日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

ポーンは死んだ

2007年10月15日 | Weblog
日本人の、誰もが金持ちだとは限らない。

一時間七百五十円のつつましい、アルバイトをしながら、稼いだ金をためて、海外旅行、それも貧乏旅行している人も大勢いる。

東南アジア、たとえば、ベトナム、カンボジア、中国、ネパール、インド、タイ、ラオス、などを旅してみると、これら日本人貧乏旅行者たちよりもはるかに貧乏な人たちが多いから、その人たちからみると、日本人は、たとえ、バックパックカーであったとしても金持ちだといわれれば、それはそうだと思う。

三度の食事にこと欠く人が、飛行機に乗って、海外までやってこれるわけがないのだから、現地人が日本人は金持ちだと思うのも無理はない。

ところが 元々金がないから慎ましい生活をするために日本人の貧乏旅行者は決まって、安宿街へもぐり込むのだ。

例えば、インド。、カルカッタのサダル・ストリート。タイ・バンコクのカオサン通り。ベトナム・ホーチミンのフオングーラオ通り。
日本でいえば、さしずめ東京の山谷や、大阪のドヤ街などのような雰囲気が漂うところで、普通の日本人なら敬遠したくなるような場所柄である。

とにかく、宿泊代が安い。同室に何人か寝起きするドミトリー形式の宿泊所は2,300円で、一晩泊まる事が出来る。
そして、この近くには、不潔だが屋台があり、食べ物はやすい。ほんの少しのお金で寝ることと、食べることには事欠かない。

どいうわけか風に吹かれながらこの屋台で食べると普段ではとうていまずいとしか思えないようなものでもおいしいと思うから不思議である。
僕は最初このようなところへ、足踏みいれたときには思わず
「わっー」と意味不明の、言葉が口をついて出た。

その雰囲気に、到底なじめなかったし、とけ込むにはあまりにも抵抗が大き過ぎたのだ。気分的には高いところから目をつぶってえいやっと、水中へ飛び込むような緊張感を感じたのである。ところが何回も出入りしている内に別に何とも思わなくなった。慣れは怖いものである。

 日本から、タイのバンコック空港につくと、ここから、乗り物に乗って約
一時間かけてバンコク市街まで行くことになる。
渋滞などを考えると、空港のすぐそばから出ている(鉄道)列車を利用するのが確かであり、この終点の駅が、ホアランポーン・中央駅である。日本で言えばさしずめ東京駅と言うところか。

ホアランポーン駅の西横には、真っ黒で悪臭を放つ泥水が流れている運河がある。この運河の橋を渡り、チャイナタウンの方に、向かって歩いていくと、ロータリーがあり、近くにジュライホテルという名のホテルがあったそうだ。
ここの住人は日本人が多く、それも長期滞在の旅行者が住み着いていたようである。

この話は此のジュライホテルを舞台にしてタイ人女性・ポーンとそれを取り巻く日本人旅行者の織りなす人間模様である。聞いたところによると、このホテルは、ぼくがバンコクへ、通い始めたころには、すでに閉鎖され、撤去されていたので、そこで繰り広げられた物語は想像の域を脱することはできない。

谷恒生の小説「バンコク楽宮ホテル」には、このジュライ、ホテルの日本人、貧乏旅行者の生活振りが、描写されている。それとダブるようにして、僕が、バンコクに長期滞在しているバックッパッカーから聞いた話とは、ほぼ、一致しているから多分実話か、それに近いものだろう。

 この、ジュライホテル周辺を舞台に生活していたポーンという名の女が、
エイズのために、今年二月、二十八歳の生涯を閉じた。
死ぬ2,3ヶ月前から下痢や吐き気を繰り返し、体はやせ細り彼女は、間もなく、死ぬだろうというのが、おおかたの見方であった。

身勝手なものでさんざん彼女と遊んでおきながら誰も彼女を助けてやろうとはしなかった。勿論それには訳がある。
彼女は以前、日本人男性と、結婚した経験があり、来日して、名古屋近辺に住んでいたということだ。だから日本語はとても上手で、離婚してバンコクに帰国してから後は、ここに住みつき、何人もの日本人貧乏旅行者を相手にしては、生活していた。
このポーンを相手にした日本人男性の数はかなりにのぼるらしい。

彼女は、身売りのほかに、麻薬をやっていたようだ。人生に絶望していたのだろう。やけのやんぱちで挙げ句の果てには、彼女は日本人男性に、麻薬を勧めては、警察へ密告して、褒賞金を得ていたという噂もたっていた。

この地域で、警察とグルになっていれば、たれ込みによって、金が稼げたのだろう。このことを知らなかった日本人は、かなりの男がカモになったらしい。刑務所へ入るか、それがいやだったら高額のワイロを払って見逃してもらうかどちらかだ。
 犯罪者が罰を受けるのは当然のことだが、こんな目に遭わした張本人として、噂では、これは彼女の仕業に違いないと、ポーンはいつもやり玉に挙げられていた。そういう意味でもしこれが本当だったら、彼女は悪女だったのだ。

彼女自身も、麻薬のために、警察に捕まって、刑務所暮らしをしたことがあるらしいが、その中で、彼女は、日本人の麻薬使用者、をカモにして金を稼ぐことを思いついたのかも知れない。あるいはたちの悪い警官から話を持ちかけられて端役を引き受けていたのかも知れない。おかげで、何人かの日本人が、刑務所に、放りこまれたということである。

彼女はチェンマイに近い郡部の出身で、父は、ビルマ人、母は、タイ人のハーフでバンコクに出てくるまでは、純情な田舎娘であった。ところが都会に、出てきてばかりに、彼女の人生が狂ってしまった。

幸せになるはずの、日本人との結婚もそれぞれの国の生活習慣や国民性の、違いがもとで、長くは、続かなかったようだ。それに彼女に近づいていった日本人は誰ひとりとして、この薄幸で、かわいそうな彼女をを救ってやろうとはしなかった。

よってたかって利用し、ごみのように捨てたのである。それは麻薬の密告者という噂が日本人の間に広まっていたせいでもあるのだろう。
いや、それだけではなく、日本人には、おそらくそのような、精神的なゆとりはなかっただろう。というのは、エイズ患者のポーンの死によって彼らはわが身が、エイズにかかっているかどうかが最大の関心事であったのだ。

だれからも見捨てられて、この薄幸な女性・ポーンは、二十八歳で生涯を閉じることになったのである。一見すると穏やかでマンペライ精神に満ちあふれるこの大都会のど真ん中でも掘り起こせばこのような悲劇が浮かび上がってくる。

僕はこの話を噂話として、聞いただけだから真偽のほどは知らないが、ありうる話だと思った。ポーンのこの話を聞いて僕は善玉も悪玉も作りたくはなかった。

これは人間が究極のところでは如何に孤独であるかと言うことを教えてくれる、いや感じさせてくれる話であった。つまり旅先のみならず人間は誰でもどこでも独りぼっちであるという人間の基底部分に横たわる一つの真実を思い知らせてくれた話だった。

穴場はどこだ

2007年10月15日 | Weblog
 毎年のことではあるが、相変わらず、初詣は大勢の人出だ。初詣が多い神社を見ると、いつものように、明治神宮の355万人を筆頭に、川崎大師が317万。住吉大社が283万。ラストが、京都の伏見稲荷で、223万人。
全国では、7742万人の人々が初詣に行ったと新聞、テレビが報じている。それでも去年に比べて、216万人減ったそうである。理由は、
3ケ日に降った雨のせいみたいである。

いったい何を求めて、こんなに大勢の人々が、初詣に出かけるのだろうか。生まれてこのかた、こうすることが、慣習となって、ただ何となく出かけるのか、。それとも御利益を求めて初詣するのか。

人々は、濃淡の違いこそあれ、現世利益を求めて初詣するのだと私は推測している。
現世利益。あの世ではなく、今生きて生活しているこの世で、御利益を授かり、日々の生活を安穏なものにするということは、人々共通の願いである。私も人後に落ちず、1日から3日までの間に、現世利益を求めて何カ所かに初詣に行った。

 我が国には、神無月というのがある。その神無月には、神さま方は、みな、出雲に集まり、全国の神社は空っぽになる。この時ばかりは
出雲は別にして、全国津々浦々どこの神社に参っても、御利益はなさそうだ。ご当人の神様がお留守だからである。

ところで、私は近頃とみに出雲に集まる神々の会議の様子が知りたくなった。というのは、会議の内容を知ってこれにうまく、対応すれば、御利益がたくさんもらえるような気がしてきたからである。つまり、穴場を知りたいのである。

推測するに会議のメインテーマは民衆の欲望に、どうこたえていくか。如何に満たしていくか。その辺のことだろうと思われる。

そしてこのテーマに関しての役割分担を決め、御利益の配分の仕方について、いかに万人に公平に、行き渡ら出せるか、について協議されているように思われる。
 と言うのは、人々の初詣を見れば分かるように、人間の神さん詣では、現世利益が中心だからである。神様としても、これを無視するわけにはいかない。人々の要求にこたえていかなければ、誰も初詣にこなくなるからである。

つまり、人々の素朴な願いを無視すると、人気が落ち、神社の存立そのものが、危なくなるからである。無限に近いと思われるう御利益を袋に一杯つめておられる神様でも、対応を誤ると、人気にかかわってくるから気を使われることおびただしい。


私は先ほど出雲に、集まる神々たちの会議の様子を知りたいと書いた。じつをいうと、この欲望はは抽象的な願望をいうのではなく、もう少し現実味を帯びたものなのである。すなわちテープレコーダーを使って、神々の話を盗聴して、記録しておきたいのである。

どの神がどれだけの御利益の詰まった福袋を持っておられるのか、
どこの神社に参れば、余計に福がもらえるのか、もし平等に福が詰まっていると言うのなら、あまり大勢人がお参りする神社を避けた方が良い。また逆に、お参りは少ないが、福袋の中身はぎっしりという。つまり一人当たりにすると福の配分が多い神社ならば、それこそ、穴場だし。それなりの目見当をつけるために、いろいろ予備知識として,頭の中にインプットしておきたいのである。それに加えて人々が実感している御利益話しにも、聞き耳を立てて情報を整理してみて、穴場をあらかじめ推定しておくと、たとえ、どこの神社に参るにしても、心構えが違うから、人より余計に福をもらえる確率が群を抜いて高くなると計算しているのである。


例年通り、我が家も家族全員、初もうでに行った。誰がどういう福を頼んだが、そんなことは知らないが、私が手を合わせてね一生懸命に御利益を頼んでいる最中に、
神が現れて次のようなことを申された。
 「いつものことながら、欲を道連れに初詣に来たのだな。それはそれで良い。今年も、それなりの福は、授けてやろう。だが、お前は自分の足元をじっくり見たら、神のすばらしいプレゼントに気づくだろう。
お前をこの日本に生まれさせたのは、ほかならぬ神のなせる業なのだ。いま日本で何か困ったことが起きているか。何もないだろうが。
国民はウサギ小屋に住んでいても、経済は世界1で、治安も医療水準も世界の中でもトップレベル。この後半の半世紀には国民が互いに殺し合う戦争も一切なかった。平和そのものの社会じゃないか。しかもその平和を背景にして、国民生活は中流意識に彩られて、ほかのどの国よりも暮らしやすい国であろうが。

神がお前ら人間特に日本人にこたえている最大の御利益とは、人生が大過なく過ごせるような平和を与えていることだ。そのことに目をつぶって、自分の目先だけの御利益を願うと言うのは、ある意味では神に対する侮辱だとおもわないか。

特にお前は、こすずるく福袋の中身さえも探ろうとして、テープレコーダーで神々の会議の様子を盗聴しようとしているではないか。熱心なのはそれは、それでよい。しかし、行き過ぎたのは困る。己の限度というものをわきまえて、神と付き合うというのが、人間と神の正しいあり方ではないか。

これは決してお前に説教しているわけではない。神と人間の関係のあり方の常識を申しているだけである。そこのところをよく理解して、その上に立って、盗聴するのは、まあまあだがねぇ」

神様は以上のようなことを話された。目を覚まして考えてみると、神様の言われる通りである。

それを超えて己一人の現世利益を願うのは、やはり厚かましいというほかはない。言われるまでもなく、やはり自分でも、これは行き過ぎたと、思わざるを得なかった。

先ほどまで、あれほど盗聴したいと、思っていた気分は、神様のこの一言によって、どこかへ引っ込んでしまった。

穴場、それは、神の福袋の中身分配の事ではなく、実際に足元に、転がっている神の恵みを知るということ。それが現実の穴場であると、僕は考えた。

盗聴など不遜なことを事を考えはしたが、これでひとつかしこくなったような気がした。

へッドライト

2007年10月14日 | Weblog
 こんにち、車に乗っていてスピード違反を一度も経験した事ガないという人はまず、いないだろう

運わるく、スピード違反取締りの警官につかまったか、いないか、は別にして、車の流れに沿って走るなら最高速度制限時速40Kmでは.もたもたしていて、とても走れたものではない。

誰が車の流れを作るのかわからないが.4OKmの速度制限を無視した形で、一群の車は流れている。夜間か昼間か、空いているか混んでいるか、色いろな道路状況にもよるが、まぁ普通50Kmから60Km ぐらいで 走っているようである。これはスピード制限をうわまわっていることは事実である。しかしこれが自然な車の流れみたいである。


猿が高い所へ登りたがるのと同様に人間は、出来るだけ早いスピードを出したがる本能みたいなものを持っているらしい。事実、直線道路で前方が空いていると、いつの間にか50Kmをオ一バーしているがこれ人間の習性ではなかろうか。しかし諸般の事情を加味してスピード制限を科学的に割り出してみると、安全速度、4OKmということになるのだろう。

この科学的数字として表示される速度と、人間の本能もしくは習性によって来るところの速度、あるいはそのときの道路状況の判断による速度との食い違いは、時々ネズミ捕リという不人気な方法でもってしても是正する必要があるのだろう。

 対向車がさかんにライトを点滅させてこちら側に何かサインを送ってくれているのに気がついた。  
ハッとしてブレーキを踏みスピードをおとし制限速度内の40Kmすれすれにした。
どこに警官がひそんでいるのか、見渡したが姿は見えない。だが、道路の端の方に細いコードが這っていたから、恐ら合図を受けたあたりだったんだろう。スピードを落した地点あたりが、見張りの警官が居たところに違いない。
 
やられた、と思ったが、パトカーや机を並べて十人ちかくの警官のいる前を呼びとめられることなく通過出来た。

見れば、3、4人が机の上の書類にむかって不気嫌な顔をして何かを記入していた。 いずれ五千円以上の金を指定金融機関に支払いに行くことになろう。法治国家において、自分が法律違反をして罰金を払うのは当然だが、腹の中はもっていき場のない悔しさや腹立たしさで一杯だろう。と、思った途端、ライト点滅によって事前にネズミ捕りを教へてくれた行きずりの対向車の運転をしていた人の親切心に感謝の気持ガわいてきた。

御礼の言いようもないから.私はこの感謝の気持を対向車線で.ネズミ捕りを発見した時は必ずライトを点滅させてサインを送ろうと思った。警官を向うにまわして取り締まられる立場にある市民が協力して.ネズミにならないようにする、これ、生活の知恵とでも言うべきか。

それにしても全く不特定の市民が協同して警察の網にひっかからないようにすることは.共同戦線をはったというよりはそこに何か人間らしい温かさのある連帯感を感じるのは、恐らく私一人だけじぁあるまい。

法を守る精神を持つのは、市民として当然の事ではあるが、法に縛られて身動きが出来ない、つまり人間の自然の情までも法によってガんじガらめに縛りつけるのは如何なものだろうか。

他人に重大な影響を及ぼさない範囲で.順法精神を忘れずに、ある程度の弾力性を持たせて法を理解するのが市民生活の知恵ではないだろうか。 
 少なくとも私はこう考えて生活している。

赤信号みんなで渡れば怖くない、というのではない。私の場合は赤信号を見ると安全性を必ず確認して危険がないと確信が持てたときしか赤信号を渡らない。

               



 金沢旅情

2007年10月11日 | Weblog
           金沢旅情
彼はブラジルで悠々自適、おそらく好きな本を買い込んでは、自分のアトリエに持ち込み、読書三昧の日々を過ごしていることだろう。
本社の重役からブラジルにある子会社の社長に転出して、そのまま居着いてしまった。風聞では、一人娘のお嬢さんも、ブラジルの市民権を持った日系三世と結婚されたということであるから、故国日本へは足が遠のき、骨を埋める気になったのだろう。

彼と私はひとまわり以上も年が離れていたし、平社員と重役という立場もあって、私にはそれなりの遠慮があったが、オフタイムには個人的な付き合いがあった。

彼のことを私は、大陸浪人とあだ名していた。
満州の荒野に、着流しになわの帯でも巻き、セッタをはいて、夕日を背にてして立ち、夢を語り、ロマン語り、人生を語るそんな姿が彼には1番似つかわしいと思える不思議な雰囲気があった。
それは彼の上司に対する言動にも、部下に対する言動にも、その雰囲気が出ていたから会社人間としての恣意的な演出では決してなかった。

彼の風貌も言動も所詮、彼の個性や人生観や価値観によってきたるものであり、それが彼独特の持ち味を感じさせていたのであった、
とはいっても、際立って突出した何かがあるという訳でもなく、当たり前のことを、当たり前のように言う、凡人だったと私は評している。

そんなAさんに私は青春の輝きを見つけ。自分の夢を重ね合わせていたのであろ。私は彼が好きだった。

彼は金沢の4高で学び、東大の経済学部へ進んだ。卒業後当時の花形産業と言われた繊維会社へ就職した。そして、太平洋戦争に学徒出陣したが、無傷で帰ってきた。

戦争といえば、空襲しか知らない我々世代とは違い、無傷と言っても鉄砲の弾丸をかいくぐった経験はあっただろうから、人間が生きることの厳しさの自覚と言ったら、我々世代とは比べ物にならなかった。厳しいものがあった。

私は自分よりも、もう1世代前に生まれた先輩たちの学生生活、特に旧制高校の生活には関心があった。
というのは、青年としての純粋さや、理想を求め、苦悩し、人生に悩むその姿が私の理想であり、酒を飲み高吟するばんからは、私の憧れであったからである。

 彼が持っている雰囲気は私の求めているものをふんだんに持ち合わせていた。雀百まで踊り忘れずか、三つ子の魂100までか。


私が「金沢旅情」を作詞作曲しようと思ったのは、金沢への憧れからであったが、その奥には金沢がAさんの青春の地であったということが前提となっている

短かめの北陸の夏は、ここ兼六園にも影を落とし、霞池から引いた噴水はさびしげだった。
兼六園随一の石灯ろうを小さく見て、霞池はさざ波が漂っている。
頬を過ぎゆくここの風に吹かれて、池のほとりにたたずみながら、私は自分の青春を思い返し、幻と消えた夢と重ねてAさんの青春を思いやった。いや四高生の青春に思いをはせた。

四高といえば、私は何の関係もない。単なる通りすがりの旅人である。それにもかかわらず、私は自分の青春と四高生の青春を重ね合わせていた。池を散策しながら,私は自分の若き日を思い返してみた。

はるかな青春。今はもう遠い過去になりつつあるが懐かしい。そこには夢と希望が満ちあふれ、詞があり、歌があった。純白の画布におろす絵筆を握る手には胸の思いがあふれていた。

ママにならない現実と違って、時は苦みを分散して脱落させ、過去の華美なものだけが、重層的に残っていて、ノスタルジアは心を憩わせてくれる。
私はいつの間にか彼になり変わっていた。

霞池に映り、流れゆく雲を見ながら、そして時計の針を逆に回して、人生の意味を問い、人間存在の根源的なものを尋ねてみた。しかし浮かびくるのはその昔あこがれた少女の面影のみだった




男女7歳にして席を同じうせず、という社会規範がどれほど人の心を縛ったか知らないが、いつの時代でも美少女への憧れは煩悶の日々にみずみずしい感覚を注いでくれる

 彼の話によると、彼が四高生だったころ、近くの喫茶店に美しい娘が働いていた。当時喫茶店で働いていたという事実から推測するに、それほど恵まれた生活環境にはなかった女性だろう。

 さんさんと輝く太陽の下に何の苦労もなく育った深窓の令嬢にも心惹かれるが、何らかの不幸を背負いこみ、グレイの憂いを含んでいる陰性の美少女にはことのほか、心惹かれるのでは無かろうか。と言うのは、社会正義に目覚め、理想に走りがちの青年にとっては彼女をこの俺が幸せにしなくちゃという意気込みと自負があり、おそらく四高生の幾人かはそう思ったことだろう。
50年の時が流れて、その美少女もいい年のおばあさんになっているはずだ。

 彼が見せてくれたその写真を見て、これだけの美人を男が放っておくはずがないと私は思ったが、彼女のその後の人生は相変わらず苦労の多いもので、ついに幸福の女神は彼女に微笑みかけなかったようである。

そういえば、何も四高生に限らず、我が青春にも似たような思い出がある。このダブリのおかげで、私の旅は一層豊かなものになった。

私はこの旅情や心境を次のような詞に託した。そして不幸な彼女の境遇と私の苦渋に満ちた青春を重ね合わせて、(モル)単調のメロディーをつけざるを得なかった


           金沢旅情

1,昔の夢は   懐かしく
 
 はるばるたどる 北陸路

 今も微笑む  かの人を

 尋ねて、金沢  一人旅

2,霞池の   さざ波に

 移るの面影  懐かしいや

たたずみ、おれば 身にしみて

今なお聞こえる 青春賦 ( はるのうた)


3,幾春秋が    めぐれども

昔のままよ     兼六園

 100万石の   城跡に

聞くは松風   セミ時雨



















平手打ち警官に支持多数=電話

2007年10月08日 | Weblog
メール2千件超す-神奈川県警 9月6日

電車内で騒いでいた男子高校生(16)を平手打ちした神奈川県警の巡査長(33)が傷害の現行犯で逮捕された事件で、県警本部などに巡査長の行為を「よくやった」などと支持する電話やメールが6日午後4時現在、2000件以上寄せられた。
県警監察官室は「巡査長は明らかにやり過ぎだった」として、思わぬ反響に困惑している。
 
 監察官室によると、電話やメールは
「よくやったというべきだ」
「警官の行動を支持する」
「注意できる大人がいない中、警察官の行動は安心できる」
「寛大な処置をお願いします」など、
ほとんどが巡査長の行為を肯定する内容だった。
 これに対し、
「厳しく処分しろ」など批判的な内容は4件しかなかったという。
 
監察官室は「普段、電車内のマナーの悪さに不快感を抱いている人が敏感に反応したようだ」と分析した。

近頃の高校生のマナーの悪さには、何とかならんのか、なんとしてくれというのが大人の思いだ。しかしうかつに注意するとどんな被害をこうむるかを先に考えるので、誰も注意しないのが現状だ。

それは西日本JR列車サンダーバードの強姦事件を見ればよくわかる話だ。誰一人として悪漢に注意しないで、かかわりを持たないように、見てみぬ振りをしたではないか。
これが庶民の生活実感とその行動なのだ。それを現実に踏まえたところからの発想や、判断がほしい。

職務上注意できるのは警官しかいないではないか。こんな緩みきった世相の中で一般の大人に注意するように求めるのは非現実的で求めすぎである。

もう1つ例を挙げる。
広島での話し。
暴走族を捕まえるのに、彼らは取り締まり警官をなめきって挑発していた。この状況が放映されるの見るたびに、警察の弱腰に腹が立って、職務怠慢じゃないかとすら思った。
県警の本部長、竹花氏がパトカーに体当たりを許可した。そうしたら暴走族は体当たりを恐れて暴走行為をしなくなった。
これは実例であり実績だ。

今の高校生を口で注意して聞くと思うか。
それはあまりにも現状や実態を知らなさ過ぎる。私は20年間にわたって、高校生の生活指導をしてきたが、とても言葉上の注意では彼らは聞かない。それどころか、注意しようものなら倍以上の暴言を浴びせられる。これ以上どうしろと言うのだ。これが高校の生活指導の現場の生の声だ。現実だ。

また何をされるかわからない状況の中で、注意できるのは警官だけだ。それも口頭注意では、おそらく聞くまい。
こういう中で、毅然とした態度をとるのは、本来は大人の仕事だが、被害を恐れて誰も注意などしない。そういうことでマナーの悪さは、さらに輪がかかっているのが実態だ。
おかしい社会が出来上がってしまっているのだ。

こういう状況下でマナーの悪さを正そうと思えば、警察署に連行するか、現場で怪我をしない程度で殴るかしか、現実問題の解決には方法がないのではないか。

 国民は何とかしなくては思いつつも、手出しが出来ない。それを警官がやってくれたのだ。英雄視はしないが、その行為たるや多くの人が望み、共感を覚えるのは当たり前じゃないか。
 これが暴力か?これはマナー指導上必要悪だ。現実的な解決法はこれしかない。
だから警官擁護の意見が圧倒的に多いのである。

観察室の係官は現場の状況や、実態を知らないで、発言するから、庶民との感覚のずれを指摘されるのだ。そして今回は庶民の判断は正しい。マナーが悪く注意したら何をするか判らない高校生のガキ共は痛い目に遭わせないと、マナーを改善するようなことはおそらく出来ないだろう。

「警察官として殴る行為は肯定できない。詳しい経緯も捜査中で、巡査長を一方的に英雄視する声には戸惑いを感じる」としている。
何を寝ぼけたことを言ってるんだ。目を覚ませ。 

英雄だとは思わないが、よくやったというのが、大方の見方だろう。
警官の平手打ちには喝采を送る。

 美人

2007年10月08日 | Weblog
姿かたちよく見目麗しいのは、女性だけとは限らない。

男性でも、男ぶりがよくて、同姓でもほれぼれ見とれるれるほどの人が居るものだ。
そんな人を見ていると、この人はきっと、善良で立派な人なんだと、ひとりで決めて、中身も確かめずに、独断と偏見に満ちた評価を下す。

ましてや、背広をきちっと着こなし、気の利いた装身具、たとえばシックな時計、のりの利いたワイシャツや、ちらっと見える上品なカウスボタン。それに顔に似合う眼鏡などを身に付けて、外見もパリっと整えているときは、中身はどうあれ、外見にすべてその人の人格が現れているようで、中身と外見が一致しているような錯覚をする。

そして、その錯覚に基づいて評価をするのだが、評価自体が当てならないのに、それに信頼を寄せて先入観を作ってしまう。

それでも、人間の直感というやつは恐ろしいもので、すべてを見抜いて正鵠を得ている場合もなきにしもあらずだが、私はこのような評価がその人の一瞬のスナップとしてはズバリあたっていることを認めはしても、一つの体に神と悪魔の両極端を併せ持っている人間の、個性なり、資質なりの時系列化されたトレンドを示しているとは思わない。

なぜならば、人は意識的努力によって、自分の綺麗な部分(たとえそれが体の部分であっても、心の部分であっても)を出そうと努力するものであるから。

そして私は人の心の奥底に住む、神と悪魔のお互いを差引しても、なお神性が残る人こそ、美人だと思う。

しかも、こういう種類の美人は年とともに、ますます磨きがかかってその美しさは光彩を放つ。

こんな簡単な美人の見分け方ができるようになるまでに、50年の歳月を要した。

















色紙

2007年10月07日 | Weblog

打ち勝つことは、真の融和することだ。

山田耕筰   文化の日に

私の作業場には、一枚の色紙の入った額がかっている。
もう、かれこれ40年以上も昔のことで、色も少しくすんで、真っ白だった色紙が灰色がかってきている。
この額こそが私が、家宝としているものである。いや、家宝というよりも、私の創作活動に大きな力を与える源となっているものである。

昭和は38年11月3日。文化の日に、私は音楽の師匠、山田耕筰先生のお宅へうかがっていた。
当時、先生は原宿の駅前にあるマンションの7階に住んでおられた。
ひとしきり、人生談議に花が咲いた後で、私はこういった。

「先生。ここまで生きてくるのに、とにかくいろいろありました。今までの私は困難が生じると、それに向かって、やあやあ声をあげながら、刀を振り回していたのですが、今ここに至って、くるものは何でも来い。全部、自分の胸の内に取り込んで、消化してやるぞ、という心境です」といった。

そしたら、先生はにっこりされて「色紙」とおっしゃった。
鳥の子紙に包まれた真っ白な色紙で、四周金縁の縁取りがしてある。
奥さんが持ってこられた色紙に先生は体の不自由をおして
「打ち勝つことは真の融和することだ。耕筰」と先生らしい字で書かれ、中央に先生ご自身の似顔絵をすらすらと描かれた。
頭のほうはつるつるテンだが、鼻の下のちょび髭はちゃんと描かれている。
それは、山田先生一流のユーモアで、ほほえましい限りである。
さらにローマ字でがkocsakuとお書きになって、たぶんサインするときに使われるのだろうと思われた竹製の花押を押して、
「武田喜明君 卒業を祝して」と書き加えてくださった。

 作曲家として私は有名であろうが、無名であろうが、この一枚の色紙によってどれほど勇気づけられ、自信を持つことができたことか
このことを考える度に、この一枚の色紙がいつも私は子供にも、孫にも語り伝えたい、我が家の貴重な家宝であると思うのである。

 別になんの意図もなく、私がふと、もらした心境を、先生は即座に受けとめられて、色紙の上に私のはなむけの言葉として贈ってくださったのだ。
大学を卒業するのは翌年の3月で、その前年のの11月3日・文化の日に、まさかはなむけの言葉をいただくとは、夢にも思わなかったが、今になってみると、本当にありがたい事である。卒業の半年も前に、卒業を祝してと書かれて、にっこり笑われた先生のユーモアが今でも思い出されて、私の心を和ませる。

 先生がなくなられてから、たった一度だけしか、お墓参りをしていないのが気にかかる。

そのうちに大阪から車を飛ばしてでも、墓参するつもりである。
 その時はもちろん、私の作品の中で、自信作を先生にお目にかけて、聴いて頂くつもりである。ピアノ伴奏で作ったソロ曲「延命十句観音経」 がいいか、それとも女声合唱曲「舎利礼文」がいいか。
迷うところである。


























吉兆さん

2007年10月07日 | Weblog
先日吉兆さんにおよばれでいった。昼から、フルコースである。出てくる料理はどれもこれも、超一流の味付けと、いろいろな食材を、腕を磨いた腕自慢の料理職人が料理した盛り合わせばかりで、季節の旬のものも量も、考えられている。さすが日本で1,2をあらそう料亭である。味付けと、素材の新鮮さと、磨かれた職人芸の料理や盛りつけを楽しみながら、僕なんか一生涯で何回こられるのかなと思いながら舌鼓をうった。
おいしいごちそうとは、一体どんなものなんだろうかと考えながら、さかんに箸を動かせた

フルコースだから吸い物をはじめとして、煮物、揚げ物、酢の物、香のもの、デザートでしめたけど、満腹を通り越して、食べすぎで体がしんどくなってきた。

そこで考えた。

一番おいしいごちそうとは、

1,自分の食べたいものを、(ほしい食べ物)
2,そのときの体調に合わせて、食べたいだけ、食べることである。(適量)

自分の食べたいものは、その日の体調によってかわる。
例えば、からだが疲れていると、すしのような酢の気のようなものがほしいし、甘いものも食べたい。
日によってはウナギの蒲焼きのようなあぶらっこいものが食べたくなるし、またある日には、体調に合わせて、刺身のようにあっさりしたものがほしい。

食べたい量を決めるのは、そのときの体調による。たくさん食べたい時もあれば、あまりほしくないときもある。その日の食欲を、まあ満足させてくれるだけ食べれば最高だ。
食べ過ぎてしんどくなるよりは、食べたりない方がまだいい。

ここまで考えた時、この世の中でものの値打ちというものは、自分が決めるものだなと思った。

吉兆さんだから、おいしいという前に、そのおいしさを決めるのは自分であること、つまりものの価値を決めることに関しては、個人は宇宙の中心なんだということだ。

考えたら、当たり前の話である。その当たり前が、心の芯から判るのに、50年以上かかった。

ひょっとしたら、自分は人間として、物事の理解にあまりにも時間がかかりすぎる、お粗末人間かも知れない。





会員制デートクラブ

2007年10月07日 | Weblog
姫路市内のデートクラブが兵庫県警によって摘発された。
原始古代の昔から未来永劫にわたってこの種の問題は起こるから、とりわけ注目に値するものではないが、会員制のこのクラブは、六十才以上の老人が三割を占めていたというところがわたしの関心を引いた。
検挙された経営者は若いサービスガールに、老人は金と時間があり、大人しいから特にサービスするように、と訓示していたという。

地位があり財産がある老人は恐らくこれらを活用して、簡単に女を手に入れることが可能だろうから、多分デートクラブなど利用することはないだろう。
しかしそこらそんじょの庶民の老人は、こういうクラブを利用する以外、シルバーセックスのはけ口がないから、俺たちの楽しみを奪う余計な事をしやがってと、恐らく内心では警察を恨んだことだろう。

六十才過ぎの老人に性欲なしと決めてかかる、世間の誤解はいうに及ばず、高齢化社会が急速に近づいてくる我が国の現状からすると、老人は性欲なしで涸れるべし、年よりの癖にいやらしいと、偏見を持つ社会も恐ろしい。 このような社会的な禁忌がある為に、老人の性は抑圧されており、追い詰められている。

生命有る限り、性欲があるというのが生きている証しでもある訳だから、今一度この問題を考えてみなくてはならない。
性欲なんてものは、全く個人的なもので年齢的な側面から論じられるものではない。本来死ぬまであると、考えるのが自然であろう。

 さて老人の現状だが、基本的に老人は、人生の夕暮れにいる訳で、夕日が沈むがごとく、やがてこの世をさる日がくることを、本能的に直感している。そこから浮かびあがってくるのは、どうしようもない寂しさである。
また第一線からは引退させられることによって、自分は社会とは直接かかわりを持たないという疎外感もある。
また一歩ひるがえって、自分の家庭をみると、巣立った子供達はそれぞれの家庭中心に生活を回し、そこに老人が安らげる場所などはない。子供においてすら、付き合いが薄れて行く現代の風潮からして、若い女の子と付き合うチャンスなどは絶無である。

 こうなると、老人にとっては毎日まいにちが、淋しい時間の連続でしかない。これが俺の人生か。これが俺の人生のたそがれか。ため息が聞こえて来そうである。

そういう心境にある老人が、体内にくすぶる生命の余燼、己の性欲をいかに処理するか。
デートクラブの存在は、恐らく日だまりに集まった老人たちの茶飲み話を通じて急速に広がったに違いない。そのクラブを通じて、老人は沈みかけている己の人生に、青春の息吹を吹き込もうとしたのかどうかは知らないが、この世に有る限り、自分の生命を存分に楽しもうとしたことはごく自然なことである。

 建前や、体裁にこだわって、静かに死を待つという生き方は、人生の冒涜と言ったほうがよいだろう。
世間的にみっともないと言って、自分の体裁をかまう子供たちが、本当にどこまで老人の立場を理解しているか、老人の心理と生理を、どれほど実態に即して眺めているのか。
また老人について、なにがしかの事を思うのなら、老人をもっと暖かく迎えいれる気遣いや、配慮があるのか。

 老人が相方に若い女性を求めるのは、自然の理にかなっている。というのはこれがいわゆる正常な人間の生命現象で、それが即ち、自然の意思だから。
言い換えればいやらしいという感じを飛び越えて、自然の摂理、神の思し召しと心得るべきである。

ところで、私も会員になる資格が十分あるが、最後の最後まで、生命を燃やして生きなければと思うこのごろである。

沖縄平和祈念像讃歌

2007年10月07日 | Weblog

沖縄平和祈念像讃歌


   諸人の願い 天地もなびく

   今 みなが郷に 諍いを捨てん

   見よ、白雲の果て「聖なる空に

   沖縄の風 さやかに歌う

                 渡久地 政信
    
摩文仁の丘に開堂された沖縄平和祈念堂に流れる「沖縄平和祈念像讃歌」である。    
「お富さん」「踊子」「上海帰りのリル」など、昭和20年後半から30年代にかけて、一世を風靡した名曲の数々を作られた、高名な作曲家
渡久地政信氏によって作詞されたものである。

私は初めてこの詞に触れたとき、心が震える思いがして、胸が熱くなった。
 なんとすばらしい詞なのだろう。どこまでも透き通る深さがあって
汚れなき魂の人の、心の内からなる叫びとでも言ったらよいのだろうか。
この詞を歌う心境はとても世俗に、慣れ染まった通常の人間のそれではない。
 宗教哲学の雰囲気が漂っている。欲も得もない唯ひたすら、心の中にある一つの想念を、思い続けたときに、瞬間的によぎるひらめき。
その珠玉の言葉が光を放って詞になり、言葉は芳香をはなって詞を構成している。

この地上にある人類は、争いをしつつも、一方では、心から平和を望んでいる。人々の純なる願い、平和を求める気持ちの集合体。その声には、天地もなびくであろうし、鬼神も耳を傾けざるをえないだろう。


そして今、沖縄・日本は言うまでもなく、60年昔に血みどろの地獄絵図を繰り広げ、死闘を繰り返した、アメリカの里に置いてすらも、諍いを捨てて平和な日々を過ごしたいと、心より願っている気持ち。それが日米一般大衆の素朴な感情である。
そして、詞は続く。
聖なる空に日米両軍の激戦の中に、死んでいったその修羅場。この沖縄の地には、沖縄の風が、さわやかに、歌っている。

この世界は、まさに、御仏の世界である。修羅世界から、涅槃の世界に入ったときに、経験するであろう世界である。

 私は従軍の経験もなければ、内地の空襲の修羅場をくぐり抜けた経験もないので、体験的にはよく分からないが、「殺すか殺されるか」のギリギリの人間の極限状態の中に置かれた人間が、どれほど、どう猛化しているが、想像するに難くない。

 先日、私の街で行われた戦争展でみた沖縄戦の実写フィルムや
写真のパネルは、実戦さながらの迫力を持って私に迫ってきた。
なんという暴力だ。戦争の犯罪性、非人間性、残虐性は、百万言を持ってしても語り尽くせない。人間悪の極限である。

 六十年昔のこの小さな実写フィルムが、その事実を雄弁に物語っている。お互いの憎悪が火を噴いて悪逆の限りを尽くす。その様子をまざまざと見せてくれる。
家は焼けて、田畑は戦場と化し、逃げ惑う非戦闘員の老人、女、子供。
累々と重なる死体。これが、地獄絵図以外の何物であろうか。

日本本土が、戦場になる前に、沖縄はその前哨戦で、まず最初に悲劇の舞台となった。非戦闘員とくに年頃の女性は生きて恥ずかし目を受けるよりは、死を選んだほうがよいと、断崖から飛び降りて、生命を断ったという。

筆舌に尽くせない生き地獄に放り込まれてどっぷり身をつけたままで、この世を去った人たちの心の思いは、いったいどのようなものであったろうか。

悪逆非道の業火にやきつくされて、苦しみの中にどっぷりつかったまま死に追いやられていった人たちが、この世に残していった恨みは、誰がどのようにして、はらせばよいのだろうか。深い深い悲しみと怒りを果たして癒す方法があるのだろうか。
全世界に向かって再びこの過ちを繰り返さないと誓うことだけによって、果たして怨念を解き放つことができるのだろうか。

 降り積もった。膨大な怨念を解き、鎮魂させるためには血を吐くような思いを込めて、平和を守る誓いと、真心からなる鎮魂の情の発露ではあるまいか。今はすでに魂の世界へ還っていった人々の霊を慰め、癒すために、生きている者の、心からなる鎮魂の真心に源を発する言葉によって、それらの次元をさらに高め、高める真心から作られた音楽によって、生きている者の思いや願いが今は、神仏の世界に住まわせる人々のこよなき慰めとなって、天高く伝わっていく。そんな風景にぴったりするのが、沖縄平和祈念像讃歌である。

渡久地政信先生。よくぞをお作りくださった。あなたの平和を愛する気持ちから、生まれたこの作品は、千代に平和の灯となって、日本はもちろんのこと、世界を照らすことでしょう。それは、生者はへの平和の働きかけと同時に、犠牲者の魂のこよない慰めとなりましょう。































    

秋の御所一般公開

2007年10月07日 | Weblog
もうすぐ秋の御所一般公開がやってくる。
去年の話。11月6日、一般公開の見学に行く。
秋の空は、晴天一点の雲もなく、すきとおるようにどこまでも青い。

心に心配ごとがない。だから、穏やかである。また、物事を素直に、心に受け入れることができる。心の安らかさが、幸せの条件である。
まず争いごとがないから気に掛かることがないし、悩みもない。
近ごろは特に心の状態が気になる。心を煩わすることから逃げる。あるいは遠ざける傾向が顕著だ。幸せは心で感じるものだ。
心が魂なら、魂を喜ばせるように努力することが幸せの条件である。
魂を喜ばせるにはどんな方法があるのだろう。

地下鉄の丸太町1番出口を出て、東へ100mほど行くと 洞院通り。屋根付きの土の塀、欅の大木、玉砂利。入り口は宜秋門。 
黄色と茶色になり、まだ枝にぶら下がっている銀杏の葉。松はいつ衣替えをするのか、いつも常緑。入り口の出水の小川せらぎ、石の配置、美的感覚、平安時代の人の趣の雰囲気。日本的で、ノスタルジアを感じる。

和装の女人、3人は目を引く。着飾ることは大変であろう。でもそれを楽しむ人がいる。楽しみが多い分だけうらやましい。
ただし、見るだけで、僕はスニーカーにジーパン、それに帽子をかぶり取材ジャケットを着ている。これは、身動きの自由を確保するため。

宮殿美に思う。
ベルサイユ宮殿と、どちらがしっくりくるか。
中国や朝鮮から、もたらされたものを、そのまま日本化して保存している。保存の妙は日本の財産だ。これだけの施設(建物 庭 調度品)
どの程度使いこなしていたのだろうか。
塀の中は、今も少しも変わらない権力者達が政治をとった。いったいどんなことをしていたのだろう。築地塀の中での政治は果たして 真実庶民のためになったのか。権力者たちの権力争奪の場や、密談の場所ではないか。
権力を握ったものを勝者としてほめそやすことはしたくない。
何がなくとも、己の真実の真実を、まっとうしたものこそ、人生の勝者と思うがゆえに。

一点の雲もない青空。御所見学には最高の日和松の緑。色つき始めた紅葉。池泉のたたずまい。
この人波の流れにのれば、御所は1時間半で、ざっと見て回れる。
だいたいの構成、配置図、アウトラインが、おぼろげながら分かった。
手入れの行き届いた植栽。カネをいとわず手入れすれば、こんなにも、自然と人工美が、融合する。松、こけ、紅葉 落葉樹等々。
日本人の美的感覚は繊細であり、スケールが小さいながらも、精致で、保存にウェイトが置かれている。
御所の生活を思う。王朝文学というよりも、何故だか「徒然草」を強く思い出した。
これだけのものを使い切るためには、もろもろの規則が必要。
ところが、それによって人間が縛られて、ルールの中に収まってしまう。この箱物に合うように変えられた人のみが居住できる。自由がない。窮屈この上ない。気まぐれが許されない。
自由を好む庶民が、皇室や格式のある家との縁組を嫌うのはもっともである。
人間とは本来、気まぐれな動物だから、ある形にあてはめて、その中でのみ立ち居振る舞いを許されるというのは、生来の人間性にはそぐわない。
特に僕のような自由気まま人間には耐えられない。

歴史伝統などに、特別な関心のあるものには、人の波の流は、不似合いである。
90分の人波にもまれて、何かわかるのか。
混雑した人々の流れ。もれるため息。素晴らしい秋晴れの日差し。
人々は、穏やかな太陽光と、平和な時代の息を吸ってを、皆穏やかに群れをなして流れていく。
その表情は、日常のわずらわしさを忘れ、逃れて、一時の安らぎを味わっている。この非日常性が、日常性からくるストレスをぬぐい去ってくれるのだ。

直接経験と間接経験では、訴求力が違う。観察体験して、刻みこまれたものは、すべて文章として、アウトプットしたいものだ。

ここに来る以前に、10日ほど咳が続いたが、たいした自覚症状は無かった。ところが夜になると、頭がくらくらしだして、首筋が猛烈に痛む。寒さに、震えがきた。靴下をはき、毛のジャケットを重ね着した。熱を計ったら39度ある。
ここ幾年も、発熱経験は無いので、この症状では、いったいどうなることやらと不安を感じた。
滅多に飲まない抗生物質を自己判断で飲んだら熱は下がった。
翌朝は症状が嘘のように消えて元気になったが、念のため、今日は御所見学を見送った。
この天気が続き、明日も元気になっていたら、また御所見学に、出かけようと決めた。

グローバルスタンダード

2007年10月07日 | Weblog
グローバルスタンダード。これを言い出したのは欧米先進諸国だ。そして今や先進国になった日本では,すでにその世界標準に合わせるために日常的にこの言葉を耳にする。

確かに情報化が進んで地球は狭くなって、世界は一つという感じがあるが、これほど通信手段が発達し、情報化が全世界的な規模で行われれば、全世界が共通の情報を共有することによって、均一化や同質化されることは時の流れとして当然である。そしてそのリーダーをつとめるのが欧米社会、いわゆる先進国であってみれば、この言葉に重みも先見性もあることは否定できない。

パリで出来たてほやほやのファッションは、ほぼ時を同じくして東京で、ニューヨークで、上海で、明洞で、立ち入りあがるのは不思議ではない。


そこで考えるのだが、世界の富や、社会構造や、自然環境や、個々人の歴史に、共通的で類似点が多ければ、共通の物差しは使いやすいが、地球は一つといえども、実態は天と地、水と油ほども違う差があり、その國や地方などの発展の過程や、環境のなかで今までそれなりに共存してきたのである。

経済的発展の度合い一つをとってみても、先進国、中進国、後進国の別があり、その格差は歴然たるものである。その格差を埋めて、出来る限り平準化された状態で、グローバルスタンダードを使うならば、まだしも、どうも情報化社会という世界環境の中では、ことが性急に運ばれているような気がする。そしてそこに無理が生じしているように思われる。

各國や地方が抱える諸般の事情に十分考慮を払いながら、機が熟すのと歩調を合わせるようにして、スタンダード化されるべきである。さもなければ有利、不利の差が顕著になって、なかなかグローバルスタンダードが一般化し定着しないように思える。

グローバルスタンダードを言い出した先進諸国は、グローバルスタンダードを押しつけるのではなく、各国各地方の事情に十分注意を払わなければならない。そしてまた格差を際立たせてはならない。

電子機器の発達はめざましいものがあるが、それはたかが50年の歴史しかない。それも日進月歩の最中である。そしてその技術が経済的にも、知識的にも、機能的にも、技術的にも、今日ではまだ活用できる段階にはない国の方がはるかに多い。

だから先進国はそのリーダーとしての牽引力と役割を担うのだろうが、状況を見ながら、国情に合わせてことを進めていかなければならない。

と同時に先進諸国は後進国や発展途上国のレベルを物心両面にわたって引き上げ、または後押しする必要がある。

そこで初めてグローバルスタンダードが適用される素地ができあがる訳である。急いではいかん。過去の歴史が教えるところである。



死刑自動化そんな軽い問題ではない。に反論

2007年10月07日 | Weblog
鳩山法務大臣の発言は、法律の定めがあるにもかかわらず、法務大臣の思想、信条によって死刑執行が左右されて、現在死刑確定犯の未執行者が100人にも及んでいる現状をどうするのかという問題提起である。

大臣は法にのっとって執行の手続きをするのが仕事である。

自分の思想信条によって手続きを行わないのは、明らかに職務怠慢で、その結果生まれた、100人を超える未執行者を放置していいのか。この法律違反の状態を放置したままでいいのか。


法律の執行が大臣の思想や信条によって妨げられている現状を打開するために、大臣の関与をさける方法として、自動化も一つも方法ではあるまいかという問題提起である。
そこに焦点を合わせることなく、自動化のやり方が非現実的であるとか、時代に逆行しているとかの批判をしてみたところで、それはまったくピント外れの議論である。論点の焦点がずれている。

改めて聞きたい。

社説氏は現在法律を改正しようということなのか。それとも法律違反の現状が良いとでも思っているのか。いずれにせよ、直接的には当面している問題とは、大きくかけ離れているが。

こういう未執行の問題提起に対して、また別の具体的な解決方法があるとすれば、それは新しい提案として、発表してもらいたい、。

ミッテランの言葉

2007年10月01日 | Weblog
   ミッテランの言葉

{卓越した学者や知識人は科学を通じて信仰をもった。それ以外の人達は逆に、科学が信仰を遠ざけた。} ミッテラン

 

人生の目標は人さまざまですが、私はかけがえのない、たった一度の人生でどの程度の事が分かればよいのか、達すればよいのか、また味わえればよいのか、自分が決めることではありますが、いろいろ思い悩んで来ました。
 そして、この世には人知を越えた何物かがある、すなわち私たちが身をおいている人間のこの現実世界が霊界と現実界とによって構成されていて、それがお互いに影響を及ぼしあっていると言うのが、正しい見方ではないかと思うようになりました。
  しかもこんな見方をする背後には、己の限界を思い知らされるというぎりぎりの所まで何かをした、あるいは追い詰められたという経験や実感があって初めて出来るものではないでしょうか。つまりある程度のレベル迄達していないと解らない世界だと思っています。
 
そういう経験や実感がない人にはこういう世界観は理解出来ないと同時に存在さえしな い世界だ思います。人知を越えた世界は見えない、それゆえ存在しないという物の見方しか出来ないということです。

この見方が間違っているのかどうか私には分かりませんが、真面目に人生を考え、味わいながら生きて来た人ならば、恐らく避けて通れなく、どこかで、またいつか突き当たった問題であると思います。 それを自分では如何に考えたか、如何に自分なりに解決したかどうかと言うことになろうかと思います

幸い私には人生の良き師匠といだく人との巡り合わせがあり、師匠の姿、生きざまを冷静に見つめて来たのが、こういうことを考える上で非常に役に立ちました。人生上の多くの示唆を得たのです。それが他律的に私をこのような人生について考えるチャンスを与えてくれたことにもなりましたし、一方その影響で自ら進んで、つまり自立的に人生について考えるようになったのかも知れません。若いときからそうでしたが、ずっとそれを引きずって今日に至っております。
 解けない永遠の謎を息が途絶えるまで説き明かそうともがき続けることになりましょうや。そしてそれはそれでよいと思うと同時に、こういう考え方や問題意識を持てることに喜びを感じております。
 
とにかく人は己(己の限界)というもの、を知るべきです。それがすべてのはじまり出発点です。
  先述のミッテランの言葉にしても、己を知らない人にはミッテランが何を言わんとしているか、決して満足な理解は出来ないでしょう。恐らくすこしも理解出来ないだろうと思います。
 
私はミッテランは左翼思想の持ち主だとばかり思っていたからこのフレーズを知ったとき意外な感じがしていました。しかし考えてみると左翼だとか右翼だとかで理解出来る事柄ではありません。己の限界を越えようとして自分なりの究極迄行った人にしか、解らない世界だから、思想には直接的には関係がありません。何かを通して、例えば芸術や学問や政治や会社経営、あるいは大勢を率いる集団のリーダーなど、何でもよいのですが、その道を極めた人にしか、かいま見ることの出来ない世界なのです。そして私の実感ではそれはいつもはっきりと見えて居る世界ではなく、見えたり見えなかったりする世界だとも思います。
仏の教えにある八正道の一つ、正見とはこういうことをさして言っているのではないでしょうか。
 
自分がこの世に存在する謎を説き明かす事なく、無明の闇をさまよう身であればなおのこと見えにくい世界ではあると考えています。
 
どうも駄弁を弄するようになってしまったきらいがありますが、絶えて久しくこういう話が出来る人が少なく、腹を割って話をすることはありませんでした。
 
そこで今日ばかりは思いの丈を率直にぶっつけて見ました。いかがでしょうが。私個人のドグマでしょうか。一つ率直なご意見を伺いたいものです。