良い寺 悪い寺
良い、悪いという概念の中身は、非常にあいまいだが、何かわかったような気がする言葉である。その何か分かってような意味を用いて、 良い寺、悪い寺、を区別するなら、良い寺とは、
仏教本来の教えを、説くだけではなく、教えを実践するところであり、
悪いお寺とは、教えを語ることによって、蓄財に専念する寺のことである。
宗教家は、よく、人を救うというが、私には、人間が人間を、救えるとは思えない。
人間を救えるのは、神仏のみで、人間は、神仏の、手助けをすることぐらいしかできないと思う。それゆえに、人を救うと公言し、それを看板にして、弱みを持つ大衆を集めては、なにがしかの賽銭を、巻き上げるのは、インチキもので、悪い寺ということになる。
良い、悪いという概念の中身は、非常にあいまいだが、何かわかったような気がする言葉である。その何か分かってような意味を用いて、 良い寺、悪い寺、を区別するなら、良い寺とは、
仏教本来の教えを、説くだけではなく、教えを実践するところであり、
悪いお寺とは、教えを語ることによって、蓄財に専念する寺のことである。
宗教家は、よく、人を救うというが、私には、人間が人間を、救えるとは思えない。
人間を救えるのは、神仏のみで、人間は、神仏の、手助けをすることぐらいしかできないと思う。それゆえに、人を救うと公言し、それを看板にして、弱みを持つ大衆を集めては、なにがしかの賽銭を、巻き上げるのは、インチキもので、悪い寺ということになる。