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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

教育勅語  

2025-01-18 21:58:19 | 文化

>現代ビジネス   >誤読も甚だしい「教育勅語の現代語訳」が戦前なら「不敬罪」になりかねない「驚きの理由」   >辻田真佐憲 (文筆家・近現代史研究者)の意見・   >14時間・  

>神武天皇、教育勅語、万世一系、八紘一宇……。   

>私たち日本人は、「戦前の日本」を知る上で重要なこれらの言葉を、どこまで理解できているでしょうか?   

>右派は「美しい国」だと誇り、左派は「暗黒の時代」として恐れる。   

>さまざまな見方がされる「戦前日本」の本当の姿を理解することは、日本人に必須の教養と言えます。   

 

そうですね。  

 

>歴史研究者・辻田真佐憲氏が、誤解されやすい「教育勅語」についてわかりやすく解説します(第2回/全3回)。   

>※本記事は辻田真佐憲『「戦前」の正体』(講談社現代新書、2023年)から抜粋・編集したものです。   

>「国体の精華」のための「忠孝の四角形」   

>ではその構造とはなにか。   

>筆者はこれを、「忠孝の四角形」と名付けたい。   

>この四角形は、天皇の祖先、当代の天皇、臣民の祖先、当代の臣民の四者で構成される。   

>そしてこの四者が、忠と孝という価値観で固く結びつく。   

>忠とは、君主にたいする臣民のまことであり、孝とは、父にたいする子のまことである。   

 

それは支配と服従の関係ですね。   

 

>これを図示するとつぎのようになる。   

>忠

>天皇の祖先 ← 臣民の祖先

>↑孝      ↑孝

>天皇   ←  臣民

>忠

>歴代の臣民は、歴代の天皇に忠を尽くしてきた。   

>当代の臣民も、当代の天皇に忠を尽くしている。   

>これが縦の軸だ。   

>また、これまでの臣民はみずからの祖先にたいして孝を尽くしている。   

>当代の天皇もまた過去の天皇に孝を尽くしている。   

>これが横の軸だ。   

>このような忠孝の四角形は、日本にしか永続していない。   

>少なくとも、それが教育勅語の世界観だった。   

>ほかの国では、君主が倒され、臣民が新しい君主になっており、忠が崩壊している。   

>それはまた、そのときどきの君主が徳政を行わず、結果的に祖先から引き継いだ王朝を滅ぼしたという点で、孝も果たせていない。   

>ところが、日本は忠孝がしっかりしているので、万世一系が保たれているというのである。   

 

そうですね。我が国では日本語文法の階称により上下関係が定まっていますね。   

 

>このような忠孝の四角形が崩れず、万世一系が保たれていることを、教育勅語は「国体の精華」と呼ぶ。   

 

そうですね。国体の成果は日本語文法の成果でしょうね。   

 

>つまり、日本の国柄のもっともすばらしい部分ということだ。   

>そして教育を行うにあたっても、この「国体の精華」にもとづかなければならないという。

 

上下の個人判断を認めない社会ですね。素晴らしいようでもあり情けないようでもありますね。      

 

>君臣関係をないがしろにする「不敬」   

>以上を踏まえて、教育勅語の内容をみてみよう。   

>教育勅語は、3つの部分からなっている。   

>まずは最初の部分を左に引く。   

>朕(ちん)惟(おもふ)に、我が皇祖皇宗、国を肇(はじ)むること宏遠に、徳を樹つること深厚なり。   

>我が臣民、克(よ)く忠に、克く孝に、億兆心を一にして世世厥(そ)の美を済(な)せるは、此れ我が国体の精華にして教育の淵源(えんげん)亦実に此に存す。   

>やっぱりむずかしいと思うかもしれないが、「朕惟ふに」以下をつぎのように整理してみよう。   

>(1)我が皇祖皇宗   

>国を肇むること宏遠に   

>徳を樹つること深厚なり   

>(2)我が臣民   

>克く忠に   

>克く孝に   

>「我が皇祖皇宗」とは天皇の祖先たちであり、それに対応する「我が臣民」もここで過去の臣民たちを意味する。   

>教育勅語はこのように、君臣が相互に対応するかたちで構成されている。   

>したがってここの意味は、つぎのようになる。   

>天皇の祖先たちは、広く遠く国をはじめ、深く厚く徳を立てた。   

>過去の臣民たちは、忠に励み、孝をつくした──。   

>前者がやや抽象的でわかりにくいが、その含意するところはあとではっきりする。   

>なお、文がいったん「深厚なり」で切れているが、井上毅の原案では一文だった。   

>たんに長すぎて途中で切られたにすぎない。   

>そしてそのあとはこうつづく。   

>天皇の祖先たちも、過去の臣民たちも、心をひとつにして(億兆心を一にして)、いつの時代も立派な振る舞いをしてきた。   

 

日本人は日本語の文法通りに言動したということですね。   

 

>これぞ、日本の国柄のもっともすばらしい部分(国体の精華)であって、教育を行うにあたっても、ここを根本に据えなければならない。   

>まさに、さきほど説明したとおりの内容だろう。   

>ちなみに「国体」とは、天皇を中心にいただく日本独自の国のありかたをさす。   

>重要なワードなので、以後は現代語訳せず、国体と記すこととする。   

 

国体とは序列国家の事ですね。   

 

>このようにみると、さきの国民道徳協会訳文がいかに原文を踏まえていないかがわかる。  

>訳者の佐々木は、戦後の日本人にわかりやすくしようとするあまり、君臣の別をないがしろにしてしまっているからだ。   

>「臣民」が「国民」と訳されているだけではない。   

>「皇祖皇宗」は「私たちの祖先」と訳され、臣民の祖先と区別がついていない。   

>現代風にしようとするあまり、教育勅語の根底にある君臣関係を破壊している。   

 

そうですね。   

 

>戦前ならば、不敬罪に問われかねなかったのではないか。   

 

日本語の文法には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。 順位の比較は没個性的でなくてはならない。だから、序列競争の励みは個性の育成にはならない。     

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。ため口を禁じられているので、相手と対等な立場でものをいう事ができない。人間が真に平等であるという実感を体験したことがない。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。   

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬と序列作法には浅薄さが付きまとう。   

 

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在をウチソト意識として確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、定刻通りに帰宅しないなど義理の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが叙勲の獲得は難しい。    

 

 

 

 

 

 

 


岩屋毅氏  

2025-01-18 16:29:50 | 文化

>中国人10年ビザ「許してはならない」大仁田厚氏ら怒りのゲキ 岩屋外相訪中で「『お返し』は当たらない」 石垣市長「正直要りません!」   >2024.12/28 14:00   >Xでポストする   

>岩屋毅外相が訪中して、中国人の観光滞在査証(ビザ)について、10年間繰り返し使用できる数次査証の新設を表明したことに、疑問や批判の声が噴出している。   

>元自民党参院議員でプロレスラーの大仁田厚氏は27日、自身のX(旧ツイッター)で、「中国の土地は買えないのに 日本のマンションや土地は自由に売買されている現状 そこを踏まえ国は慎重に考えるべきだ 私は『10年ビザ』など許してはならないと思う」と発信した。   

 

そうですね。   

 

>元通産官僚で明星大学教授、テレビのコメンテーターとしても活躍する細川昌彦氏もXに、「これは明らかにやり過ぎ。   

>媚中と指摘されても仕方がない。   

11月の日本に対する短期ビザの免除に対する『お返し』というのは当たらない」と書き込んだ。   >2024.12/28 14:00   >Xでポストする   

 

>中国海警局船が連日のように周辺海域に侵入している沖縄県・尖閣諸島を行政区域とする石垣市の中山義隆市長もXで、「これは正直要りません!    

>『富裕層への発給を念頭、消費喚起の効果を見込む』と言うが富裕層は既に来ていて現行でも5年の数次ビザがあるので必要な方は更新すれば良いだけのこと」「今思いつく10年ビザのメリットは不動産投資への意欲を高めることだけ。   

>少なくとも私たちの島はそれは望んでいません!」と発信した。   

 

我が国の政治家は金に目がくらんでいるのでしょうね。水と安全はダダであると教えられてきたからでしょうかね。      

我が国内の中国人はわが国の国家安全保障上の危険がある。中国人には、有事に軍事動員する「国防動員法」と、有事・平時を問わず中国政府の情報工作活動への協力を義務づける「国家情報法」がある。

これらの法律は、中国国内はもちろん海外在住の中国人をも対象としている。彼らは有事の際にどのような役割を果たすことになるのか。

日本人には現実 (事実) があって、非現実 (考え・哲学) がない。だから現実肯定主義の人になっている。しかしそのような人は、飛行機の危険は墜落してみなければ分からないと信じているようなもので、これでは危険は防止できない。浅知恵である。  

 

 

 

 

 

 

 


教訓  

2025-01-18 13:57:28 | 文化

>産経新聞   >あの日から30年「忘れてはいけない」震災の悲しみ、教訓受け継ぎ、明日へ続く祈りの朝   >22時間・   

>犠牲者への追悼行事が行われた神戸市中央区の東遊園地には多くの人が訪れ、震災の発生時刻に合わせ、灯籠を囲み黙禱(もくとう)をささげた。   

>早朝の暗闇に灯籠の明かりで浮かび上がった文字は「よりそう」。   

30年という年月を経ても犠牲者や被災者らに寄り添い、風化を防ぐという願いが込められており、参加者はさまざまな思いを胸に犠牲者らを悼んだ。   

 

堅固な防災都市を建設して犠牲者や被害者を減らす努力をしましょう。   

 

>同公園には竹灯籠や紙灯籠計約6500本が並べられ、灯籠には「30年」や「忘れない」、「希望」などと書かれ、中には平成23年の東日本大震災や、昨年1月の能登半島地震の被災者に心を寄せたメッセージもあった。   

 

震災の教訓は忘れられませんね。心を新たにして一層防災に励みましょう。      

 

>「悔しい気持ちは30年たっても変わらない」。   

 

我が国は地震の国ですから地震に関する知識は豊富ですね。   

 

>こう話すのは同市灘区の文化住宅で1人暮らしだった父親を亡くした同市長田区の松嶋美見(よしみ)さん(73)。   

 

そうですね。父親の死を無駄にはできませんね。固い決意が必要ですね。     

 

>震災前々日の15日には成人式後に娘の着物姿を父親に見せに行った。   

>「86歳だったがとても元気で。   

>もう少し早くいけば助かったのではないかといつも思う」と悔やんだ。   

>同市兵庫区の清掃業、立岩友(とも)さん(45)は同市須磨区で被災し、母親を失った。   

>当時住んでいた木造2階建てアパートが全壊し、屋根にはさまれ犠牲となった。   

>毎年、命日前後は気持ちが落ち込むこともあるが、「東遊園地に来ると心が晴れる」といい、母には心の中で「30年たったけど、しっかりこれからも前向きに生きていくからね」と伝えたという。   

 

神戸市は高度の防災都市に生まれ変わる決意が必要ですね。立岩さんは母親の死を決して無駄にすることはできませんね。  

 

>「私の経験も伝えていきたい」。   

 

地震国であるわが国の経験は世界中で生かされる必要が在りますね。   

 

>そう話すのは千葉市の斎藤智子さん(57)。   

>阪神大震災当時は神戸市北区の団地で被災、「死ぬかもしれないと思った」と振り返る。   

>千葉では東日本大震災も経験。   

>最近になって「震災で感じた恐怖心を吐き出せるようになった」と打ち明け、昨年防災士の資格を取った。   

>「東日本大震災や能登半島地震の被災者の中にも私と同じような人がいるかもしれない。   

>これからは無理せずつらい気持ちを吐き出すことが大切と伝えていきたい」と話した。   

 

震災の教訓は忘れられませんね。防災都市の建設に役立てたいものですね。進歩の国民としての実を示しましょう。        

 

>震災を経験していない若い世代も教訓を引き継ぐ思いを語った。   

>「実際に来ると追悼の雰囲気がしっかり残っていて、竹灯籠の文字も思いを持って書かれているのが伝わった」と話したのは、ボランティアサークルに所属する神戸常盤大4年の大島かれんさん(23)=兵庫県三木市。   

>サークルを通して東北や能登の被災地を訪れたこともある。   

>「日本に住んでいる以上地震は避けられない。   

 

そうですね。地震と付きあう方法を広めましょう。世界の人が目を見張る高度の防災都市を建設しましょう。     

 

>自分が聞いた話を周りに話すとか、小さなことでも経験は広がっていくと思う。   

>被災経験がないことをあまり後ろめたく思わずに関わっていきたい」   

>震災の7カ月後に生まれた同県たつの市の三原綾乃さん(29)は、震災で亡くなった伯父に「一度でいいから会ってみたかった」と話す。   

>震災の教訓を受け継いでいく思いを胸に、「これから起こるとされている南海トラフ地震も怖い。   

 

そうですね。震災の教訓の蓄積はわが国の宝になるでしょう。建設的な歩みの推進力になることでしょう。    

 

>自分ができることをしていきたい」と涙ながらに語った。   

 

防災の責任者はこれからも荷が重いですね。   

日本人には意思がない。意思の無い人間には責任がない。兎角この世は無責任となっている。それでは困る。建設的な態度が必要である。      

日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにしない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]        

高等教育機関において自己の個人的な見解を明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。   

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)