(略)
>■日本人は自然災害と共生してきた
> これに対して、日本では多くの地域に住むスズメバチでさえも、死を招く可能性がある。>スズメバチによる刺し傷は、猛烈に痛い。>同様に、全国のあちこちの海にいるクラゲは悲惨な痛みを与えることができ、時には一部のヘビと同様に、刺された人を入院させてしまうことさえある。>そして、田舎で遭遇するホラー映画から出てきたような巨大な有毒ムカデ(トビズムカデ)を忘れてはいけない。>長さ30cmまで成長し、かまれると激しい痛みや悪寒、発熱などを引き起こす。> 日本は自然災害も頻繁に起こる。>巨大地震や津波、地滑り、台風、火山、そして洪水――。>もちろん、こうした自然災害は世界各国で起こっているが、日本はまさにこうした災害と「共生している」といえる国だ。
そうですね。’天災は忘れたころに来る’ ではありませんね。
>2011年に東北地方で起こった東日本大震災は、世界で記録された中でも最も大きな地震のひとつであり、世界で最も洗練された耐震対策を誇っている日本でも、約1万6000人の死者、2500人以上の行方不明者を出した。>1923年の関東大震災では、震災、火事、火災旋風などでも14万人以上が死亡した。>2016年の熊本地震も、2017年の九州の大雨に起因する激しい洪水も、街を破壊し、多くの人の命を奪った。>日本はつねに、こうした大きな自然災害と歩んできた国なのである。
そうですね。
>そう考えると、日本ではなぜ自然が、恐怖、あるいは、畏怖の念を持たれているのか理解できる。
そうですね。自然は、日本人が抵抗できるような相手でありませんね。
>欧米にある多くの国と異なり、自然災害という面においては、日本は本当に危険なところなのである。
そうですね。’地震・雷鳴・火事・親父’ でね。
>もちろん、日本人が自然にある種の恐怖感を抱いているからといって、日本人が自然との深い結び付きを感じていないとか、敬意を表していないということではない。>自然は恐ろしいものかもしれないが、同時に日本人にとって大事なものであることは間違いない。
そうですね。自然は恐ろしいものではありますが、なれ合うことも必要ですね。
>それは、前述のとおり、自然が日本の芸術やライフスタイル、文化、信念などにしみこんでいることを考えれば明らかである。
それは、日本人のメンタリティ (考え方) に依存していますね。
.>■日本人の自然への考え方は尊敬されている
>こうした日本人独自の自然に対する考え方や概念は、欧米人のそれとはだいぶ違うが、最近は少しずつ広がり始めている。
そういうこともあるでしょうかね。
>自国文化と違うからと言って敬遠されるのではなく、日本的な考え方はむしろ尊敬されているのである。
日本的な考え方は、現実を直視した考え方ではありませんからね。いうなれば、忖度 (推察) ですね。忖度は、自分勝手の内容です。現実直視がなされていません。そのことを批判すると、だって、本当にそう思っていたのだから仕方がないではないかと、言い返えされます。だから、議論にはならない。歌詠みになる。個人の感性に立脚しているので、わが国はブランド・ネームのある社会になっています。これが、中国人の社会と違うところです。
‘全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。’ というだけでは、理解のできないものがあります。論理のない非言語の世界です。
>たとえば、日本庭園や日本の美術、文学、インテリアデザインは世界中にファンが多くいるし、神道や禅といった宗教に基づいた自然を尊重する姿勢や、自然に関連している武道の考え方は、外国では大変興味深いと思われている。
非言語の世界は、大変興味が深いですね。以心伝心・不立文字でしょう。
> 私自身は、自然は美しいものという感覚を子どものころから持っていたが、日本に来るまで自然というコンセプトをしっかりと熟考する機会はなかった。>日本という独特の文化はその機会を与えてくれた。
日本人もオレゴンに行ったら、自然を考え直す機会を得ることができかもしれませんね。
> 「整った自然」は、自然とつながりながら季節の変化を楽しむ最も安全な方法だろう。>だからこそ、風景式庭園、盆栽、生け花、季節の花(桜や梅など)が重要なのだ。>これは日本独自のものであり、凄まじい迫力を有する自然に対する深い敬意を表しているものと感じる。
整った自然は、日本人が自然の中に共存する方法でしょうね。日本人には、世界観がない。だから、この世の ‘あるべき姿’ の内容を考えたことは無い。日本人は、常に自然を受け入れて補修・修復のみに力を尽くしています。
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