麗人画
柳澤画伯は学生時代の同期生で、このほど大分県国東市で実演会を開催することが内定している。我々の帰省と日程が合えば良かったのであるが、ちょっと残念に思う。何度か小生のブログでもご紹介したことがある麗人画の画家である。まれに見る多芸の持ち主で、滋賀県近江八幡市のご自宅へ何度かおじゃましたことがある。
琵琶湖に自生する葦は水質浄化の機能を持つと言われていて、埋め立てで自生する範囲が狭くなってきたそうで、絶滅が危惧されている植物の一つである。葦を主原料とした和紙に、画伯自らが考案した葦で作った特殊な筆を使って、瞬時に描き上げる麗人画は驚くほかない。各地で実演会も行われていて、画伯の描く技を直に見ることが出来る。最近は和装用の和服、帯はもちろんのこと和装小物類などへ描くなど、描画領域を広げている。本来は墨絵の一種と思われるが、和服、Tシャツ等に描いた麗人画は、将に、歩くキャンバスと言うにふさわしい。
学生時代は板金・溶接の専門技術・技能を専攻されていたが、3年次に転部し意匠デザイン・色彩調節等を学べる塗装分野を履修された特異な経歴を持たれている。就職先は滋賀県の職業訓練施設で教鞭を執られ、管理職を最後に退職され、当地で自らの技を活用した一芸塾を開いている。相思相愛の仲でご結婚された奥様は既に他界されている。
画伯のブログは日本国中に知れ渡り、閲覧者も多い。その中で、女房のブログ仲間が仲介役となり、今般、国東市での実演会を開催できる運びとなっている。縁とは不思議な物である。タモリの番組で友達の友達はまた友達、友達の輪を広げようではないが、これを地で行っているようである。
今回の帰省で、会場となる国東市へ行き、ブログ仲間の「清香荘」旅館若主人ともお会いした。彼も麗人画に興味を持たれている方の一人である。この旅館は今回の画伯の宿泊先でもある。以前、大分交通が運営していた国東線というローカル線の始発、終着駅があったところで、現在、国東線は廃線となっていて大分交通バスのターミナルとなっている。街は地方都市で見かける過疎化の影響を受け、寂れているが、独特の雰囲気が漂っている。国東市は、古くは、密教の最盛期の頃には重要な仏教拠点であり、豊後水道に面し、六郷満山の海の玄関口であった。
現在では多くの観光客が訪れているが、多くの場所で、国東塔と仁王像に歓迎される。仏の里にふさわしく、最近脚光を浴びている場所でもある。ご参考のために柳澤画伯のブログアドレスは次の通りである。