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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

日本の15歳  

2024-05-01 17:43:01 | 文化

>現代ビジネス   >じつは「日本の15歳」は世界でもトップクラスに、なぜか「数学ができる」のに、なぜか「数学に自信がない」 最近のPISAの結果から見えて来た意外な実態  >飯田一史の意見・   >1日・   

OECD加盟国および参加を希望した国・地域の15歳を対象に3年に1度行われる、学力到達度調査PISAの最新2022年度の結果を分析した、国立教育政策研究所編『生きるための知識と技能 OECD生徒の学習到達度調査(PISA)2022年調査国際結果報告書』(明石書店、2024年)が刊行された。   

PISAは日本の順位やスコアが低かったり下がったりした時にだけメディアで大騒ぎされるが、2022年度は数学的リテラシー、読解リテラシー、科学的リテラシーのいずれも国際的に見てトップクラスの好成績を収めたためにあまり注目されなかった。   

>しかし同書の分析を見ると、OECD平均と比較した場合の、日本の15歳の非常に興味深い特徴が見えてくる。   

>数学の順位と国際比較&経年比較と日本の教育のレジリエンスの高さ   

PISAの特徴は、今の、そしてこれからの社会において必要な能力を測定することにある。   

>だから2015年からはコンピュータを用いた調査が一部導入され、2018年からは全面的に導入された。   

>今の時代に紙のテキストと手書きで現地に赴いて行うオフィスワークや公共施設での手続きなど少なく(日本は例外的にそれが多い国だが……)、普通はPCかスマホを使ってオンラインで行う作業の方が多いのだから、当然である。   

>たとえば数学的リテラシーの調査ではExcelのような表計算ソフトを使って計算したり、割合の変化の増減を比較したりする問題が出題されたり、読解リテラシーの調査では複数のデジタル資料を読みこなして回答するような問題が出題されたりしている。   

>まずPISA2022に参加したOECD加盟37カ国と非加盟44カ国・地域の中での日本の順位を見ておこう。   

>数学的リテラシーは全参加国・地域中5番目に高い。   

>ただし平均得点には標準誤差が含まれるため、統計的に考えられる日本の順位は参加国全体では3位~6位の間、OECD加盟国中では1位から2位の間である。   

2018年調査と2022年を比較するとOECD平均では平均得点が1516ポイント低くなっている。   

>一方で、日本は9ポイントプラスだ。   

2018年から2022年にどうしてOECD平均では大幅に減少したのかといえば、コロナ禍における学習環境の激変である。   

>日本はコロナ禍での「数学の成績」「教育の公平性」「教育におけるウェルビーイング」、この3つの側面でのレジリエンス(立ち直り)に関してすべてを満たす国・地域に該当する(なぜ「数学」の成績が項目として立っているかというと、PISAは毎回、数学、読解、科学のいずれかを重点的に調査しており、2022は数学の回だったからである)。   

>同様にコロナでも教育のレジリエンスが3側面すべてを満たした国・地域は、ほかには韓国、リトアニア、台湾のみである。   

>日本国内では2020年には突然に一斉休校となり、リモート授業、オンライン学習の不備に関してさんざん叩かれたが、国際的に見ると例外的に良かった部類に入っている。   

>北米ではコロナ禍明けでも学校に戻れない子どもが多いことも報告されている(もっとも、コロナと関係なく日本では不登校の児童・生徒の数は増え続けているが、不登校の15歳はPISAを受験していないことは差し引いてスコアや順位を捉える必要がある)。   

>読解リテラシーと科学的リテラシー   

>話を戻す。   

>続いて「読解リテラシー」は、日本の得点は全参加国・地域中3位。   

>統計的に考えられる順位では参加国全体で2位から11位の間、OECD加盟国中では1位から6位の間だ。   

>日本は2018年から2022年で見るとレベル2未満の生徒の割合が統計的に有意に減少した。   

>しかし2012年から2022年の変化を見るとレベル2未満の生徒の割合は増加し、レベル5以上の割合は減少している。   

OECD平均では2022年の平均得点は2018年から1011ポイント低くなったが、日本は得点が12ポイント高くなっている。   

>出題形式別に見ると「選択肢」71.9%、「複合的選択肢」57.3%、「求答」64.7%、「自由記述」56.3%。   

>「科学的リテラシー」の平均得点は全参加国中では日本はシンガポールに次いで2位、統計的に考えられる順位は2位~5位の間であり、OECD加盟国の中では標準誤差を考慮しても1位だ。   

2018年から2022年の変化を見ると日本はレベル2未満の生徒の割合が統計的に有意に減少し、レベル5以上の割合が増加。   

2012年から2022年の間の変化を見ると統計的な有意差はない。   

>また、日本は2022年に2018年と比べて17ポイント得点が高くなった一方で、OECD平均は23ポイント低くなっている。    

>出題形式別に平均正答率を見ると「選択肢」70.0%、「複合的選択肢」63.2%、「求答」65.4%、「自由記述」48.2%とやはり自由記述が低い。   

>無答率の割合が高い問題はいずれも自由記述だった。   

>大学入試に記述式を導入しようと文科省が動いてはメディアや教育関係者にぶっ叩かれているが、PISAでは以前から日本の子どもが記述式が不得手であることがわかっており、カリキュラムや入試制度改革の背景のひとつにこの課題があることはもう少し知られてもいい。   

 

そうですね。   

 

>学校に対しては国際的に見ても高評価だが、自分の能力に関しては自信がない   

PISAでは毎回アンケートも実施しているが、これも興味深い。   

>たとえば数学の授業における教師の支援に関するアンケートに対する肯定的な回答の割合を見ると   

>「先生は、生徒ひとりひとりの学習に関心を持っている」日本74.3%、OECD平均63.3%   

>「生徒が助けてほしいときは、先生は助けてくれる」日本83.6%、OECD平均70.2%   

>「先生は、生徒の学習を助けてくれる」日本85.3%、OECD平均71.7%   

>「先生は、生徒がわかるまで何度でも教えてくれる」日本78.8%、OECD平均63.6%   

>と教師への評価が高い。   

>また、生徒の学校への所属感に関するアンケート調査では、日本は平均値ではOECD加盟国中6番目に値が大きかった。   

 

我が国は序列社会ですから自己の学校 (序列) への帰属意識は強くなりますね。  

 

>つまり肯定的な反応が多かった。

>「学校ではよそ者だ(またはのけ者にされている)と感じる」「学校ではすぐに友達ができる」「学校の一員だと感じている」「学校は気後れして居心地が悪い」「他の生徒たちは私をよく思ってくれている」「学校にいると、さみしい」のどの項目でも、日本は他国より学校への所属感がポジティブな回答の割合が多い。   

 

そうでしょうね。   

 

>経年比較で見ても、より肯定的な評価の割合が増えている傾向にある。   

>ところが「次のような数学の問題を解くことにどのくらい自信がありますか」と数学の課題に対する自己効力感に関する9つの項目について「とても自信がある」「自信がある」「自信がない」「全然自信がない」から選んでもらうと、日本はOECD平均を下回っており、自信がない生徒が多い。   

>実際には国際的にはトップクラスの成績なのに、である。   

>子どもたちが教師や学校を評価するだけでなく、自分自身を肯定的に捉えるような教育をした方がいいのではないだろうか。   

 

そうですね。我が国の伝統的な鍛え方は 下におれ、下におれですからね。立つ瀬なし。      

 

>日本の子どものICT利用は低い、が……   

>また、教科ごとでのICTの利用頻度を見ると「社会と情報」の授業を除く国語、数学、理科で日本はOECD平均より低く、ICTを用いた探究型の教育(文章を書く、オンラインで調べる、データを集めて記録する、など)の頻度も日本はすべての項目で日本はOECD平均より低い。   

>平日の余暇活動におけるICT利用に関しても「13時間以上利用している」割合を項目別に見ても、デジタルゲーム、SNS閲覧、SNS以外のインターネット閲覧、実用的な情報をインターネット上で探す、何かのやり方を学ぶために、情報を読んだり、訊いたり、見たりする、デジタルコンテンツの制作・編集のいずれでも日本はOECD平均より少ない。   

>授業でもプライベートでも日本の子どものICT利用は活発ではない。   

>しかし13時間以上もやる必要が果たしてあるのか? とも思うし、PISAのスコア・順位は高いのだからOECD平均並みに学校で用いることが果たして必要なのか? とも感じる。   

>ともあれ、いずれにしても15歳段階では日本の子どもの教育水準は国際的に見て高いのは疑いようのない事実である。   

>産業界を中心になんでもかんでも教育のせいにする風潮があるし、保護者も学校現場も大学の先生もメディアもみんな口を開けば文科省批判をしがちだが、もう少し客観的に実態を把握した上で日本の初等・中等教育に対して提言したほうが、生産的な話になるだろう。   

 

そうですね。マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。      

() しかしいったん、大学に入れば、控えめに表現しても、成績と出席の基準はたるんでいる。大学を含め、日本の子供たちが習うものごとの中核は、主として十八歳までに吸収される。’ (フランク・ギブニー)    

 

英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。思春期の到来とともに発達する言語能力を待ってこの教育は行われる。英文法の中の時制 (tense) を活用して非現実の内容を文章に表現する訓練である。子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。英米流の高等教育は子供から大人に変わる人間に哲学を獲得させようとする仕組みである。すると浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。だからどこの国でも英語の高等教育に力を入れることになる。

哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。日本語は現実の内容だけを表す言語である。日本式の判断だと、見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。だから現実の言葉 (日本語) を話す人が非現実を語る学習をすると常に失敗する。嘘(きれいごと) ばかりを語っては学習に力が入らない。だから思考停止になっている。日本人は相変わらず無哲学・能天気の民となっている。わが国は英米流の高等教育の導入に失敗した。何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する者はいない。  

今の地球はアングロ・サクソンの支配体制にある。哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっている。これらは高等教育の賜物である。

当の日本人の若者はいまなお国内の序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。難関出身者が序列社会で優位に立つ話ばかりで持切りである。注意力不足で井の中の蛙になっている。国際取引で印欧語族の知識人を相手にして苦戦を強いられることになる。   

 

現実は只ひとつ。それに比べて、非現実 (考え) は無数ある。論文の内容は一人一人違っている。考えは人人により違うからである。矛盾を含まない文章は全て正しい考えを示している。内容の違いは個性の表れである。それで個性豊かな社会が形成される。         

序列競争は没個性でなくてはならない。異次元の戦いであっては競争に不公平が起きるからである。学生は他人の受売りとその後追いで受験戦争に備える。同次元で序列を激しく争う結果、金太郎飴のような同じ顔をした若者が続々と輩出される。序列には色がない。だから没個性の社会が形成される。           

だがしかし、細い序列の階段を昇り詰めることを人生の成功と考えない方が良いですね。成功の道は多岐にわたると考えるべきですね。       

トットちゃん (黒柳徹子氏) のように小さい時から自分の好きなことだけをやっていれば、仕事に興味津々で神経は集中して能率は上がるし、それ相当の自己実現が期待できますね。その上、個性豊かな社会が形成されます。 

 

 

 

 

 

 


あまりにも頑迷  

2024-05-01 14:01:04 | 文化

NEWSポストセブン   >【逆説の日本史・特別編】井沢元彦が映画『オッペンハイマー』を考える 「原爆投下が多くの人間の命を救った」という主張は無視して良い「言い訳」か?      NEWSポストセブンによるストーリー・   >1日   

 (

>アメリカが主張する原爆投下を正当化する最大の論理は、「日本はあまりにも頑迷で他の国なら当然降伏するようなところまで追い詰められてもまだ戦おうとしていた。   

>戦争を終わらせるためには、原爆投下はやむを得なかった」というものだろう。   

>この論理には「原爆投下によって戦争は終わり、アメリカ兵のみならず多くの日本人の命も救った」という主張が続く。   

>問題は、この主張を「言い訳」だとか「正当化」だと、完全に無視していいものだろうか、ということだろう。

> それは、歴史の分析として妥当では無いと私は思う。   

>以下その理由を述べよう。   

> 原爆投下に至る一九四五年(昭和20)、事実上の日本領だったサイパン、テニアンなど南太平洋の島々がすべてアメリカ軍に奪取されたことによって、戦略爆撃機B-29による日本本土の定期的爆撃が可能になった。   

>アメリカ本土あるいはハワイ州からでは必要航続距離が長すぎて不可能だったのが、可能になったのだ。   

>そして同年三月十日の東京大空襲では、下町つまり民間人居住区に多数の焼夷弾が投下され、十万人以上の日本人が死んだ、いや殺された。   

>しかも、この死者数はあらかじめ計算されていた。   

> 古くは明暦の大火、近代に入ってからも関東大震災による大火によって膨大な犠牲者を出したのが東京(江戸)という都市であり、最近の研究ではあきらかにアメリカ軍はこのことを予測していたという。   

>単なる爆弾では無く焼夷弾を使用したのがその証拠だ。   

>つまり、これも「一秒」ならぬ「一夜のホロコースト」であり、まさに「人道に対する犯罪」であろう。   

> ここでアメリカ軍、いやアメリカ国家の視点に立ってみると、「もうそろそろ日本は降伏するだろう」と考えたに違いない。   

>首都のみならず大阪、名古屋など主要な都市は焼け野原になり、しかも「南洋諸島」の占領によってアメリカは日本をいくらでも空襲できる体制を確立した。   

>欧米社会の常識なら、これで戦争は終わるはずなのである。   

> しかし、日本はそのような事態になっても降伏など夢にも考えていなかった。   

>なぜそうだったのか?    

>この『逆説の日本史』の愛読者はよくご存じだろう。   

>日本民族は「犠牲者の死を決して無駄にしてはならない」という古くからの怨霊信仰に基づく英霊信仰の国で、いまでこそ先の大戦で三百万人が犠牲になったから「その死を無駄にしてはならないから平和憲法を守らねばならない」と声高に叫んでいるが、戦前はまったく同じ信仰に基づく「日露戦争で戦死した十万の英霊の死を無駄にしてはならない」という信仰が国民を縛りつけ、一切異論を許さなかった。   

> 朝日新聞も毎日新聞も、いや日本のすべての新聞がその信仰を支持し、結果において戦争を煽りに煽った。   

>「過ぎし日露の戦ひに 勇士の骨をうづめたる忠霊塔を仰ぎ見よ」で始まる朝日新聞の公募によって作られた『満洲行進曲』は、「東洋平和のためならば 我等がいのち捨つるとも なにか惜しまん 日本の 生命線はここにあり 九千万のはらからとともに守らん満洲を」(作詞の大江素天は、当時朝日新聞の現役記者)と歌い上げ、「英米の圧力に負けて満洲を放棄することは、十万の英霊の死を無駄にすることになる」という、陸軍も望んだ「国民精神」を確固たるものにしてしまった。   

> 洋風のドレスを着てアメリカのジャズを歌い続けた歌手淡谷のり子が「非国民」にされてしまうという状況下で、「もうダメだ。   

>降伏しよう」などと言い出せば、誇張では無く殺されてしまう。   

>だからこそ、沖縄でアメリカ軍を阻止しようという無謀な作戦「沖縄戦」も決行された。   

>〈おきなわ-せん〔おきなは-〕【沖縄戦】   

>第二次大戦末期、沖縄本島およびその周辺で行われた日米の激戦。   

>昭和20年(19454月の米軍上陸から約3か月にわたる軍民混在の激しい地上戦のなか、集団自決強制、日本軍による住民虐殺なども起こり、県民約10万人が犠牲となった。〉    

>(『デジタル大辞泉』小学館)   

> この作戦でもっとも重大なことは、民間人が戦わされたということである。   

>だからこそ本来戦争で戦う必要の無い普通の県民が十万人も犠牲になったのである。   

>国際法の常識から言えば、戦争は軍人の仕事で民間人は非戦闘員だから死ななくてもいいはずなのである。   

>しかし、実際には女学生まで看護要員に動員され多くが犠牲となった。   

>「ひめゆり学徒隊」の悲劇である。   

> この沖縄戦は民間人を無理やり戦争に動員したもので、国際法違反というか国際常識に反することは間違い無い。   

>だからこそ戦争末期に戦場で父を失った政治家古賀誠自民党元幹事長は、かつて中日新聞のインタビューに対して次のように述べた。   

>〈「先の四年間の戦争で三百万人が犠牲になったが、大半が最後の一年間で亡くなった。   

>(中略)私の父もだ。   

>まさに政治の貧困。   

>あそこでやめていれば原爆も東京大空襲も沖縄戦もない」〉   

>(『中日新聞』2019812日付朝刊)   

> 古賀のこの言葉は、以前『逆説の日本史 25 明治風雲編』でも紹介したが、つまり人類の常識で考えれば「最後の一年間」はやるべきでは無かった、ということなのである。   

>その分析はまったく正しい。   

>ただし、申し訳無いが、その原因は「政治の貧困」というよりは「信仰」の問題だ。   

>もし政治の貧困が原因ならば、「オレは戦争なんかしたくない」という不満分子が必ず反乱を起こすはずである。   

>人間誰だって死ぬのは嫌だからだ。   

> しかし、実際には女学生に至るまで戦闘に参加し逃亡する人間などほとんどいなかった。   

>だからこそ陸軍は本土決戦を考えていた。   

>長野県の松代に大防空壕を掘って天皇を動座し、大本営を作る計画が進んでいた。   

>「三船敏郎版」でも「役所広司版」でもいいが、映画『日本のいちばん長い日』を観た方なら、原爆が広島そして長崎に立て続けに二発も落とされた段階でも、昭和天皇の玉音放送を阻止し戦争を続けようとしていた陸軍将校たちが少なからず存在したのをご存じだろう。   

> もちろん、あれは実話である。   

>注意すべきは、軍隊の総司令官である昭和天皇が「降伏する」と言っているにもかかわらず、彼らはその意向を無視しようとしたことである。   

>天皇絶対なら、それはあり得ないことではないか。   

 

そうですね。   

 

>そうでは無くて、「十万の英霊の死を無駄にしない」ことが現実の天皇の命令より優先するのである。   

 

無駄にしない方法があるのでしょうかね。     

 

>それが日本だ。

>「ジャップは人間では無い」   

> こうした日本の現状を、アメリカは正確に把握していた。   

>原爆投下以前の話に戻るが、このままでは必ず日本は本土決戦を実行するだろう、ということである。   

>もし昭和天皇の聖断が無く、日本が本土決戦に突入していたらどうなっていたか?    

>沖縄一県だけで民間人十万人が犠牲になったのである。   

>日本には他に都道府県が四十六もある、単純計算はできないまでも、アメリカ兵のみならずきわめて多くの日本の民間人が犠牲になったことは間違いあるまい。   

> 俗に「盗人にも三分の理」というが、アメリカ側の「原爆投下によって戦争は終わり、アメリカ兵のみならず(本土決戦が実行されていたら死んだはずの)多くの日本人の命をも救った」という主張は、一理も二理もあるものなのである。   

 

そうですね。

好きで 好きで大好きで 死ぬほど好きな戦でも 原爆投下にゃ勝てはせぬ 泣いて崩れた敗戦日。 

残念ながらわが国の原爆開発はアメリカに後れをとった。しかし本土決戦と一億総玉砕は避けることができた。めでたし めでたし。    

太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も早々と投降して、75000人以上の将兵の命を救った。

太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるして、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。

日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はなかったのか。

人の命はどのように考えられていたのか。 ‘命 (ヌチ) どぅ宝’(何をおいても命こそが大切である。)ではなかったのか。  

‘封建国家で最も安価な資源は人命だが、我々にとっては、最もかけがえのないのは国民だ’(ウクライナ軍のワレリー・ザルジニー総司令官)   

 

> もちろん、念のため繰り返すが、どんな理屈も「一秒間のホロコースト」を正当化はしない。   

>それは非戦闘員の大虐殺だからだ。   

>しかし、戦争をやっていたのだからアメリカが広島、長崎という都市では無く、無人地区とか軍事施設である基地や軍港に原爆投下したのなら、日本は文句を言える立場には無いということだ。   

>「核兵器は廃絶すべきだ」という理想は「投じてみて初めてわかった現実」であって、当事者にはわからない。   

> ここで映画『オッペンハイマー』に戻ると、それは実在の人物である原爆開発者ロバート・オッペンハイマー博士の生涯をたどることにもなるのだが、まず彼が原爆を開発したのはやむを得ない事情と言えるだろう。   

>なぜなら、ナチス・ドイツが原爆製造に着手していたからである。   

>ドイツは当時最新鋭のロケット兵器V2号も所有していた。   

>開発競争に遅れをとれば、ナチスのほうが世界最初の核ミサイル保有国になったかもしれない。   

>それを阻止するのは当然だ、ということだろう。   

> ユダヤ系であるオッペンハイマーにとって、ホロコーストは同胞の大虐殺でもある。   

>しかし皮肉なことに、ドイツはオッペンハイマーも含むユダヤ人の優秀な学者を無視したことによって核開発に遅れをとり降服した。   

>ならば完成した原爆を封印するという考え方もあったのに、アメリカは先に述べたような論理で日本に対して使用した。   

>問題は、この使用に際して当時のアメリカでもまず無人地帯に投下して警告すればいいではないかという意見があったということだ。   

> しかしオッペンハイマーは使用に賛成し、後に広島・長崎の惨状を知った時点で水爆開発については阻止する側に回った。   

>その態度がアメリカからソビエトなど共産主義を利する裏切り者ということになり糾弾されるのだが、原爆開発者として私はもっと断固として都市に投下すべきでは無いと主張すべきだったと思う。   

>おそらく彼がそう主張しても都市への投下は阻止できなかっただろうが、それを試みなかったことは彼の人生の最大の汚点である。   

> そして、この映画自体の最大の欠点は、当時アメリカに間違い無くあった人種差別的感覚つまり「ジャップはイエローモンキーであって人間では無い」という感覚が描かれていないことだ。   

>当時、同じアメリカ人であるにもかかわらず日系人は収容所に入れられ、ドイツ系は免れた。   

>この差別感情は、結果的には白人国ドイツに落とさなかった原爆を、日本のしかも都市に投下することの背景にあったはずだが、そのことにこの映画はまったく触れていない。   

>オッペンハイマーの伝記が中心だとしても、原爆投下を扱うならこの問題を無視してはいけない。   

> しかし、このことは、いずれこの映画に対する「アンサーソング」として日本人が創るべきものなのかもしれない。   

 

そうですね。日本人にできたら大したものですね。差別問題の取り上げ方は日本人と米国の黒人とどちらが上手ですかね。      

 

>〈文中敬称略〉 

()   

>【プロフィール】   

>井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。   

1954年愛知県生まれ。   

>早稲田大学法学部卒。   

TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。   

>本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『「言霊の国」解体新書』など著書多数。   

>現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。   

>※週刊ポスト20245310日号   

 

 

 

 

 

 


遠藤美幸氏  

2024-05-01 03:32:40 | 文化

>現代ビジネス   >「親日」だからと甘えていいのか,,,戦争の記憶が薄れゆく日本人にかつての「戦場」に住む人々が抱いている「意外な本音」   >遠藤美幸によるストーリー・   >1日   

()  

>本記事は、『悼むひと 元兵士と家族をめぐるオーラル・ヒストリー』(生きのびるブックス)を抜粋・再編集したものです。   

>元日本兵の慰霊を続ける村   

>戦後七十数年ともなれば戦争の記憶の風化はもはややむを得ない。   

>ビルマ戦場跡の各所に建てられた旧日本軍の慰霊碑や墓碑は現地社会に根ざすことなく次第に忘却され、慰霊巡拝に訪れる人もそれを管理する人も減少し経年劣化は進んでいる。   

2007年を最後に中村さんが行けなくなってから、ウェトレット村に日本人の慰霊巡拝者はほとんど来なくなった。   

>元兵士だけでなく遺族も高齢化が進んでいるのである。   

2016年と2017年の2年続けて、私は中村さんの意志を継ぐ日本人としてウェトレット村の38日の旧日本軍戦没者慰霊祭に参列した。   

>毎年、ウエモンとその一族が中心になって慰霊祭に向けて1週間かけて準備する。   

>ウエモン一族は招待状を作成し、村人約150人に参列を呼びかける。   

>おもてなし料理の準備で女性たちも大忙しだ。   

>当日は45名の僧侶を招いて村総出で慰霊祭に参列する。   

>僧侶へのお礼やおもてなし料理など出費は相当の額になるだろう。   

>「慰霊祭をやるにあたって中村に資金を要求したことはなく、できる範囲でやっている」とウエモンは言う(実際のところ中村さんは送金しているのだが……)。   

>正直なところ、こんな小さな村の村人が毎年本当に旧日本兵の慰霊祭を行っているのか?    

>なぜ?   

>私は半信半疑だった。   

>実を言えば、この目で確かめるまで信じられなかった。   

3月の戸外は午前中でも30度を超すので、慰霊祭は朝一番に行う。   

>色彩豊かなロンジーに身を包んだ老若男女が、早朝にもかかわらず7時には集まって来た。   

>村人は中村さんが寄贈した慰霊塔とパゴダを前にして、地べたに並んで座る。   

45名の僧侶が慰霊塔とパゴダを背に、村人に向かって椅子に座る。   

>私は中村さんから言付かった日本の菓子や酒を慰霊塔に供えた。   

>とくに乾期のメークテーラ戦の最大の敵は水不足だと聞いていたので、私は日本のペットボトルの水をできるだけスーツケースに詰め込んでしこたま持参した。   

>最期の時に水を求めた兵士に思いを馳せて供えた。   

>慰霊祭が始まった。   

>僧侶による読経の最中、銀の器に水滴を垂らして「灌水供養」をする。   

>「灌水供養」は本来ウエモンと中村さんの役目だが、この時は恐れ多くも中村さんの代わりを私が務めた(2016年)。   

>功徳を回向するため、1滴ずつ水差しの水滴を銀の器に垂らすのだが、見ている以上に難しい。   

>せっかちなせいか器がすぐに水でいっぱいになってしまった。   

>読経が終わると参列者が1人ずつ慰霊塔前の台に花を供えた。   

>その後、「中村テンプル」に場所を移した。   

>そこでも僧侶の読経と講話がある。   

>その後、参列者皆でおもてなし料理(乾燥魚の煮物、スープ、マンゴーサラダなど)を頂く。   

>近隣の村人や子どもたちや近くの工場の労働者や通りがかりの人まで、合わせて60名ほどが集まって賑やかに歓談する(2017年)。   

>最後に、唯一の日本人参列者の私が僧侶に呼ばれた。   

>僧侶から私に特別な講話があった。   

>僧侶はミャンマーでは大変尊敬されているので非常に有難いことである。   

>私が僧侶に「なぜミャンマーの人々が旧日本軍の慰霊をされるのですか」と不躾な質問をすると、次のように諭された。   

>「国も民族も関係ありません。   

>ビルマ戦で亡くなったすべての戦没者のための慰霊祭です。   

>日本人のあなたが慰霊祭に参列することはとても良いことです。   

>人間は必ず死を迎えます。   

>生きている間にできるだけ良いことをしなさい。   

>功徳を積むのです。   

>それが仏様の教えなのです」   

>僧侶の言葉が心に沁みて、思わず涙がこぼれた。   

>なぜ旧日本軍の慰霊祭を現地主導で行うのか? と疑問に思っている心を見透かされて身が縮む思いがした。   

>地べたに額をつけるようにお経を唱える村人の敬虔な姿を見て、少しでも彼(女)らを疑った自分が恥ずかしくなった。   

>ミャンマー贔屓   

>元日本兵らは戦地で食糧の供給や傷の手当てなどをしてくれたミャンマー人への恩義に感謝の気持ちをもって、「ビルマ人は親日的だ」としばしば語る。   

>日本人の「ミャンマー贔屓」は兵士だけでなく遺族らも同様である。   

>彼らは「戦時中は父親が、戦後は自らが親切にしてもらった」と語ることで「ミャンマー好き」の慰霊旅行のリピーターとなる。   

>日本の若者(孫の世代)もまた、祖父や親の世代の記憶をそのまま継承する。   

>私は十数年にわたり戦友会の戦没者慰霊祭や永代神楽祭の世話人をしてきたが、元兵士が中心に運営していた頃の戦友会や慰霊祭と、元兵士の人数が激減し一線から退いた後の戦友会や慰霊祭の「変質」には目をみはるものがある。   

>激戦地で戦った元兵士は戦争を美化しなかった。   

 

そうですね。戦争の美化は指導者の常ですね。   

 

>彼らは積極的に戦争の暗部を語らなくとも、占領地や植民地の人々に塗炭の苦しみを与えたことを体験、あるいは見聞しているからだ。   

>戦友会や慰霊祭に興味や関心を抱く「奇特な」若者にたまに出会う。   

>彼(女)らは得てして戦争を肯定的に捉え(「自虐史観」の否定)、元兵士を盲目的にリスペクトする傾向が強い。   

>遺族でもない若い世代が慰霊祭に参加するのは喜ばしいことだが、彼(女)らは元兵士なら共有している戦場での残虐な「加害」体験は継承せずに(兵士たちが語ってこなかった)、インパール作戦のような悲惨な被害体験やそれに付随した「親日的なビルマ」というノスタルジックな記憶を継承したがっている。   

 

気分・雰囲気・感情を中心にしますね。被害者・犠牲者の話は得意ですね。      

 

>彼(女)らは戦域や時期や階級に関係なく戦場体験者を無条件に崇め、戦没者を純粋に「英霊」として顕彰する。   

>靖国神社で行われていたビルマ方面軍戦没者慰霊祭で70代(当時)の遺族は「私たちの目下の最大の課題は、総理大臣と天皇陛下に公式の靖国参拝をしてもらうことだ」と挨拶した。   

>戦没者の遺骨収集と慰霊が最大の目的のはずだったのだが……。   

>遺族の挨拶には保守政治勢力との根強い関係性が色濃く投影されていた。   

>最後に決まって「海ゆかば」を斉唱するこの一連の流れには、アジアの人びとが被った凄まじい戦争被害への反省のまなざしはまったく感じられない。   

 

そうですね。「海ゆかば」は自己中心的ですね。   

 

>同時 に、「(中国は反日的だが)ビルマは親日的だ」という言説が継承されているように感じるのは私だけであろうか。   

 

そうですね。我々はもっと意味・意義を掘り下げて考察すべきですね。    

 

>ビルマは「親日的」なのか   

>ウェトレット村の旧日本軍戦没者慰霊祭の事例は、元将校の中村清一さんと元村長のウエモンの長年の人的絆と信頼が現地主導の慰霊祭の継続に繋がっている特異な事例だ。   

>ウェトレットの慰霊祭を知った日本人はこれこそが「日緬友好の証だ」と絶賛するに違いない。   

>まさにその通りなのだが、十分に留意しないと「ビルマ戦は英国の植民地支配からビルマを解放した戦争だ」と主唱する人たちにウェトレット村の事例は都合の良い「証拠」を提供することになりかねない。   

>現に最初に中村さんを紹介してくれたのが保守系右派団体の日本会議の40代の男性であり、彼は都合の良い「証拠」としてウェトレット村を語っていた。   

>歴史的事実に基づいたビルマ戦の記憶の継承のためにも、戦場の真相を日英緬から多面的に検証すべきだ。   

 

そうですね。   

 

>中でも日本占領期のビルマのナショナリズム運動の特質を理解することなく「ビルマ人は『親日的』だ」という安易な「親日論」が次世代のビルマ戦の記憶となっては非常に危うい。   

 

そうですね。それは浅薄な判断の仕方ですね。   

 

>さて、英軍側の興味深い史料がある。   

>英領ビルマ総督(Reginald Dorman-Smith)が避難先のシムラー(インド北部の都市)でまとめた日本軍のビルマ侵攻に関する19431110日付の報告書だ(*1)。   

>植民地行政府の長から見た英国のビルマ作戦(日本軍に敗北した初期のビルマ防衛戦)に関する記録である。   

>日本のビルマ侵攻を、日本側からでも、ビルマのナショナリスト側からでもなく、敗退した英国側行政トップから見た記録だけに非常に興味深い。   

>この報告書には「英軍撤退時、ビルマ人は西欧人に対して親切な行動をした。   

>彼らは親日的ではないと解釈できるが、一方で、日本軍敗退時に同じような親切を日本兵にも行った」と記載されている。   

>つまり、戦時中のビルマ人は「親日的」でもあり「親英的」でもあった。   

 

和を以て貴しとなすですかね。   

 

>僧侶の言葉を借りれば、ビルマ人は民族に関係なくお釈迦様の教えに忠実に目の前の苦しんでいる人を助けたのである。   

>功徳を積んだとも言い換えられる。   

>私がウエモンに、不躾な質問だが「日英軍の戦闘をどう思うか」と尋ねると、しばらく考えて「空から爆弾を落とされたら、落としたのが日本軍でも英軍でも嫌に決まっている。   

>嫌な記憶は我慢して乗り越えた」と答えた。   

>どこの国だろうと戦争はご免こうむりたいのは当然である。   

>ビルマ人は民族自決、独立を成し遂げるためには「親日的」にも「親英的」にもなり得るのだ。   

>ビルマ近現代史の専門家の根本敬さんはビルマ人のアンビバレントな立場を「抵抗と協力のはざま」と分析する(*2)。   

>協力姿勢を見せて相手の信頼を得ながら、自己主張と抵抗の基盤を徐々に拡大するやり方だ。   

>これも生き抜く術なのだろう。   

>元日本兵が語る、「ビルマ人によくしてもらった、彼らは『親日的だ』」という記憶は、中村さんの体験からも事実だと思う。   

>でもビルマ戦の記憶を受け継ぐ私たちは、それを鵜呑みにして終わらせてはいけない。   

 

そうですね。   

 

>そこでどんな戦いがあったのか、現地の人の土地や財産や命まで奪う戦場の実像を知った上で、戦争の記憶を次世代に受け継がなければならない。   

>それこそが、元日本兵の慰霊祭を続けているウェトレット村の人びとに対する「真の友好の証」である。   

>ビルマの人びとの微笑みに甘えて、日本人は過去をさっさと水に流してはいけない。   

 

そうですね。  

 

>独裁政権の生みの親は日本   

202121日、ミャンマー国軍によるクーデターが起きたが、いまだ事態に収束の兆しはまったく見えない。   

>ミャンマーは今、政治、経済から社会まで混乱し、人びとの生活は困窮を極めている。   

>大都市での民主化を求める市民の弾圧が強化されたため、国軍に抵抗する市民が地方都市や農村やタイ国境の少数民族の部落などに逃げているそうだ。   

>かつては植民地支配からの民族自決を求めて戦ったビルマ国軍であったはずなのに、いまやミャンマーの民主化を抑圧する自国内の独裁権力になっている。   

>歴史を遡ればその国軍を作ったのが日本軍なのだ。   

1941年末、アウンサンスーチーの父であるアウンサン率いるビルマ独立義勇軍(BIA)が日本軍のビルマ謀略機関(南機関)の肝いりで誕生した。   

>日本軍はビルマ侵攻にビルマ人の反英ナショナリズムを利用した。   

>民族自決を掲げるアウンサンらも英国の植民地支配から独立するために自分たちの軍隊をもつことは好都合であった。   

>ところが、ビルマ戦での日本軍の敗退が決定的になってくると、彼らは日本軍を見切って抗日蜂起し英軍側に翻った(1945327日)。   

>これこそ「抵抗と協力のはざま」の体現化である。   

>戦後、戦時中の「日本軍協力」より戦争末期の「抗日蜂起」が英国に評価され、アウンサンは対英独立交渉の途を開いた。   

>アウンサンはビルマの独立(194814日)を見る前に暗殺されてしまうが、軍服を脱いで英国と非暴力による独立交渉を行ったアウンサンは賢明であった。   

>二度と戦争をしてはいけないと戦没者のために祈り続けるウェトレット村での慰霊祭は2023年も例年通りに行われたと聞いた。   

>ウエモンも90歳を過ぎたが健在だ。   

2011年の民政移管により一度民主化の果実を味わったミャンマーの人々を再び軍事的独裁政治下に戻すことはもはや不可能である。   

>国軍は80年近く前に不当な植民地支配と軍事的抑圧に抵抗し、民族自決を求めて戦ったあの時代を思い出し、自らが少数民族を含む人々の権利を阻止する独裁権力になっていることを猛省すべきである。   

>先日、知り合いの在日ミャンマー人の女性が語った言葉がずっと胸に刺さっている。   

>「日本軍は国軍の産みの親であり、かつて日本軍はミャンマーを侵略した。   

>今でも日本は経済的にも政治的にも国軍と決別していない。   

>だから、ミャンマー人は国軍を『日本軍』と呼んでいる」   

>ミャンマーのクーデターは、いまの日本にとって「対岸の火事」ではないのだ。   

 

そうですね。