>私 [養老孟司=ようろう・たけし] は20歳から37年間東大で解剖をやってました。>ある時思い立って辞めた。>外へ出たらびっくりしました。>世の中こんなに明るかったのか、と。
大学の中は、暗いですからね。
>辞める時に2年先輩の教授から、「ここは我慢会だからな」と言われた。>日本の勤めは我慢会なのですね。
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し。日本人のメンタリティ (考え方) は昔から同じですね。
>一番我慢した人が一番偉いのです。
序列社会の鉄則のようなものですね。
>学校の卒業証書もそうです。>ちゃんと年数だけ辛抱できた証明書なのです。
辛抱のお墨付きが大切ですね。
>2年経って初めてまた東大に行った。>おれ確かにここに勤めていたことあるなーと思った。>まさに前世の感覚なのです。
郷愁ですね。
>福沢諭吉は「一身にして二世を得る」、つまり一つの体だけど二つの時代を生きた、と言っています。>昔の仲間が昔通りのことを話すのを聞いていると、自分が二人いてその中に入っていく自分と入っていない自分がいる。
世の中には、変わる人と変わらない人がいますからね。
>周りも辛抱していると、我慢会だけが人生じゃないとなかなか気がつかない。
人生には転機が必要ですね。
>辞めた瞬間に世界が明るくなったのは、そういった辛抱が全部消えたからであります。
辛抱の世界は暗いですね。
(略)
>予測と制御というか、予めこうなるというルートに沿って今やることを調整する。>その典型がロボットとミサイルです。 >で、人間はそうか、と私は聞きたい。
人生は、予測がつかないですね。神の御心に誘導されているのかな。
>死ぬまで何をするか決まっていない。>それが生きるということですが、現代生活では定年になったらどうするか、とかかなり前から準備している。
定年後の生活が楽しみですね。
>そういう生き方を見ていると、ひょっとしてあの人はロボットに生まれた方が幸せだったのでは、と思うのです。
無哲学・能天気でいれば、ロボットになれますね。
>人は変わります。>自分が何10年か生きてきた世界が前世に思えるのは素直な感覚です。
そうですね。
>どうして前世かというと色が付いていない。
前世の話は、話の筋である。言語の内容である。話の筋には色がない。非言語の記憶内容のようにナウな感じがしない。
>今私が生きている世界はものすごく明るい。
それは、現実の世界ですからね。
>ちょっと生活を変えてみると色付きだと思っていた世界が実は白黒だったことに気がつく。
目先手先の世界 (現実) 以外には、色がない。
>その感覚が日本は特に強い。>それを補強しているのが世間です。
過去は疾く風化する。わが国人の脳裏には、非現実 (考え) の独立した三世界 (過去・現在・未来) は存在しない。
>自分より周囲の考えに従って行動する。
日本人には、意思がない。優柔不断・意志薄弱である。我々の行動は、受動的な行動の連続ですね。
>私は官僚の世界で長いこと我慢会をやったお陰で、腹の底は違っていても表面は合わせられる癖がついた(笑)。
‘お前らに、俺の腹の底が読めてたまるか’ ということですね。
>私は小学校2年で終戦で、戦前の教育がポッチリ入っている。
大変な戦争でしたね。でも、一億総玉砕はまぬかれて良かった。
>大人は食い物の始末で大騒動で、子どもは放って置かれた。>こんなに子どもらしく育った世代はない。
大人は、食うことに追われた。浮浪児もたくさん出た。
>次の世代は50代前半、全共闘です。>戦後の典型的な民主主義教育を受けた。
衆愚政治・烏合の衆になるための教育だったようですね。
>正義感が強い一方殺人が多い。
力は正義ですからね。Might is right.
>40代以下で典型的なのは上祐さん。>全く意味のないことをダーと言える。
声を出すのには、意味は必要ないのでしょう。
>今の新聞は大事なことを言わないために一生懸命いろんなことを言う。
日本人は、意味 (meaning, significance) に縁が遠い国民ですね。 ‘意味・意義’ を追及する者はいない。
>もし本音を一言でも言うと大騒動ですから今は。
本音は恣意 (私意・我儘・身勝手) ですからね。
>学者にも目立ちますね。
学者・素人の区別に本音は関係がないですね。
>世の中が違った人達によって作られると多分違ってくるでしょう。>違ってきた世界を見たいような気もするし大して見たくないような気もします。
そうですね。違ってきた世界を見ると、それ相当のストレスがかかりますからね。
>(おわり)
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