かずさんの、ふらり日々是好日の記

ふっても てっても  日々是好日  泣いてもわらっても 私の一生の中の きょうが一番いい日だから

1084 めんそーれ沖縄(3/3)

2016-07-22 | 2016立夏~
 旅行すると、どんなものが売ってるんやろう、どんな魚や野菜やろうと一度は地元の市場に行きます。
 興味津々の那覇の牧志公設市場では、やはり魚が全然違います、海ブドウは残念ながら持ち帰ってもあまり日持ちしませんでしたが、ベビーマンゴーは、ぼちぼち食べごろ冷蔵庫で冷やしています。








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世界遺産の斎場御獄(せーふぁうたき)は、琉球王国最高の聖地で、琉球の祖霊神の女神アマミキヨが天から降りて創った御獄の一つで、今も崇拝されているとのことです。
 宮崎県高千穂への天孫降臨は山ですが、沖縄は海への降臨なんですね。


 ときおり南国特有の短時間の雲の下だけ雨が降る天候ですが、帽子と雨傘でもときおり覗く猛烈な太陽の暑さと湿度で、マンゴの氷が美味しかった。 
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 おまけ
八重山諸島の旅行の時に買い損なった「八重山みんさー織」を国際通りの店を幾つもまわって、アンテナショップで見つけました。小遣い具合も考えて小さなものをゲットして、早速リビングにバリ島でのものや、大塚国際美術館の陶画などと並んでいます。
 八重山には、みんさーという紺絣の角帯があって、通い婚の当時、婚約の証しに女性が男性に贈ったようで、五つと四つの絣柄が交互に織られ「いつの世までも末永く幸せに・・」との女性の気持ちをあらわしたとのことです。沖縄の海らしいのが気にいっています)^o^(。 


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 よく遊んだ沖縄旅行でしたが、来週はずっと受講している大学の単位認定試験、一夜漬け名人で頑張ります(^_^) 
 では、また~




1083 めんそーれ沖縄(2/3)

2016-07-22 | 2016立夏~
 翌日はほぼ快晴、8時には気温がどんどん上がります。
 順路から、世界遺産の今帰仁城(Nakijin Gusuku)跡へ。
こちらは、首里城の王(中山)に統一される前の、いわば琉球の戦国時代の北部の覇者(北山)の城(Gusuku)で、1609年に薩摩藩の侵攻で炎上したとされています。
今は、山肌をぬって続く石垣がなが~く連なって、面影をしのばせてくれます。


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二日目のイベントの一つは、「美ら海(ちゅらうみ)水族館」。
関西や関東のようなペンギンさんはなしで、黒潮、熱帯のダイナミックな世界が広がり、外に出るとまばゆい光ときらめくエメラルドの海で、沖縄や~って実感できます。








昼は、ビーチ沿いのカフェレストラン。最近変えたfacebookのプロフィール写真はこちらのものですが、ほんと素晴らしい!!の感嘆詞が幾つもついて、遠くでカップルが渚を歩くのも絵になります。




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エメラルドグリーンの海に囲まれた絶景ロードの橋を渡って「古宇利(こうり)島」へ。
この島は、別名が「恋島」と呼ばれ、旅行本では人気急上昇中とのことで、橋が見えるしゃれたイケメンぞろいのカフェもレベル高かったです。




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泊まりの、県庁近くのホテルに入って、ぶらぶら国際通りへ。




18時頃ですが陽射し強く人通り多く、ビールか焼酎に良さそうな焼物を買って、だいぶ疲れたのでお目当ての牧志公設市場は翌日にまわして、ステーキ屋です。
お隣は、台湾か中国かららしいお母さんと小学生ぐらいの二人、パフォーマンスを楽しんで、伊勢海老とステーキで満腹、満足、爆睡でした(^_^)。





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 次回は、牧志公設市場と世界遺産の斎場御獄(せーふぁーうたき)です。ではまた~。




1082 めんそーれ沖縄(1/3)

2016-07-22 | 2016立夏~
 復帰前年の1971年、沖縄からの4人を含む全国から集まった研修生が、東京・市ヶ谷の今の防衛省の隣にあった全寮制研修所で、4か月の詰め込み勉強と仲間意識を培ったときから、沖縄は、海洋博の受入れ、沖縄特例免税、自由貿易地域(FTZ)、ANAによる那覇空港のハブ化など、仕事でも思い出深いところです。

このため、本島には何度も出張し、退職後の3年前には、石垣、西表、竹富などの八重山諸島を巡りましたが、たぶんこれが最後になるだろう本島への真夏の旅行をしてきました。
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 出張時には機会がなかった、首里城公園。
琉球王国時代に国王の居城だった「首里城」を中心にした公園ですが、車を止めたところからは、世界遺産の「玉陵(TAMA-U-DUN)」が近いです。


1500年代に国王が父の遺骨を改装するために築いた、いわば歴代国王や、妃、家族が葬られています。ご承知のように、日本の中で、唯一、上陸した米軍と長期間白兵戦を戦ったところ、この玉陵も大きな被害を受けて再興され、冒頭の4人の研修生の方も親や姉妹が亡くなられています。
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首里城。
昼が過ぎ、大阪では味わえない強烈な陽光にばてないよう先ずはレストセンターで腹ごしらえは沖縄そばで。うどんより細く、蕎麦より太い麺が特徴ですが、しっかりした味つけでした。

 
 守礼門を通って正殿に、500年にわたる王国の城です。琉球、明、清の中国、そして幕府・薩摩藩の日本、それぞれの様式が融合して、沖縄の地理、歴史を物語っています。




国王の玉座「御差床(うざすか)」は、何となくお寺の仏像を置く台(須弥壇)に似ていますね。


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像の鼻at 万座毛


高速道路で泊まりのプライベートビーチを持つホテルが点在する西海岸へ。琉球石灰岩の断崖とエメラルドグリーンが美しい像の鼻を楽しんでホテルに着きました。





1081 閻魔大王と地蔵菩薩の仲とは?

2016-07-10 | 2016立夏~
 大阪は梅雨明け前の、暑さとムシムシの日々ですが、久方ぶりのアップです。
 大阪港を臨む職場で観世流シテ方の先生から謡曲の手ほどきを受けていたとても若いころは、能と狂言の舞台は身近でしたが、転勤とともに遠ざかっていました。
 
それが、旧知の同好の誘いで大槻能楽堂での「ろうそく能」を楽しむ機会がありました。狂言「八尾」と能「野守」です。照明はろうそくが中心で、普段の舞台より一層幽玄さが漂いますが、夏によく行われる薪能よりも更に暗い感じです。
この写真は休憩時で、本番は電灯が消えます。


そんな中、客席からクスクスと笑いがもれたのは、狂言の「八尾」。



 河内国八尾(今の大阪府八尾市)に住む不信心の男が死んでしまい、冥界への分岐の六道の辻で休みます。閻魔大王が現れ、近頃は人間が利口になり仏教の諸宗が信者を極楽に送るので地獄は飢饉になっている、今日は自ら六道の辻に出て地獄に落そうと八尾の男を責めます。
男は、閻魔の鼻先に八尾の地蔵からの手紙を繰り返し差し出し、閻魔が読むと、この亡者は地蔵が世話になっている信者の縁のもので極楽に送ってほしい、頼みを入れない場合は、地獄の釜を蹴り割ると書いてあり、閻魔は仕方なく男を極楽に送るのでした。

手紙の書きだしは「閻もじ参る、地より」で始まり、閻魔が「汝は八尾の地蔵よりこの閻魔へ文を送らるる仔細を知っているか」、(何とも存じませぬ)、「あの八尾の地蔵も、古は美僧であったによって閻魔もちと知音(ちいん)をした・・・」と昔の深い仲をおおらかというか、赤裸々に話すなど、閻魔と地蔵との取り合わせは、マスコミが飛びつくスキャンダルですよね(笑)。

 現代の八尾市には、745年創建との常光寺があって本尊の地蔵菩薩像が厚く信仰されているとのこと、大阪の盆踊り唄定番の河内音頭の発祥の地で、かずさんは盆踊りの時に行ったことがありますが、この狂言を知っていたら閻魔への手紙をお願いしたのに、残念!

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6月には、この写真のように楽しませてくれたベランダの花は、急な猛暑ですっかり元気をなくしています。この夏は日よけを用意しての対策中ですが、今年は猛暑とか大丈夫かな~。



人は、睡眠、栄養、水分補給、温度管理ですね~。気をつけましょう。では~






1080 パンドラの箱のElpisってすごい!

2016-05-28 | 2016立夏~
 蒸し暑くなってきましたね。如何お過ごしですか?
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 ギリシャ神話の神ゼウスが、プロメテウスに命じて、美の女神 アフロディーテから美しさとアポロンから音楽と癒しの力を、そして好奇心を与えて、初めての女性の人間パンドラを作らせ、エピメテウスのところに送りました。
 エピメテウスは、パンドラの美しさに心を奪われ妻にしました(うん、普通の人間、判る(^_^))。

 エピメテウスの家には、プロメテウスが「この箱だけは、決して開けてはならない」と命じて残した黄金の箱がありましたが、パンドラはこの美しい箱を見るなり、中にはきっと素晴らしい宝物が入っているに違いないと思い夫に開けるよう頼み、エピメテウスは兄との約束を破って箱を開けてしまいました。

  

 そのとたん、箱の中からは病気、盗み、ねたみ、憎しみ、悪だくみなどのあらゆる悪が、人間の世界に飛び散りました。

 エピメテウスがあわててふたを閉めますと、中から弱々しい声がしました。
「わたしも、外へ出してください・・・」
「お前は、誰なの?」 パンドラが尋ねると、
「わたしは、Elpisです」
実はプロメテウスが、もしものために箱に忍び込ませておいたのです。こうして人間たちは、たとえどんなひどい目にあっても、Elpisを持つようになったというお話。

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最後に残ったElpisエルピスにはいろんな説があるようで、「外に出たとする希望説」と、「箱の中に残ったとする予兆説」が代表のようです。

 数多くの災厄が出てきたが、最後に希望が出て来たので人間は絶望しないで生きる事が出来るというのと、残されていたのは未来を知る予知能力で、未来で何が起こるか分かってしまうと人間は絶望して生きる事を諦めてしまう。しかし予兆が最後に残されていたので人々は絶望しないで生きられるという説のようです。
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長々と書いてきましたが、一度の再入学をはさんで延べ8年ぐらい在籍の通信教育の学校で、若い時期の大学では関心なしの心理学に興味を持って「人格心理学」を今学期は学んでいます。
 その中で、末期がんの人が、「否認」→「怒り」→「取引」→「抑うつ」→「受容」をたどる過程で、常に「希望」が支えており、未来を知ることができないからこそ希望を抱くことができる、とのテキストにちょっぴり触発されました(^_^)。
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先日紹介のベランダのアジサイ。昨年女性向けコマーシャル誌用の撮影で使用された二鉢ですが、一つは酸性土壌の青色で判りますが、もう一つは、同じ幹からアルカリ性の赤と酸性の青の花が同居状態、アジサイって面白いですね(@_@;)