鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

カメラの落下

2016年12月24日 00時00分01秒 | 紹介

 昨日、D7200カメラ本体をエアーで掃除し、ズームレンズを取り付けて、台座にカナビラをつけて机に置いていたが、ストラップが、回転いすのアーム部分に引っかかっていて、椅子を回転して向きを変えたところ、カメラ本体とズームレンズが床に落ちてしまった。3㎏のカメラの落下高さは1M未満であったが、相当のショックを受けたようである。

 

 すぐさま拾い上げて、カメラの電源を入れたところ、表示パネルは普通に点灯し、大丈夫だったと安心していた。本来であればもっと丹念に調べてみる必要があったわけであるが、こういう状況において、自分は楽観的に考えてしまう傾向が強い。最悪の状態でなかったことに安堵し、悔しいが、それも良いのであるが、今回は、日課にしている翌朝の撮影環境で発覚した。普段はあまり早朝からの電話はないが、今朝についていえば、親しいカメラマンからの電話で、オオタカが近くに来ているとのこと、すぐに準備をして出かけた。

 

 オオタカは姿を消していたが、間もなくミサゴが現れた。カメラを三脚に乗せ、すぐにドットサイトで被写体をファインダーで捉えて、シャッターを切ったが、画面が戻らなく、真っ暗になっていた。そうこうしているうちにミサゴはファインダーから消えてしまった。この時カメラの調子が悪いと感じ、電源のON-OFFを繰り返すと、ファインダーからの画像は見えるようになった。次に、オオタカとハヤブサのバトルが始まり、何枚かシャッターを切ったが、画面がすぐに暗くなり、次の撮影準備に入ることができなかった。

 

 これで、昨日の落下の影響が頭によみがえる。レンズを外し、ミラーの動きを観察したところ、収まる位置には戻らず、どこか動きがおかしい。ミラーアップ機能が明らかに異常であった。近くにいたベテランカメラマンに見てもらったところ、やはり、同じ不具合であることに一致した。保証期間内であることで何とか治りそうだと思い、その場を離れ帰途に就いた。早速、パソコンから修理の依頼を行ったが、見積もりの段階で、落下による故障は、無料での修理とはならず、3万円の修理費が告げられた。

 

実際は修理工場の最終判断で見積もりが行われる。仕方なく、機材の引き取りをお願いすることにした。しかし、機材の引き取りは宅急便業者から搬送用の梱包資材が来ることになり、それが来週の月曜日となる。それから修理工場に移され、故障程度によっては最悪、修理を行わない選択肢もある。修理を依頼したとしても年末年始の休暇に重なるため、相当の日数を費やすことになる。なんともあきらめきれない、歯がゆいミスであった。

新たな望遠レンズが配達されたというのに!何たる失態であるか。


曜変天目茶碗

2016年12月23日 00時00分01秒 | 紹介

 古美術鑑定家の中島誠之助氏がTV番組の「開運!なんでも鑑定団」で12月20日、鑑定に出された茶碗が、現存する4番目の曜変天目茶碗に間違いないとし、2500万円の鑑定額がついたという新聞記事である。既に3つの茶碗は国宝に指定されている。鑑定に出した人物は、戦国武将であった三好長慶の子孫が暮らす屋敷の移築を請け負った際に、大工をしていた男性の曽祖父が買い付けた骨とう品に混ざっていたという。

 

 曜変天目茶碗は、12~13世紀、中国で作られ、完全に残るものは世界で3つだけで、それらは我が国にあるという。大徳寺龍光院(京都市)、藤田美術館(大阪市)、静嘉堂文庫美術館である。陶器の内側表面は漆黒の色をしているが、釉が焼かれる段階で窯の中で炎によって変色し、大小の銀色斑紋が生成される。その周りが光り輝く光彩が出現している。まるで宇宙に星々が輝いているように見える。これを称して、「器の中に宇宙が見える」と称賛されている。

 

 作られたのは福建省の建陽市で、建窯であったとされている。本場の中国にはないと言われているのには理由がある。中国では曜変天目は不吉の前兆とされて忌み嫌われていて、窯でできればすぐに破棄されたらしい。従って我が国に渡来したのは偶然といってよいであろう。中国でも焼かれないのであるから、その意味では大変貴重な茶碗といえるであろう。しかし、南宋時代の最上層に属する人々の間では曜変天目が使われていたようである。

 

 再現したという我が国の陶工の話を聞いたことがあるが、その後の状況は知るすべもないが、一種の偶然性を持っているようで、決まった条件での大量生産ができないことも不思議なことである。いくつかの類似とされる茶碗の中には、油滴と呼ばれる範疇に入るものだそうで、完全な形で残る曜変天目茶碗は上述の3件だけとのことである。

 

 成分分析等で偶然に発見される完全ではない茶碗のかけらから、分析を行うことは、試みられてきているが、件数も少ないし、すでに失われた過去の条件を再現することは容易ではないようである。科学が進んでも、わからない世界を残しておくことも、ロマンに通じ、深く詮索しない世界があってもよいと思う。半面、現代の陶工がその解明に当たり、再現するのを妨げる意味では毛頭なく、大いに挑戦してほしい世界である。

 


庭木の手入れと厳寒対策

2016年12月22日 00時00分01秒 | 提言

 剪定が残っていた樹木の剪定作業に取り掛かっている。植木業者であればほぼ1日仕事なのであろうが、自分で行う作業なので、急いでする必要もなく、空いた時間を使って、少しずつ進めている。枯葉の除去と、剪定し終わった枝葉は透明なポリエチレン袋に詰め込むが、枝の長さが長いと多くの葉や枝が入らない。15cmぐらいに剪定挟みや剪定ノコを使って細分化する。この作業は結構時間がかかる。

 

 以前は庭で燃やしていたが、最近では近所が煙や舞い上がる灰を嫌うのでゴミに出している。環境汚染が叫ばれるようになってからであるが、区役所でも火災の危険性や、ダイオキシンの発生などの心配があるためで、ご時世を思えば、適切な指導であろう。近所の家も決まった植木屋が毎年、この時期ほぼ一斉に剪定を行っている。この仕事も年々機械が導入されていて、ガソリンエンジンで始動するトリマーやブロアーが鳴り響いている。しかし、女性高齢者だけの家も多くなり、自分でするには大変な仕事でもあるので、手を入れないで放置している家屋が増えているようである。

 

 残った樹木は、モチノキとユズリハである。どちらの木も母親の実家(杉並)から車で運んできたもので、この場所に移り住み始めた頃である。年数を数えると既に60年以上が過ぎている老木である。子供のころにはモチノキに昇った記憶がある。高さは3mぐらいに切っているのでそれ以上にはならないが、病気もしないでよく持つものである。ユズリハは、20年前ぐらいに根元から切り倒したが、根元から若芽が成長して、現在ではモチノキと同じ高さに育っている。ユズリハは、新芽が育って初めて前年の葉を落とすので、理想的な子育てといわれ、門松や、輪飾りにはウラジロ(シダ)と一緒に飾られる。新しい年を迎える(世代交代)意味もあるようで、おめでたい樹木の一つである。

 

 年齢がかさむとともに庭木の剪定作業もきつい仕事になりつつある。脚立を使っての高所作業であり、バランスを崩すと落下して危険でもある。気を付けて作業に当たりたい。

 厳寒対策では有名なのが雪つりであるが、それが必要な樹木はないので特に行ってはいない。柿の胴回りに虫除けのための菰藁をまくとよいと言われているので、今年もやってみたい。菰藁の代わりにゴザを切って使っている。樹木ではないが屋外にある水道の蛇口にはポリエチレンの緩衝材(指でプチプチとつぶして遊ぶもの)を巻き付けている。後は毎年行うのが駐車場の屋根に詰まった枯葉を取り除く。雪が積もったときに水はけが悪くなるからである。


悩んだ末のレンズ

2016年12月21日 00時00分01秒 | 紹介

 先日、いらなくなったレンズを引き取ってもらった代金内で収まるレンズの購入を考えていた。現在保有のN社の望遠ズーム200-500mmf5.6は重量が2kgで、カメラ本体を入れると3kg弱となり、手持ちの長時間撮影ではいささか限界を感じていた。これぐらいの重量と思っても、長時間の撮影になると翌日腕が痛むこともあり、できればもう少し軽いレンズを欲しいと望んでいた。200-500mmは価格も手ごろであったし、評判にかなうレンズでもあり、難を言えばきりがないが、まずまずの評価をしている。

 

 バズーカ砲という規模ではないにしても、大型レンズであることは間違いない。難点の一つは、レンズに直接ストライプがつく構造ではないため、カメラ本体とレンズの接合部(マウント)にダイレクトにレンズの重みがかかるため、マウント部の不具合を起こしやすいと思っている。注意には越したことはないと移動時は、台座部分にカナビラをつけてストラップで吊り下げることにして使用している。カメラマン仲間から、本体とレンズの脱着はできるだけしないほうが、ゴミが入り込まないで済むと言われてからである。

 

 大した距離ではないが、カメラとレンズをコンパクトにまとめ、三脚も持っていくので、カメラバックを多用し、望遠レンズはN社のものは適当な大きさのものがなかったため、O社の300mmf2.8レンズ用のケーズを利用していた。現場についてその場で本体にレンズをはめ、撮影が終わるとレンズを本体から外すので、撮影の都度、2回は脱着が行われていた。撮影回数が増えれば増えるほど脱着回数も増え、その都度注意はしているが、何らかのごみを拾うことになる。

 

 N社のレンズとカメラ本体を使用し始めて約半年が経過する。ようやく慣れてきたこともあり、設定もスムーズになってきた。カメラの能力については多くのカメラやレンズを使ったことがないため、比較は無理であるが、軽いレンズがあればと比較検討した結果、最新の固定焦点の300mmf4ではなく、80-400mmf4.5~5.6を最有力候補として決めることにした。

 

 このところ連日、価格.comで価格変動の推移を注視していたが、このところの価格が底値のようで、徐々には新機種への移行が進むと仮定すれば、価格の低下傾向はあると予想される。しかし、価格の変動は他の要素もあるので、見切りをつけるときと考え、注文した。年内には手元に届くが、果たしてどうなるか、今から楽しみである。


日本伝統工芸展

2016年12月19日 00時00分01秒 | 紹介

 公益社団法人日本工芸会が開催する第63回日本伝統工芸展(平成28年)はすでに東京三越デパートを会場に開催された。現在は日本各地での展示会が逐次実施される。今回日本工芸会の賞は総裁賞、奨励賞と新人賞の3点であり、このほかに入選がある。この新人賞に輝いたのは、初めての応募で、年齢80歳を超える本間昇氏の神代桂菱紋重糸目筋箱である。部門は木竹工部門である。技法は箱根細工の伝統を生かした手法である。本日のNHKの放映で知った。

 

 応募分野は陶芸、染色、漆芸、金工、木竹工、人形、諸工芸に分かれている。どの作品も優れており、我が国の伝統工芸をベースに、斬新なデザインや、技法の工夫等が見られ、世界へ発信したい最高級の作品ばかりである。

 

 伝統工芸展は、10月ごろに東京で開催されるが、機会があればできるだけ見学に行くこととしていたが、最近はインターネット上で見ることが可能となったため、混雑する会場へは出向かなくなった。最初に見学に行ったのは大学3年の頃であったと思う。大学の授業で漆工芸の単位があり、授業の一環で、学生と芸大出身の助教授とで漆工芸に絞って、解説付きで見学した記憶がある。その時も、あまりにも技能レベルの違いに驚き、華やかな世界が広がったという強い印象を受けた。

 

 伝統工芸に関する私見については何度かこのブログで紹介したことがあり、どちらかというと、芸術ではなく、実用性についての方向性の模索を論じたが、伝統産業の多くの分野は、その永続性を危惧されている。その理由は大量生産に向かず、趣味の世界かもしくは特定の愛好者や富豪などの贅沢品となってしまっているからに他ならない。実際に、材料費の高騰や、すでに生産されなくなった材料や道具については新たに特注しても、手に入らない状況にある。一部の分野においては継承がうまくいかず、すでに廃れてしまった世界もある。

 

 伝統工芸をいかにして継承するかについては、映像で残すことや、資料館等で保存し、公開するような努力とともに、若者等へ、体験や育成に力を入れている方も多いが、思うような伝承ができていないのも確かなことであろう。いくら熱心に訴えたところで、その技が生業として生計を立てることができなければ、後継者がいなくなるのは当然のことで、博物館行となってしまう。悩ましい限りであるが、隆盛を誇った時代への逆行も難しい。 願わくは、伝統技法をベースに現代にあう工夫が新たな世界を切り開くことにつながることと思料される。


近隣住居者の受け入れ

2016年12月18日 00時00分01秒 | 紹介

  世代交代が、空き家になって久しい家屋がどのような経緯か定かではないが、売りに出された。80~70坪ぐらいであったが平屋とそれに付属する2階建ての住居であった。境界を別にする場所にあったため、父母と息子夫婦が居住していたが、父親は十数年前に他界し、母親と息子夫婦が暮らしていた。母親が逝去する前に息子夫婦は家を出て行った。その後、しばらくして病気で長男息子は他界した。弟がいて、早くに渡米していたためか、めったに顔を合わせることはなかったが、ここ数年帰国の都度、雑草の生えた庭を手入れしていた。

 

 この地にいるものと思っていたところ、売りに出され、不動産会社の管理下になったが、売地なのかわからない時期があった。3区画に区切られ、突如2か所の建築が始まった。時々、新聞の折り込みで入る新築の紹介には5千万円前後の建売の情報がのっていた。何人かの見学者が見えたが、最近、一世帯が入居したようである。残る建物と、一区画については手付かずの状態であるが、いずれ入居者が決まり、建物が建ち、新たな住人が入居することになると思われる。世代交代の典型と思う例であるが、事情を勘案すると、様々な知らない世界が展開され、進んでいることに、こんなものであるとの諦めと侘しさを感じる。

 

 近所付き合いの範囲を逸脱したわけではないが、これも高齢化社会の典型であり、別の言葉でいえば、世代交代とは、御和算(?)であり、付き合いの多少にかかわらず、全くの赤の他人となり、御和算となる。それでよいのであって、以前の関係は流れ去ることによって新たな人間関係が生まれるのである。ことさら未練を残すこともない。淡白に、粛々と経過が過ぎるだけなのである。近所付き合いの淡白な時代となってはいるが、虚しさが募れば、近所付き合いのメリットですら失われることに危惧を感じるが、所詮、無関係な世界との出発点に戻っただけと割り切るしか仕方がない顛末であった。

 

 他界した両親を責めたところでどうなるものではない。せめて、挨拶ぐらいはとも思ったが、地域との接点がなければ住居といっても別世界であれば、無関係で過ごしたほうが、負担が減る。過去の記憶を消し去るとの決断であるが、寂しさと侘しさは埋めようがない。といっても別段思い出の中身は、たわいもない世界なのであり、経過に過ぎないのである。

 

むしろ、これからの出会を共有する隣人として、受け入れる心の余裕と広さを持って接していきたいと思っている。向こう3軒両隣は遠い過去の因習でなければ良いのであるが・・・・。             

 


オオタカの誘い

2016年12月17日 00時00分01秒 | 紹介

 対岸の高木はほとんどが自生の落葉樹であり、柳を除き葉はすでに落ちているため、写真撮影にはもってこいの時期となった。夏場の豪雨で雑草が水につかり、流されたため、背が高い雑草がなくなっている。おかげで見晴らしがよくなった。対岸は北に当たり、野鳥が飛んでも逆光となるため、撮影には向かないが、高木が多く、野鳥の数は多いようである。

 

 カラスが群れて高木に止まると、その近辺には猛禽類がいることが多い。また、猛禽類が突然野鳥の群れに飛び込むときは一斉に周りにいる野鳥も飛び出る。カラスの場合は仲間を呼ぶようで、俄かに騒がしくなる。今回は対岸で繰り広げられたオオタカとカラスのバトルに居合わせ、シャッターを切った。時間にして20~30分と長いバトルであった。

 

 オオタカはカラスに追われると逃げるのであるが、今回はそうではなく、何回も高木と川面を飛び回っていた。ベテランのカメラマンによると、オオタカのほうがカラスにちょっかいをかけ、川面へと誘導しているとのこと、その目的は餌にするようだと言っていた。

体長がオオタカと変わらないカラスを殺すのは捕まえてから全体重をかけて水没させ、溺れさせるようである。

 

 カラスはそのことがわかっているようで、追いかけるが決して追われる位置には飛ばないし、木に止まるにしても、一定の距離を保っている。カラスの追従を待つオオタカは頃合いを見計らい、あえてカラスへの挑発を繰り返す。こうしてカラスとオオタカのバトルが続くのである。どう見てもオオタカの方が、分が悪いのは承知で挑む戦いは、なぜか猛禽類の強さを知らしめる行為のようであった。

 

 ともあれ、目先の対岸で繰り広げるバトルというドラマは、野鳥撮影者だけにわかる世界であって、たとえ行われていても、通りすがりの遊歩者には、興味すら起きない世界なのかもしれない。予想すらできない現実は、当然であるが、ふつうの人には見えないものが見えるわけで、その世界に「はまる」ことによってのみ、捉える世界が繰り広げられることは大変興味深い。差別用語になるかもしれないが、眼空きの目暗といわれる世界であろう。

 

 バトルは命をかけての世界で、野鳥といえども生きるか死ぬかの接点を見せてくれるので、多くのカメラファンがいることも事実である。