日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

見えぬ者の存在

2009年02月02日 | Weblog
見えぬ者の存在


人間の勘 胸騒ぎ 夢 幻覚 予感 などは偶然の一言で片づけられるが、
我々の多くはその存在を予感しながらも。それらが強い現実的な力見えぬものの存在に注意を払をうとはしない、
以上のようないわゆる科学常識に乗ってこない事柄については普通人びとは注意を払わない。筆者は続けいて言うが、こういう非科学的な扱いをするのは一つの偏見である。人間に起こる全て事は科学的なこと、あるいは科学的にかいめいされたものばかりではない。そのぶんを宗教で埋め合わせしているのが現状である。そしてぼくが思うにそれこそ科学的態度であり正しいことだと思うが、世間の常識とはなっていない。そこがもどかしいところである。人間の生活の中に生起してくる事象を冷静に眺めるならば、人はきっと見えぬ者の存在に気がつくだろう。その存在に気づくことが、人生に対して謙虚な態度だと 思うのだが。

カルカッタの乞食

2009年02月02日 | Weblog
カルカッタの乞食

 カルカッタの繁華街、チョロンギーでのことである。露店の出ている通りの前で粗末なサリーを体に巻き付け、やせ細って棒切れのようになった子供の足を、むき出しにして道ばたで寝ている、いや倒れている母子の乞食を踏みそうになった。よく見ると多分この親子は死んでいるのではなかろうかと思えるほどやせこけていた。母親はともかくも子供は動きもしないし、むずかる様子もない。
 
おお可哀想に。お前はなんでこんな所へ生まれてきたのだ、ええっ。もう手遅れではないのか。僕はこんな事をつぶやきながらそこを通り過ごした。しかし、いかにせん、この乞食親子を見てそのまま通り過ぎることはできなかった。通りすぎた道を引き返してアルミのお鉢に5ルピーを入れてきた。母親も死の寸前か、何の反応もしなかった。多分今頃は母子ともにこの世には居ないことだろう。

それにつけても一体インドと言う国は、片一方で核実験をしているくせに、自国の民の飢えの問題を放置している。核実験に使う金があったら社会の底辺にいる人たちの救済にもっと手をかしたらどうだ。僕は完全に怒っていた。