鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

帰省事情その5

2014年09月23日 00時00分01秒 | 紹介

麗人画

 柳澤画伯は学生時代の同期生で、このほど大分県国東市で実演会を開催することが内定している。我々の帰省と日程が合えば良かったのであるが、ちょっと残念に思う。何度か小生のブログでもご紹介したことがある麗人画の画家である。まれに見る多芸の持ち主で、滋賀県近江八幡市のご自宅へ何度かおじゃましたことがある。

 琵琶湖に自生する葦は水質浄化の機能を持つと言われていて、埋め立てで自生する範囲が狭くなってきたそうで、絶滅が危惧されている植物の一つである。葦を主原料とした和紙に、画伯自らが考案した葦で作った特殊な筆を使って、瞬時に描き上げる麗人画は驚くほかない。各地で実演会も行われていて、画伯の描く技を直に見ることが出来る。最近は和装用の和服、帯はもちろんのこと和装小物類などへ描くなど、描画領域を広げている。本来は墨絵の一種と思われるが、和服、Tシャツ等に描いた麗人画は、将に、歩くキャンバスと言うにふさわしい。

 学生時代は板金・溶接の専門技術・技能を専攻されていたが、3年次に転部し意匠デザイン・色彩調節等を学べる塗装分野を履修された特異な経歴を持たれている。就職先は滋賀県の職業訓練施設で教鞭を執られ、管理職を最後に退職され、当地で自らの技を活用した一芸塾を開いている。相思相愛の仲でご結婚された奥様は既に他界されている。

 画伯のブログは日本国中に知れ渡り、閲覧者も多い。その中で、女房のブログ仲間が仲介役となり、今般、国東市での実演会を開催できる運びとなっている。縁とは不思議な物である。タモリの番組で友達の友達はまた友達、友達の輪を広げようではないが、これを地で行っているようである。

 今回の帰省で、会場となる国東市へ行き、ブログ仲間の「清香荘」旅館若主人ともお会いした。彼も麗人画に興味を持たれている方の一人である。この旅館は今回の画伯の宿泊先でもある。以前、大分交通が運営していた国東線というローカル線の始発、終着駅があったところで、現在、国東線は廃線となっていて大分交通バスのターミナルとなっている。街は地方都市で見かける過疎化の影響を受け、寂れているが、独特の雰囲気が漂っている。国東市は、古くは、密教の最盛期の頃には重要な仏教拠点であり、豊後水道に面し、六郷満山の海の玄関口であった。

 現在では多くの観光客が訪れているが、多くの場所で、国東塔と仁王像に歓迎される。仏の里にふさわしく、最近脚光を浴びている場所でもある。ご参考のために柳澤画伯のブログアドレスは次の通りである。

 http://reiginga2.shiga-saku.net/


帰省事情その4

2014年09月22日 00時00分01秒 | 紹介

庭木の手入れ

 地元のシルバーセンターにお願いして、定期的に年2~3回は樹木以外の下草の刈り取り作業を行っている。空き家とは人が住んでいないと、これほどまでに雑草の天下となるのか、家が朽ちるのは風通しが悪いせいと思われる。雑草が生えた場所は湿度が高くなり、葉が茂ると光が届かなくなる。空気がよどみ、カビの発生、シロアリなどの害虫の住処となる。蔓性の植物が家屋を取り巻き、戸袋や窓ガラスの隙間に入り込む雑草は将にインベーダーである。

 近所の方が気を利かせて、入り口から玄関に通じる場所の雑草を刈ってくれていた。自宅から剪定鋏と枝切りのこぎりを持参してきたが、刈払い機は実家にあるので、それを使うつもりで居た。しかし、数年間使っていなかったため、始動するかどうかは使ってみないと分からない。燃料であるガソリンと混合オイルも在庫がなかったため、放置したままで、とりあえずは、芝刈り用の電動バリカンを使って急場をしのいだ。既にシルバーセンターの方へ下草刈を依頼していたので、今回はそちらにお任せすることとした。

 樹木も手入れしないと徒長枝が伸び放題となる。樹勢は上部へ行くほど強くなるため、樹勢を見ながら切りつめることとした。徒長枝は切り落とし、車枝は間引きした。樹種は黒松、ハナモモ、柘植、白木蓮、紅梅、モッコク、槇、サツキ類であった。一応、石組をした池があるが、雑草が覆い被さり、見る影もない。岩にからみついた蔓性の雑草やススキに手を焼いた。樹木数も結構あったため、3日間を要した。

 池は谷から水を引いていたが、パイプがつまり、機能していない。父親の代では鯉もいたが、餌を与える人がいなくなる前に自然へ帰したと聞いている。枯山水も良いが、一度防水施工した池は水はけが十分ではないため、雨水が溜まりやすい。蚊の発生や、雑草が繁茂するので始末が悪い。何れは玉砂利でも入れることを考えている。

 剪定した幹や枝、葉は焼却したが、電線のないところを選び、屋敷から離れたところで放水を準備した。生木なので、なかなか燃えなかったため、古いタンスを処分することとし、タンスを壊し、細分化した薪を準備した。何とか総てを燃やしたが、丸一日を要した。都会では庭等での焼却は炭酸ガスが発生するため、禁止されている。地方でも決まった焼却場へ搬入するところが多いが、費用も発生する。農家での枯れ草や籾殻等の焼却処理はいまのところお咎めがないようなので、でも、気にしながらの焼却であった。何れは農家といえども野焼きや枯れ枝の焼却は難しくなるであろう。


帰省事情その3

2014年09月21日 00時00分01秒 | 紹介

 空港には土産物売り場ばかりでなく、レストラン、軽食コーナー、自動販売機等多くのサービスが用意されている。カウンターでの発券サービスもその一つで、空席待ちは当たり前となっているが、当日の空席を確認し、空きがあれば早朝から購入可能である。今回帰省先と空港が近かったため、前もって当日の航空券を購入することができた。その後、土産物店のウインドウショッピングをし、喫茶店でモーニングサービス付きコーヒーを注文した。

 喫茶店はセルフサービスで、使用した皿やコーヒーカップ等をトレーに載せて片付けたが、ゴミ箱には、「当店で提供したもの以外のゴミはご遠慮下さい」との貼り紙がしてある。おそらく、弁当や軽食等他の売店で購入し、そのゴミを捨てる者が居るのであろう。一人が捨てるゴミは少なくても、喫茶店を利用する客の数に比例し、ゴミも多く出るのであろうと感心して納得した。

  さて、土産物であるが、定番は別として、九州全域に亘る土産物が多くなったことである。以前にはなかった物が増え、定番だった物が棚の隅に追いやられていた。若い人の利用が増え、客層が異なったように思えた。博多といえば芥子明太子や高菜漬けである。芥子明太子売り場で店員と雑談したところ、出身は札幌で、ご縁があってこの地に嫁いできたという。人の往来も全国規模で進んでいるようだ。

 ゆず胡椒(ゆずの皮と唐辛子を刻んだ薬味)やカボス胡椒も定番にはいるが、九州では唐辛子のことを南蛮や単に胡椒という。胡椒の胡は日本以外を指した言葉であり、古くは胡瓜などと同じように外国から来た物で、今でも胡椒という名が定着している。ペッパーとの違いは曖昧である。

 最近は、中津が発祥の地とされる鶏肉の「唐揚げ」の人気が高いようである。空港でも特設コーナーが設けられ、華々しく売られていた。空港のレストランでも人気メニューとして定着しつつある。唐揚げ店は独自の下味付けで、味もバリエーションが豊かである。ちょっとした街や街道沿いには唐揚げ専門店が増えている。聞いた話では、唐揚げ店を題材にした繁昌記なる映画が放映されるようである。


帰省事情その2

2014年09月20日 00時00分01秒 | 紹介

 拡大しつつある羽田空港の広大な敷地に比べ、地方空港の大きさと比べることもないが、地方空港には空港の駐車場を取り囲むようにレンタカー店舗が林立し、それなりに繁昌している。大手レンタカー会社の看板以外に、最近開店したと察せられる店舗も目立つ。

 地方空港と県庁所在地や繁華街と距離があることや、観光名所地の穴場が脚光を浴びると観光客が大勢来ることで、利用度が向上するようである。自分は数年に及ぶお付き合いのある地元レンタカー店舗を利用している。事前に到着時刻便を知らせると、空港の出入り口まで迎えに来てくれ、荷物を持ってウロウロすることはない。顔なじみになると地元ならではの情報を教えてもらえる。

 4人乗りの軽乗用車はコンパクトに各種機能が搭載されていて、小回りがきくし、狭い道路でもスムーズに走れる。地方の道路を走る車の殆どが軽乗用車や軽トラックである。バス路線が過疎化のために縮小し、廃止されると、交通の便が遮断され、生活に支障を来す。毎回タクシーを頼むわけにはいかず、各家庭では自動車免許取得は欠かせないし、大げさに言えば、家族の人数だけ車が必要となる状況を生んでいる。そのせいか、高齢ドライバーが多いことも仕方がない。

 我が道とばかりの無謀運転で発生する出会い頭の事故や、一旦停止・方向指示をせず、右折や左折を行う運転が目立つ。今回の帰省中に目撃したツーリングバイクとスーパーマーケットへはいるため左折しようとした軽乗用車との接触事故である。軽乗用車後方を走っていた大型バイクが左側を追い抜こうとし、軽乗用車の方向指示が遅れたことに寄ることで事故となったようである。バイクは横転し、ドライバーは路上で仰向けとなって、数人が介助にあたっていた。救急車はまだ到着していなかった。自分の車は反対車線を走っていたが、途中で、事故現場へ向かう警察のライトバンと出会った。

 所用を済ませ、最近、田圃のあぜ道でバランスを崩し、足を骨折した知人が治療のため入院している広域病院へお見舞いに伺った。病室での話題は数時間前に救急車で担ぎ込まれたドライバーの話で持ちきりであった。一命を取り留めたことは不幸中の幸いであるが、事故の発生の原因は乗用車のドライバーと大型バイクのドライバー双方に注意不足があったようである。比較的混雑することがない道路であっても、地方特有の無謀な運転が多く、高齢ドライバーが多いことも予め肝に銘じておく必要があると思った次第である。


帰省事情その1

2014年09月19日 00時00分01秒 | 紹介

 故郷への帰省は帰省目的によって楽しくもあり、寂しさもありで、複雑な思いをする。自分の故郷は現在の居住地であり、特にあるわけではないが、結婚後女房の故郷が転勤で勤務地であったため、5年間を九州の地で暮らした。長男が生まれた場所で、約5年間在住した。女房の実家が車で1時間の場所にあり、土曜・日曜日には実家で過ごすことが多かった。

 山里にあるが空港から近く、最近では2年間に1度ぐらいは空路で訪ねることにしている。実家の母は100歳に近く3年前から地元の特別養護老人ホームの方でお世話になっている。寄る年波で介護度も徐々に上がっている。実家は普段、空き家になっていて、誰も住んでいないが、女房の方は3~4ヶ月に1度は帰省している。

 帰省の度に母親を特養ホームから実家に連れ出し、自宅で過ごすようにしてきた。今回の帰省でも同様に連れ出したが、日頃から、ホームからの生活状況については連絡を受け、それとはなしに聞き及んでいたが、実際生活を一緒にすることで痴呆の進み状態や、難聴の度合いが進んでいることが分かった。

 痴呆については、昔のことは鮮明に話すが、間近に話したことは直ぐに忘れてしまうようで、難聴の影響で勝手に解釈し、周りの顔色を見て判断していたようである。特養ホームの利用者は難聴者が多いようであるが、難聴者同士、補聴器もなく話している。一見すると会話が通じ合っているようであるが、内実は全く聞こえていないとのヘルパーの話であった。どうしても伝えたいときは、耳元に口を近づけて話すと良いとのことであった。そのことさえも後になって分かったことで、日頃、両親を早く亡くしため、高齢者介護をする必要がない生活であったため、介護ヘルパーのご苦労さが分かった次第である。

 施設にいれば、脱走や徘徊などは簡単には出来ない管理体制が敷かれているが、自宅ではそのようにはいかない。四六時中見守っていることが出来ないし、何かあってもナースコールが出来るような設備が完備していないためである。一応、段差を無くし、各所に手すりを付けてはいるが、どこへ移動するにしても旧家故、車いすが使えない。自宅での介護には限界があると思い知らされる今回の帰省であった。


募金の使い道

2014年09月12日 00時00分01秒 | 提言

 災害に見舞われた方への支援、戦争による難民への支援、拉致被害者等の支援、赤十字への募金、年末に有名となった救世軍による社会鍋等数え上げればきりがないが、生活に余裕のある方、募金を訴えた趣旨に賛同される方に対して、募金を行うことへは、何も否定しているわけではない。大いに行うことは賞賛できる。では集めた募金がどこへ使われたかの詳細は全くといって公表されていないのは如何なものか、募金とはそのようなものとされて、済まされていることに疑問を持っている。

 赤十字の募金は毎年確実に町内会から徴収に来る。金額まで決められていて、そこには自由意志が忖度されない実状を何とかしたい。本来、寄付は個人の自由な行為であり、寄付をするかしないかの選択を、無視することは許されることではないであろう。赤十字たる組織が懐に入れているとは信じがたいが、赤い羽根募金では、駅に立って募金を集めるために、かり出された町内会の役員等へは、僅かではあるが日当が支払われていると聞く。同様な行為を行う高校生はそのようなことはないと思うが、これこそボランティアであるべき行為である。

 東関東・三陸地震・津波や、阪神の大震災には、大手企業や、有名人から多額の寄付がなされ、新聞の一角には連日、寄付額と氏名や企業名が掲載されていた。しかし、数年経った現在でも、その使途についての公表は全くといえるほど掲載されていない。自腹で遠方から復旧のために参集した多くのボランティアが居る一方で、募金の目的外流用がなかったとは言えないであろう。しかしながら、募金の使途についてまでは、明言していないため、結果的に何に使われても苦言を呈するわけにはいかない。そこには暗黙の了解があるとされているからである。

 国際援助機関であるユニセフ(国連難民救済機関)が放映している内容は、寄付を依頼する宣伝であるが、何とも不自然な内容で、あたかも事実であるような画面には全く賛同できない。我が国は国連に対し多くの金額を国として供出している。その金額に対し、国連職員の日本人職員は極端に少ない。国連職員の給与に回ったのでは本末転倒である。その実態は何れ別稿で投稿するつもりである。

 善人の喜捨精神に照らし、募金の使途を明確に公表することが、慈善団体が最低でも行わなければならない義務と思うが如何なものであろうか。


中秋の名月

2014年09月11日 00時00分01秒 | 紹介

 月を見て楽しむ風習は中国から来たのであるが、この時期の月は北半球では見る角度や月の出の時間帯が一番好いとされている。観月といって、優雅な世界に浸るのも忙しい現代であっても乙な物である。旧暦の8月15~16日、旧暦9月の13~14日が十五夜、十三夜といっている。中秋というのは旧暦で七月を初秋といい、九月を晩秋というので、八月は中秋となる。日を追う毎に月の出が遅くなるが、十四日を待つ宵月、十五日が十五夜、十六日を十六夜(いざよい)以後、立ち待ち月、居待ち月、寝待ち月と続く。月の出の前後を愛でる。寝待ち月は夕食後、暫くうたた寝して目覚めた頃に出る月のこと、しばし浮き世の喧噪から逃れ、古(いにしえ)人の時間感覚を取り戻したい。

 現代ではそう毎日月見のために供え物を作り、月を愛でるわけにはいかないが、左利きには口実が出来、一時、お叱りから解放される。スーパームーンと称して、大きく見える月をカメラに収めるカメラマンも多い。スーパームーンは、地球と月の引力によって、地球との距離が最短になるため、大きく見えるそうである。夜間であると月の光に対し、絞りを開放にし、取り込む光の量を多くする。露出を絞り、シャッター速度を遅くする。シャッター速度を遅くすると、月も動いているため、画像がぶれる。

 出来るだけ絞ることによって、ピントを鮮明にしたいが、レンズの明るさも影響し、望遠レンズでもそう大きく画像が収まらない。ASA感度を上げると画像が荒れる。結構難しい物である。専門家は天体望遠鏡を使い、専用のカメラを取り付けて撮影している。やはり人の目のように、遠近両用には成らないのかも知れない。そのために、レンズが魚眼から超望遠まであり、被写体によって使い分けている。

 人間の欲望は止まることを知らず、月には多くの物質が埋蔵されていて、何れは掘削できる日が来ると思うが、月を自由にしたいのであろうか、既に、月旅行への切符販売もあるそうで、空気もないところへ、大金を出し、行って何がおもしろいのか、凡人には分からない。月にはウサギや国によってはカニが居ると言われてきた。人間が行くことによってウサギも驚くことであろう。良く美人の喩えで、夜目、遠目、傘の内と言うが、美しく見る観月の時期、余り深く考えず、月見酒で楽しもう。