている。金銭ばかりではなく、お中元やお歳暮なども同様である。これらの特徴は自発性があり、犯罪性はないが、強制や対価を求めると犯罪性を帯びてこよう。法律家ではないのでその一線をどこに求めるのか明確ではないが、常識の範囲で慣習として定着しているものあれば、潤滑剤として許されると思っている。因みに、賄賂(わいろ)罪は贈賄側が公務員(法律上の見なし公務員を含む)であることが要件で、法人の場合には背任罪に問われる。