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世界大学ランキング

2024-05-20 21:38:28 | 文化

Forbes JAPAN   >世界大学ランキング2024、米ハーバード大が13年連続で首位 東大は13位   >Michael T. Nietzelの意見・   >13時間・   

>世界大学ランキングセンター(CWUR)が発表した2024年世界大学ランキングで、米ハーバード大学が13年連続で世界最高の大学に選ばれた。 [CWUR: the Center for World University Rankings]  

>今年で13年目を迎える同ランキングは、全世界2966校の大学の中から上位2000校を選出している。   

>今年の上位10校は以下の通り。   

1位 ハーバード大学(米国)   

2位 マサチューセッツ工科大学(米国)   

3位 スタンフォード大学(米国)   

4位 ケンブリッジ大学(英国)   

5位 オックスフォード大学(英国)   

6位 プリンストン大学(米国)   

7位 コロンビア大学(米国)   

8位 ペンシルベニア大学(米国)   

9位 エール大学(米国)   

10位 カリフォルニア工科大学(米国)   

>今年の上位10校のうち、米国が8校を占め、残りの2校は英国のケンブリッジ大学とオックスフォード大学だった。   

>ハーバード大学、マサチューセッツ工科大学、スタンフォード大学の順で上位3校を占めるのは6年連続となる。   

CWUR201819年のランキングでは、ハーバード大学、スタンフォード大学、マサチューセッツ工科大学の順だった。   

 

大学の成果はアングロサクソン (イギリス国民の成員) が上位ですね。彼らの言語は英語ですからね。

言語は情報の伝達手段であるばかりでなく、思索の手段でもありますね。   

学問はどの分野においても最先端の内容が重要ですね。英語はその手段として最適な言語であると考えられますね。      

 

1125位は以下の通り。   

11位 シカゴ大学(米国)   

12位 カリフォルニア大学バークレー校(米国)   

13位 東京大学(日本)   

14位 コーネル大学(米国)   

15位 ノースウエスタン大学(米国)   

16位 ミシガン大学(米国)   

17位 カリフォルニア大学ロサンゼルス校(米国)   

18位 ジョンズ・ホプキンス大学(米国)   

19位 パリ科学人文大学(フランス)   

20位 ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(英国)   

21位 デューク大学(米国)   

22位 イリノイ大学(米国)   

23位 トロント大学(カナダ)   

24位 ニューヨーク大学(米国)   

25位 ワシントン大学(米国)   

 

英語の下手な日本人は思索にも不利な条件を抱えているようですね。   

 

>評価方法   

CWURは以下の4つの要素を基に大学を評価している。    

>・教育(25%):大学の規模に応じて相対的に測定した、卒業生の学業上の成果   

>・就職率(25%):大学の規模に応じて相対的に測定した、卒業生の職業上の成果   

>・教員(10%):優秀な学業成績を収めた教員の数   

>・研究:以下の4つの指標を総合して評価している   

> i 研究業績(10%):研究論文の総数   

> ii)質の高い出版物(10%):一流の学術誌に掲載された研究論文の数   

> iii 影響力(10%):影響力のある学術誌に掲載された研究論文の数   

> iv 引用(10%):被引用数の多い研究論文の数   

>国ごとの比較   

>世界上位2000校中、米国の大学は329校と最も多かった。   

>上位25校のうち19校が米国の大学で、アイビーリーグ(訳注:米北東部の名門私立大学8校の総称)の8校すべてが上位70位以内に含まれている。   

>上位2000校のうち、中国の大学は324校、日本からは110校が入った。   

>国立大学としては、11年連続で英ケンブリッジ大学が世界最高の大学となった。   

>同大学を筆頭に、英国からは92校が上位2000校に入った。   

>フランスの大学は73校、ロシアからは46校が入った。   

>今回の結果は、反ユダヤ主義やイスラム嫌悪の抗議、ガザ紛争を巡る学生運動の長期化、入学者数の減少、社会的信頼の低下などで揺れる米国の大学にとって良い知らせとなった。   

CWURのランキングは定量的な指標に基づいた調査を重視しているため、評判を参考にする他のランキングのように、意見の移り変わりには左右されにくいと言えよう。   

>なお、統計にはかなりの時間差があるため、卒業生の就職率のように世論を反映しそうな要素でさえ、必ずしも現在の意識を反映しているとは言えない。   

>(forbes.com 原文)   

 

英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。思春期の到来とともに言語能力の発達する頃を待ってこの教育は行われる。英文法の中の時制 (tense) を活用して非現実の内容を文に表現する訓練である。子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。英米流の高等教育は子供から大人に変わる人間に哲学を獲得させようとする仕組みである。すると浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。だからどこの国でも英語の高等教育に力を入れることになる。

日本語は現実の内容だけを表す言語である。哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。日本式の判断だと、見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。だから現実ばかりの言葉 (日本語) を話す人が非現実を語る学習をすると常に失敗する。嘘(きれいごと) ばかりを語っていては学習に力が入らない。だから思考停止になっている。それで日本人は相変わらず無哲学・能天気の民となっている。わが国は英米流の高等教育の導入に失敗し続けているから何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する者はいない。  

今の地球はアングロサクソンの支配体制の下にある。個人の哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっている。彼等の出世は高等教育の賜物である。

当の日本人の若者はいまもなお国内の序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。これは日本語文法に階称 (hierarchy) がある為である。’上と見るか・下と見るか’ の判断に囚われざるを得ない。 難関出身者が序列社会でどれほど優位に立つているかの話ばかりで持切りである。世界に関する注意力の不足で日本人は井の中の蛙になっている。だから国際社会で印欧語族の知識人を相手にして苦戦を強いられることになる。  

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。     

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。能率の良い言語の習得には音読が欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)          

 

 

 

 

 


井手壮平氏  

2024-05-20 03:05:48 | 文化

>現代ビジネス   >「遊ぶだけの大学生にお金を出す必要は無い!」大学教育無償化に反対する人を一蹴する「衝撃の抜け道」   >井手壮平によるストーリー・   >18時間・   

>「終わりのない成長を目指し続ける資本主義体制はもう限界ではないか」   

>そんな思いを世界中の人々が抱えるなか、現実問題として地球温暖化が「資本主義など唯一永続可能な経済体制足りえない」ことを残酷なまでに示している。   

>しかしその一方で、現状を追認するでも諦観を示すでもなく、夢物語でない現実に即したビジョンを示せる論者はいまだに現れない。   

>本連載では「新自由主義の権化」に経済学を学び、20年以上経済のリアルを追いかけてきた記者が、海外の著名なパイオニアたちと共に資本主義の「教義」を問い直した『世界の賢人と語る「資本主義の先」』(井手壮平著)より抜粋して、「現実的な方策」をお届けする。   

>『世界の賢人と語る「資本主義の先」』連載第19回   

>『「実は増税が正解...?」 慶応大教授が訴える「増税」がもたらす意外すぎる効果』より続く   

>あまりに低い日本の公的補助   

>大学は無償で行けるようにするべきか。   

>学費がかかることが当たり前の日本からすると意外なことだが、世界的には無償または極めて低額の国も多く、日本の学費は高い部類に属する。   

>日本でこの議論をすると、無償化に反対する人たちからは主に2つの反論が返ってくる。   

1つは、「大学進学で利益を得るのは何より本人なのに、なぜ国がお金を出す必要があるのか」というもので、もう1つは「なぜ勉強もせずモラトリアムを無為に過ごすだけの学生にまで国がお金を出す必要があるのか」。   

>その2つとも重なるが、「経済的な事情から大学進学をあきらめて高校(あるいは中学)卒業後に働いている人も納めた税金で学生を支援するのはおかしい」という論点もよく提起される。   

>奨学金を借りられても…   

>これらはいずれも一見、筋の通った反論である。   

>まず、労働政策研究・研修機構の「ユースフル労働統計(2022)」によると、平均的な高卒正社員男性の生涯賃金の推計は25410万円なのに対し、大卒正社員男性の場合はそれが32780万円まで跳ね上がる(いずれも退職金と定年後の平均引退年齢までの非正社員としての収入を含む)。   

>生涯で7000万円も収入が変わってくるならば、奨学金を借りて大学に行っても、十分お釣りがくるではないかという理屈はもっともらしい。   

>だが、このロジックの重大な欠陥を2点指摘したい。   

1点目は、そのような理屈で大学進学への経済的な障壁を維持し続けることは、結局、余裕のある人だけが大学に行けるという状況を温存し続け、格差を再生産することにつながるということだ。   

>長い目で見れば奨学金を借りてでも大学に進学したほうが本人にとっても得な選択肢だとしても、一日でも早く就職して家計を助けなければならないという状況は十分あり得る。   

>また、奨学金を借りても十分なお釣りがくるというのは、あくまで統計的に見ればという話であり、実際には中卒や高卒でも事業で成功する人もいれば、大学院博士課程まで修了しても窮乏生活を送る人もいる。   

>さまざまな可能性が考えられる中で、進路選択に直面する本人が、安全策として一日でも早く収入を得ることができ、親の負担もなくせる就職を選んだとしても何ら不思議はない。   

>「経済的に」進学が難しい   

>実際、東京大学大学院教育学研究科の大学経営・政策センターが200611月に行った「高校生の進路に関する調査」によると、その年に高校を卒業し、進学せずに働いている回答者の444パーセントが「経済的に進学が難しかった」と回答している。   

>政府はようやく重い腰をあげ、2020年から日本学生支援機構の給付型奨学金を拡充したが、奨学金があっても多くの場合、それだけで生活費まですべてカバーできるわけではない。   

>給付型支援の対象も本稿執筆時点では住民税非課税世帯とそれに準ずる世帯(年収の目安380万円未満)に限られているが、その枠に入らなくてもさまざまな事情から大学進学の余裕がないと感じる子どもや、行かせる余裕がないと考える親も多いだろう。   

>政府は202312月、「異次元の少子化対策」の目玉として、3人以上の子どもを育てる家庭に対して大学を無償化する方針を打ち出した。   

>だが、3人とも扶養下にあることが条件で、たとえば第1子が大学を卒業して働き始めたら下の子も対象外となる。   

>また、「貧乏人の子沢山」ということわざとは裏腹に、現代では収入が高い層ほど子どもが多い傾向があることも研究で明らかになっている。   

>完全な無償化に向け一歩前進とも言えるが、多子世帯に限定した支援は多くの場合、児童手当の所得制限緩和と同じようにさらなる高所得者優遇になってしまう点でも問題だ。   

>「国家」にとっての教育   

>もう一点の大きな誤りは、国として考えるべきは個人の利害得失ではなく(個人の幸福はもちろん大事だが)、国家にとっての費用と便益である。   

>先ほどの生涯賃金の例で話を単純化すると、2022年度の大学進学率は566パーセントだが、人口の56パーセントが33000万円の生涯賃金を得ることができ、残りは25000万円の生涯賃金しか手にできない国と、たとえば9割が33000万円を稼げる国なら、どちらがより多くの税収を得られるだろうか。また、どちらが国際競争力という点で優位に立てる可能性が高いだろうか。   

>「勉強せず遊んでいるだけの学生になぜお金を出すのか」という疑問への答えはさらに簡単だ。   

>進級や卒業の要件を厳しくして、遊んでいるだけでは卒業できないようにすればいいだけである。   

 

英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。思春期の到来とともに言語能力の発達する頃を待ってこの教育は行われる。英文法の中の時制 (tense) を活用して非現実の内容を文に表現する訓練である。子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。英米流の高等教育は子供から大人に変わる人間に哲学を獲得させようとする仕組みである。すると浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。だからどこの国でも英語の高等教育に力を入れることになる。

日本語は現実の内容だけを表す言語である。日本語文法には時制がない。哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。日本式の判断だと、見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。だから現実ばかりの言葉 (日本語) を話す人が非現実を語る学習をすると常に失敗する。嘘(きれいごと) ばかりを語っていては学習に力が入らない。だから思考停止になっている。それで日本人は相変わらず無哲学・能天気の民となっている。わが国は英米流の高等教育の導入に失敗し続けている。何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する者はいない。  

今の地球はアングロ・サクソンの支配体制の下にある。個人の哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっている。彼等の出世は高等教育の賜物である。

当の日本人の若者はいまもなお国内の序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。これは日本語文法に階称 (hierarchy) がある為である。’上と見るか・下と見るか’ の判断に囚われざるを得ない。 難関出身者が序列社会でどれほど優位に立つているかの話ばかりで持切りである。世界に関する注意力が不足していて日本人は井の中の蛙になっている。国際社会で印欧語族の知識人を相手にして苦戦を強いられることになる。  

 

>よく言われることだが、これは有償か無償かにかかわらず、多くの国の大学で当然に実践されている。   

>また、有償であってもほとんどの大学に補助金が入っているわが国でも、本来当然実施すべきことでもある。   

>どんな大学でも、たとえばすべての科目について一律で成績下位20パーセントは単位を与えないといった運用はやろうと思えばすぐにでも可能だ。   

>それに反対する大学関係者は、単なる職務怠慢としか思えない。   

>落第させるにはその根拠となる精緻で客観的な成績評価が必要になり、それよりもほとんどの学生に単位を与えてしまったほうがはるかに楽だからだ。   

 

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。    

 

>「増税」しか道がないのか   

>大学進学をあきらめて就職した人が働いて納めた税金を大学生支援に使うのか、という論点は、感情論としては理解できる。   

>ただ、制度変更の前後で損をしたと感じる人たちが一定数生まれることは致し方ない。   

 

そうですね。気分・雰囲気・感情の問題は日本人の心を強く動かしますね。だが、リーズン (理性・理由・適当) の話は受け入れにくいですね。    

 

>こうした不公平はたとえば幼児教育・保育無償化の前に子どもを幼稚園や保育園に通わせた場合や、不妊治療の保険適用前に不妊治療を終えた場合も同じだ。   

>また、一定の時期を過ぎたら使えなくなるそれらの補助と違って、大学に通うことは高校卒業から何年たっていても原理上は可能であり、公平性の観点からも比較的問題は小さい部類に入るだろう。   

 

そうですね。生涯教育の時代ですね。      

 

>ここでは高等教育の例を取り上げたが、ほかにもここでは触れなかった住宅補助など、他国では当然の権利だと考えられているが、日本では個人がすべて負担するべきだと思われているものもある。   

 

そうですね。これは日本式の個人主義ですね。    

 

>それでは、そのためのお金は誰がどうやって出すのか。   

>オーソドックスな財政論の立場からは、恐らくは消費税が最も適した財源ということになる。   

>法人税や所得税のように景気変動とともに大きく税収が上下することもなく、広く薄く皆が負担するため、重税を逃れてお金持ちが海外に移住したり企業が本社を海外に移転させたりするような事態も起きにくい。   

>なにより、日本の税率10パーセントは20パーセント超えも珍しくない欧州諸国と比べると、まだまだ引き上げの余地があるようにもみえる。   

 

そうですね。   

 

>それはそれで一つの考え方ではある。   

>しかし、本当にそれしか道はないのだろうか。   

 

更なる考察が必要ですね。    

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。     

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 

 

 

 


木俣正剛氏  

2024-05-16 22:46:46 | 文化

>ダイヤモンド・オンライン   >「悪夢の立憲民主党」を日本の救世主に大変身させる、政策転換と人材登用とは   >木俣正剛によるストーリー・   >5時間・   

>岸田政権が末期的状態でも政権交代はまず起きない   

> 岸田政権の支持率は極めて低く、政権交替すべきだというアンケート結果が48%を超えて(JNN調査)、俄然「自民党崩壊」「大きな変革の時代がくる」と期待が大きくなっています。   

> しかし、自民党への信頼は落ちているものの、野党の支持率も全然上がっていません。   

 

そうですね。共に無哲学・能天気ですからね。   

 

>日経新聞が行った次期衆議院の投票先の調査結果では、自民26 、立憲12 、維新11%、公明7%となっています。   

>また選挙結果については、みらい予想研のシナリオでは自民235、公明27と議席は減らすものの与党が過半数を大きく上回りました。   

>立民は13減の83、維新が56増の97で、野党第1党が交代するという結果でしかありません。   

>もう少し過激な予想をするNEWSポストセブンの予測でも、自民202 、公明20 、立憲131 、維新83 、国民10 共産10 、その他8 と、立憲中心の政権交替は不可能です。   

 

そうでしょうね。共に無哲学・能天気ですからね。   

 

> 先日の補選で立憲民主党は三戦三勝して、勢いに乗っているのですが、野党が結束して政権交替に挑む姿勢がなく、立憲にもその意志がないようでは、自民・公明がなんとか過半数を確保することはできるでしょう。   

>それが無理でも、国民民主か日本維新と結べば政権は存続し、大きな改革など起こらないという結果になります。   

 

日本の政治は安定していますね。   

 

> 私は、日本社会党に先祖帰りしたかのように、政権攻撃は得意でも具体策のない立憲民主党の現在の状態に、国民が政権を任せる気持ちがあるとは思いません。   

 

日本人には哲学がない。政治家には政治哲学が必要ですね。政治には未来の先取りが必要ですね。政治家は希望に満ちた未来社会を描いて見せる必要がありますね。   

残酷なものは未来の無い若者と、過去のない年寄りである。この国には何でもあるが、ただ夢と希望がない。      

 

>しかし、日本を大きく変えるためには、自民党が一度下野する必要、いや一度解党するくらいの大変革が必要であり、そのためには、群小の保守系と自民の連立では不十分だと考えています。   

> そのため、別の角度から考えてみました。   

>実は、政党支持率を元にした予測では、半数近い浮動票を計算できないからです。   

 

浮動票は新しい政権を待ち望んでいる人たちの数でしょうね。新しい政党と浮動有権者の理想が一致すればすぐに過半数を越えますね。      

 

>しかし、浮動票は私にも予測はできません。   

>ならば、歴史に学びましょう。   

> 日本と違い中国では、歴史上、何度も政権(王朝)が交替しました。   

>その度に使われてきた指標が「天の時、地の利、人の和」という孟子の言葉です。   

>この3つがそろっていれば、その王朝が天下をとる。   

>たとえば、三国志の時代は魏の国が「天の時」を持ち、南方の呉の国が「地の利」を持ち、弱小で狭隘な蜀の国は「人の和」で勝負していました。   

> この観点から、立憲民主が主体となる大きな政権交替が起こる可能性について考えてみました。   

>日本の全政党を中国の王朝になぞらえて評価すると?   

>・自民党……「天の時 最悪」「地の利 安心な選挙区なし」「人の和 派閥解消でバラバラ」   

>立憲民主党……「天の時 絶好機」「地の利 リベラル系野党の大きなライバルなし(これは不利にもなりうる)」「人の和 野党連合の総理候補が不在」   

>・日本維新の会……「天の時 保守派の自民離れ」「地の利 大阪のみ絶対(関東に友党を作るべき)」「人の和 人材の質の悪さが目立つ」   

>・公明党……「天の時 逆風」「地の利・人の和 いつもブレなし」    

>・国民民主党……「天の時 自民党の補完勢力としての期待」「地の利 維新ほど過激でない」「人の和 党首に信頼感なし」   

>・共産党……「天の時 自民党のウラガネを追及した功労者」「地の利 自民党候補次第で候補者調整ができる」「人の和 内部に不和が保守党   

>・れいわなど小党……「天の時 自民党自壊」「地の利 重要自民党候補の落選に集中できる」「人の和 個人党首の魅力のみ」   

>・都民ファーストの会……「天の時 自民党に愛想を尽かしたが維新は信用できない自民寄りには、小池人気がまだ有効」「地の利 東京都知事選を控え、都民ファの活動さかんに」「人の和 都知事の後継者として橋下徹か前川喜平を選べば、後継者ができ、国政に小池が出馬できる」   

>立憲民主党が政権を奪取するための「政策のススメ」   

> いかがでしょうか。   

>どの政党も決め手を欠きます。   

 

そうですね。どんぐりの背比べですね。   

 

>だからこそ、立憲民主はリベラル政党として、過去を捨てるくらいの斬新でしかも保守層も安心できる政策を打ち出し、政権奪取に真剣になるべきなのです。   

>具体的には以下のような政策が考えられます。   

>(1 外交   「 非武装中立」「自衛隊の存在を認めない」といった建前の寝言をやめ、対ロ中の安全保障策について日米安保を肯定した上で、横田空域からの米軍撤去、日米地位協定の破棄を踏まえた日米安保の再構築。   

>(2 憲法緊急事態条項の成立    先進国OECD加盟国38国中、30カ国はこの制度を持っています。   

>大災害が起きたとき、私権を優先していては緊急事態対応ができません。   

>今でも能登半島は、地震で倒壊した家の持ち主がわからず、復興のための工事ができない場所が続出しています。   

>緊急事態条項があれば、まず復興に全力を注げるのです。   

>立憲は憲法9条にこだわり、戒厳令的な法案に常に後ろ向きでした。   

>党のイメージを変えるためにも、災害時の緊急事態条項を定めるべきです。   

>(いまだに立憲民主は、この条項には反対です)。   

>(3 地方分権に注力    

> すでに新卒の地方学生は、東京に就職しても親の援助がないと東京に住めない状況です(私の地方大学勤務時代のゼミ生徒の半分が、親からの支援を受けて東京に出ています)。   

>地方を重視し、核家族化を抑止するコミュニティー社会確立のための列島改造を行うべきです。   

>これは、少子高齢化対策としても重要です。   

>(4 少子化政策   

> 子育て給付金程度では、少子化は止まりません。   

>少々の金銭的援助では住宅、教育、通勤時間など制約が多すぎる大都会での子育ては困難がありすぎます。   

>子育て世代のテレワーク促進やサテライト勤務などによる、地方移転によるのびのび教育とのびのび子育て策を強化し、何よりも子育てもコミュニティーが行うという前提の社会建設を目標にすべきです。   

>(5)円高の防止とアベノミクスの後始末のための日銀頭取の更迭   

>(6)男女平等を進展させるための法律改正   

> すでに会社勤務の女性のほとんどは、旧姓のまま仕事をしています。   

>男女別姓を主張し続ける妙な原理主義を捨て、現実に合わせることも大事ではないでしょうか。   

>(7)マイナンバーカード制度導入の延期と再設計   

> これは、私が何度も主張していることです。   

>先日もダイヤモンド・オンラインに次のような記事を寄稿しました。   

>「マイナンバーの「肥大化」が止まらない!みずほ銀行どころではない巨大システムへの不安」(https://diamond.jp/articles/-/343304)   

>政治家が政治をせずに優秀な官僚や民間人に任せる法   

> さて、これだけ保守寄りの公約を掲げても、国民は立憲民主を信用しないでしょう。   

>立憲民主には蓮舫氏や辻元清美氏、長妻昭氏など攻撃型の政治家はそろっていても、政策実行力が高い政治家がいないからです。   

 

敵失の生起に打ち興じている者は政治家ではなくて政治屋でしょうね。頼むに足らず。     

 

>そこで政治家が政治をするのではなく、優秀な官僚や民間人が大きなプロジェクトの長となり、省庁横断のプロジェクトとして実行するという、新型の政権交替案を打ち出してはどうでしょうか。   

> 安倍、菅政権の10年間は、優秀な官僚を潰し、首相のために公文書を改竄したり、書類を廃棄したりするようなゴマスリ官僚ばかりを登用したため、霞が関は全く機能しませんでした。   

>ですから、その時代にパージされた優秀な役人らを復活登用し、次官としてではなく、プロジェクトの長として全力を出させるのです。   

>立憲民主党が政策を任せるべき「鉄壁の人選」はこれだ    

> たとえば私が思いつくだけで、こんなメンバーにこんな政策を担当してもらったら面白いと思います。   

>●日銀頭取を交代させ、代わりに就任するのは山口廣秀氏。

>白川頭取時代、学者系の氏に代わって実際の指揮をとり、頭取候補の一番手であった山口氏は、アベノミクスに反対したため安倍元首相に嫌われ、一時は記事のコメントに山口氏を起用した新聞にまで安倍氏が文句を言うほど干されていました。   

>しかし、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の経営委員長になり、年金の株式投資の黒字化のサポートにも成功しています。   

>●能登半島地震で明らかになった不備な災害対策への対応に、徳山日出男元国土交通省次官を充てる。   

>彼は東日本大震災時の東北地方整備局長として、震災当日から復興計画を立案、「櫛の葉」作戦と呼ばれる中心部から海岸への道路啓開を、3日で完成しました。   

>これは、以前から震災対応を準備していた賜物です。   

>翻って、能登半島で同じような計画ができたのは地発生から10日後。   

>能力の差は歴然としています。   

>●治安世界一国家の復活を目指し、高橋清孝元警視総監を起用。   

>日本は治安がいい国として世界有数ですが、その神話はトクリュウと呼ばれる反グレ組織や中国からの投資詐欺などのせいで、崩壊しかけています。   

>高橋氏は本来ならば日本版CIAである国家安全保障局長に就くべきでしたが、安倍・菅氏におもねらない人だったため早退。   

>沖縄サミット、北海道洞爺湖サミットと重要イベントでは必ず本部長を歴任。   

>重信房子や尖閣列島に上陸した中国人の逮捕という実績もあり、何よりも警察庁ノンキャリの絶大な支持があります。  

>●教育復活に前川喜平元文部次官。   

>平気で自民党政権に逆らい、堂々と批判を重ねた彼には、本来の文部科学省の守備範囲に留まるのではなく、一度霞が関を離れたからこそ得た知見をもとに、ICTや生成AIなどの新しく重要な教育の基盤をつくってほしいです。   

>まずは、時代遅れの老教師たちの気持ちから改革をしてほしいと思います。   

>●過疎地対策に石破茂。   

>地方創世大臣として、地方の活性化に尽くしてきた石破氏。   

>自民党議員だからといって、別の政権の行政に参画することは悪いことではありません。   

>その地方創世の知識を大いに使ってプロジェクトを成功させてほしいものです。   

>また自民党には、実務に通じる議員は大勢いるので、立憲民主からプロジェクトの長として使命し、自民党内を揺さぶることもできそうです。   

>●子育て対策に菅野志桜里 (旧姓山尾)。   

>不倫問題で政治家の道を断念しました。   

>託児所問題など、自民党女性政治家のような男に媚びて出世する気配のない仕事人として、もう一度子育て支援に全力を尽くしてほしいものです。   

> これだけ思い切った政策転換をし、日本に残った数少ない優秀な人材を携えて選挙に望めば、「悪夢の民主党政権」などという安倍総理のキャッチフレーズをぶちこわす成果を上げられるはずです。   

> そして最後に、野党統一政権の総理候補は泉健太代表ではなく、野田佳彦元総理にすべきです。   

>総理経験者であり、国民から嫌われるとわかっている消費税の導入を決めた人物こそ、今回のような危機の舵取り役にはふさわしいと思うのです。   

 

 

 

 

 

 


国民の家族観  

2024-05-15 13:28:42 | 文化

>産経新聞   >林官房長官が同性婚制度について「国民の家族観にかかわる」立民提出の法案巡り   >18時間   

>林芳正官房長官は14日の記者会見で、立憲民主党が国会提出した同性婚を法制化するための民法改正案(婚姻平等法案)について「(同性婚制度は)国民生活の基本にかかわる問題だ。   

>国民一人一人の家族観とも密接にかかわるものと認識している」と述べた。   

 

そうですね。   

日本語の文法には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は個性を伸ばす学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。 順位の比較は没個性的でなくてはならない。だから、序列競争の励みは個性の育成にはならない。     

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅苦しい日常生活を送っている。こうした観念は家族制度・天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。   

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬と序列作法には浅薄さが付きまとう。   

 

[序列人間] 日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在をウチソトの意識として確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、定刻通りに帰宅しないなど義理の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。義理が廃ればこの世は闇だ。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが叙勲の機会獲得は難しい。    

 

>同法案は、異性間の婚姻のみを前提としている文言を修正するとともに、従来の「父母」や「父」「母」を性中立的な「親」などの表記に改めることが柱。   

>保守層からは「家族のあり方が崩壊し、バラバラの個人の集合体のような国になりかねない」(ジャーナリストの櫻井よしこ氏)と慎重な意見が上がっている。   

 

日本人の文化には形式があって内容が無い。   

 

林氏は同性婚に関し「まずは国民各層の意見、国会における議論の状況、同性婚に関する訴訟の動向、地方自治体におけるパートナーシップ制度の導入や運用の状況などを注視していく必要がある」と語った。

 

我が国には社会の木鐸 (ぼくたく:  世の人を教え導く人) が必要である。わが国のジャーナリストはその要請に応える必要がある。事実の山と木鐸不在だけがあったのではわが国は立つ瀬なし。‘それがどうした’‘それでどうした’の問いに答えが出せない。我々には絶望の未来が待っている。今こそ我が国民の自覚すべき時である。      

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)      

 

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)  

マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。    

 

 

 

 

 


ジェネシャリスト  

2024-05-14 18:09:06 | 文化

>プレジデントオンライン   >授業時間を含めて1日たった3.5時間しか勉強しない小中学生より短い大学生の勉強時間が示す日本のヤバさ   >岩田健太郎によるストーリー・   >7時間・   

>日本の受験制度が社会におよぼす実害はなにか。   

>感染症医の岩田健太郎さんは「理系だの文系だのという不要な区別が、若者の学びを歪ませ知性を痩せさせていく」という――。   

>受験制度が特に苛烈な韓国と日本   

>なぜ、日本でだけ(あるいは日本で尖鋭的に)「理系」「文系」の区別をしたがるのか。   

>私はこの最大の遠因は受験制度にあると思っている。   

>世界的に見て、受験制度が特に苛烈で、かつ公平性にこだわるのが韓国と日本である。   

>他国では大学入学のための受験にここまで学生が血道を上げることはない。   

>学生選抜の方法も多様であり、一発試験のウエイトは相対的に低い。   

>学生選抜の方法が多様であるのは、そもそも「大学入学」が学生の目標ではないからだ。   

>本来、大学入学は手段であり、目的ではないはずだ。    

 

そうですね。   

 

>大学入学後に行う学問こそが、学生の行いたい目標であるべきだ。   

>だから、アメリカなどでは学部での勉強では飽き足らず、大学院に進学する者も増えている。   

>まあ、アメリカは実利主義国家なので、大学院での成果もよい就職先とか、よりよい収入という副産物を目指している場合も少なくないのだけれど(欧州の学生に比較して。私見である)。   

>バーン・アウトして勉強しない大学生   

>対して、日本の大学生は海外の大学生に比べて勉強しない。   

>どのくらい勉強しないかについては、拙著『医学部に行きたいあなた、医学生のあなた、そしてその親が読むべき勉強の方法』(中外医学社)をご参照いただきたい。   

>例えば、東京大学「大学経営・政策研究センター(CRUMP)」の報告によると、日本の大学生の学習時間は授業も含めて1日あたり3.5時間しかない。   

>これは小学生や中学生のときよりも短い。   

>週あたりの「授業に関連する学習時間」もアメリカよりずっと短く、多くは週5時間以下で、まったく勉強しない学生も1割近くいる。   

 

よく試験に合格しますね。   

 

>アメリカの学生の1割近くが週26時間以上勉強しているのとは大きな違いだ。   

>日本の場合、小学校、中学校、高校の学習時間は割と長いのに、大学生になるとガクッと学習時間が落ちるのが特徴だ。   

 

大学生はもう勉強することが無いのでしょうね。   

 

>日本の大学生が海外の学生に比べて勉強しないのは、高校生までに勉強しすぎて疲れてしまっている、場合によってはバーン・アウトしてしまっているのが原因の一つだと考えられる。   

 

それもありますね。    

しかしそれだけではないでしょうね。  

 

>これは実際、神戸大学医学部の学生を対象として私が行った、小グループディスカッションの質的研究でも示されていた。   

>医学部に入った途端、勉強しなくなるのだ。   

>「理系」「文系」の区別が学びを歪ませた   

>日本の若者は「受験における成功」を過大に重要視する。   

 

日本は序列の国。受験は人間序列の競争である。      

 

>成功のための合理的な戦略は、効率化だ。   

>受験科目を少なく抑えれば、相対的に短時間で高得点を期待できる。   

>多数の科目を受験する場合は、その分勉強量が多くなってしまう。   

>「理系」「文系」の区別は、この効率化に親和性が高い。   

>片方は社会科を、もう片方は理科を一切勉強しなくてもよい。   

>「受験に出ない」保健体育などは言うまでもない。   

>こうして、日本の若者の知性は非常に歪んだ、一面的なものに偏ってしまう。   

 

序列競争の弊害ですね。    

 

>例えば、理科を学ぶにしても、科学史をちゃんと学んでいるのといないのとでは大きく理解が違う。   

>過去から学問がどのように進化、発展してきたのかを知らずに「今、ここ」だけを理解しているのでは、学びが平坦なのだ。   

>その科学史の勉強も、その歴史が成立してきたバックグラウンドが分からなければ理解は不十分だ。   

>要するに、理科をしっかり学ぼうと思えば、社会科もしっかり学ばねばならない。   

>逆もまた同様だ。   

>理科の理解なくして、しっかりとした社会科の学びはない。

 

そうですね。学問は哲学ですからね。     

 

>省エネ化で痩せていく知性…   

>「学び」とは、人間が安全に生き延びていくための手段でもある。   

>だから、私は学校教育に「健康教育」「金銭の教育」「安全の教育」が必要だと考えている。   

>多くの人が知識の欠如から健康を損ない、経済的に困窮し、危険な生活を送っているからだ。   

>しかし、こういう授業は学校で行われることはない。   

>「保健体育」は受験に出ないから、教わる方もやる気が出ない。   

>その中で行われる「性教育」も授業が1コマ、あるかないか。   

>要するに「やったふり」をしているだけである。   

>大学受験や、そこから遡及して派生した高校受験、中学受験、小学受験、幼稚園お受験……に合格することが「目的化」することで、受験科目の省エネ化は必然だ。   

>受験を目的ではなく、あくまでも手段として捉えることができなければ、日本の若者の知性はどんどん痩せていくと私は思う。   

 

そうですね。   

 

>少子化とグローバル化で、受験の仕組みは激変が必至である。   

>が、当の両親たちがその変化についていっていない。   

>意識のアップデートができていないのだ。   

 

そうですね。日本国民全体の意識がアップデートできていませんね。   

 

>もう少し時間がたてば、「受験勉強」の相対的な重要性が目減りして、「手段としての受験」が定着するかもしれない(しないかもしれない)。   

>受験の相対的軽視から、理系だの文系だのという、不要な歪みが解消される可能性がある。   

>いや、それ以外に解消の可能性はない。   

>専門細分化に対抗する「ジェネシャリスト」   

>さて、「文系」「理系」どちらかだけを学ぶだけでもしんどいのに、両方学ばなきゃいけないなんて、しんどすぎる。   

>そういう意見もあるだろう。   

>というか、そもそも専門化が進んだ現代社会で、そんなに広い範囲を勉強すること自体、意味がないのではないか。   

>そういう意見もあるだろう。   

>そもそも、「分業」は生産性を上げるための合理的な手法である。   

>アダム・スミスの時代から、我々は分業のメリットを十分理解している。   

>専門細分化は必然で、「全部自分でやる」は悪手ではないか。   

>そのような疑念に対して私が出した回答が、「ジェネシャリスト」というコンセプトだ。   

>私は、2013年に「Generalist manifesto」という論文で、ジェネラリストとスペシャリストのハイブリッド、「ジェネシャリスト」という造語を作り、その概念を提唱した。   

>これは、従来の「ジェネラリスト」と「スペシャリスト」という二分法を廃し、全ての医療者が(あるいは全ての「人」が)、ジェネシャリストになればいいじゃないか、という提案である。   

>専門家でもあるジェネラリスト   

>同じ内容で2018年には単行本を出版した。   

>『The GENECIALIST Manifesto ジェネシャリスト宣言』(中外医学社)、概要は以下の通りだ。   

>ジェネシャリストは、なにか特定の専門分野を持つ。   

 

専門分野に関しては大学院生時代に学びますね。高度な職業人が出来上がりますね。      

 

>その分野に関しては非常に詳しい。   

>しかし、それ以外については無知というわけではない。   

>必ずしも専門性は高くはないが、「ある程度の」知識は広範囲に持っている。

 

教養は大学生時代に学びますね。    

 

>世の中の森羅万象を全て理解する博覧強記の人物はそうそういない。   

>現代のように、インターネットで情報量そのものが爆発的に増大している世界では、そのような博覧強記さのメリットすら小さい。   

>そのような人物像は、人の現実的な目標ではない。   

>しかし、ある一点において専門家として優れ、それ以外は「ジェネラリスト」としての知識や経験を持っている場合はどうだろう。   

>これならば、そこそこの妥当性をもって達成できる目標なのではあるまいか。   

 

高度な職業人になりますね。   

 

>そこには「文系」「理系」の区別など、まったくもって不要となる。   

>ジェネラリストvsスペシャリストの不毛性   

>ジェネシャリストのメリットは「達成可能性」だけではない。   

>まず、ジェネラリストvsスペシャリストという不毛な対立を回避することができる。   

>「立場」に由来する、対立だ。   

 

それは代理戦争のような物ですね。争いに自己がない。   

 

>これは世界的に言えることだと思うが、医者の間では「ジェネラリスト」は「スペシャリスト」に低く見られる傾向にある。   

>分かりやすいのはアメリカだ。   

>アメリカは良くも悪くも、「価値が高いものは、値段も高い」。   

>日本の場合は、価値が高いと思われる職種でも薄給なことはよくあるわけだが、アメリカはそこのところは徹底して資本主義的だ。   

>だから、各専門分野のサラリーを見れば、アメリカ社会がその専門分野に抱いている「価値」が分かる。   

2023年のデータだと、医者の中での「ジェネラリスト」とみなされる内科医、家庭医、小児科医の平均収入は総じて低い。   

29あるカテゴリーのうち、内科医は24位、家庭医は27位、小児科医は28位で、最下位の29位は公衆衛生、予防医学の専門家だった。   

>格差を覆すジェネシャリストの概念   

>逆に1位は形成外科で、年収は619千ドル、2位は整形外科で573千ドル、3位は循環器内科で507千ドルだった。   

>もっとも、28位の小児科医だって年収251千ドルであり、1ドル150円換算だと37百万円以上。   

>日本であれば、十分な高給取りだ(アメリカのインフレ、日本のデフレ、そして円安の影響もあるけれども)。   

>しかし、論点はそこではない。   

>アメリカでは小児科医の「価値」は形成外科医や整形外科医よりもずっと低く見られているのである。   

>余談だが、私の属する「感染症」は26位で、一般内科医よりもさらに低い。   

>アメリカでは(そして日本でも)感染症専門家の地位は低いのだ。   

>医者の世界を例に挙げたが、こうした職種格差はいずれの仕事にも見られるものだ。   

>ジェネシャリストの概念は、そこに新たな景色を持ち込むだろう。   

>「理系」「文系」を生んだ受験制度から派生した、社会の職業差別さえも覆すことができるだろう。   

 

英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。思春期の到来とともに言語能力の発達する頃を待ってこの教育は行われる。英文法の中の時制 (tense) を活用して非現実の内容を文に表現する訓練である。子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。英米流の高等教育は子供から大人に変わる人間に哲学を獲得させようとする仕組みである。すると浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。だからどこの国でも英語の高等教育に力を入れることになる。

日本語は現実の内容だけを表す言語である。哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。日本式の判断だと、見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。だから現実ばかりの言葉 (日本語) を話す人が非現実を語る学習をすると常に失敗する。嘘(きれいごと) ばかりを語っていては学習に力が入らない。だから思考停止になっている。それで日本人は相変わらず無哲学・能天気の民となっている。わが国は英米流の高等教育の導入に失敗し続けている。何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する者はいない。  

今の地球はアングロ・サクソンの支配体制の下にある。個人の哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっている。彼等の出世は高等教育の賜物である。

当の日本人の若者はいまもなお国内の序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。これは日本語文法に階称 (hierarchy) がある為である。’上と見るか・下と見るか’ の判断に囚われざるを得ない。 難関出身者が序列社会でどれほど優位に立つているかの話ばかりで持切りである。世界に関する注意力の不足で日本人は井の中の蛙になっている。国際社会で印欧語族の知識人を相手にして苦戦を強いられることになる。   

 

---------- 岩田 健太郎(いわた・けんたろう) 神戸大学大学院医学研究科教授 1971年島根県生まれ。島根医科大学(現・島根大学)卒業。   

>ニューヨーク、北京で医療勤務後、2004年帰国。   

>08年より神戸大学。   

>著書に『新型コロナウイルスの真実』(ベスト新書)、『コロナと生きる』『リスクを生きる』(共著/共に朝日新書)、『ワクチンを学び直す』(光文社新書)など多数。   

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