>誓ってもいいが、どんな仕事であっても「成果」を自ら設定して、それを自分のコントロールによって成しえたときには、楽しくなる。>売り上げを目標とすれば、商品の良さに左右されるし、業務スピードを目標とすれば、自分以外の業務のスピードも問題になるだろう。
そういう事もありますね。しかし各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy. 無哲学・能天気ではいられませんね。
>だから、まずは「自分で何とかできる範囲」でやれること、その中で自分自身で「これだけは達成しよう」と設定することで、仕事はがぜん面白くなる。>ゲーム性が増し、期せずしてやりがいを感じられるシーンも増える。>そうして頑張って、何にも成果が出ないときは、仕事を変えてもいいと思う。 >向いていないことだって、世の中には多いのだ。
そうですね。適材適所で行くのが良いですね。
>でも、もし自分の思い通りに成果が出せることが増えてくれば、少しずつ、自分以外のことにも目を向けられるかもしれない。>頑固な上司をどうしたら動かせるか、わがままなクライアントをどうしたら説得できるか。>そういう「攻略要素」が仕事をもっと面白くする。>それこそ「やりがい」の本質と言ってもよいかもしれない。
多くの人にとって仕事は単に金を得る為の手段ですね。
非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。
世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。
自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。
意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' 対 '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。日本人の場合はこれである。非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。日本人がともすれば異口同音の内容を語るのはこのためである。
わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、日本人は個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)
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