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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

藤田正勝氏  

2024-05-06 18:48:00 | 文化

>現代ビジネス   >仏教はなぜここまで日本で受け入れられたのか私たちの根源に埋め込まれた「空」というメッセージ   >藤田正勝の意見・  >9時間   

>明治維新以降、日本の哲学者たちは悩み続けてきた。   

>「言葉」や「身体」、「自然」、「社会・国家」とは何かを考え続けてきた。   

>そんな先人たちの知的格闘の延長線上に、今日の私たちは立っている。   

 

日本人は抽象語の理解が苦手ですからね。日本語は現実の内容を表す言葉ですからね。      

 

>『日本哲学入門』では、日本人が何を考えてきたのか、その本質を紹介している。   

>※本記事は藤田正勝『日本哲学入門』から抜粋、編集したものです。   

>「空」とは何か   

>「空」という概念をめぐって、西谷啓治が「空と即」(『講座仏教思想』第五巻、一九八二年)という論文のなかで興味深いことを記している。   

>西谷によれば、「空」の概念はインドで──たとえば先ほど見た「色即是空」の場合のように──すべての事物がそれ自体として存在しているのではないということを言い表す理論上の概念として成立したが、それが日本に伝えられたとき、純粋に理論的な概念としてではなく、むしろ感情や情緒と結びつく仕方で受け入れられた。   

>その背景には、そもそも日本では「死」というものが、「はかない」とか「むなしい」といった感情と深く結びついたものとしてとらえられていたことがあったと考えられる。   

 

そうですね。死は情緒的にはかなく・空しいものですね。  

 

>もちろん人間の有限性、あるいはすべてのものが移ろいゆくということは、日本でも、インドでも、あるいはヨーロッパでも同じであって、日本においてだけとくに人間の有限性ということが言われるわけではない。   

>無常感、そしてそれを基礎とした無常観という世界観は、どこにも共通して見られる。   

>たとえば、よく引用されることばであるが、『旧約聖書』の「伝道の書」には、「空の空、すべては空なり」ということばがある。   

>しかし西谷は──これは別の論文「芭蕉について」においてであるが──東洋と西洋とでは、無常というものが感じられる地盤は同じではないと言う。   

>西洋においては、すべてが移ろうと言われる場合にも、その根底に、何らかの意味で移ろわぬもの、永遠なものが考えられているというのである。   

 

そうですね。西洋には現実と非現実がありますね。現実(事実)は移ろうものであり、非現実(考え・哲学)は移ろわぬものですね。      

 

>たとえばイデアというような考え方もそうであるし、キリスト教の神もそうである。   

 

そうですね。非現実の内容は絶対ですね。      

 

>西洋の無常というのは、そういう永遠なものに支えられた、あるいはそれに基礎づけられた無常である。   

 

そうですね。現実は無常、非現実は永遠ですね。   

 

>それに対して東洋の場合には、そういう移ろいゆくものの背後に永遠なるものが見られず、そのために、その無常感、あるいは心の「むなしさ」といったものがどこまでも深くなっていくところがあると西谷は述べている。

 

そうですね。日本人には永遠なるものが見られませんね。日本人は無哲学・能天気ですからね。日本語には非現実の内容を表す構文がないので日本人は思考を停止していますからね。      

 

>私たちはたとえば自然の諸事物を見たり、聞いたりする場合でも、それを単なる知の対象としてではなく、むしろ情意の対象として、つまり気分的なものと結びついたものとして受けとっている。   

 

そうですね。我々は物事を気分・雰囲気・感情の問題として捉えますね。   

 

>晴れ渡った青空を見れば、さわやかさを感じ、心も晴れ晴れとするし、無邪気にほほえむ赤ちゃんの顔を見れば、見ているこちらの心もおのずから和んでくる。   

>知るということと、気分、感情、情緒というのは深く結びついているのである。   

 

そうですね。歌詠みは気分・雰囲気・感情を対象にしていますね。   

 

>西洋と東洋の違い   

>一般的にそのように言えるが、仏教の「空」という概念が日本に受け入れられたときにも、──蓮如の『御文章』の「はかない」とか、「あわれ」という表現に端的に見られるように──単なる理論的な概念としてではなく、情緒と深く結びつくような仕方で受けとられた。   

 

日本人は非現実がありませんから、表現は気分・雰囲気・感情として表すことになりますね。   

 

>そのように情意のレベルで受けとられた「空」を西谷は「情意における空」ということばで言い表している。   

 

日本人には哲学がありませんから情意におけるですね。   

 

>もちろん、「空」という概念は中国においてもすでに情意的なものと結びついて受けとられたということも言える。   

 

そうですね。孔子も非現実を語らなかった。中国人にも哲学がない。だから怪力乱神を語らずですね。      

 

>空、つまりシューニヤ(śūnya)というインドで成立した概念が「空」という中国語に移されたとき、純粋に理論の上でというよりも、「空」ないし「虚空」のもともとの意味である「目に見えるそら」と結びつく形で受容されたと西谷は指摘している。   

 

目に見えない内容は嘘であるという判断によるものでしょうね。   

 

>目に見えない永遠無限なものであるシューニヤが、人間にとって目で見ることのできる唯一の永遠なるものである「そら」と結びつけて受容されたのである。  

 

仕方のないことですね。文法に時制 (tense) のある印欧語の内容を時制の無い言語に翻訳するとそのようになるしかないのでしょうね。ヒンズー語は世界観 (過去・現在・未来の三世界) のある言葉であるが、日本語・中国語は世界観の無い言葉ですからね。         

 

>概念の受容の歴史という観点から見たときたいへん面白い点である。   

 

そうですね。概念は非現実 (考え・哲学) の内容ですからね。見ればわかる’  (Seeing is believing.) というわけにはゆかない。     

 

>異なった文化のなかの新しい概念に接したとき、それをどのように受容するかというのは、つねに大きな困難を伴う作業であるが、中国の人たちは、目に見えない無限である「空」を理解するために、目に見える無限を手がかりとしたのである。   

 

それは日本人も同じですね。何時も現実の中で考えている。      

 

>「空」ということばは中国でも、いっさいは空であると観取することから生じる特有の「気分」をも言い表すことばとして使われた。   

>しかし日本ではより強く「はかなさ」や「むなしさ」、そういった気分と結びついたものとして「空」の概念が受け入れられていった。   

 

日本人は歌詠みですからね。情緒的でなくていけない。      

 

>西谷はそうした例の一つとして、次の西行の歌を挙げている。「風に靡くふじの煙の空に消えて行方もしらぬわが思ひかな」という歌である。   

>ここでは自分の思いのはかなさ、あるいは自分の存在の虚しさが、空に消えていく煙のはかなさと、それを消していく空の虚ろさに重ねあわされている。   

 

無哲学・能天気では、はかなさ・虚しさが身にしみますね。   

 

>その背後には、もちろん仏教の「空」の思想がある。   

>それがここでは空に消えていく煙のはかなさと、そして自らの存在の不確かさと重ねあわされている。   

>そのように「空」が受けとめられたということは、本来なかったものがそこに付け加えられたということでもあるが、しかしそれによって教理がゆがめられたとは単純には言えないであろう。   

>仏教の理論がこのように気分的なもの、情緒的なものと深く結びつく仕方で受けとめられたために、日本では仏教が人々のあいだに受け入れられ、深く浸透していったということも言える。   

 

そうですね。日本人は情緒的ですからね。(インド) 哲学の理解は不可能ですね。      

 

>そうでなかったら、仏教は日本でこれほど深く根を下ろすことはできなかったかもしれない。   

 

そうですね。情緒の国に哲学が根を下ろすことはない。      

なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる  (西行)   

 

(略)   

 

 

 

 

 

 


戦友会  

2024-05-06 11:30:30 | 文化

>現代ビジネス   >「なぜのうのうと生きて帰ってきたのか」…戦没者慰霊祭で帰還兵の家族に向けられた「冷たい視線」と「衝撃的な一言」   >遠藤美幸によるストーリー・   >2日   

>「戦友会」と聞いてピンとくる人は、どれだけいるだろう?    

>慰霊や親睦のために作られた元将兵の集まりだが、その「お世話係」として参加し、戦場体験の聞きとりをつづけてきたビルマ戦研究者がいる。   

>それが遠藤美幸さんだ。   

>家族でないから話せること、普段は見せない元兵士たちの顔がそこにある。   

>『悼むひと 元兵士と家族をめぐるオーラル・ヒストリー』(生きのびるブックス)から、その一端をご紹介したい。   

>世界中がキナ臭い今、戦争に翻弄された彼らの体験は何を教えてくれるのか。   

>本記事は、『悼むひと 元兵士と家族をめぐるオーラル・ヒストリー』(生きのびるブックス)を抜粋・再編集したものです。   

 

(

 

>洋子さんは今年で71歳。   

>父親が戦争に行っている世代としては若い方だ。   

>戦争が終わって7年後に生まれた洋子さん。   

>このことは彼女の父親が戦場から生きて帰り、戦後に家族をつくったことを意味する。   

>当たり前だと思われるかもしれないが、ビルマ戦線のように帰還者が3人に1人という過酷な戦場では当たり前の話ではない。   

>杖を突きながら老体を引きずるようにして戦没者慰霊祭に参列する老親、彼らに付き添う娘や息子や孫の姿はよく目にするが、洋子さんも父親が亡くなるまでは、父親に付き添って慰霊祭に家族として参列していた。   

>「のうのうと帰って来て」   

>かつて、その光景を複雑な思いを抱えながら見詰める遺族もいた。   

>「なぜ、あの人はのうのうと生きて帰って来て、父は帰って来てくれなかったのか……」   

>のうのうと生きて帰って来たのでは毛頭ないのだが……。   

 

九死に一生を得て帰国した復員軍人を侮辱するのは良くない事ですね。   

好きで 好きで大好きで 死ぬほど好きな戦 (いくさ) でも 原爆投下にゃ勝てはせぬ 泣いて崩れた敗戦日。 

残念ながらわが国の原爆開発はアメリカに後れをとった。しかし本土決戦と一億総玉砕は避けることができた。めでたし めでたし。    

太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も早々と投降して、75000人以上の将兵の命を救った。

太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるして、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。

日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はなかったのか。

人の命はどのように考えられていたのか。 ‘命 (ヌチ) どぅ宝’(何をおいても命こそが大切である。)ではなかったのか。  

‘封建国家で最も安価な資源は人命だが、我々にとっては、最もかけがえのないのは国民だ’(ウクライナ軍のワレリー・ザルジニー総司令官)  

 

>戦没者の遺族がそのように言いたくなる気持ちもわからないではない。   

 

悪平等ですね。   

 

>戦没者慰霊祭は、当然ながら帰還者の元兵士と戦没者の遺族が、亡くなった兵士の御霊をともに悼む場である。   

>異国の地に眠っている戦友の御霊安かれと祈り、身も心も私財も惜しみなく投じる所存で参列している元兵士たち。   

>そんな帰還者の家族として父親と参列した洋子さんは、「父が生きて帰って来たから自分は生まれた。   

>だからお父様を亡くされたご遺族の前では何も言えないのよ」と呟きながらも、次のように語った。   

>「遠藤さんにだけは話すけどね。   

>父は普段はとても優しかったのよ。   

>でもビルマのことになると人が変わったように殺気だって、戦友会の会合にも慰霊旅行にも最優先に出かけるような人でね。   

>おかげで子どもの学費とか家族のための大事な費用がビルマのために使われちゃって、兄は大学に行ったけど私は大学に行けなかったの。   

>そのことは今でも恨みに思っているのよ。   

>ビルマ人の若者には奨学金まで出してあげたのに……」   

 

(略)