鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

お見舞い

2014年09月10日 00時00分01秒 | 日記

 平成26年9月8日 ブログで知り合った方が今月中に入院することが決まり、急遽お見舞いにご自宅まで伺うことになった。千葉県の香取郡、銚子に近いところである。事前にJAFが開設しているHPに入り、住所からドライブルートを検索して、走行距離と所要時間等を準備した。片道2時間半、距離は138kmであった。午前8時に自宅を出発し、途中、湾岸線で反対車線に交通事故が発生しており、渋滞していたこともあって、ご自宅まで3時間程かかった。

 現職の時に千葉県には3施設にお世話になったが、香取郡は成田にある施設に比較的近い場所であり、高速道路の走行は何度も経験していたので、迷うことなく、気楽に行くことが出来た。香取郡に入るとイチゴ狩りの看板が目立ち、商店街は閑散としていて、シャッターを下ろした店舗が散見された。以前、一口では入りきれないほどの大きなイチゴをお伺いした方から送って頂き、粒の大きさに驚いたことがあった。

 お伺いした方とは女房のブログの閲覧者の一人で、自分は一度も面識はなかったが、女房の話に寄れば、昭和記念公園で何度かお会いしたことがあり、現在でも親しくお付き合いしている方である。以前より、ひ弱な方で、車いすの生活をされているが、ご主人も糖尿病の持病があり、夫婦二人の生活の中で、奥様の病状が悪化し、手術に及ぶことになったとのことであった。

 地元のかかりつけの病院では手術が難しいとのことで、都内の専門のクリニックへ入院する。ご主人の話によるとこの一年間で相当病状が悪化しており、体重が30kgを切ったようで、極端な痩せ方であった。介護ヘルパーの助けを借りながら、生活の総てを託されたご主人のご苦労は計り知れないが、手術が成功し、快方へ向かうように願い、お宅を後にした。

 人間同士の出会いは偶然の賜であり、相性も左右するのであるが、出会いを大切にし、関係を深めていくことに人生の摂理を感じる。男女を問わず、友人への気配りは相互関係を深める栄養剤でもある。人の出会いは長い人生で、一期一会であっても、その機会を大切にして行きたい。


風呂場のカビ清掃

2014年09月09日 00時00分01秒 | 紹介

 新たな発見である。ご存じの方ばかりではないと推察し、記事にすることにした。知らなかったのは自分ばかりかも知れないが、頑固な風呂場のカビ清掃に使うことできれいに落とすことが出来たようなのでご紹介したい。薬剤は商標名キッチンブリーチである。キッチンブリーチは茶渋など食器に付着した汚れ、まな板や布巾等、主に台所で使用していて、汚れが目立つ物の洗いや清掃に使用してきた。油汚れにも効果があったようである。

 自分は余り使用してことはなかったが、女房が定期的に、毎日使用している流しにあるプラスチック製の食器用洗い桶に、皿やガラスコップを数時間浸している。まな板は桶に入らないため、液を塗ってから、キッチンペーパーをかぶせている。数時間するときれいになり、新品同様になる。

 男の手料理までは行かないが、最近頻繁に、中華饅頭を作る。小麦粉に砂糖、塩、ドライイースト、ぬるま湯、ごま油を加えて、良く捏ねる。室温で約50分間一次醗酵をさせて、餡を詰め、蒸籠(セイロ)で蒸す。小麦粉600グラムで16個の手のひら大の饅頭が出来上がる。使用した蒸籠は水洗いをして陰干しにするが、この時期カビが生えやすい。

 風が弱く、蒸し暑い曇天が長く続くと、必ずカビが発生する。このカビの除去にキッチンブリーチが威力を発揮する。まな板の清掃要領と同じで、水道水で薄めた原液を容器に作る。(水1リットルに原液キャップ(キャップ1杯は20ml)半分ぐらいの濃度である)数時間放置後たわしで水洗いし、水気を良く拭いてから、日光が射す屋外で乾かす。

 このことで、キッチンブリーチがカビを殺す働きを知ったのである。では、我が家の水回りはどうか、湿気があり、風通しの悪いところを見て回ったところ、去年リフォームしたユニットバスの目地部分に黒カビが発生していた。さほど広い場所ではなかったので、薄めたキッチンブリーチを刷毛で塗ってみた。数時間後黒カビは姿を消し、元通りの目地となった。液の付着したところを水洗し、数日後に点検してみたが、その後の発生はないようで、成功したようである。

 薬剤の成分は塩素系の次亜塩素酸ナトリウム・界面活性剤・水酸化ナトリウムで、台所用漂白剤、アルカリ性、使用するにはゴム手袋を使い、原液で使わないように注意し、皮膚に着いたら直ぐに水洗いすること。


完全雇用

2014年09月08日 00時00分01秒 | 紹介

 社会主義世界のことではない。働く意志があり、就業能力がある求職者全員が就労している状態を完全雇用というが、雇用の需給関係は当事者の様々な事情で常に流動している。需給関係は総ての人が調査の対象となっていても、総てを網羅し、実数を把握できているわけではなく、労働市場といっても物の売り買いが目に見えるわけではなく、仮想空間としての市場である。労働市場での求人・求職の統計調査は公共職業安定所統計がベースとなっている。

 完全雇用は自らの意志で就業しない自発的失業者、及び、労働の需給の時間的ずれによる一時的失業者を除き、労働の需要と供給が一致した状態である。通常は完全雇用が100%となることはない。その理由は、求職条件と雇用条件が合わないミスマッチが起こるからである。傾向としては就職氷河期を脱し、需要が逼迫する状態にある。

 技術革新の進展は新製品の登場で生活を便利にし、時間的な余裕を産み、高度な情報化社会は世界各国とネットワークが構築でき、離れていた地理的条件は意識する必要がなくなっている。産業構造の変化をもたらすと共に、雇用形態を一変させつつある。特に顕著な業種は、ITの普及による事務分野の業種の減少である。

 製品製作現場は海外移転による産業空洞化が引き続いており、国内求人の減少に繋がっている。生産現場では少子高齢化や成果主義の影響もあり、技能や技術の継承が困難となっている。特に技能・技術者の育成は費用と時間がかかり、指導者がいない現場も多い。高度化した熟練労働者の不足は著しく、求職者の二極化を生んでいる。

 我が国の完全失業率は3%台を維持しているが、労働力人口を6000万人とすれば、180万人の完全失業者が居ることになり、この状態が継続するかは難しい状況となっている。就職したとしても定着率は以前と比較して改善しているわけではない。7・5・3といって、就職後の定着率は中卒7割、高卒5割、大卒3割が3ヶ月以内に辞めている。 これもミスマッチが原因であろう。不足した労働力を外国人、高齢者、仕事をしていない女性に単純にシフトするわけにはいかない。

 現職の時に完全雇用を目指した政策に、「さちこプラン」という物があった。産業、地域、高齢者の頭文字を取って名付けた政策であった。それぞれのミスマッチをなくすという物であったが、現在も継続していないところを見ると、成功しなかったようである。


トラウマ

2014年09月07日 00時00分01秒 | 紹介

 想定外の事柄に対し、脳が過剰に反応し、何時までも記憶から消されずに、何かの拍子で再現され、パニックに陥る。「トラウマ」といわれる症状である。交通事故により一瞬で家族が失われてしまう、津波などの自然災害もトラウマに繋がることが多いとのことであるが、広島や京都で起きた豪雨災害が、睡眠中に襲えば、予期せずに起こることによるショックでパニックになることは想像がつく。物理的な被害の復興に比べ、精神的なダメージに対するケアの重要性が注目されるようになった。

 自らは現在に至るまで、幸い、パニックになるようなトラウマを経験していない、この分野の門外漢で、想像の世界であることで、真実とはかけ離れた想いもあることをお断りして申し上げれば、日本人の精神構造について言われてきたことに、己を形作るのは内在するもう一つの分身と己とが一体化されているとの説である。

 分身は理想的で、合理的な、完全化された判断力を持ち、常に己への忠告や行動規範を助言しているそうである。別の言葉で言えば、この分身は、生まれたときに誰しもの身体に入る神様か仏様で、成長や経験は己と分身との対話があって、始めて成り立っているそうである。

 では、想定外とは、勿論、経験知から判断できない経験のことで、統計学的にも数百年や数千年に一度しか発生しない出来事の体験ことで、通常、我々の判断外に置かれる事象のことである。過去に経験しなかったことが起これば、強烈に記憶に焼き付くが、その対処の仕方は、分身であっても、判断がつかなくなり、結果的にパニックに陥るのである。

 新聞報道から引用すれば、以下の通りである。

 日常生活の中でも「トラウマ」という言葉が最近、よく使われている。だが、精神医学でいう「トラウマ」とは、「生死にかかわる出来事に直面」するレベルの大きなストレスを指す。(中略)私たちには「自我」と呼ばれる現実検討機能がある。そのため様々な刺激に健全に対応できる。ところが、「自我」の制御能力を超えた暴力的・侵略的な「トラウマ」にはうまく対応できない。以下略 (引用、日経新聞プラス1 ヘルスこの一手 トラウマの初期ケア)

 


放置自転車

2014年09月06日 00時00分01秒 | 提言

 自転車は子供用、ママチャリ、ロードバイク、マウンテンバイク、競技用等多種類あり、低価格のものから高額となると50万円を超える。通勤や買い物に使われるものは1万円前後で購入できる。利用者も多く、駅周辺は駐車場が満杯であり、放置自転車も多い。市や区では定期的に放置自転車を撤去し、引き取り手がなければ、処分される。中には新品同様なものもあるようで、再利用されて、無料で貸し出すことも行われている。

 聞いた話では、古くなって使えなくなると駅周辺に意識的に放置し、撤去を無料で行う不届きな輩もいると聞く。粗大ゴミとして区の回収に依頼すると500円を支払わなければ成らず、それが無料となることで、ちゃっかり者が居るようである。

 多摩川の河川敷や土手周辺には月に2~3台の放置自転車を見かける。河川を管理しているパトロールが見つけると、撤去する旨の告知書が貼られ、暫くして撤去されている。放置自転車は、誰かが乗り付けて放置するのであるが、おそらく、駅周辺にある他人の自転車を無断で乗ってきて、放置するようである。監視カメラがないし、目撃したわけではないので定かではないが、犯罪防止の面から然るべき対策を講じる必要もあろう。

 河川敷に設置されている遊歩道は、自転車やバイクの乗り入れは禁止されているが、釣り客など、乗り入れ禁止標識や、通行禁止の柵を無視して、乗り入れている。大人がそのような行動をすると子供や小中学生も同様に我が物顔で乗り入れる。注意しても逆に嫌悪感からか、逆ギレされ、正当性を主張し、聞く耳を持たず、素直に聞く者も少ない。情けないことであるが、遊歩道は安心して歩けない状況となっている。

 河川敷をパトロールするのにバイクを使い、遊歩道を走る管理員にはその常識を疑わざるを得ず、遊歩道の管理ではないような仕草や、河川敷に建つホームレスの掘っ立て小屋の撤去すらままならない状況が続いている。河川管理の在り方についても改善の余地がある。

  公共性のある河川敷ではあるが、利用する一部の者がルールを無視することの状況をどのように考えるのか、モラルの向上を望むしかないのは残念なことである。


功徳

2014年09月05日 00時00分01秒 | 提言

 何気なしにテレビのBS放送のチャンネルを操作していたら、タイ国プーケット島街歩きを放映されていた。総てを観たわけではないが、雑貨店の店頭で、生きたウナギと亀を売っていた。レポーターが違和感を覚えたのかその理由を売り子に聞いたら、その答えは功徳を積むために生き物を購入して河川等へ放流するとのことであった。タイは仏教国で、熱心な信者が多い国の一つである。幼いときからの風習は大人になっても継続するもので、生活の至る所に仏教が入り、生き方そのものを律しているようである。このような商売があることに対し、不思議な感覚を持った。

 毎日、托鉢に訪れる坊さんへはハスの蕾と食料や線香を渡していた。喜捨だそうである。我が国にもそのような風習があったことを思い出す。虚無僧がそうで、今でも永平寺や延暦寺の僧が托鉢に歩いているようであるが、都会では殆ど見かけることはなくなった。

 どのような宗教にしても、寺(教会)と民衆とが密接に関係し、生活の一部として繰り返されることをどのように考えるのか、「お陰様で」の言葉が示すように、生きていることへの感謝は文明が発達した現在でも忘れてしまうことは残念なことである。

 長らく仏教に帰依することが続いているタイ国においては、ブミポン国王も仏教徒であり、国教となっている。一方、我が国は神仏混淆で国教がはっきりしない。天皇は神道であり、殆ど仏教の行事に顔を出さないが、宗教の自由が憲法で保障されているとはいえ、国民の象徴である天皇が神道だけに傾注するのはすっきりしない。ここで天皇批判を述べるつもりはないが、頭の隅にいつもある違和感を長年払拭できないで居る。

 喜捨することの意味については、以前このブログで紹介したことがある。出張でエジプトへ派遣されていたときに、イスラム教の戒律の一つに喜捨(ザカート)があるという話である。 

 災害ボランティア、義援金の受付等、今回の広島の豪雨による土石流で被害を受けた方への支援が始まった。このことは日本人が持っている自然な感覚である。将に喜捨であろう。同情や哀れみを持つことへの抵抗は差別意識に繋がるとして、抵抗する人も多い。しかし、宗教観とは別に、知っていながら、見過ごすことで何もしないことよりは、何か行動を起こす方がましと考えるが如何であろうか。


防災の日

2014年09月04日 00時00分01秒 | 提言

 毎年9月1日は防災の日に指定され、自治体含め、多くの施設で防災に係わる行事を行うことが定着してきている。日頃から防災に関する意識の向上と、疑似体験を行うことは、いざというときに訓練の成果が発揮されると思われているが、今回の集中豪雨による崖崩れ、土石流災害の被害状況を見ると、通常、多くの方が午前3時といえば、睡眠中であり、夜が明けていない状況では、とっさの判断も難しい。残念ではあるが100人弱の死者と行方不明者を出すこととなった。過去の土石流流出の被害の伝承が生きなかったことは誠に遺憾である。

 災害に遭った方の救出や行方不明者の捜索には、地元の自治体の職員ばかりではなく、消防、警察、自衛隊等の動員と、多数のボランティアが、活動中である。被害の大きさは日を追って伝えられる報道で知るが、自然がもたらす脅威に改めて驚いている。多くの解説を見ると、自然災害とはいえ、情報の発信の仕方が遅かったとする言動が多くあったように感じている。

 果たして今回の事例では、情報発信側、地域の安全に関与してきた行政側の対応だけで、被害が縮小される、または解消するわけではなかったのではないかという疑問が生じる。情報発信の時間的なレベルではなく、行政も含め、人災であった可能性も否定できないからである。

 行政側も情報を発する時期が遅かったと弁明してはいるが、被害を受けた側では、避難するのに十分な時間があったわけではなく、過去の教訓が活かされなかったことの方が重要と思われる。被害の復旧は現状に戻すことではなく、防災を前提に置いた都市計画の再構築が成されなければ、同様な被害が繰り返されることは間違いない。

 まずは家を失った方は、避難所から公営住宅等への入居を一時的ではあるが、促進される。元の住居が安全であると決まった家屋は入居することは可能であろうが、危険区域に家が再建されることを防止するのは治世の務めでもある。場合によっては選択肢の一つとして行政権を持って集団移住も考慮されなければならないであろう。

 災害は忘れた頃にやってくるとの格言通り、唯単に防災訓練を行うのではなく、未然に予測することの重要さと、危険予知は平素からの感覚を研ぎ澄まし、予兆といわれている大災害の前兆現象に対し、放置せず、真摯に対応することが大切である。因みに、危険予知訓練ではハインリッヒの法則があり、大災害の前には29のヒヤリとし、ハッとする中規模の災害があり、更に300の以上と思われる小規模の予兆があるとするものである。


神代植物園

2014年09月03日 00時00分01秒 | 紹介

 調布市にある神代植物園は、自宅から車で30分ぐらいの所にあり、都が運営・管理する植物園で、良く手入れされていて、四季の草花や樹木など、また野鳥も多いため、写真撮影に行く場所である。古くはこの一帯は農地であり、桑畑が多かったようである。戦後、東京都が購入したそうである。平坦な土地で、広大な面積を誇る。入園料を取られるが、年間通じて利用できるパスポートが発行されていて、平日には入園者も少なく、ゆっくりと散策できる。定期的に季節に応じた展示会が開催され、これも楽しむことが出来る。

 隣接する深大寺は、天台宗の名刹で、都内でも一二を誇る歴史を持っている。神代植物園から出入りが可能で、昼食はいつも深大寺参道にある日本蕎麦屋で深大寺蕎麦を頂く。

 更科蕎麦で、腰があり、この時期は新蕎麦が楽しめる。決まって注文するのは冷やしたぬき蕎麦であるが、手桶に入った蕎麦を啜るのは何とも奥ゆかしい。残った付け汁をそば湯で薄めて七味唐辛子をふりかけて頂く。

 深大寺の湧き水は東京都の銘水に指定されていて、近くには農業高校がわさび田を持っているようで、この銘水で打った蕎麦はおいしいのであろう。実際には蕎麦粉の殆どが中国等からの輸入物であると思うが、それでも手打ち蕎麦と聞くと産地は兎も角として、都会の雑踏から離れたこの地での食事は、避暑地のような情緒を味わうことが出来る。湧水のお陰で、気温が低く、日中でも涼しく感じられる。

 最近は家庭でも余り見かけないようになったひょうたんやヘチマが植えられている一角があり、ヘビウリが何本も垂れ下がっていて、シマヘビかアオダイショウが吊してあるように見える。この近くには大木となった栃の木があり、栃の実が落ちていた。田舎では栃の実と餅米を炊いて栃餅を作るようであるが、渋抜きに多大な手間がかかるそうで、今回は見るだけにした。栗も同様であるが三つに割れる殻から簡単に取り出せ、光沢のある黒い実の輝く皮は何とも美しいものであった。

 持ち帰る人も中にはいるが原則採取は禁止とのことであった。植物の実は秋になると多くが採取できるが、公園ではそれらを集めて、展示していたことを思い出した。実物教材として利用していることは大変良いことである。植物公園が憩いの場所であると同時に、災害時の避難場所にも使われ、実物教材としての学習の場であることも公園の目的なのであろう。