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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

受験刑務所

2019-05-16 10:06:58 | 教育

>「受験刑務所」化している学校がある。 > 多くの学生が大学で学ぶ目的を持てないでいる最大の要因は偏差値的に「いい大学」に入ることのみを目的にした、行き過ぎた受験勉強にある。

そうですね。’いい大学’ とは、序列順位の高い大学のこと。これは、偏差値を利用して決められる。同次元で序列が決められる。だから、個性がない。大学の教育内容などには関係がない。
日本人社会の序列獲得競争を盛んにして、受験勉強が盛んに行われていますね。何よりも序列順位が大切であると信じられていますね。理由は無い。盲信です。
日本語には、階称 (言葉遣い) というものがある。’上とみるか・下とみるか’ の判断ができなければ、日本語会話も満足なものにはならない。
また、日本人の礼儀は序列作法になっているので、世俗の上下判断を心得ていなければ、礼儀正しい日本人にもなれない。社会ののけ者にされる。
人を見損なってはいけないという想いは、日本人においては強迫観念の域に達していている。反面、理性判断のようなものは受け付けられない。理性判断と序列判断が両立しないからである。

> 有名大学への合格者数を競うような私学や受験産業のゴールは、とにかく東大に合格させる、早慶に合格させることで、大学に入ってからの接続など何も考慮されてはいない。

そうですね。受験産業には、人間教育をする目的はありませんね。

>だから、ゴールを達成してみたら、そこで何をしたらいいのかが分からなくなってしまう。

そうですね。手段と目的を取り違えていますね。わが国においては、個人実現という目的が、高等教育という手段によりなされていない。入試という手段が目的化 (現実) していて、真の目的 (非現実・考え) である人格の形成は見失われていますね。どうしてそうなるかというと、目的は哲学 (非現実) で、手段は技術 (現実) であるから、無哲学・能天気の日本人は、現実ばかりに気を取られて真の目的は想定外になっていますね。

>大学は課程に過ぎない。しかし、受験脳は学ぶ本質を封鎖してしまう。

そうですね。受験という処世術ばかりが発達していて、人格形成の本質を封鎖されています。だから、日本人は、無哲学・能天気の人間になっていますね。

>実際私の友人にも、有名大学に進んだが、やりたいことではないとやめた人もいる。

考えることが、学生のやりたいことではないのですか。それとも、大学内での専攻を間違えたということか。これは、例外か正常か。もし正常であるならば、この国の方が例外でしょうね。

>大学入試制度が変わることで教育がどう変わるのか? 注目していきたい。

あなた自身の教育改革に対する内容はどのようなものですか。他力本願・神頼みなのでしょうか。
教育を変えるには、日本人の序列争いをやめさせる方策を講ずるのが近道ではないでしょうか。
また、時制のある文章内容が書けないと世界観が持てないので、批判精神が育たないですね。これは、日本人の大きな欠点になっていますね。
時制のある文章内容は、独立した非現実の三世界 (過去・現在・未来) を描くことを可能にします。ですから、自分自身の ‘あるべき姿’ の世界を未来時制の内容として描くことが可能になります。これを基準にして現実を批判すれば、批判精神を得ることができます。
時制は、英文法にあって日本語の文法にない。我々日本人は、日本語と英語の両言語を良く学び、言語における時制の大切さを十分に理解して、自己の考えを文章内容として表現すべきでしょうね。そうすれば、現在の入試制度の弊害を打開することも可能になるでしょう。


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石丸智信さん

2019-05-12 21:06:49 | 教育

>言われたことを、言われたとおりにやる。>これも大切なことではあります。>しかし、それだけではいわゆるマニュアル人間になってしまうのも否定できない事実。

そうですね。自己の考えがないと、筋金入りの皇軍兵士になりますね。

>これからは、自ら考えて行動できる人物が求められる時代。

そうですね。ノンマニュアル人間が必要ですね。各人に哲学は必要です。Everyone needs a philosophy.

> 今回の無料メルマガ『起業教育のススメ~子供たちに起業スピリッツを!』では著者の石丸智信さんが、手段や手法を子供たち自身に決めさせることの大切さを説いている。

自分自身の頭で考えて、自分自身で決めることが大切ですね。

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>●手段、手法は、子どもたちが決める >先日、ニュースで小学校の教科書検定において、教科書のページ数が増えた、という内容が取り上げられていました。>短いニュースでしたが、その内容を聴いていると、子どもたちに、より考えさせる内容になっているように感じました。

現実の内容は、頭の外にある。それは、見ることができる。見ればわかる。唯一の正解がある。だから、考える必要がない。自分自身の頭を使って考えることがないと、無哲学・能天気の人になる。

>この話題に関連して、書籍名は失念しましたが、以前拝読した書籍に、以下の一節が著されていました。
> 迷子の子どもに目的地へ向けた細かい地図を渡すのではなく、方向を指し示しどのようにどんな手段で目的地に到着できるかは子どもに決めさせる。
>この一節は、まさに、目的、目標に向けての過程、プロセスは、子どもたちが自ら考えることの大切さを示唆しているように思います。>また、これから子どもたちが成長する上で必要となる考え方ではないかと思いました。

そうですね。自ら考えることの大切さですね。
全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。
矛盾を含まない文章は、全て正しい考えを示している。だから、正解は一つではない。人によって考えは違う。だから、正解は多数ある。

>これまでは、何らかの目的や目標に向けて一から十まで指示や命令などがあり、それに基づいて行動していくことが求められていました。

そうですね。マニュアル人間の製造過程ですね。

>しかし、これからは、ある目的や目標といったある方向性があり、その方向に向けて手段や方法などは、自ら決めて行動していくことが求められるのではないでしょうか。

そうですね。自主・独立の人間ですね。世界観を持ち、方向性を示すことも必要ですね。

> 子どもたちが自立自律型の人財へと成長していくためには、3つの段階があるように思います。 >まずは、目的地を指し示して、子どもたちに細かい地図を渡す段階。 > 次は、本号でテーマにしました目的地を示して、そこまでのプロセスは、子どもたちに任せる段階。 >そして最終的には、子どもたち自身が目的地を明確にするとともに、そこに行き着くまでのプロセスすべてを自ら意思決定していく段階。

意思決定は大切ですね。しかし、日本人には意思がない。だから、意思決定にはならずに恣意決定になる。意思は文章内容になり、意味がある。恣意は文章内容にはならず、意味がない。兎角、この世は無責任となる。

>こういった段階を子どもの頃から様々な場面において体験、経験していくことによって、一歩ずつ自立自律型の人財へと成長していくのではないでしょうか。

そうですね。我々日本人には、自己の意思の表明が必要ですね。

> 平凡な教師は言って聞かせる。 >よい教師は説明する。 >優秀な教師はやってみせる。 >しかし最高の教師は子どもの心に火をつける。 

そうですね。最高の教師は、子供に意思決定をさせる教師のことですね。

>この言葉は、ウィリアム・ウォード氏の言葉です。>教師の部分は、「リーダー」「コーチ」「監督」など、色々と置き換えることができますね。

そうですね。教師は、集団の意思決定をする責任者のことですね。

>人の成長に関わる人たちに共通して大切な考え方、姿勢ではないでしょうか。

そうですね。意思決定をする個人も必要ですが、その個人の存在を容認する構成員も必要ですね。意思のない国には、その責任者も見当たらない。この国がひっくり返った時にも、その責任者は出なかった。

>やはり、目的地を決めて、そこに向けて、様々な過程を経ながら進んでいくためにも、その人自身が主体的に進んでいく、という心構えを持つことが大切でしょうね。

そうですね。意思があれば、自主・独立もある。意思がなければ、優柔不断・意志薄弱となる。それではいけないと、精神修養が持ち出されてくる。精神主義の復活である。この道はいつか来た道。
わが国の敗因についてのコメント: ‘我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである’  (昭和天皇)
それで、きわめて危険な状態になる。山本七平は「『空気』の研究」のなかで、そのことを指摘している。
「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。」と書いている。

>リンクより



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シルバーシート

2019-04-28 13:08:19 | 教育

>右翼になろうよ♪/なぜ日本人は他人を救済しないのかリンク より
(略)
>◆なぜ日本人にはシルバーシートが必要なのか
>外国人にとって、日本語一つにしても覚えるのは難解だし、それが日本の文化と密接であり、外国人が日本に住むのが大変なことは想像に難くない。 >他人を受け入れることに関しても、往々にして西洋人の方がフランクだ。 >たとえば西洋人は電車の中でお年寄りを見ると、さらっと席を譲る。 >シルバーシートなんて改めて決めているのは日本だけだ。

そうですね。個人判断ができないところに、日本人の問題がありますね。

>日本の慈悲は、弱者を救済しない。

残念なことですね。

>なぜなら仏教において、この世界に生きるすべての生きとし生きるもが弱者だからだ。

それは、序列社会の慣行とは違っていますね。我々の社会では勝負があって、強は上、弱は下に通じている。相撲社会のようなものです。

>だから弱者救済は暴力だ。 >誰かを弱者に貶めている。

それは、インド人の考え方に基づいているのですかね。現実の中の体力を直視した方が良いのではありませんか。そうすれば、リーズナブルな答えが得られます。

>弱者も強者も、世間に慈悲を施す。 >救済という行為にはからならず、力関係が生まれる。 >慈悲はそれを戒める。

インド人には、力の行使は無いのですかね。

>日本人の他者への配慮とは、弱者救済ではない。 >みなが世間のために行う当たり前の配慮だ。 >ここに日本人の公平性がある。

個人に関する力量の差は、考えの中に入らないのですかね。全員 ‘無差別級’ に属しているのか。 それは、人権のように不変なものか。

>他者へ配慮することで、救済になっていないか、配慮する。>互いに繰り返し繰り返し終わりなく配慮し合う再帰運動。>それが現代なら日本人の空気を読むということだ。

自己に基準がないのだから、何事にも気配りが必要になりますね。

>日本人は救済することが嫌いだし、救済されることも嫌いだ。

上下関係の確認が嫌いだからですね。序列社会のトラウマのようなものか。

>弱者に貶められる。>だから根性論がうける。

わが国では、恣意 (私意・我儘・身勝手) を鍛えて意地・根性・大和魂とする。

>弱者であっても、助けを求めずみずから立ち上がる。 >自ら立ち上がれ! >日本ではみな公平だ。

頑張って! 現実の強弱を無視するのですか。弱者は無理をするなよ。上下感などに意味は無い。無差別級の公平などには意味も無い。公平で平等なのか。意義があるのか。

>日本人ほど、他者へ配慮する再帰運動が活発な国民は他にいないだろう。

我々日本人の序列順位に関する思いが強迫観念の域に達しているからでしょうね。

>外国人がよくいう日本人に対する印象、なにを考えているかわからない、言っていることと本音が違う、自分の意見をはっきり言わない。

無哲学・能天気ですから、何も考えていませんね。相手にわかるはずがない。
本音 (私意・我儘・身勝手) は文章になりませんから、語る内容とは違ったものになりますね。
自分には考えの内容がないから、自分の意見を述べることは難しい。普通は、他人の受け売りになります。

>日本人の重層な再帰運動を前にした、単純な再帰運動の外国人の典型的な反応だ。 >日本人は本音を言わないのではなく、配慮の運動を繰り返して、絶えず相手と調整している。 >すなわち空気を読んでいる。

自己がなくて配慮がある。だから、気分・雰囲気に左右されますね。

>しかし外国人にはこれは苦しいだろう。 >なぜなら再帰運動は、西洋精神分析でいう神経症と同じ構造だからだ。 >西洋人にしたら日本人の再帰運動は頭がおかしくなる。

そうですね。我々には、自己の確立が大切ですね。そうでなければ幼児症になる。

(略)

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読書

2019-02-10 09:10:15 | 教育

>金川顕教氏の心に響く言葉より…
>「一日一冊ビジネス書を読んでいます」という人や、「映画を年間100本見ています」という人、「毎週、セミナーを聴きに行っています」という人がいます。>こうした行動は、すべてインプットです。

そうですね。入力ですね。

>そして所詮忘れてしまうことなので、僕に言わせれば、ゼロプット。

無入力ということですね。

>ですからこんなことをしている人の話を聞くと、「だから何?」となります。

無哲学・能天気ですね。’それで、どうした’ を問うところですね。

>インプットなんて仮想世界にあるようなもの。>学んでいると勘違いしているだけで、一つも身についていません。>いくら読んだり、聞いたりしても、忘れてしまって後には残りません。

一夜漬けの受験勉強のようなものなのでしょうね。体験学習が必要ですね。

(略)
>「行動」をすることで、人ははじめて「これ、いい」とか、「この家に住みたい」という感情が湧いてくるのです。>読書も仮想世界の中にあるようなものなので、ただのインプットで終わらせず、現実世界でアウトプットすることが大切です。

そうですね。

>つまり、「本を100冊読みました」「偉いですね」でもありませんし、10冊の本を読んで終わる人よりも、1冊の本をしっかり読んで、しっかりアウトプットした人のほうが、はるかに身につくわけです。

そうですね。出力ゼロで頑張るのは得策ではないですね。

>本を1冊読みたいと思うなら、アウトプット先を前もって決めておくと効果的です。>例えば、アマゾンレビューを書く、日記にあらすじを書く、アイデアを書き出す、TODOリストを作る、メモ帳に思いついたことを書く…などなど、こうしたアウトプットを目的に本を読むという逆の発想をするのです。>たったこれだけのことで読書の成果は変わります。

そうですね。目的を意識することが大切ですね。

>1時間かけて、1冊の本を読んだだけでは、その1時間は、ただのゼロプットの時間です。>でも5分、10分、アウトプットの時間を取ることを前提に行えば、アウトプットの時間は、1万時間にカウントされ、それが結果に結びつきます。

自己実現を前提とすることで結果に結びつきますね。

>昔から仲がいい友人に、とても優秀な営業マンがいます。>彼は年収1億円を切ったことがなく、約5000人の社員の中でも、常に営業成績はトップです。>ちなみに彼は、話題の本のタイトルをチェックするぐらいで、本をほとんど読みません。>それなのになぜ優秀なのか。>それは、毎日、飲み会、ゴルフ・パーティと、リアルの世界で、ひたすら人と会って話をして、アウトプットをしているからです。>読書は、アウトプットするためのきっかけや、人とコミュニケーションをするためのネタにすぎません。

彼は、たしかに優秀な営業マンですね。

>インプットに命をかけるヒマがあるくらいなら、行動することこそが、最速で結果を生むのです。

そうですね。入力に命を懸ける人は、結果が目的ではないのでしょう。入力競争に関する序列順位の争いが真の目的なのでしょう。序列メンタリティに囚われているのではないでしょうか。

>『仕事と人生を激変させるなら99.9%アウトプットを先にしなさい』SBクリエイティブ

日本人は、激変を望まない。お変わりなきことが何よりなことでしょう。天下泰平の世の中か。

>どんなに素晴らしい知識があろうと、世界を変えるようなアイデアを持っていようと、自分の頭にしまっておくだけで、世に伝わらなければそれは無いのと同じ。

そうですね。自己実現の可能性は皆無ですね。

>つまり、すべてのことは、アウトプットされなければ存在意味はないということ。>それが、行動するということ。

そうですね。だけど、無為無策と諦観する人が多いですね。

>日本の昔からの学校教育の弊害がそこにある。

そうですね。昔から学校教育は、序列順位の争いの場を提供するだけの仕組みです。

>何かを覚えてそれを再現するというシステムの繰り返しだからだ。>高校受験や大学受験がまさにそれだ。

そうですね。現実の内容を再現すれば、それは模倣になります。受け売り専門の人が育成されます。

>しかし、録画や録音なら、AIのほうがよっぽど優れている。

そうですね。記憶に関しては、人間は記憶装置にかないませんね。

>人は、アウトプットして初めて、自ら考えるようになり、それが行動に結びつく。

そうですね。だけど、出力は難しい。だから、無為無策でいる。

>読書においても、読後感や読書録を書くことを前提に本を読めば、驚くほど速読になれる。>それを続けると、書きたい箇所の文章がピンポイントで目に入ってくるようになる。>必然的に、書けない箇所は飛ばし読みできるので、速読になる。>「仕事と人生を激変させるなら」日々、アウトプット力を磨きたい。

そうですね。そうすれば、自己実現 (self-expression) が可能になりますね。


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大学進学率

2019-01-11 02:22:51 | 教育

>日本の大学進学率について
>リンク
>海外の留学生を除き,専門学校等のBタイプを含めた場合,日本の進学率はOECD各国でも上位となり、日本の進学率が低いという主張は必ずしも正しくない。
>そもそも、国民の教育到達度を図るのであれば、進学率よりも修了率に注目するべきだろう。

そうでしょうね。

>これを見ても、日本の修了率はOECD諸国と比べても上位にあり、世界的にも劣後していない(2013年のデータ)。>では、日本はもう進学率を上げなくとも良いのだろうか? 
>高等教育の進学率・修了率は結果として上がった方が良いが、それは政策的に無理やり上げるべきものでもないし、大学(タイプA)に行くものという社会的な雰囲気もどうかと思っている。

そうですね。高等教育に関して、義務教育風の発想法は好ましくないですね。

>大学が多すぎて質の確保ができていない状態にある中で、18歳の進学率を上げることが意味のあることなのだろうか。

何も18歳にこだわる必要はないですね。

>自分がやりたいことが決まっていて勉強する気持ちがあるのであれば意味があるだろうが、何となく進学する意味が本当にあるだろうか。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. だが、日本人には意思がない。仕方がないから無為無策でいる。
意思は、未来時制の文章内容であるが、日本語文法には、時制 (tense) というものがない。だから、日本語脳には未来時制はなく、日本人には意思がない。
英文法には時制があり、英米人には、意思がある。日本人が、英米流の高等教育をまねるのは容易ではない。

>むしろ、人手不足が続く労働市場に早めに参入する方が費用対効果の面からも良いのではないだろうか。

現在の日本は、深刻な人手不足に陥っている。だが、頭脳不足であるとの話は聞いたことがない。日本人は、頭脳を人手で補って仕事をしているのではないであろうか。これでは、生産性は上がらない。

>まずは仕事をやりながら、やりたいことを見つけた時に大学や専門学校に行く方が合理的な選択ではないだろうか。

そうですね。同感です。しかし、わが国には、個人の意思を尊重する習慣がありませんね。意思が存在しないのだから、仕方がない。

>日本の高等教育の問題は、こうした柔軟な進学の道が事実上閉ざされていることである。

意思のない人たちの柔軟性は、高く評価されませんね。だから、道の開閉には注意が払われない。

>18歳から19歳で大学に進学しなかった場合、そこから大学に行くことは時間的な面でも心理的な面でも厳しいものがある。

働いて、懐具合が良くなってから勉強した方が、落ち着いて勉強ができますね。

>特に、日本の大学では勉強をしない若者が多数派というイメージがあるので、社会人を経験して真剣に勉強を学びたいと思っている人は入りづらいだろう。

それは、気分・雰囲気の問題でしょう。一心不乱に勉強するのが良い。しかし、無哲学・能天気なわが国では、真剣な勉強は場違いな感じがしますね。

>実際に、下記のグラフで分かるように、日本は25歳以上の入学者の割合は国際比較で最低である。

わが国では、学問は子供の勉強になっていますね。低水準の教育ですね。

>OECD報告書から読み取るべきポイントは、 18歳進学率を上げることではなく、人生の色んな段階での進学または学び直しができる環境を整えることである。

そうですね。

>むしろ、18歳での進学率は低くなっても何の問題もない。

人間は、一生が勉強ですからね。生涯教育が大切ですね。

>18歳から19歳で同じ年代に生まれた同じような人間と一緒にいても楽しいかもしれないが価値観は広がらない。

そうですね。学問は、すべての年代に共通するものですからね。

>社会人経験者、海外からの留学生など幅広い層の人間がいた方がいた方が多様性が増して学びが増えるだろう(これは大学院も同じだ)。

そうですね。気分・雰囲気にとらわれることなく、社会人経験者・外国人留学生にも入学してもらいたいですね。

>(注1)日本の大学進学率が50%以上あるというのは厳密には間違いである(文科省は大学・短大進学率は57%と計算)。
>日本の大学進学率(18歳進学率)は18歳人口の進学割合を示したものではなく、全ての年齢を含む大学進学者数(約68万人)を18歳人口(約120万)で割った数値である。
>厳密に18歳のうち大学に進学する割合は約42%程度である(短大を含めれば約45%)。



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