日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

十三仏さん

2007年10月31日 | Weblog
予防策が取れても、だからといって、脳血栓や脳こうそくを完全に、防ぐことができるかというと、現代医学の力では、完全に予防できるという保証は何もない。

一夜にして、体の自由を奪われてしまう恐ろしいこれらの病気にかかったが最後、
どのようにもがいても、持って生まれた体の自由は再び戻ってはこない。

リハビリによってある程度の機能回復はできるが、それも、看護家族の状況や、困難を克服する本人の意志の力にも大きく、依存するがゆえに、おのずと限界がある。

夏が過ぎ去ろうとしている9月の中旬、13日の未明を境にして、
母は持って生まれた体の自由を完全に失ってしまった。
脳血栓で血管を詰まらせて、脳こうそくになり、運動神経がやられてしまったのである。

いつもなら5時過ぎに起きて、朝食の準備をする母が、この朝に限って起きてこないので、熟睡しているものと思いこんだぼくは、8時過ぎまで、起こさないでほっておいた。しかし、いくら待っても、起きてこないので、母の部屋の襖を開けたのだが、母の姿を見て、びっくり仰天した。

口から舌をだらりと出したままで、右手右足を使って起きあがろうと、母は懸命にもがいていた。

左手はだらりとぶらさがったままの感じである。私は声もなく、その場に立ちすくんでしまった。

「医者 医者 はやく医者を」。私は電話口へ走った。
すぐかかりつけの病院に電話をしたら、救急車で病院に来るように、との指示があり、私は母を背負うような思いで病院へ駆け込んだ。

医者は顔を見るなり、「右が、やられたなぁ」と言い、左手の脈をとり、すぐ病室へ入れるように、看護婦に指示した。

それから約3カ月。私は病院へ泊り込みながら、職場へ通った。

精神的にも肉体的にも限界に達したとき、医者はもうこれ以上、身体機能の回復は望めないから、自宅へ連れて帰って、自宅療養をした方が良いと私にアドバイスをした。

高い差額ベッド代を支払って、入院していても、もうどうにも回復の見込みのない母をそのままにしておくのも無駄なことのように思えて、私は母を自宅で連れて帰って、自宅療養させようと決心した。

見ているだけでは、話に聞いているだけでは、絶対に分からないのが、こういうたちの病気の看病の苦労である。

何とか私の力で元通りの体に回復させようと張り切って、がんばってきたが、それは、夢のまた夢になってしまった。しかし、私はあきらめがしなかった。左手の小指、一本の機能回復に望みをかけて、神仏にすがってでも何とか直したいと強く念願した。医学の力もこれまでと、はっきり引導を渡されてしまったので、これ以上の機能回復を現代医学に期待しても無理だと観念し、私は半信半疑ながら、神仏に、頼らざるを得ない心境になっていた。
ある日
「それなら君。十三仏さんをしたらどうや」と友人は私に言った。

「十三仏さん。それは一体なんや。神さまか。仏様か。十三仏さんということで仏さんに何をするんや」
私は矢継ぎ早に質問を浴びせた。
「十三仏さんというのは、13の仏様に、供養してものを頼むのや。
母が脳こうそくを起こして、左手足が完全に麻痺して、使い物にならないのです。十三仏さん。供養するので何とか助けてほしいのです。信仰心の薄い私ではありますが、母になりかわってお願いします。」と、おわびしながら人に見られないように、おにぎりを13個作り折り箱に入れて、四つ辻に置いて、十三仏さんに、お願いして帰ってくるんだよ。ただし、供えてからは絶対に後ろを振り向いたらダメだ。」

「ところで、おにぎりを折り箱に入れて、13個供えて、供養の足りなかったことを、おわびして、十三仏さんを拝んだら、一体どうなるんだ。手足が動くとでもいうのかい。」
「手足が動くか、どうか。それは知らないが、お前もお母さんも楽になることは間違いないよ。たとえば、寿命がなかったら、そのままスーッとを迎えがきて、お前もお母さんも楽になるよ。もし、寿命があったら、せめて下の始末は、自分でできるようになる。」

「何? お迎えが来て楽になるだって。お前。それは死ぬということじゃないか。そんなこと、この俺の一存でできるわけがないよ。君は他人だから、そんな事を、いとも簡単に、言えるが、母の命がかかってくることを、そんな簡単に、決心できないよ。お迎えに来てもらうくらいなら、手足が不自由で、寝たきりでも、僕が世話をするほうがよほどましだ。」
「それはそうだ。お前の納得いくようにしたら良いだろう。ひょっとするとこの種の病気は、神経の方に回るかもしれないからな」
「脅かすなよ。そうでなくても、毎日毎日、看病看病で、こちらは、まいって、いるのだからなぁ」

友人の忠告も素直に受け取る事ができず、私はひがんで受け取って、まがって解釈し、イライラは顔つきに現れる。

「先ほどの話に戻すけど、その十三仏さんとやらをしたら、本当に良くなるんだろうね。兄弟と相談して、それも考えてみるよ。」
私は心の内で、これは困ったなと、困惑しながら場合によっては、十三仏さんをしてもよいと思った。




先ほどから、窓の外をたびたびのぞいている。12時を過ぎたころから、車もめっきり少なくなり人影はほとんどない。
そろそろいくか。
私は重くなる心に、親指ほどの大きさににぎったおにぎりを13個セロハンのおり箱につめて、旧街道の四つ辻に立った。

時刻は、午前1時を過ぎている。もう車も、犬さえも通らない文字どおり、夜の静寂と、闇ばかりの世界である。旧街道であるために、道に沿って人家は、たってはいるが、今は軒下も下がるという、ウシミツドキ時。人も家も眠っている。

足音をたてないように忍び足で、私は四つ辻の北西の隅に、13個のおにぎりを詰めたおり箱を音もなく供えて、心の中でこう祈った。

13仏さま 。

観音菩薩様 勢至菩薩様 お不動さま 地蔵さま 阿弥陀如来さま
お釈迦様 。弥勒菩薩様 薬師如来さま 、大日如来さま 、虚空蔵菩薩様 
文殊菩薩様 、普賢菩薩様 アシュク如来さま


お見通しのごとく、母も私も難渋しております。十三仏さんに供養して、お力添えをえることによって、なんとか救われたいと思う一心で、この夜の闇の中で、お願いしております。
聞くところによると、十三仏さんに供養すると、お迎えにこられるかもしれないということですが、それだけはどうかなしにしてください。まだこの世で、何の役割も果たしていない私ですから、せめて私がそれなりの人物になって、社会の役に立っている姿を母に見せたいのです。それからあとに母を見送るならば、私は後悔が少ないのです。
母も、わが腹を痛めて産んだ子が、社会の役に立っている姿を見たら安心して、彼岸を目指すことができるでしょう。
虫の良いお願いをすれば、母は私がひとかどの人物になるまで、どうしてもこの世にいてもらわなければなりませんので。あの世に連れて行かずに、この世で、たとえ1寸でも楽になるように、お願いいたします。

そしてもし、願いを叶えていただいたとしても、それに味をしめて、2度3度お願いするようなことは慎みます。一生一度のお願いのことゆえ、何卒叶えて頂きとう存じます。お粗末ですが、これは母から十三仏さんに、お供えしたものでございます。どうかお召し上がりください。そしてこの功徳を持って何卒宜しくお願い申しあげます。

人や車が通るのを気にしないから、口早に心で唱えて、私がまっしぐらに家を目指して、早足で歩いた。決して後ろを振り向くな、との忠告を厳守するために、私は、両手を顔に、あてて後ろを振り返ることが、できないようにしながら家へたどり着いた。

決して人に、十三仏さんにご供養していう姿を見られないようにという言葉が、不安となって、まとわりついたが、とにかく、友人が教えてくれたとおり十三仏さんをした。

寿命があったのだろうか。私の願いが聞き届けられたのだろうか。母は、年齢を重ねて、老衰は自然進行しているとはいうものの、寝たきりではあるが、あれ以来、10年間、大した病気もせず、床に伏せっている。
来年は80歳になる。こういう案配で、私は十三仏さんに、今では心から感謝している。