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興野優平氏  

2024-12-31 17:39:55 | 文化

>朝日新聞デジタル   >なぜ「国家補償」を追及するのか ノーベル平和賞の日本被団協が講演   >朝日新聞社によるストーリー・   >4時間・   

> ノーベル平和賞を受けた日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)はなぜ、「国家補償」を求め続けるのか。   

>事務局次長の浜住治郎さん(78=東京都=1221日に広島市で講演し、授賞式でのスピーチでも触れられた日本被団協の「基本要求」について解説した。   

> 「基本要求」は1984年に発表された。   

>日本政府に原爆被害者援護法の制定、米国政府に謝罪や核兵器の全廃などを求めており、要求全体を貫く柱は「核兵器廃絶」と「原爆被害者への国家補償」の二つだ。   

>その原点は、56年の結成大会での「人類は私たちの犠牲と苦難をまたふたたび繰り返してはならない」との宣言だと浜住さんは言う。   

> 核兵器廃絶はわかりやすい。   

>では、国家補償は――?    

>浜住さんは「『原爆の被害者』と『被爆者』、この違いを考えてほしい」と話す。   

> 運動の中で、惨禍を生き残った「被爆者」に医療費などを助成する援護法は確かにつくられた。   

>だが、今日に至るまで、原爆の死者やその遺族への救済はされていない。   

 

原爆であろうとなかろうと死者やその遺族への救済はなされていないでしょうね。   

 

>たとえば原爆孤児のように、原爆には、放射線を直接浴びてはいない「被害者」も存在する。   

> 授賞式では、代表委員の田中熙巳さん(92)が二つの要求に触れながらスピーチ。   

>日本政府が原爆の犠牲者に国家補償をしていないことに繰り返し言及した。   

 

それは政府が原爆を特別視していないという事でしょうね。   

 

>政府は、国の非常事態下で起きた被害は、国民が等しく我慢しなければならない、とする「戦争被害受忍論」の立場から国家補償を拒んでいる。   

 

不自由を常と思えば不足なし。堪忍は無事長久の基。忍耐は日本人の美徳ですね。      

 

> 浜住さんはこのことに触れながら「国が戦争をした結果として、こうした問題が出て、いまだ取り残された人たちがいる」と強調した。   

 

戦争に対する国の責任者はついに出なかった。日本人の責任追及は難しい。  

日本人には意思がない。意思の無い人間には責任がない。だから責任者捜しは難しい。場合によっては日本残酷物語の様な様相を呈する。だから、日本人は責任者を出すなと言う。      

 

肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。

徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り) 

 

> 基本要求は国家補償について、「同じ被害を起こさせないための第一歩です」と説明し、「『核戦争被害を拒否する権利』をうち立てるものです。   

 

加害は自己の意思で拒否できますが、被害は相手の意思・能動によるものですから拒否できませんね。   

 

>『ふたたび被爆者をつくらない』誓いを、国として高らかに宣言するものなのです」としている。   

 

それはやれば出来ますね。天真爛漫な態度ですね。罪を知らない子どものようですね。   

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。 

指導を受ける時期というのはどこでもそうですが、日本人は新しい模範とか新しい考え方を受け入れやすかった。あそこでは、基本になる考えを植え付けることができます。日本人は、まだ生まれたばかりの、柔軟で、新しい考え方を受け入れることができる状態に近かったのです。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使のものよりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。だが、日本人は彼が考えるような知恵遅れの民族ではない。日本語文法には時制 (tense) というものが無いのである。待てど暮らせど非現実 (考え・哲学) を搭載する構文は日本人の口からは出て来ない。つまり自己の考えの内容が出て来ない。これが英米人の子供と違う所である。          

 

>国の責任を明確にすることが戦争への歯止めになるという考え方だ。   

 

国の責任を明らかにすることは、国の責任者の責任を明らかにすることですね。先の戦争に対する国の責任者はついに現れなかった。だから、兎角この世は無責任。矛盾のごり押しを敢行するのか。      

 

> 自身も広島で母親が被爆した胎内被爆者の浜住さんは、1210日にノルウェーであった平和賞の授賞式にも出席した。   

>基本要求の柱の二つは未だに達成されていないとしつつ、受賞について「私たちを力強く鼓舞してくれた。   

>これでまた次の段階に進むことができる」と話した。   

 

我が国の日本人の記事は実況放送・現状報告の内容ばかりで、読者のためになる所が少ない。‘それでどうした、それがどうした’の問いに答を出せる編集者がいないからである。我々は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。高等教育機関において自己の個人的見解示せば学位 (博士号など) が得られる。だが、自己の見解を含まない発言には価値が少ない。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく世の人を教え導く人) が必要である。そうでなければわが国は迷走に迷走を続けて、いつまでたっても国家目標に到達しない。だから、わが国の政治は若者にも夢と希望を与えない。     

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)    

 

>(興野優平)   

 

「アメリカがあのタイミングで原爆投下して、どれだけ破壊力があるかを世界中に知らしめられたことで、冷戦中の核兵器使用が防がれた。世界の滅亡を避けられたじゃないか。大体、日本は被害者なのか。  

ユダヤ人大虐殺をしたドイツと連盟を組んで、他のアジアの国にもひどいことをしたじゃないか。それでいて第二次世界大戦といったら原爆投下の被害ばかり語るのっておかしくない?  そもそも戦争中っていろんな国がめちゃくちゃひどいことをしたわけだから、日本が、日本が、って核兵器についてばかり言うのはおかしいと思う」 (あるアメリカの学生

 

御尤もですね。日本は加害者ですね。しかし、日本人には意思がない。だから、日本人には加害者意識 (罪の意識) がなくて、被害者意識だけがある。わが国は戦犯が存在しなくて戦争犠牲者ばかりのいる特殊な国ですね。     

唯一の被爆国というのは被害者が被害を語る時の否定されることのない固い論拠であるとだけ考えているからでしょうね。   

日本人には罪の意識がないので悪びれた態度がない。だから、遠慮・ためらいもなく核兵器についてばかりを世界中に大声で言うのでしょうね。これは楽ちんな気休めであろうが奇異な態度に見える。  

 

 

 

 

 

 

 



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