ヴァイオリンとフルートのRio

ヴァイオリンとフルートに取り組んでいます。

終戦記念日

2023年08月15日 20時22分14秒 | その他
今日8月15日は終戦記念日。一般には終戦の日と言われています。「記念」には喜ぶ、祝うと言うようなニュアンスが感じられるからでしょうか。ついでながら、大東亜戦争(→太平洋戦争)、日支事変(→日中戦争)などと、色々な事情や周辺国への遠慮から歴史的な事件も名称変更されています。

今日、岸田総理が靖国神社に玉串料を奉納した事で中韓両国から抗議が有りました。自分達の国の台風や洪水の心配でもしていたらと思いますね。靖国神社は外国で言えば無名戦士の墓に相当する物で、外観体裁は神社であっても、祭神は実は多数の戦没者、決してナントカノミコトではありません。超近代的な考えに基づいています。

私の父母は大正生まれだったので、大人として終戦を迎えました。終戦時に子供だった方の記憶も重要ながら、やはり大人の記憶は違うものであると思います。20歳以上を大人と見なすなら、終戦の昭和20年に20歳になっていたのは大正15年生まれの人ですね。

父親は野戦重砲隊に配属されてビルマに行き、重度のマラリアにかかって戻って来ました。派遣された多数の方々が無謀なインパール作戦で命を落としました。戦死より病死や餓死が多かったと言われています。その後、戦争前に就職していた会社に戻りましたが、戦争で会社を休んでいてその間の実績が無い事を理由にクビになったそうです。

戦後は色々な職業に従事したようで、新橋の闇市から始まって、幾つかの会社、公団を経て中学校の先生にもなりました。戦後「社会科」が加わり、指導要領も教材も無かったため、工夫して教えたそうです。

母親は軍人向きと言われていて、(軍事)教練の際にたまたま小銃の実弾射撃をする機会を与えられて命中しました。視察していたナントカノ宮様が感心したのか教練後のお茶に誘われましたが、気に入らない宮様だったのですっぽかしたと言っていました。

母親は一時中国の天津の日本租界に住んでいて、幸運にも早期に無事帰還しました。小麦粉の大きな袋を持ち帰り、それで食いつないだと聞きました。

父親は戦況が一段落したビルマに行ったため、実戦の経験は無かったようです。日本に戻ってから後、もう一度召集されて、赤羽の部隊に居ました。空襲に備えて民家を間引く、つまり予め空白地を設けておいて空襲による延焼を防止する業務に従事しました。壊される家の住人が恨めしそうな顔で見ていたと聞きます。また空襲の焼け跡の整理の際には多数の焼死体をトラックに投げ上げたそうです。PTSDどころの騒ぎではありませんね。


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