>よろず~ニュース >堀江貴文氏、制服無償化の動きに「制服をやめるって発想にはならんのかな」 必要の声に「だからどうした」 >よろず~ニュースによるストーリー・ >6時間・
>実業家の〝ホリエモン〟こと堀江貴文氏が5日、自身のX(旧ツイッター)を更新。
>中学校の制服無償化の動きに対して、〝そもそも論〟として制服自体を「やめる」動きにならないのかと指摘した。
日本人は没個性 (制服) が好きでしょうね。
>堀江氏は、東京都品川区が2026年度の新入生からを対象に、所得制限を設けず、区立中学校の制服を無償化することが分かったという報道を引用し、「制服をやめるって発想にはならんのかな」とポストした。
やめたら良いですね。
>さらに、堀江氏は、Xユーザーからの「制服を止めたら毎日ファッションショーの子供もいればそうでない数着のお子様もいるかと?」という意見に対し、「だからどうした。
> 世の中には制服のない学校もたくさんあるだろ。」と反論した。
>堀江氏の投稿に対し、フォロワーからは「私服は私服で制服よりお金かかるんすよ」「制服着ておけば良いから楽だった」「制服だと見た目、貧富の差が出ませんから制服には賛成です」「制服は高いけど、親としてはありがたい部分もあります」などと〝制服支持派〟からの意見も続いた。
貧富に差が出ないように、子供は制服、大人は人民服というのも一案ですね。
>(よろず~ニュース編集部)
日本人の記事は実況放送・現状報告の内容ばかりで、読者のためになる所が少ない。‘それでどうした、それがどうした’の問いに答えを出せる人が必要である。我々は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。自己の見解を示せば学位 (博士号など) が得られる。自己の見解を含まない発言には価値が少ない。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく: 世の人を教え導く人) が必要である。そうでなければわが国は迷走し続けて、いつまでたっても何処にも到達しない。だから、若者にも夢と希望が無い。
イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。
何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
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