日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

立場。肩書き

2007年10月18日 | Weblog
人間に色をつけるのは、その人がいる立場である。立場にはすでに色つきがなされており、その色の人間として,人は判断を下す。

たとえば、僧は人に説教する立場の人だから,不道徳なことはしないと決めてかかっているが、現実はどうか。
お布施で生活ができない僧が窃盗罪で捕まったじゃないか。

警官が泥棒したり、万引きしたりしているではないか。

それは僧や警察官は不道徳反社会的行動をしないと、勝手にこちら側で決めてかかっているだけで、つまり信頼しているだけのことで、実際肩書きをはずせば、神と悪魔が同居する人間のことだから、本来あって当たり前の話である。

別に驚くには当たらない。

表に出ている色を見て中身まで,同一の色だと判断する方が完全に錯覚しているのである。  

西安市西北大学の寸劇事件

2007年10月18日 | Weblog
もうだいぶ前の話である。     

日本人留学生が卑猥な寸劇をして中国の学生の抗議を受ける事件が起こった。

卑猥な出し物があったにせよ、千人の抗議とはこちらがびっくりする。この国は一体どういう国なんだと頭を抱え込んでしまう。

学生たちは中国を侮辱したと抗議した。
軽率な面があったが、おそらく中国を侮辱するようなことは曲解で、それが本心でないことは日本人ならわかる。

しかし香港の新聞が卑猥な格好した留学生が「これが中国人だ」との札を下げていたと報じたものだから、騒ぎも大きくなった。

日本人がお世話になっている中国人に対して、「これが中国人だ」との札を下げて侮辱するか。そんなことはあり得ない話だし、ないはずだ。
第一少数の日本人で、そんなことをする勇気なんて有りはしない。

それは日本、中国、ラブのハートマークを背中に書き、日中友好をあらわそうとしたパフオーマンスの曲解だった。

留学生ら4人は「直接謝りたい」との意思表示をしたが大学は「誤って済む段階ではない」としてその機会を与えなかった。

腹を立てた学生は、留学生への暴力や抗議のデモ行進にまで発展したのは、国際間の微妙な理解の仕方の食い違いが、いつでも生じる危険性を露呈した。

話題は違うが、これに対して日本人として一事言わせてもらいたい。
福岡で一家4人が皆殺しにされて重石をつけられて、海に沈められた事件が起こったが、この犯人はいずれも金目当ての中国人留学生だった。

それでも日本では中国人留学生に対して、波風1つ立てていない。事の重大さは格段に違うのに。これは一体どういうことだ?

中国当局は犯人を捕まえ身柄を拘束しているというが、若しそうしないのなら、中国人は信用できないし、留学生は断固として断りたい。

日本の法律だと間違いなく死刑になる重大犯罪だ。もしこれを軽い刑で済ますならば、国際的に犯人の引渡し条約がないから抗議はしないが、中国人留学生はいろんな面で暗黙の報復を受けるだろう。

今日本で不良外人といえば中国人だと名指しされるくらい犯罪者が多い。これは一体どういうことか。
 
大局的な立場に立ってなどというのは、政治家の無責任なセリフであって、黙ってみている国民はその怒りを胸の中でくすぶらせるから、中国に対して決してよい感情はもたない。

東京都の治安を預かる知事が、名指しで悪の一掃を言うのは、都民や日本国民の感情を代弁しているのである。当たり前の話じゃないか。

若しこのまま犯罪者が放置されてしょっちゅうトラブルを起こすならば、日本国民として黙って見逃すことは出来ない。

こういう思いがあるからといって、今度の留学生の行為をかばうつもりは毛頭ない。それどころか、日本人として誤解を招く恥ずかしいことをしてくれたと怒鳴りつけたいくらいだ。

とかく国際理解は難しい。



鳩山発言 死刑制度について

2007年10月18日 | Weblog
元刑務官で作家の坂本氏が10月18日付けの朝日新聞朝刊オピニオン欄に彼の意見を開陳した。

詳細な説明は省くが、僕は 次の点が気になる。問題点の指摘だけでは解決はしない。
現行法を運用する最善の現実的提案がなされない限り、問題解決にはならないし、どんな議論もむなしいだけである。

そういう観点から氏の発言について私の考えを述べてみたい。

1、[
刑務官として、長年死刑囚を処遇し、執行に携わってきた立場から見ると、最終判断をするという大臣の職責を放棄するとんでもない発言だと思う。]
ということについて。

鳩山氏の発言は結果的には、大臣が己の主義主張、信念で判断をして職責を放棄して全うしないから、その結果が100人以上の死刑囚が未執行になって、法の空文化を招いている。この現実を指摘している。

そして大臣が決裁するのをためらい、個人的な信念や主義主張が法執行の妨げになっている問題について、その解決策の提案である.

定めがある限り、その通りに実施しないと法律という取り決めはないに等しい。

それを避けるために、大臣が「嫌がる決裁」の部分を個人の主義主張の部分を介在させないで、法の執行を厳正に行うという問題提起ではないか。
現行法を実施するためには現実的な提案だと思うが。これは検討に値する提案だ。

2、「命令がると、5日以内に死刑が執行される。本来は確定の日から6カ月以内に命令があることになっているが、実際は平均して7年5カがかかっており、現在も未執行の死刑囚が100人以上いる。
鳩山氏は「すべてを法務大臣に多いかぶせるということであれば法務大臣が苦しむ」とも発言したが、、、略 」

鳩山氏のこの発言は、現実が直面する問題点の指摘である。
大臣か苦しまなくても、法の執行がなされるための提案ではないのか。


「首に縄をかけ執行のボタンを押す職員の心情にも思いをはせてくれただろうか。」
この主張は心情的にはわからないではないが、これを斟酌して、法の執行をためらうならば、死刑制度は成立しない。
現行法がある限り、その厳正な執行をするのが当然だ。

それより何よりも、死刑囚は過去に自分の利益(それが金品の強奪であろうと、怨恨によるものであろうと)のために殺人を 犯した凶悪犯である。事件発生当時の被害者の無念さを思い起こしてほしい。
社会的に見てそれ相応の制裁を受けるのは当然である。被害者の苦しみや関係者の苦しみをもっと理解すべきだと思う。そしてまた
大多数の国民がこう思うから、現実には死刑制度が存在するのだ。

国際的に見て死刑廃止は世界や時代の流れであるとか、残虐な刑罰であるとか、冤罪の可能性を指摘して、この問題の議論を巻き起こそうというのなら、それは焦点がずれたピンボケの議論である。 そういう類の話は、別の次元のこととして、議論すべきである。
なぜならば鳩山提案とは直接的には、なんら関係がない話だからだ。