お姉ちゃんたちの1学期が終了した。
のんちんの行きしぶりも
はじめのほうだけで、あとは笑顔で毎日行けたし、
ついこないだ
突発的に1日だけ登校拒否した以外は、なんとかクリア。
毎年1学期はなんとか気分良く行けるし、
勝負は2学期以降だと思っていて、
根本的に
集団が苦手なことや、コミュニケーションを取るのが下手なことは、きっとこれからも変わらないので、
つぎ不登校になったときは、
どんどん、本格化する心配もある。
長女のみーちゃんも
最近は孤立してるみたい。
クラスのどこのグループにも入れない、入れてもらえないみたい。
ひとりぼっちはさみしいけど、
今は
薄ベッらい関係のグループに、
無理やり属さなくてもいいじゃない。
今日まで仲良くしてても、
明日には
無視されるかも、
そんなお年頃。
いろんな心配は尽きないけど、
みーちゃんはみーちゃんのまんまで。
ぼっちなら、ぼっちでも
いいじゃない。と見守る。
みーくんの睡眠に振り回され、
みーくんの世話に奔走しながら、、、
スマホでマンガを見ることにハマっている私。
そこで、また新しい
自閉症をテーマにしたマンガを見つけて、読んでみた。
そこで見つけたセリフが
とても
気に入った。
「神さまは
この育児の大変さや苦労に見合った、
大きな喜びをくれるし、
そこにたどり着くまでに
助けてくれる人にも
出会わせてくれる。必ず」
ほんとにそうだなぁ。と、今の時点で実感。
ここにたどり着くまでに
いろんな人の助けがあったし、
その人たちの助けがあったからこそ、
ここまでたどり着けた。
それに、
普通の育児で味わえることは、
一切味わえない無念さはあるけど、
(かーか、って呼ばれたり、今日あった出来事を話してもらったり、サッカーや野球などしたり、
将来は、彼女を連れてきたり。。。なんてこと)
その分、
些細な成長が
何倍も何十倍もの喜びに感じられることも確かだな〜。
漫画では
どの漫画を見ていても、
最初は、
夫や、姑の、自閉症に対する無理解と非協力に合い、
私も共感しながら
あるある〜と見てるけど、
だいたい、
そのうちに
理解して、協力的になる。
無いわ〜〜うちは。いまだに。
両方の親ともに、
いまだに、
無理解、無関心。
自閉症ってなんなん?
なんかわからんけど、めっちゃ大変そうやけど、
まぁ
自分の子やねんし、頑張って!!
という感じ。
数年前、
療育施設主催の
ペアレントトレーニングの講座も
月1回
年間通して12回、行ってあげるよ、と言っていた
義母さんも
2回行っただけで、勝手にやめてしまってた。
いつもお姉ちゃんたちは喜んで
お泊りに行かせてくれる義理両親に
みーくんをお泊りで預かってもらえないか、
そうすれば、私も休めるし、お姉ちゃんたちのことに
少し構ってあげられる、
と思ったけど、それも。。。
結局は
夫伝いに、無理だと伝えられた。
ただ「怖い」から、と。。。
夫も。
みーくんが
自閉の症状が出だし、育児が急激に大変になってきたのは、
1歳半くらいから〜のこと。
それからは怒涛の日々で、
どうやって過ごしてきたのか記憶にもない。
毎日寝なくて暴れるみーくんの世話を
真夜中にしながら、
どうやったら楽に死ねるか、
そんなことばかり、
毎日考えて、、、実際は死ねるはずもないんだけど。
人間は
しんどいと、
逃げ道を探して、どうしたら、今のしんどい状況を打破できるのか、って思考になるから。
夫にも何回も何回も、
はじめの数年で、ヘルプを出したけど、
大きくなにかを変えないといけない、
これは、家族にとって、緊急事態なのだ、
というところまではいかず、
普段の生活についても
家事育児の負担量や、当事者意識についても
なんにも変わることはなく。
いっぱい泣いたし、
いっぱい訴えた。
離婚届も書いて目の前に出した。
原稿用紙50枚に、書いた思いも
すべて無視され、
そのうちに、
泣いてもしょうがない、と
夫の前で一切泣かず、本音も出さなくなってから、
ここ数年で
すっかり、すべてを諦めてしまった私。
諦めて
コミュニケーションを取ることからも
諦めて、逃げて、
それが、
もう、自分を守る方法で、楽な方法なんだ、というところにまで
行き着いてからは、
ほんとに楽になりました。
そりゃぁ
虚しくなったり、さみしくなったりもするけど、
大丈夫
これまで乗り越えてきた自分なら。
また、頑張ろうって。
無理に
夫との関係を良くしたい、って思うほうが
今は疲れる。
みーくんが
保育所を卒業し、
学校に通うようになって、
またさらに
支援の輪が、広がったように
思えていて、
力強いサポートメンバーが
増えて
心を支えてもらってる感じがします。
家族には
誰も、
私のことを理解して、辛いときは泣かせてくれたり、
甘えさせてくれて、
支えてくれる人はいないけど、
今は
地道に
自分のことを助けてくれる人だけを
探して、求めて、
それを頼りに、、、
支えにして、
毎日を踏ん張り過ごしてるような感じです。
もう、そうやって5年間も
過ごしてきたんだなぁ、と
ふと、
感じた朝でした。
のんちんの行きしぶりも
はじめのほうだけで、あとは笑顔で毎日行けたし、
ついこないだ
突発的に1日だけ登校拒否した以外は、なんとかクリア。
毎年1学期はなんとか気分良く行けるし、
勝負は2学期以降だと思っていて、
根本的に
集団が苦手なことや、コミュニケーションを取るのが下手なことは、きっとこれからも変わらないので、
つぎ不登校になったときは、
どんどん、本格化する心配もある。
長女のみーちゃんも
最近は孤立してるみたい。
クラスのどこのグループにも入れない、入れてもらえないみたい。
ひとりぼっちはさみしいけど、
今は
薄ベッらい関係のグループに、
無理やり属さなくてもいいじゃない。
今日まで仲良くしてても、
明日には
無視されるかも、
そんなお年頃。
いろんな心配は尽きないけど、
みーちゃんはみーちゃんのまんまで。
ぼっちなら、ぼっちでも
いいじゃない。と見守る。
みーくんの睡眠に振り回され、
みーくんの世話に奔走しながら、、、
スマホでマンガを見ることにハマっている私。
そこで、また新しい
自閉症をテーマにしたマンガを見つけて、読んでみた。
そこで見つけたセリフが
とても
気に入った。
「神さまは
この育児の大変さや苦労に見合った、
大きな喜びをくれるし、
そこにたどり着くまでに
助けてくれる人にも
出会わせてくれる。必ず」
ほんとにそうだなぁ。と、今の時点で実感。
ここにたどり着くまでに
いろんな人の助けがあったし、
その人たちの助けがあったからこそ、
ここまでたどり着けた。
それに、
普通の育児で味わえることは、
一切味わえない無念さはあるけど、
(かーか、って呼ばれたり、今日あった出来事を話してもらったり、サッカーや野球などしたり、
将来は、彼女を連れてきたり。。。なんてこと)
その分、
些細な成長が
何倍も何十倍もの喜びに感じられることも確かだな〜。
漫画では
どの漫画を見ていても、
最初は、
夫や、姑の、自閉症に対する無理解と非協力に合い、
私も共感しながら
あるある〜と見てるけど、
だいたい、
そのうちに
理解して、協力的になる。
無いわ〜〜うちは。いまだに。
両方の親ともに、
いまだに、
無理解、無関心。
自閉症ってなんなん?
なんかわからんけど、めっちゃ大変そうやけど、
まぁ
自分の子やねんし、頑張って!!
という感じ。
数年前、
療育施設主催の
ペアレントトレーニングの講座も
月1回
年間通して12回、行ってあげるよ、と言っていた
義母さんも
2回行っただけで、勝手にやめてしまってた。
いつもお姉ちゃんたちは喜んで
お泊りに行かせてくれる義理両親に
みーくんをお泊りで預かってもらえないか、
そうすれば、私も休めるし、お姉ちゃんたちのことに
少し構ってあげられる、
と思ったけど、それも。。。
結局は
夫伝いに、無理だと伝えられた。
ただ「怖い」から、と。。。
夫も。
みーくんが
自閉の症状が出だし、育児が急激に大変になってきたのは、
1歳半くらいから〜のこと。
それからは怒涛の日々で、
どうやって過ごしてきたのか記憶にもない。
毎日寝なくて暴れるみーくんの世話を
真夜中にしながら、
どうやったら楽に死ねるか、
そんなことばかり、
毎日考えて、、、実際は死ねるはずもないんだけど。
人間は
しんどいと、
逃げ道を探して、どうしたら、今のしんどい状況を打破できるのか、って思考になるから。
夫にも何回も何回も、
はじめの数年で、ヘルプを出したけど、
大きくなにかを変えないといけない、
これは、家族にとって、緊急事態なのだ、
というところまではいかず、
普段の生活についても
家事育児の負担量や、当事者意識についても
なんにも変わることはなく。
いっぱい泣いたし、
いっぱい訴えた。
離婚届も書いて目の前に出した。
原稿用紙50枚に、書いた思いも
すべて無視され、
そのうちに、
泣いてもしょうがない、と
夫の前で一切泣かず、本音も出さなくなってから、
ここ数年で
すっかり、すべてを諦めてしまった私。
諦めて
コミュニケーションを取ることからも
諦めて、逃げて、
それが、
もう、自分を守る方法で、楽な方法なんだ、というところにまで
行き着いてからは、
ほんとに楽になりました。
そりゃぁ
虚しくなったり、さみしくなったりもするけど、
大丈夫
これまで乗り越えてきた自分なら。
また、頑張ろうって。
無理に
夫との関係を良くしたい、って思うほうが
今は疲れる。
みーくんが
保育所を卒業し、
学校に通うようになって、
またさらに
支援の輪が、広がったように
思えていて、
力強いサポートメンバーが
増えて
心を支えてもらってる感じがします。
家族には
誰も、
私のことを理解して、辛いときは泣かせてくれたり、
甘えさせてくれて、
支えてくれる人はいないけど、
今は
地道に
自分のことを助けてくれる人だけを
探して、求めて、
それを頼りに、、、
支えにして、
毎日を踏ん張り過ごしてるような感じです。
もう、そうやって5年間も
過ごしてきたんだなぁ、と
ふと、
感じた朝でした。