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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

島津酉二良氏  

2025-01-10 20:45:48 | 文化

>朝日新聞デジタル   >戦争加害の証言つづけた元日本兵・島津さん 有志「意志を受け継ぐ」   >朝日新聞社によるストーリー・   >7時間・   

> 加害の証言をつづけた元日本兵がいた。   

>島津酉二良(ゆうじろう)さん(19212005)は、中国で犯した残虐な行為を直視し、逃げない姿勢を終生つらぬいた。   

>島津さんの平和への思いを受け継ごうと市民がふたたび動きだした。   

>(下地毅)   

>「中華人民共和国戦争犠牲者之慰霊塔」は和歌山県印南町の山すそにある。   

1980年、島津さんが59歳のときに建てた。   

>碑の側面にこう刻んだ。   

> 「私は第二次世界大戦に従軍 中国に於て残ぎやく極まりなき行為をしました ここにざんげの念にたえず この碑を建立し冥福を祈ります」

> 島津さんは本宮村(現・田辺市)の貧農の家にうまれた。   

1942年、20歳のときに召集で中国戦線へ。   

>翌年、憲兵になった。   

>証言によると、43年、農民を軍刀で斬ったのが初めての殺人だった。   

>以降「人殺しの鬼」になった。   

> 敗戦後、ソ連軍の捕虜となりシベリアに5年間抑留された。   

50年に中国の撫順戦犯管理所に移され、ここで罪を認めたため起訴免除となった。   

56年に帰国し、白浜町役場に定年までつとめた。   

80年、退職金で慰霊塔を建立し加害証言をはじめた。   

2005年に死去、83歳だった。   

> 「撫順の奇蹟(きせき)を受け継ぐ会 関西支部」の野津加代子さん(62=大阪府=、溝田彰さん(62=兵庫県=、渡部太郎さん(40=京都府=は昨年1223日、印南町の慰霊塔まえでつどいを持った。   

>「『真理をつたえることが戦争を繰りかえさない力になる』という島津さんの意志を受け継ぐ」と誓った。   

 

そうですね。   

 

>白浜町にある島津さんの墓でも手をあわせた。   

> 加害証言にとりくむ元日本兵の団体「中国帰還者連絡会」が会員の高齢化で解散することになり、継承団体としてできたのが「受け継ぐ会」で、関西支部は2001年に発足した。   

>慰霊塔をたずねる毎年の「受け継ぎの旅」は03年にはじめた。   

>コロナ禍で20年から休止していたため、今回は5年ぶりの「旅」だった。   

> 渡部さんは「原爆や空襲の被害は学校でも教わりますが、加害についての授業はありません。   

>島津さんの慰霊塔は、受け継いでいくとあらためて誓う場です」と話した。   

 

「アメリカがあのタイミングで原爆投下して、どれだけ破壊力があるかを世界中に知らしめられたことで、冷戦中の核兵器使用が防がれた。世界の滅亡を避けられたじゃないか。大体、日本は被害者なのか。  

ユダヤ人大虐殺をしたドイツと連盟を組んで、他のアジアの国にもひどいことをしたじゃないか。それでいて第二次世界大戦といったら原爆投下の被害ばかり語るのっておかしくない?  そもそも戦争中っていろんな国がめちゃくちゃひどいことをしたわけだから、日本が、日本が、って核兵器についてばかり言うのはおかしいと思う」 (あるアメリカの学生)     

 

>     ◇   

> 194311月、中国河北省の農村部落を占領したときだ。   

>ひとりの農民をスパイと決めつけて拷問を1週間くわえた。   

>下士官から殺せと命じられたが、その農民は「うちの親父(おやじ)と同い年くらい」の「百姓のおいやん」だったから、さすがに断った。   

>「そんなことで憲兵がつとまるか」とさんざん殴られた。   

> 穴のふちに座らせた。   

>それまでの拷問で半死半生だったのに、すがりついて命ごいをする農民を蹴りとばして、軍刀を首に振りおろした。   

>穴に落ちてけいれんしている農民に飛びのってむちゃくちゃに斬った。    

> 初めての殺人は「足も手もガタガタ震えてね、無我夢中」だったが、ことを終えると「英雄になったような気分」「斬ることによって階級をふやしていこう、偉い奴(やつ)だと言われよう、そういう気持ち」になった。   

> 446月、このころは下士官に昇進していた。   

> コーリャン畑の中の小部落を占領し、若い男女をつかまえた。   

>男性は散髪屋、女性は小学校の先生で新婚1週間だという。   

>まず男性を拷問して軍刀で首を斬った。   

>目のまえで夫を惨殺されて精神に異常をきたした妻は、初年兵の刺突訓練につかうことにした。   

> 銃剣に不慣れなため初年兵は急所を外してばかりいた。   

>突き刺された銃剣をつかんではなさない女性の手を、怒り呪う目に一瞬たじろいだが蹴りあげて、「俺が手本示したる!」。   

>軍刀を女性ののどに突きさした。   

> 「僕は、そういうことをしながら、人殺しの鬼になっていきました」   

>     ◇   

> 1980年から学校や集会で語った島津さんは、地域の教師が98年に編んだ「林檎(りんご)の想(おも)い 語り伝える元憲兵の侵略・加害体験」に、このような証言をのこした。   

> 証言や当時を知る人によると、脅迫や妨害が殺到し右翼の街宣車が自宅に押しかけてきた。   

>それでも語りつづけた決意も「林檎の想い」におさめられている。   

> 「日々の生活のなかで、私の手で殺された人びと、その人たちに対して、いろいろやっています。   

>毎月、御回向(ごえこう)もしています。   

>そやけど、何をしてもね、僕の手にかかって死んだ人は生き返ってこんね、絶対に」   

> 「僕の報いる道は何か?    

>たった一つ。   

>二度とこういう残酷な戦争を繰り返してはならないという、その考えであります」   

> 「私は屈伏(くっぷく)するわけにはいきません。   

>語り続けること、闘い続けることを生涯続けたい」   

> 島津さんは、「過去のこと」「命令だった」という慰めに甘えなかった。   

>「実行したのはこの私」と責任を引きうけた人だった。   

 

日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにしない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]        

高等教育機関において自己の個人的な見解を明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。  

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)     

 

高橋史朗氏 (1950- )は米国の戦後の日本占領政策について、米国が「日本が二度と立ち上がれないような政策」を行ったとしており、それがその後の日本人の「自虐意識」を育てることになったと主張している。  

意思がなければどうなるか。受動があって能動がない。だから、被害者意識があって加害者意識がない。罪の意識もない。これはアニマルも同じである。罪の意識のある人たちにとって、罪を知らない人たち立ち上がりは恐ろしい。

‘罪悪感を国民に植え付けるプログラム’ (WGIP: War Guilt Information Program とは、大東亜戦争後の昭和20(1945)年からサンフランシスコ講和条約発効によって日本が主権回復を果たした昭和27年までの7年間の占領期間に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が占領政策として行った、戦争への罪悪感を日本人の心に植えつける宣伝計画ですが見事に失敗しました。カエルの面に水でした。わが国からは戦争犯罪人は一人も出していません。意思の無い人間に罪の存在を理解させるのは難しいからです。従ってわが国の全ての宗教は罪と離れたところに存在します。罪の意識に苛まれる病める魂の持ち主を救済する必要がないからです。     

 

日本人な意思がない。だから、加害者意識も無く、罪の意識もない。加害に対する謝罪の話を持ち出せば、自虐の勧めであるとして強く反発する。  

悪びれたところがなく、天真爛漫としている。だが被害者意識だけはある。これはアニマルと同じである。

日本人は恥ずかしげも無く自己の被害体験だけを大声で言い続ける奇妙な感じにする人間である。   

 

米大統領トルーマンは、極め付きの反日、侮日主義者で、原爆投下については、「獣を扱うには、獣にふさわしい方法でやった」と、日本人を獣扱いしていたと言われています。 

‘あいつ [J. ロバート オッペンハイマー] の手が血塗られているだって? 冗談じゃない。あいつには私の手についている血の半分もついていないさ。泣き言を言うなんて、けしからん。’ (ハリー・トルーマン大統領)     

オッペンハイマーは原爆の父であり、トルーマンは原爆投下の張本人である。彼らには加害者意識があり、罪の意識もある。彼らのお陰で多くの日本人が一億総玉砕を免れた。   

 

好きで好きで大好きで死ぬほど好きな戦でも原爆投下にゃ勝てはせぬ、泣いて崩れた敗戦日。わが国は原爆開発において米国に遅れをとった。 

日本人以外のアジア人でアメリカの原爆投下を非難する者はいない。   

「歴史の皮肉の一つは、自国の人々に尊敬された裕仁が1989年に安らかに亡くなった一方、殺戮を終結させた英雄ハリー・トルーマンには今もなお道徳的な汚点がついていることだ。 ロバート・オッペンハイマーにもクレジットが与えられるべきだ。 ピースメーカー(平和をもたらす人)に祝福あれ」  (提供:The National Archives/ロイター/アフロ)    

あくまでも裕仁が自国民に尊敬されるのは日本人の序列メンタリティによる得点ですね。これは我が国民の島国根性の根源によるものですね。贔屓の引き倒しでしょうね。   

 

 

 

 

 

 

 

 


自己肯定感  

2025-01-10 16:52:57 | 文化

>プレジデントオンライン   >このままでは「第二の大谷翔平」は現われない欧州移住でわかった「自己肯定感の低い日本人」が量産されるワケ   >谷口たかひさの意見・   >5時間・   

>なぜ生きづらさを感じてしまうのか。   

>『自分に嫌われない生き方』(KADOKAWA)を書いた谷口たかひささんは「日本は『義務』を教えがちで、自分を縛り付けることにつながっている。   

>ヨーロッパのように“やっていい”という考え方が大事だ」という――。   

 

そうですね。  

 

>(第1回)   

>日本は「義務」を教えるが、「権利」は教えない   

 

そうですね。日本人には意思がない。だから意思の自由にも意味がない。自由であること権利にも価値がない。      

 

>私は環境活動家として100カ国以上を訪ねているのですが、ヨーロッパのある教育機関を訪問したときに、「日本では、義務は教えるが、権利は教えない」と教えてもらいました。   

>初めてこの言葉を聞いたとき、雷に打たれたような気持ちになりました。   

 

良い言葉を聞きましたね。彼らは日本人を良く観察していますね。  

 

>それまでに自分が感じていた疑問のほとんどが、この言葉に集約されている気さえしました。   

>今でも、自分の人生で聞いた言葉の中で、自分に影響を与えた言葉ベスト5に入っています。   

>①「やらないといけないこと」   

>②「やってはいけないこと」   

>日本では、物心ついてからというもの、家庭でも、学校でも、社会でも、この2つ(①あーしなさい! ②あれはダメ!)ばかりを人から言われ続けるといいます。   

>そうすると、その人の脳は「義務脳」という頭の半分が「やらないといけないこと」で、残りの半分も「やってはいけないこと」でいっぱいいっぱいになり、とても生きづらくなるそうです。   

 

日本人には意思がない。だから、ゴーストップしか意味なない。自発がなくて大人しい。      

 

>いわば、「減点方式」。   

>こども家庭庁の「国別の自己肯定感」によれば、日本の自己肯定感は、諸外国に比べて低いという調査結果が出ていますが、これが大きな要因であることは間違いないかと。

 

そうでしょうね。   

 

>一方でヨーロッパは、「権利」、「やっていい(やらなくてもいい)」ということをとても大切にするといいます。   

>あなたの人生はあなたのものです。   

>義務を果たすために生きているロボットではないのだから。   

>いわば、「加点方式」。   

 

日本人には意思がない。しかし恣意 (私意・我儘・身勝手) はある。だが恣意の自由は認められない。恣意の自由は自由の履きちがえとなる。だから、日本人の生活は不自由を常と思えば不足なしになってしまう。   

 

>自分は「やりたい」のか、「やりたくない」のか   

 

>日本には、「義務」で自分のことを縛りつけて生きていく人がとても多いように思えます。   

>そうではなくて、自分の「自由」と「権利」を尊重し、他の人ともお互いの「自由」と「権利」を尊重し合い、ありたい自分であろうとすることが大切かと。   

>そんな人が自分から増えていったときに、自分も周りもとても明るく楽しくなると思います。   

 

そうですね。しかし日本人には意思がない。意思は未来時制の構文で、日本語文法には時制 (tense) というものが無い。だから日本語による意思の内容は表現できない。      

 

>また何かに取り組むときも、「やらないといけない」と自分に言い聞かせ、義務で取り組む人がいます。   

>私は、これはしないようにしています。   

>必ず、しんどくなるから。   

>それに極論、「しなくてもいい」と思っています。   

>自分にムリヤリにでも何かをさせることができるのは究極、自分自身以外にはいません。   

>だから誰に何と言われようとも、「やらない」という選択肢はいつでも残されているのです。   

>それよりも大切なのは、自分は「やりたい」のか、「やりたくない」のか──。   

>私は社会問題と呼ばれるものに取り組み続けていますが、「やらないといけない」と思ってやっているわけではありません。   

>自分が「やりたい」からやっているのです。   

>他の誰でもなく、「あくまで自分で選んだ道である」ということを、自分で潔く認めることが大切だと思うのです。   

 

そうですね。考えの内容は人人により違っていますからね。   

 

>“自分で選んだ”と認められる人は成長できる   

>そういう意味でいうと、自分の仕事やパートナーのことも絶対に悪く言わないと固く心に決めています。   

>仕事もパートナーも、「選んだ」のはまぎれもなく自分自身。   

>それ以外にも、自分が今いる場所は、これまでの自分が行ってきた選択の結果。   

>それらを悪く言うことは、自分自身の選択を否定していることになると思うからです。   

>それはあまりカッコいいことだとは思いません。   

>それに、自分が選んだと認めると、他にも良いことがあります。   

>生きていれば、良いときも良くないときもあります。   

>良くないとき、自分で選んだと認められない人は、人のせいにしがちです。   

>それは結局、自分も周りもキズつけていきます。   

 

そうですね。   

 

>しかし、自分で選んだと認めている人は、スッキリしていて立ち直るのも早い上、成長に繋げることができるのです。   

>「自分が選んだ道だから」「自分がやりたくてやっていることなのだから」というふうに。   

>問題に取り組む「義務」があるのではなく、問題に取り組む「権利」がある。   

>もし「権利」がなければ、問題を知っても、取り組むことさえできないわけです。   

>これほどツラいこともないと思います。   

>だけど「権利」があるから、取り組むことができます。   

>何事にもできるだけ、「やらないといけない(人にやらされている)」ではなく、「やりたい(自分で選んだ)」で取り組む。   

>そう考えられると、とても素敵だと思います。   

>それは未来を自分が望む方向に近づけていい、ということですから。   

 

そうですね。自分が望む方向は未来時制の内容ですね。   

 

>好きに生きていい。

あなたにはその「自由」と「権利」があります。   

 

そうですね。しかし意思がなければ、自由にも権利にも意味がない。  

 

>人は「自由」と「権利」さえあれば、幸せになる力を持っています。   

>「感情」「可能性」にフタをしないほうがいい   

>「ノミの話」というものがあります。   

>ノミは地球上で最も高く跳べる生き物(体長比)。   

>しかし、コップに閉じ込めてフタを閉めると、フタで頭をぶつけてしまいます。   

>問題は、その後、フタを取ってコップから出ても、そのコップに入る前とは違い、フタを閉められていた高さまでしか跳ばなくなることです。    

>①あーしなさい! こーしなさい!(コップ)   

>②あれはダメ! これはダメ!(フタ)   

>この2つで縛り続けられた結果、起きる「義務脳」がまさに跳べなくなってしまった状態です。   

>自分の感情にも可能性にも見えないフタをして生きるようになります。   

>あなたが「できるわけがない」「やってはいけない」と決めつけてしまう理由は、そういった呪いの言葉や嘲笑によって、フタをされてきたからかもしれません。   

>「義務」だけを教わり続け、「自由」と「権利」について教わってこなかったからかもしれません。   

 

恣意の人間に対する義務はあっても、自由と権利はありませんね。   

 

>良いニュースとしては、この「ノミの話」には続きがあります。   

>フタを閉められた高さまでしか跳ばなくなったノミでも、のびのびと跳んでいるノミと一緒にいるようになれば、「あれでいいんだ」と、また自分自身も再び跳ぶようになるのです。   

>“自分を信じて挑戦し続けている人”と過ごす   

>もしもあなたが、自分は跳べないと感じていて、それでも跳びたいと思っているなら、のびのびと跳んでいる人を見つけて、その人と時間を過ごすようにしましょう。   

>そこで大切なのは、嫉妬ではなく、尊敬の気持ちを持ちましょう。   

>嫉妬は相手を自分の低さに下げ、尊敬は自分を相手の高さに上げようとすることですから。   

>反対に呪いの言葉をかけてきたり、あなたの夢を笑ったり、その人都合の義務を押し付けてくる人からは、距離を置くようにしましょう。   

>自分を信じて挑戦し続けている人と時間を過ごすようにしましょう。   

>そして、あなただけでもあなたのことを信じてあげましょう。   

>あなたができない唯一の理由は、あなたができないと決めつけていることなのだから。   

 

そうですね。’成らぬは人の為さぬなりけり’ ですね。   

 

>アメリカのメジャーリーグでプレイする日本人、大谷翔平選手。   

>投手としても打者としても大活躍するという、マンガでしかありえなかったようなことを体現している人ですが、その大谷翔平選手の高校時代からの「座右の銘」は、「先入観は可能を不可能にする」です。    

>自己肯定感が低いまま生きるのは「健康に害」   

>子育てや学校教育において、最も重要視されるべきものの1つが、「自己肯定感(自尊感情)」でしょう。   

>この言葉は「自分で決めることができて、自分のその決定を自分で尊重できること」と定義されています。   

>先にも書いた通り、日本人は諸外国に比べてこの自己肯定感が低いという調査結果が出ています。   

>日本では「流行り」のように扱われることもあるこの「自己肯定感」ですが、他の国では盤石な地位を築いています。   

>例えば、イギリスがその国家予算の多くを投じる「NHS(国民保健サービス)」の公式ホームページにはこうあります。   

>“もしあなたの自己肯定感が低ければ、あなたは人付き合いを避けるようになり、新しいことや難しそうなことに、チャレンジすることをやめるようになります。   

>それは短期的には安全を感じられるかもしれませんが、長期的には逆のことが起こり、あなたの心の奥底にある疑いの心や、恐怖を増幅していくのです。   

>低い自己肯定感のまま生きることは、あなたのメンタルヘルス(精神的な健康)に害であり、不安やうつ等に繋がりえます。”   

>国家予算の多くが使われているイギリスの国民保健サービスが、低い自己肯定感のまま生きることは健康に害であると、だから高めようと推奨しているわけです。

>「自己肯定感を高めること」に注力したほうがいい   

>以前講演に呼んでもらった中学校では、校長先生が自己肯定感を何よりも大切に考えているとおっしゃっていました。   

>実際にその学校の子どもたちは、とても生き生きとしていて嬉しくなりました。   

>全国を周っていると、そんな学校も増えてきているように感じます。   

>私はよく、自分の身に起きること=天候に、自己肯定感=家にたとえます。   

>雨が降ろうが風が吹こうが、雷が落ちようが地震が起きようが、家が頑丈であれば平気なわけです。   

>反対に、家がボロボロであれば、少し悪天候になっただけでひとたまりもありません。   

>有名な絵本『三匹のこぶた』もそうでしたね。   

>多くの人はこの「天候」のほうを、悪くならないように願ったり、コントロールしようとしたりするんですが、そんなことは不可能です。   

>自分の人生に何が起きるかをコントロールできないように。   

>お願いなんて、てるてる坊主ぐらいの効き目しかありません。   

>生きていれば、天候が良い日もあれば悪い日もあるのはあたりまえのことです。   

>ただ、天候を操ることは不可能でも、家を頑丈にすることは可能なんですね。   

>自分がコントロールできないものに注ぐ時間とエネルギーがあるなら、自分がコントロールできるものにひたすら注ぎましょう。    

>頑丈な家は、ローマと同じように一日にして成るものではありませんが、地道に取り組めば必ずつくれるものです。   

>一生モノの、ビクともしない家をつくりましょう。   

>自分だけではなく、自分の大切な人も招き入れて守ってあげられるような、強くてあたたかい家(=自己肯定感)を。   

>参考文献   

>・「令和5年度 我が国と諸外国のこどもと若者の意識に関する調査」   

>・「National Health Service(国民保健サービス)」   

---------- 谷口 たかひさ(たにぐち・たかひさ) 環境活動家・実業家・作家 1988年大阪生まれ。   

10代で起業し、イギリスへ留学。   

>卒業後、アフリカのギニアで学校設立に携わり、メガバンク/MA/メディアのコンサルタント、グローバルIT企業の取締役を経験した後、ドイツへ移住し、起業。   

2019年、ドイツで気候危機の深刻さを目の当たりにし、現在も気候危機に関する講演を続けている。   

 

 

 

 

 

 

 

 

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