gooブログはじめました!

日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

阿古智子氏

2025-02-20 17:42:13 | 文化

>産経新聞   >阿古智子氏「自由守られている日本が中国人の重要拠点」知識人支援など強調 神戸「正論」   >20時間   

>神戸「正論」懇話会の第26回講演会が19日、神戸市中央区の神戸ポートピアホテルで開かれ、東京大教授の阿古智子氏が「中国で何が起きているのか-大規模な言論統制と日本の取るべき姿勢」と題して講演した。   

>阿古氏は現在の中国について、習近平国家主席のもと、恣意的(しいてき)な汚職の取り締まりや学校現場で少数民族の言語を使った教育が認められないなど、政権維持のため、「言論を統制し、問題点を指摘されないようにしている」と分析した。   

>また阿古氏は、統制により、国内での活動が制限された中国人歌手が日本で公演を行った事例を紹介。

>「自由が守られている日本が中国の人たちにとって重要な拠点になっている」と述べ、中国の問題を分析して母国に前向きな影響を与えることができる中国の知識人への支援の重要性などを強調した。   

 

そうですね。しかし、中国人にも色々いますからね。最大の注意が必要ですね。          

中国人はわが国の国家安全保障上の危険があります。中国人には、有事に軍事動員する「国防動員法」と、有事・平時を問わず中国政府の情報工作活動への協力を義務づける「国家情報法」があるのです。

これらの法律は、中国国内はもちろん海外在住の中国人をも対象としています。

日本国内にいる中国人は日本にいても自由が守られていません。日本で反中国政府活動をすれば、中国の公安から電話がかかって来て両親が心配しています。早く帰国しなさい‘と脅しをかけられます。

彼らの中には愛国者もいれば、密告者もいる。彼らはわが国有事の際にどのような役割を果たすことになるのでしょうかね。わが国を台無しにするトロイの木馬のようなものになるのか。

我が国民は常に国家安全保障の見地から政治を見直す必要がありますね。     

 

中国は中原 (ちゅうげん) に鹿を逐 () う伝統的な覇者の国である。だから、覇者の物語 '三国志' は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。これは皇帝の時代も国家主席の時代も漢民族のメンタリティが同じであるから変わらない。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。独断専行に陥りやすい。印欧語族のインド哲学を経文 (漢文) に表すことが至難の業であることがわかる。経文など漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。周辺諸国を中国化することに専心してやまない。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。

・・・・・

中華 (ちゅうか)  [外国との交渉が少なかった時代に] 自国を、世界の中心にある、一番優れた国とみなしたこと。[狭義では、漢民族のそれを指し、またその呼称としても用いられる]    東夷 (とうい)  [東方の野蛮人の意] 昔、中国から見た東方諸国の称。[広義では朝鮮・沖縄を含み、狭義では日本を指した]     南蛮 (なんばん)  [南方の野蛮人の意] 昔、中国で、インドシナなど南海地方の諸民族の称。 西戎 (せいじゅう)  [西方の野蛮人の意] 昔、中国で、チベット族やトルコ族など西方の異民族の称。北狄 (ほくてき)  [北方の野蛮人の意] 昔、中国で、匈奴 (きょうど)・韃靼 (だったん) などの遊牧民族の称。   

 

 

 

 


小熊英二氏  

2025-02-20 16:18:09 | 文化

>現代ビジネス   >多くの「文系の学生」が勘違いしている、論文を書く際に「主題」と「対象」を混同してしまう「致命的な誤解」   >小熊英二 (社会学者) の意見・   >23時間・   

>文の書き方がわからない…。   

>卒論やレポートを前にして苦労する学生は多いでしょう。   

>でも、論文の「型」を理解すれば、勉強はもっと楽しくなります。   

>社会人にも必ず役に立つ、論文を書く上で重要な「考え方」とは?   

>圧倒的な筆力で評判の社会学者・小熊英二さんが、大学生の興味・関心を的確に導く「論文教室」です。   

>※本記事は小熊英二『基礎からわかる論文の書き方』(講談社現代新書、2022年)から抜粋・編集したものです。   

>主題は抽象的な問い、対象は具体的に観測できるもの   

>科学についての途中の歴史は飛ばしましょう。  

>私の考えを述べます。   

>実証的な科学とは何か。   

>それは、この世の「見たり聞いたりできるもの」を観測して、「見えたり聞こえたりしない法則」を探求する試みです。   

 

そうですね。科学は実験や観察をした内容から自分自身のストーリーを作るものですね。   

 

>異論のある人もいるでしょうが、ここでは、そのように考えて話を進めましょう。   

>そう考えるなら、対象とは、「見えたり聞こえたりするもの」です。   

>難しい言葉でいえば、経験的に観測できるものです。   

 

そうですね。現実の内容ですね。事実のことですね。      

 

>それでは、主題とは何か。   

>それは、個別の対象とは別の次元にある、普遍的な法則の探求です。   

 

そうですね。非現実の内容ですね。自分自身の考え・哲学のことですね。      

 

>近代科学の特徴の1つは、主題や方法が普遍的で、対象に規定されないことです。   

>「あなたでなければいけない」とか、「かけがえのない地球」とかいうふうに、個別の対象に規定されるということがない。   

>そして普遍的な主題、つまり「いつでもどこでも何が対象でも」通用する法則を、普遍的な方法、つまり「いつでもどこでも何が対象でも」通用する方法で探ろうとする。   

>これが近代科学の特徴です。   

 

それは個人の世界観ですね。各人に哲学は必要ですね。Everyone needs a philosophy.      

 

>先ほどの理科の実験でいえば、「酸素はいかにして発生するのか」という法則性の探求が主題です。   

>「二酸化マンガン」や「過酸化水素水」は、別のものでもかまわないのです。   

>この考え方でいえば、政治を「政策科学」にするというのは、政治を「誰がいつどこでやっても同じようにできるもの」にしようということだ、といえるかもしれません。   

>「日本」は対象か、主題か?   

>このように、科学の立場では、対象を単なる素材materialとしか考えない傾向があります。   

>その姿勢が、科学の傲慢さと自然の軽視、環境破壊などを招いたのかもしれません。   

>そのことは無視できないのですが、ここでは「科学」というものは、このように「主題」と「対象」を区別するものだと理解してください。   

 

主題の内容は頭の中にある。対象の内容は頭の外にある。   

 

>自然科学の場合は、これを区別することが、比較的に理解しやすい。   

>たいていはモノが相手なので、対象を素材と割り切ることがやりやすいのが一因でしょう。   

 

そうですね。   

 

>しかし人文・社会科学では、この区別があいまいになることがあります。   

>たとえば先に挙げましたが、「日本について」では、日本は対象なのか、主題なのかわかりません。   

>これがたとえば、「日本における階層間格差——SSM調査19952015の計量分析」というかたちであれば、何が主題で、何が対象なのかがはっきりします。   

>対象としているものは、特定の調査で集められたデータですから、目で見て読んで分析できます。    

>この場合は、「日本における階層間格差がどのような法則性で分布しているのか」が主題の問いといえます。   

>つまりここでの主題は、階層間格差の分布の法則性です。   

 

そうですね。   

 

>「日本」は、いってしまえば、とりかえ可能な対象です。   

>日本でなくても調査できる主題であり、誰がいつやっても同じ方法で再現可能な研究だといえるかもしれません。   

>もちろん、自分が住んでいる国だという点では、「日本」は「とりかえ可能」というほど軽いものではないかもしれません。   

>論文の社会的意義とか、著者の責任感といったものを、無視することはできません。   

>しかしそれは、「日本」にかぎらない普遍的な法則性の探求が主題であることとは別の話です。   

 

そうですね。普遍的な法則は自然界には無くて、個人の頭の中にありますね。        

 

()  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


衰退ニッポン  

2025-02-20 00:39:19 | 文化

>現代ビジネス   >衰退ニッポン「非正規雇用者2000万人時代」をどう生きるか   >河合雅司 (作家・ジャーナリスト) によるストーリー・   >10時間・   

(略)   

>非正規雇用者は今や約2000万人   

>ジョブ型雇用には、出産前後や子育て中、介護をしながら働く人にとってのメリットもある。   

>長期の休暇をとってキャリアコースからひとたび離れると、今はなかなか元に戻りにくいが、ジョブ型雇用となれば状況の変化に応じて役割を変えて働けるようになり、選択肢が増える。   

 

そうですね。   

 

>女性の積極登用などさまざまな人に活躍の場を提供することが企業収益につながることから、ジョブ型雇用を人材の活性化を図るツールにしたいとの思惑だ。   

>コロナ禍で産業界の新陳代謝がかつてないほどに激しくなっているが、人口減少社会において成長を続けるには、人材の多様化が必須である。   

>アフターコロナに向けてジョブ型雇用への移行はさらに拡大していくだろう。   

 

そうですね。   

 

>それ以前の問題として、ジョブ型雇用が定着しようがしまいが、平均寿命が延びて長い老後を生きざるを得なくなったことがある。   

1つの会社で働くだけでは済まなくなったという社会の変化だ。   

>雇用の流動化は進まざるを得ない。   

>もちろん、慎重論や否定的な意見もある。   

>成果主義を導入しようという気運は1990年代後半にもあった。   

2000年代には、世界で評価基準を統一化しようという動きもあったが、いずれも日本の労働慣行を変えるまでには至らなかった。   

 

そうですね。伝統的な日本人は義理 (序列関係から生じる個人的な義務) で働いていますからね。   

 

>終身雇用が社会に深く浸透しており、安易な解雇につながることへのアレルギーが強かったからだ。   

 

そうですね。主君と縁が切れた日本人は浪人になってしまいます。我々には序列が大切です。ですから外人・非国民・村八分にはなりたくない。      

 

>日本では解雇の要件を厳しく限定した判例も確立している。   

>こうした経緯を背景として「メンバーシップ型雇用が、日本の雇用を守ってきた」という見方が以前から強いが、これは怪しい。   

>バブル経済が崩壊したあとの1994年以降、非正規雇用者はゆるやかに増大しており、総務省の「労働力調査」(202012月)によれば2093万人を数える。   

>役員を除く雇用者に占める割合は37.2%に上る。   

>フリーランスや副業・兼業者の増大など働き方は多様化しており、純粋な意味でのメンバーシップ型雇用の該当者はいまや、かなり限定的になってきている。    

 

そうですね。   

 

>ひとたび会社員になりさえすれば、定年まで無難に働き続けられ、何とか生きていけた時代は終わりつつあるのだ。   

>長い老後を考えれば、自己投資で学び、自分の市場価値を高め続けるしかない。    

 

そうですね。自ら昇進を求める時代になりつつありますね。      

 

>職務履歴をたえずアップデートすることが求められている以上、ジョブ型雇用は「少子高齢時代の要請」と言えよう。