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政界汚染  

2022-08-05 01:53:27 | 文化

>安倍元総理と統一教会の“ズブズブ癒着”に新証言 「誰が統一教会の支援を受けるかは安倍さんの一存」 >国内 社会   >20220803

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>汚染は野党にも   

> ほかにも安倍元総理の「秘蔵っ子」と呼ばれた稲田朋美元防衛相は09年と10年に統一教会系の団体のイベントで講演を行っており、菅政権で官邸を仕切っていた前官房長官の加藤勝信氏は18年に関連イベントに秘書を代理出席させたほか、同氏が代表を務める自民党支部は関連団体に会費を支払っている。 > 汚染は野党にも及ぶ。   

>国民民主党の玉木雄一郎代表は「世界日報」の元社長から計3万円の寄付を受け、前原誠司氏は統一教会系米紙「ワシントン・タイムズ」の全面意見広告に名を連ねている。 > それぞれの事務所に見解を尋ねると、細田事務所は回答ナシ。 >稲田事務所は、「両集会への参加は事実です。 >当日はひと言挨あいさつをし、途中退席しました。   

>講演はしていません」 > ほかの議員は、「慶事や行事などの案内などを受けることもあり、適宜事務所で判断して対応しています」(加藤事務所)  >「賛同者として名を連ねたとありますが、前原にその認識はなく、(中略)統一教会の活動には一切関わりはございません」(前原事務所)  >「(寄付は)いずれも事実です」(玉木事務所)   

 

日本の文化は形式があって内容が無い。だから、統一教会の内容を問われても政治家は返答できない。政治家には自己の哲学がない。形を揃えることが日本人の全てである。       

 

>「見破れなかったこと自体が問題」   > 前出の鈴木[エイト]氏が教団側の意図を解説する。>「統一教会が政治家と付き合うメリットは、内部統制の意味合いが強いと思います。 >信者の中には霊感商法や過度の献金などで教団に不信感を抱いている人もいる。 >そこで名のある政治家がメッセージを寄せれば、教団への信頼を担保することができるのです」  

 

そうですね。名のある政治家の名前を聞けば信者は心も休まりますね。

‘日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。’  (ウスビ・サコ)         

 

> 政治家としては前述した“見返り”を期待してのことなのだろうが、統一教会による被害に詳しい弁護士の紀藤正樹氏は手厳しい。 >「統一教会には数えきれないほどの関連団体、友好団体があり、専門家でもすべてを見分けることは難しい。  >そうやって自分たちの正体を隠して政治家に接近するのが、カルト宗教の手口です。  

 

そうでしょうね。つかみどころがないのは日本人の特徴ですね。無哲学・能天気な人間の特徴ですね。

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)            

 

>そうと知らずに協力してしまった政治家もいるかもしれませんが、見破れなかったこと自体が問題です。  

 

政治家はそのような不吉なうわさには目をつむってカルト宗教と付き合っていたかもしれませんね。正義の味方になることには全然興味が無かったのでしょう。

言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。   

 

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。これは政治に必要である。日本人の場合は、無哲学・能天気にためにノンポリ・政治音痴になっている。これでは冴えた政治は行われない。

 

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定だけがわが国では一生涯続く。

 

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には非現実を内容とする世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

 

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。そこで、不完全な現実に囲まれて無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。 

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

 

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)       

 

>結果的に統一教会へのお墨付きを与える格好となり、社会全体としてカルトを糾弾する状況が生まれなかったのですから」   

 

統一教会は政治家を利用していたのですね。    

「もしかしたらこれで 誰かが死ぬ かもしれないけど、まあ 別に いいや」という 心境 が、未必の故意ですね。安倍晋三氏はその犠牲者か。庶民の声をよく聞いて、、、という日本人の政治家の物腰はどうなっているのか。   

 

>週刊新潮 202284日号掲載   

>特集「底なし政界汚染 安倍元総理と『統一教会』ズブズブの深淵」より   

 

 

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