日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

色紙

2007年10月07日 | Weblog

打ち勝つことは、真の融和することだ。

山田耕筰   文化の日に

私の作業場には、一枚の色紙の入った額がかっている。
もう、かれこれ40年以上も昔のことで、色も少しくすんで、真っ白だった色紙が灰色がかってきている。
この額こそが私が、家宝としているものである。いや、家宝というよりも、私の創作活動に大きな力を与える源となっているものである。

昭和は38年11月3日。文化の日に、私は音楽の師匠、山田耕筰先生のお宅へうかがっていた。
当時、先生は原宿の駅前にあるマンションの7階に住んでおられた。
ひとしきり、人生談議に花が咲いた後で、私はこういった。

「先生。ここまで生きてくるのに、とにかくいろいろありました。今までの私は困難が生じると、それに向かって、やあやあ声をあげながら、刀を振り回していたのですが、今ここに至って、くるものは何でも来い。全部、自分の胸の内に取り込んで、消化してやるぞ、という心境です」といった。

そしたら、先生はにっこりされて「色紙」とおっしゃった。
鳥の子紙に包まれた真っ白な色紙で、四周金縁の縁取りがしてある。
奥さんが持ってこられた色紙に先生は体の不自由をおして
「打ち勝つことは真の融和することだ。耕筰」と先生らしい字で書かれ、中央に先生ご自身の似顔絵をすらすらと描かれた。
頭のほうはつるつるテンだが、鼻の下のちょび髭はちゃんと描かれている。
それは、山田先生一流のユーモアで、ほほえましい限りである。
さらにローマ字でがkocsakuとお書きになって、たぶんサインするときに使われるのだろうと思われた竹製の花押を押して、
「武田喜明君 卒業を祝して」と書き加えてくださった。

 作曲家として私は有名であろうが、無名であろうが、この一枚の色紙によってどれほど勇気づけられ、自信を持つことができたことか
このことを考える度に、この一枚の色紙がいつも私は子供にも、孫にも語り伝えたい、我が家の貴重な家宝であると思うのである。

 別になんの意図もなく、私がふと、もらした心境を、先生は即座に受けとめられて、色紙の上に私のはなむけの言葉として贈ってくださったのだ。
大学を卒業するのは翌年の3月で、その前年のの11月3日・文化の日に、まさかはなむけの言葉をいただくとは、夢にも思わなかったが、今になってみると、本当にありがたい事である。卒業の半年も前に、卒業を祝してと書かれて、にっこり笑われた先生のユーモアが今でも思い出されて、私の心を和ませる。

 先生がなくなられてから、たった一度だけしか、お墓参りをしていないのが気にかかる。

そのうちに大阪から車を飛ばしてでも、墓参するつもりである。
 その時はもちろん、私の作品の中で、自信作を先生にお目にかけて、聴いて頂くつもりである。ピアノ伴奏で作ったソロ曲「延命十句観音経」 がいいか、それとも女声合唱曲「舎利礼文」がいいか。
迷うところである。


























吉兆さん

2007年10月07日 | Weblog
先日吉兆さんにおよばれでいった。昼から、フルコースである。出てくる料理はどれもこれも、超一流の味付けと、いろいろな食材を、腕を磨いた腕自慢の料理職人が料理した盛り合わせばかりで、季節の旬のものも量も、考えられている。さすが日本で1,2をあらそう料亭である。味付けと、素材の新鮮さと、磨かれた職人芸の料理や盛りつけを楽しみながら、僕なんか一生涯で何回こられるのかなと思いながら舌鼓をうった。
おいしいごちそうとは、一体どんなものなんだろうかと考えながら、さかんに箸を動かせた

フルコースだから吸い物をはじめとして、煮物、揚げ物、酢の物、香のもの、デザートでしめたけど、満腹を通り越して、食べすぎで体がしんどくなってきた。

そこで考えた。

一番おいしいごちそうとは、

1,自分の食べたいものを、(ほしい食べ物)
2,そのときの体調に合わせて、食べたいだけ、食べることである。(適量)

自分の食べたいものは、その日の体調によってかわる。
例えば、からだが疲れていると、すしのような酢の気のようなものがほしいし、甘いものも食べたい。
日によってはウナギの蒲焼きのようなあぶらっこいものが食べたくなるし、またある日には、体調に合わせて、刺身のようにあっさりしたものがほしい。

食べたい量を決めるのは、そのときの体調による。たくさん食べたい時もあれば、あまりほしくないときもある。その日の食欲を、まあ満足させてくれるだけ食べれば最高だ。
食べ過ぎてしんどくなるよりは、食べたりない方がまだいい。

ここまで考えた時、この世の中でものの値打ちというものは、自分が決めるものだなと思った。

吉兆さんだから、おいしいという前に、そのおいしさを決めるのは自分であること、つまりものの価値を決めることに関しては、個人は宇宙の中心なんだということだ。

考えたら、当たり前の話である。その当たり前が、心の芯から判るのに、50年以上かかった。

ひょっとしたら、自分は人間として、物事の理解にあまりにも時間がかかりすぎる、お粗末人間かも知れない。





会員制デートクラブ

2007年10月07日 | Weblog
姫路市内のデートクラブが兵庫県警によって摘発された。
原始古代の昔から未来永劫にわたってこの種の問題は起こるから、とりわけ注目に値するものではないが、会員制のこのクラブは、六十才以上の老人が三割を占めていたというところがわたしの関心を引いた。
検挙された経営者は若いサービスガールに、老人は金と時間があり、大人しいから特にサービスするように、と訓示していたという。

地位があり財産がある老人は恐らくこれらを活用して、簡単に女を手に入れることが可能だろうから、多分デートクラブなど利用することはないだろう。
しかしそこらそんじょの庶民の老人は、こういうクラブを利用する以外、シルバーセックスのはけ口がないから、俺たちの楽しみを奪う余計な事をしやがってと、恐らく内心では警察を恨んだことだろう。

六十才過ぎの老人に性欲なしと決めてかかる、世間の誤解はいうに及ばず、高齢化社会が急速に近づいてくる我が国の現状からすると、老人は性欲なしで涸れるべし、年よりの癖にいやらしいと、偏見を持つ社会も恐ろしい。 このような社会的な禁忌がある為に、老人の性は抑圧されており、追い詰められている。

生命有る限り、性欲があるというのが生きている証しでもある訳だから、今一度この問題を考えてみなくてはならない。
性欲なんてものは、全く個人的なもので年齢的な側面から論じられるものではない。本来死ぬまであると、考えるのが自然であろう。

 さて老人の現状だが、基本的に老人は、人生の夕暮れにいる訳で、夕日が沈むがごとく、やがてこの世をさる日がくることを、本能的に直感している。そこから浮かびあがってくるのは、どうしようもない寂しさである。
また第一線からは引退させられることによって、自分は社会とは直接かかわりを持たないという疎外感もある。
また一歩ひるがえって、自分の家庭をみると、巣立った子供達はそれぞれの家庭中心に生活を回し、そこに老人が安らげる場所などはない。子供においてすら、付き合いが薄れて行く現代の風潮からして、若い女の子と付き合うチャンスなどは絶無である。

 こうなると、老人にとっては毎日まいにちが、淋しい時間の連続でしかない。これが俺の人生か。これが俺の人生のたそがれか。ため息が聞こえて来そうである。

そういう心境にある老人が、体内にくすぶる生命の余燼、己の性欲をいかに処理するか。
デートクラブの存在は、恐らく日だまりに集まった老人たちの茶飲み話を通じて急速に広がったに違いない。そのクラブを通じて、老人は沈みかけている己の人生に、青春の息吹を吹き込もうとしたのかどうかは知らないが、この世に有る限り、自分の生命を存分に楽しもうとしたことはごく自然なことである。

 建前や、体裁にこだわって、静かに死を待つという生き方は、人生の冒涜と言ったほうがよいだろう。
世間的にみっともないと言って、自分の体裁をかまう子供たちが、本当にどこまで老人の立場を理解しているか、老人の心理と生理を、どれほど実態に即して眺めているのか。
また老人について、なにがしかの事を思うのなら、老人をもっと暖かく迎えいれる気遣いや、配慮があるのか。

 老人が相方に若い女性を求めるのは、自然の理にかなっている。というのはこれがいわゆる正常な人間の生命現象で、それが即ち、自然の意思だから。
言い換えればいやらしいという感じを飛び越えて、自然の摂理、神の思し召しと心得るべきである。

ところで、私も会員になる資格が十分あるが、最後の最後まで、生命を燃やして生きなければと思うこのごろである。

沖縄平和祈念像讃歌

2007年10月07日 | Weblog

沖縄平和祈念像讃歌


   諸人の願い 天地もなびく

   今 みなが郷に 諍いを捨てん

   見よ、白雲の果て「聖なる空に

   沖縄の風 さやかに歌う

                 渡久地 政信
    
摩文仁の丘に開堂された沖縄平和祈念堂に流れる「沖縄平和祈念像讃歌」である。    
「お富さん」「踊子」「上海帰りのリル」など、昭和20年後半から30年代にかけて、一世を風靡した名曲の数々を作られた、高名な作曲家
渡久地政信氏によって作詞されたものである。

私は初めてこの詞に触れたとき、心が震える思いがして、胸が熱くなった。
 なんとすばらしい詞なのだろう。どこまでも透き通る深さがあって
汚れなき魂の人の、心の内からなる叫びとでも言ったらよいのだろうか。
この詞を歌う心境はとても世俗に、慣れ染まった通常の人間のそれではない。
 宗教哲学の雰囲気が漂っている。欲も得もない唯ひたすら、心の中にある一つの想念を、思い続けたときに、瞬間的によぎるひらめき。
その珠玉の言葉が光を放って詞になり、言葉は芳香をはなって詞を構成している。

この地上にある人類は、争いをしつつも、一方では、心から平和を望んでいる。人々の純なる願い、平和を求める気持ちの集合体。その声には、天地もなびくであろうし、鬼神も耳を傾けざるをえないだろう。


そして今、沖縄・日本は言うまでもなく、60年昔に血みどろの地獄絵図を繰り広げ、死闘を繰り返した、アメリカの里に置いてすらも、諍いを捨てて平和な日々を過ごしたいと、心より願っている気持ち。それが日米一般大衆の素朴な感情である。
そして、詞は続く。
聖なる空に日米両軍の激戦の中に、死んでいったその修羅場。この沖縄の地には、沖縄の風が、さわやかに、歌っている。

この世界は、まさに、御仏の世界である。修羅世界から、涅槃の世界に入ったときに、経験するであろう世界である。

 私は従軍の経験もなければ、内地の空襲の修羅場をくぐり抜けた経験もないので、体験的にはよく分からないが、「殺すか殺されるか」のギリギリの人間の極限状態の中に置かれた人間が、どれほど、どう猛化しているが、想像するに難くない。

 先日、私の街で行われた戦争展でみた沖縄戦の実写フィルムや
写真のパネルは、実戦さながらの迫力を持って私に迫ってきた。
なんという暴力だ。戦争の犯罪性、非人間性、残虐性は、百万言を持ってしても語り尽くせない。人間悪の極限である。

 六十年昔のこの小さな実写フィルムが、その事実を雄弁に物語っている。お互いの憎悪が火を噴いて悪逆の限りを尽くす。その様子をまざまざと見せてくれる。
家は焼けて、田畑は戦場と化し、逃げ惑う非戦闘員の老人、女、子供。
累々と重なる死体。これが、地獄絵図以外の何物であろうか。

日本本土が、戦場になる前に、沖縄はその前哨戦で、まず最初に悲劇の舞台となった。非戦闘員とくに年頃の女性は生きて恥ずかし目を受けるよりは、死を選んだほうがよいと、断崖から飛び降りて、生命を断ったという。

筆舌に尽くせない生き地獄に放り込まれてどっぷり身をつけたままで、この世を去った人たちの心の思いは、いったいどのようなものであったろうか。

悪逆非道の業火にやきつくされて、苦しみの中にどっぷりつかったまま死に追いやられていった人たちが、この世に残していった恨みは、誰がどのようにして、はらせばよいのだろうか。深い深い悲しみと怒りを果たして癒す方法があるのだろうか。
全世界に向かって再びこの過ちを繰り返さないと誓うことだけによって、果たして怨念を解き放つことができるのだろうか。

 降り積もった。膨大な怨念を解き、鎮魂させるためには血を吐くような思いを込めて、平和を守る誓いと、真心からなる鎮魂の情の発露ではあるまいか。今はすでに魂の世界へ還っていった人々の霊を慰め、癒すために、生きている者の、心からなる鎮魂の真心に源を発する言葉によって、それらの次元をさらに高め、高める真心から作られた音楽によって、生きている者の思いや願いが今は、神仏の世界に住まわせる人々のこよなき慰めとなって、天高く伝わっていく。そんな風景にぴったりするのが、沖縄平和祈念像讃歌である。

渡久地政信先生。よくぞをお作りくださった。あなたの平和を愛する気持ちから、生まれたこの作品は、千代に平和の灯となって、日本はもちろんのこと、世界を照らすことでしょう。それは、生者はへの平和の働きかけと同時に、犠牲者の魂のこよない慰めとなりましょう。































    

秋の御所一般公開

2007年10月07日 | Weblog
もうすぐ秋の御所一般公開がやってくる。
去年の話。11月6日、一般公開の見学に行く。
秋の空は、晴天一点の雲もなく、すきとおるようにどこまでも青い。

心に心配ごとがない。だから、穏やかである。また、物事を素直に、心に受け入れることができる。心の安らかさが、幸せの条件である。
まず争いごとがないから気に掛かることがないし、悩みもない。
近ごろは特に心の状態が気になる。心を煩わすることから逃げる。あるいは遠ざける傾向が顕著だ。幸せは心で感じるものだ。
心が魂なら、魂を喜ばせるように努力することが幸せの条件である。
魂を喜ばせるにはどんな方法があるのだろう。

地下鉄の丸太町1番出口を出て、東へ100mほど行くと 洞院通り。屋根付きの土の塀、欅の大木、玉砂利。入り口は宜秋門。 
黄色と茶色になり、まだ枝にぶら下がっている銀杏の葉。松はいつ衣替えをするのか、いつも常緑。入り口の出水の小川せらぎ、石の配置、美的感覚、平安時代の人の趣の雰囲気。日本的で、ノスタルジアを感じる。

和装の女人、3人は目を引く。着飾ることは大変であろう。でもそれを楽しむ人がいる。楽しみが多い分だけうらやましい。
ただし、見るだけで、僕はスニーカーにジーパン、それに帽子をかぶり取材ジャケットを着ている。これは、身動きの自由を確保するため。

宮殿美に思う。
ベルサイユ宮殿と、どちらがしっくりくるか。
中国や朝鮮から、もたらされたものを、そのまま日本化して保存している。保存の妙は日本の財産だ。これだけの施設(建物 庭 調度品)
どの程度使いこなしていたのだろうか。
塀の中は、今も少しも変わらない権力者達が政治をとった。いったいどんなことをしていたのだろう。築地塀の中での政治は果たして 真実庶民のためになったのか。権力者たちの権力争奪の場や、密談の場所ではないか。
権力を握ったものを勝者としてほめそやすことはしたくない。
何がなくとも、己の真実の真実を、まっとうしたものこそ、人生の勝者と思うがゆえに。

一点の雲もない青空。御所見学には最高の日和松の緑。色つき始めた紅葉。池泉のたたずまい。
この人波の流れにのれば、御所は1時間半で、ざっと見て回れる。
だいたいの構成、配置図、アウトラインが、おぼろげながら分かった。
手入れの行き届いた植栽。カネをいとわず手入れすれば、こんなにも、自然と人工美が、融合する。松、こけ、紅葉 落葉樹等々。
日本人の美的感覚は繊細であり、スケールが小さいながらも、精致で、保存にウェイトが置かれている。
御所の生活を思う。王朝文学というよりも、何故だか「徒然草」を強く思い出した。
これだけのものを使い切るためには、もろもろの規則が必要。
ところが、それによって人間が縛られて、ルールの中に収まってしまう。この箱物に合うように変えられた人のみが居住できる。自由がない。窮屈この上ない。気まぐれが許されない。
自由を好む庶民が、皇室や格式のある家との縁組を嫌うのはもっともである。
人間とは本来、気まぐれな動物だから、ある形にあてはめて、その中でのみ立ち居振る舞いを許されるというのは、生来の人間性にはそぐわない。
特に僕のような自由気まま人間には耐えられない。

歴史伝統などに、特別な関心のあるものには、人の波の流は、不似合いである。
90分の人波にもまれて、何かわかるのか。
混雑した人々の流れ。もれるため息。素晴らしい秋晴れの日差し。
人々は、穏やかな太陽光と、平和な時代の息を吸ってを、皆穏やかに群れをなして流れていく。
その表情は、日常のわずらわしさを忘れ、逃れて、一時の安らぎを味わっている。この非日常性が、日常性からくるストレスをぬぐい去ってくれるのだ。

直接経験と間接経験では、訴求力が違う。観察体験して、刻みこまれたものは、すべて文章として、アウトプットしたいものだ。

ここに来る以前に、10日ほど咳が続いたが、たいした自覚症状は無かった。ところが夜になると、頭がくらくらしだして、首筋が猛烈に痛む。寒さに、震えがきた。靴下をはき、毛のジャケットを重ね着した。熱を計ったら39度ある。
ここ幾年も、発熱経験は無いので、この症状では、いったいどうなることやらと不安を感じた。
滅多に飲まない抗生物質を自己判断で飲んだら熱は下がった。
翌朝は症状が嘘のように消えて元気になったが、念のため、今日は御所見学を見送った。
この天気が続き、明日も元気になっていたら、また御所見学に、出かけようと決めた。

グローバルスタンダード

2007年10月07日 | Weblog
グローバルスタンダード。これを言い出したのは欧米先進諸国だ。そして今や先進国になった日本では,すでにその世界標準に合わせるために日常的にこの言葉を耳にする。

確かに情報化が進んで地球は狭くなって、世界は一つという感じがあるが、これほど通信手段が発達し、情報化が全世界的な規模で行われれば、全世界が共通の情報を共有することによって、均一化や同質化されることは時の流れとして当然である。そしてそのリーダーをつとめるのが欧米社会、いわゆる先進国であってみれば、この言葉に重みも先見性もあることは否定できない。

パリで出来たてほやほやのファッションは、ほぼ時を同じくして東京で、ニューヨークで、上海で、明洞で、立ち入りあがるのは不思議ではない。


そこで考えるのだが、世界の富や、社会構造や、自然環境や、個々人の歴史に、共通的で類似点が多ければ、共通の物差しは使いやすいが、地球は一つといえども、実態は天と地、水と油ほども違う差があり、その國や地方などの発展の過程や、環境のなかで今までそれなりに共存してきたのである。

経済的発展の度合い一つをとってみても、先進国、中進国、後進国の別があり、その格差は歴然たるものである。その格差を埋めて、出来る限り平準化された状態で、グローバルスタンダードを使うならば、まだしも、どうも情報化社会という世界環境の中では、ことが性急に運ばれているような気がする。そしてそこに無理が生じしているように思われる。

各國や地方が抱える諸般の事情に十分考慮を払いながら、機が熟すのと歩調を合わせるようにして、スタンダード化されるべきである。さもなければ有利、不利の差が顕著になって、なかなかグローバルスタンダードが一般化し定着しないように思える。

グローバルスタンダードを言い出した先進諸国は、グローバルスタンダードを押しつけるのではなく、各国各地方の事情に十分注意を払わなければならない。そしてまた格差を際立たせてはならない。

電子機器の発達はめざましいものがあるが、それはたかが50年の歴史しかない。それも日進月歩の最中である。そしてその技術が経済的にも、知識的にも、機能的にも、技術的にも、今日ではまだ活用できる段階にはない国の方がはるかに多い。

だから先進国はそのリーダーとしての牽引力と役割を担うのだろうが、状況を見ながら、国情に合わせてことを進めていかなければならない。

と同時に先進諸国は後進国や発展途上国のレベルを物心両面にわたって引き上げ、または後押しする必要がある。

そこで初めてグローバルスタンダードが適用される素地ができあがる訳である。急いではいかん。過去の歴史が教えるところである。



死刑自動化そんな軽い問題ではない。に反論

2007年10月07日 | Weblog
鳩山法務大臣の発言は、法律の定めがあるにもかかわらず、法務大臣の思想、信条によって死刑執行が左右されて、現在死刑確定犯の未執行者が100人にも及んでいる現状をどうするのかという問題提起である。

大臣は法にのっとって執行の手続きをするのが仕事である。

自分の思想信条によって手続きを行わないのは、明らかに職務怠慢で、その結果生まれた、100人を超える未執行者を放置していいのか。この法律違反の状態を放置したままでいいのか。


法律の執行が大臣の思想や信条によって妨げられている現状を打開するために、大臣の関与をさける方法として、自動化も一つも方法ではあるまいかという問題提起である。
そこに焦点を合わせることなく、自動化のやり方が非現実的であるとか、時代に逆行しているとかの批判をしてみたところで、それはまったくピント外れの議論である。論点の焦点がずれている。

改めて聞きたい。

社説氏は現在法律を改正しようということなのか。それとも法律違反の現状が良いとでも思っているのか。いずれにせよ、直接的には当面している問題とは、大きくかけ離れているが。

こういう未執行の問題提起に対して、また別の具体的な解決方法があるとすれば、それは新しい提案として、発表してもらいたい、。