Y's クロニクル

旅行等の一生思い出に残る事から日々の小さな出来事まで少しずつクロニクルに残せたら・・・と思っています。

映画「サン・ジャックへの道」を見て。

2011-09-30 09:31:15 | TV・映画の感想、書評など

朝、Twitterを開くと自然に私の顔はにやけてきた
昨日から妻夫木君をフォローしているのだよ アイコンは妻夫木君の
お顔なのよ 9月17日から始めたのね~。

さて、昨日に続いてDVDの話題。Rお勧めの「サン・ジャックへの道」は
けっこうおもしろかった。というか良い話でしたよ~。
サン・ジャックと書いていると馴染みはないけれど、「サン・ティアゴ」とスペイン語表記だと
「あー、あのサン・ティアゴか」と思われる方が多いのではないでしょうか?

NHK等でも幾度か取り上げられているフランスのル・ピュイからスペインのサン・ティアゴ・
デ・コンポステーラまで1500kmもある巡礼道を舞台にした物語です。
Rは単純にTVで巡礼の模様を見て、自分でも行きたいとずーっと言っていて、
この映画に興味をもったらしい。
話の最初は、フランス映画にありがちな、少しだけでも新手法を入れてやろう的な
作り。ドイツ映画もこの傾向にあると思うのですが・・・その辺りが単純なハリウッド映画に
慣れている私には少々違和感がある訳です。 が、見続けているうちに最後は感動

フランス映画もドイツ映画も必ずと言っていいほど、何かに苦悩する人、表面上は
成功しているけれど、妻がアル中とか登場させますよね。そして移民も・・・
聖地巡礼の物語とは言っても、逆に宗教批判(カトリックに対する)的に描かれているのですが。
やはり成熟し切った国にありがちな国民の閉そく感やナショナリズムの問題が
現代社会の人間に複雑な闇の部分を形成してしまうのでしょうね
おりしも経済的にもEU圏は危機にさらされている。この映画は5年ほど前のものですが、
状況は今とあまり変わらなかったでしょうね。

ヨーロッパの現代の映画は(なーんて書くと詳しい人みたい。本当はあまり見ていません
夢を効果的に使う事がけっこうあるように思います。
欧米は精神分析や一般の人が精神科をフツーに利用するという土壌があるので、
内的意識の見せ方としてこういう手法を使うのかな?

一つのアイディアとして、黒沢明監督の「夢」という映画がヒントになっているのでは?
と個人的には思うのですが、どうなんでしょうね?

最後まで教会に対してはシニカルに描かれています。なのに結局は聖地に行く事で
参加者それぞれが何かこれからポジティヴに生きるヒントを得る。
長い道を歩む事こそがそれぞれに必要な事だったのか?それは巡礼道でなくとも
良かったのか?

結局、人生はあまりにも自分で背負いこむ物が多すぎて、自らの首を絞めている。
それを手放してしまえば楽になるのにって事なのでしょう。
それに希望や夢を持ちそれを手に入れられるまでは、それさえあれば、全てが
与えられるような気になるけれど、与えられても幸福になるとは限らない・・
そう書いちゃうとなーんか空しいけれど、見終えた時には空しい感は無いのよ

なんなんだろう?捨てられない物に固執するけれど、案外、捨てるのは簡単なのかも?
劣等感を克服する為に頑張った所で、ひょっとすると他から見たらその劣等感は
感じなくて良い劣等感なのかも?人生はなるようにしかならなくて、それに
それってそんなに悪い事ではないかも?と思わせてくれる映画でした

簡単に感想をまとめようと思ったら、必要以上に長くなり食べ物のスペースが
なくなったなので今日は日記ってことで


昨日やられちゃったもの・・少しFOOD

2011-06-19 08:24:57 | TV・映画の感想、書評など

感動したーいや感動うーんやられちゃった・・というのが正解
遼君がUS・OPENで予選を通った感動まあ、それは、それで安心した
違う観点で全米関係を書こう!と思っていたのだけれど、寝不足でぼーっと
した頭で番組欄を見ていたらあらーっWOWOWでレディー・ガガのライブ
今年の2月にニューヨーク、マディソン・スクエア・ガーデンで行われた
ライブ”モンスター・ボール”が放送されている・・・

「放送されている・・」というのは、この番組は夜8時からの放送だったのだが、
番組欄を見たのがもう8時を過ぎていて、出遅れた~ぁ
最近WOWOWにはあまり期待していなかった。解約してゴルフチャンネルでも
加入しようか・・と考えていた位なのであまりチェックをしていなかったのだ。

もう、ガガ半端ないっすカッコいいっす本ものっす
「自分の職業はアーティスト」とか「エンタティナーです!」とか日本のゲイノ―人で
仰る方もいるが、バッタもんだな・・・
ガガは本物のアーティストでエンタティナーだ
ガガはライブのMCでこう言った「私はお金が大っ嫌いそれと同じくらい嫌いな物が
何かわかる~ぅ?」「それは・・真実・・本当の事が大っ嫌い
だから、ガガは衆目にさらされる時には全てを作りもので固める!それが、飛行機から
降りてターミナルを歩く時にもね!なんと潔いアーティスト振りだろう
マドンナの我流と言う人もいる。ガガ自信もマドンナをリスペクトしている。
しかし、ガガはマドンナをエンタティナーと言う意味で超えている・・と思う・・
(弱気なのは、私はマドンナには興味も無いし知りもしないので
何十年かに一度は本物が出現するものだ

少し、FOOdは以前「みのる食堂」を御紹介したけれど、その時、是非食べたい
「丼」があり、リベンジしてきました
最初行った時の反省から、最初のお惣菜コーナーで中くらいのお皿に数種類の
お惣菜を一つのお皿に乗っけるシステムの為に全部の味が混ざっちゃう欠点を
克服するべく、サラダ関係とお惣菜関係を銘々分担する・・と言う事。

こうして、サラダとお惣菜を分担する事でドレッシングとお出汁がミックス
する事を防いだのだやはりどのお惣菜もお野菜たっぷり、お味バッチリ

で、前回食べそびれた、鶏丼?とマグロのやまかけ丼、今日のランチの
ベーコンカツ・・・

鶏丼

やまかけ丼

ベーコンカツ

もちろんどれも美味しかったのだけれど、マグロやまかけ丼の山芋の
粘りが凄かったイ―素材使ってます。
しかし、お惣菜はとてもお勉強になりますです<(_ _)>

 


「経済は感情で動く」を読んでみた。  マッテオ・モッテルリーニ著

2011-05-19 08:20:03 | TV・映画の感想、書評など

3月11日に東日本大震災が起こってから、蚤の心臓の私は、地震専門家が
「地球全体のプレートが活動期に入って、この震災の影響で起こるとされている
地震が実際に起こる確率が高くなりました。」なーんて言っちゃうものだから
ひどくビビったもうあの日以来、東京直下が今にでも来るかのような恐怖に
さいなまれ、東京にもあの日の映像で見た津波が襲ってくる幻想に
怯えていた
でも、待てよ?と少し残っている理性が私に言う。30年の間に70%の
確率が上がったと学者は言っているがどの程度あがったのだろう?
地球規模の時間の中で上がった確率は顕著なものなのだろうか?

しばらく振りの書評。経済の分野で行動経済学という分野がある。
普通経済と言うものは経済的な人間が経済分野ではその知識と共に
合理的な行動をするものであるとの前提で推論がなされるが、
一般的な人間の行動は経済に限らず、直情的、すなわち心理的な要素
が多分に働き、合理的に行動するとは限らない場面が殆どだ。

あら~なんか少し固めの文章いやいやこのマッテオ・モッテルリーニの
著書「経済は感情で動く」は行動経済を一般的な私達の経済行動を分かり易い
実例をちりばめた行動経済のプレ入門書だ。←ここ大事よ!入門のプレです
この本を読んでいると、私なんかはまったくもって「私にとって何が得か?」という
事を考えているようで、まったく売り手側の策略にはまり損をしているのかも?
と思い知らされる

で、最初に書いた私の地震への恐怖。これを経済行動学では「利用可能性」
というらしい。
これはある事象がおこる確率や頻度を考える際に最近の事例やかつての顕著な
特徴を思い出す事で評価する事。マスコミやTVで取り上げられるとそれだけで
重大事件と思いこみ、過大評価してしまうという人間の心理だ

例えばエアバスが太平洋上で爆発し420人が犠牲になったというニュースを
見ると飛行機という乗り物がとても危険な乗り物に思えてくる。
そんなニュースがあった翌日に飛行機を利用しなければならない日には
生きた心地もしないが、冷静に考えてみればウチからタクシーに乗って
神保町へ古本を買いに行った経路での事故の方が確率が高い訳だ。
しかしながら人間はその冷静な判断より大きく取り上げられた事象に
縛られてしまう。そこでは合理的な思考は影を潜めてしまう訳だ。

後、よく知られている事だけれど、鰻屋さんやお寿司屋さんにはメニューに
3段階の価格設定がみられる。上・中・下とか松・竹・梅とか・・・
その中から私達は真ん中を選ぶ比率が断然多い。

どうも人間は選択肢が多くなると本来自分の欲していたものを忘れてしまい
真ん中を選ぶ行動にでるようだ。そこをお店側は上手く利用し例えば
レストランなどでワインリストにお得な安いワインと少し高価なワインを
載せるとお客は安いワインを選ぶ比率が高いが、ここにとても高価なワイン
をアップし3種類にするとやはり少し高価なワインを選ぶお客が続出
と言う事になるらしい。
そういう場面に出くわした場合この本を読んでいれば「なーんとなく・・」
との感情に惑わされずに、合理的に「私にとって何が得か?」と考え
一番安いワインを迷わずに注文できるのだ

「アンカリング効果」これも気を付けなければならない・・人は自分が今
必要としている物に係わらず印象手的な(心にズシーンとくるような)物を
インプットされるとそれに影響されずに決断する事が難しいそうだ。
日常は私に合理的判断をそうやすやすとはさせてはくれないのだな~と
気づかされる本でした。

ここまで「字」だけの構成でしたので、少し癒される画像を!
ウチの前に続く公園に黄菖蒲が見頃でした~

あれ~ぇ!これ黄色カキツバタかな?
で、私の好きな薄―いグリーンが入ったトルコ桔梗。

白とライトグリーンはいかにも爽やかな5月にピッタリですね!

 


性懲りも無くカフカを読む。今回は「審判」

2010-11-18 09:30:35 | TV・映画の感想、書評など

  前回は「城」を読んで考えてもどうにもならない、「自分」とは相対的にしか語れないものなの
  か?相対的にしか語れない自分にとっての自己ってなに?などと考えていると空しくなって
  「カフカは重いな~」などと考えていたのだがカフカ3大長編の一つ「審判」をどうしても
  読みたくなり図書館で借りて来た。

  ハイ!想像していた通り最初は読み進めるのが一苦労でしたよ。それは「城」以上でした!
  話も半分位に到達してようやく、俄然読み進めたくなりましたけどね・・・
  むなしいな~カフカは。むなしすぎるな~。
  精神状態が半端なく元気な時に読むべきだな。

  それではあらすじ・・・

  主人公はエリート銀行員ヨーゼフ・K。ある朝なんの予兆も無くKは逮捕されてしまう。
  逮捕を言い渡す役人、Kを監視する監視役がKのアパートにやって来てそれを告げる。
  監視役は同じ銀行に勤めているKよりも下っ端の行員でもある。Kはこの逮捕は不当だと
  詰め寄るが役人はKの罪状も知らないただ逮捕されたのだと知らせる役目のみだ。
  逮捕されても日常生活は平常通りで良いらしい。裁判所から呼び出しがあった時だけ
  刑が確定されるまで出向くのみ。
  裁判所に出向いて自己弁護をするのだが、決してKの罪状は明かされない。その裁判所
  は行政区域にあるのではなく、貧民街のそれらしくない建物にある。一般的な国家の下での
  法ではないとKはさとるが、逮捕は逮捕なのだ。いろいろな人々からの助言もあり、とにかく
  無実を訴え続けなければならないのだから、弁護士や上の役人に取り入ってくれる人々
  と接触を持つが、誰もこの逮捕で無罪になった例を知らないという。遠い昔にあったという
  神話なら聞いた事があるので不可能ではないらしいが。
  日常生活になんら支障が無いにも関わらず、銀行での仕事ですら、いかに無実を認めて
  もらえるかで心を占められ手につかない。色々画策するがどれも有効手段にはなりえない。
  仮に今の裁判所で無罪になっても上級裁判所がありその上にもあるらしく、どの段階まで
  あるか解らない裁判所での無罪を勝ち取らなければならないのだから。下級裁判所では
  やはりだれもKの罪状を知る者はいない。権限外なのだから。彼は決断を迫られる。
  前例のない無罪を勝ち取るか、見せかけの無罪を選ぶか(下級裁判人は無罪を保証する
  権限がないので上級に訴えられる迄は無罪。ひょっとして手続きを忘れて上級まで行かない事もあり得る)残りは裁判の引き延ばし。これは日常生活は変わらないのだから、
  引き延ばしていさえすれば刑もくだらない。しかしKは無実を訴える道を選び、なんの判決
  もでないままある日突然、刑の執行人がKを迎えに来て断首刑に処せられる。

  法の番人って言うものね~。その番人が門を開けてくれないのよ。日常生活に支障が
  ないのなら、引き延ばし作戦で行けば良かったのに・・・Kは真面目だな。
  とはいえ、人間は自分の規範でのみ生きるものではないのでなにか解らないが、国家でも
  それ以外の大きな物でもそんな物に囚われながら生きるしかないのか・・・
  何をしていてもその訳のわからない罪状に対して自分の無実を証拠を集め理解してもらおう
  と考えるのは人間の業なのかな?やだよ~こんな事が実際あったらね。これって
  冤罪とも違うものね。そう言えば梶井基次郎の作品で「Kの昇天」って作品があって
  そのKって、カフカから影響された?海岸で自分の影を追い続け結局波にのまれて
  溺死したk。「哀れなるかなイカルスが幾人も来ては落っこちる」ってカフカ
  作品に影響されているんでわないの?落っこちちゃうんだろうね~人間は。
  蝋の羽しか持ってはいないのだから。でも人間は馬鹿だから超合金で自分の羽だけは
  出来ているって信じているからね

  カフカは例のごとくこの作品も未完で自分の死後、焼却してくれと頼んだらしい。
  でも故人の遺志は無視されこうして私でも読めるんだけれど。

  カフカを理解する為にはキルケゴールやらニーチェも読まなくちゃならないらしい。
  もうお手上げです。私には無理だな。だいたい本読んでこんなに空しくならなくちゃ
  いけないなんて、読み損だよね!
  と言いながら、長編3部作の「アメリカ」をきっと読んでいるのだろうな。


納得いかないヨブ記

2010-11-08 12:58:52 | TV・映画の感想、書評など
   私はクリスチャンでは無い。が、ずいぶんの子供の頃から縁あって折に触れ
   聖書を読んできた。(最近は随分読まなくはなったが)
   読むだけでは無く理解しようと努力もした。あれは理解しようと思う物ではなく
   「解る」物なのだなとも思う。あるご年配の先生が「私のような年にもなれば
   聖書の中に書かれている事に今更ながらに同意せざるを得ない」と仰っていたが
   私もこの年になりうすうすそれに気付く事がある。

   聖書のレトリックは古代の人間の(いや現代ですら)能力で可能だろうか?
   と考える事がある。それほど、整合性の取れた物語だと思う。

   しかしどうしても納得いかない話が「ヨブ記」である。主人公のヨブは全き義人である。
   人間から見ても、神から見ても文句のつけようがないのだ。
   そんなヨブをみてサタンは神をそそのかす。「神様、あんたヨブに絶対だまされて
   ますぜ!あいつは腹黒い奴で結局試練を与えれば、あんたへの信仰なんか
   簡単に捨ててしまいますよ。なんなら賭けても良いですよーん」
   日頃の素行を見れば子供だってこいつは信用ならんよと思いそうなものなのに
   神はそそのかしにのってヨブにあらゆる悲劇の試練を与える。
   そこはやはり人間だもの、ヨブさんだって理不尽な(土地は略奪される、従業員や
   家族までも殺される)神の試練攻撃で神に恨み事を言うようになる。
   あったりまえだよね~神様ってお馬鹿さん?と思いたくなる。
   最後はヨブの揺るぎない神への信仰が解って神様もヨブを許すんだけどさ、
   ヨブさんは長生きして、新しい家族にも財にも恵まれたらしいけどね。
   以前の家族を奪われた悲しみは消えないんではないの?

   このヨブ記はいろいろな芸術家や作家にも影響を及ぼし作品のテーマとなって
   いるらしい。そうそうユングの「ヨブ記の解釈」的な本を読んだが、
   あれはちょっとはこの物語を理解するヒントにはなったな。

   今日なぜ急に聖書の話かと言うと、来月にクリスマスが近づいて来たからではない。

   夫の大学時代の大の友人が先週末に亡くなったからだ。友人たちは大ショックを
   受けている。膵臓がんで亡くなったのだが、50代とは若すぎる。
   夫は見送る事は出来なかったが、昨日は「本当にくやしい」と泣いていた。
   親が亡くなった時ですら、あんなに泣かなかったのに。
   京都と東京で最近は会えなかったが、私達の結婚式の司会もやってもらった。
   夫は「なんであんな元気で、それにあんな良いやつはいなかったんだ、
   医者の息子のくせになんで病気に早く気が付かなかったんだ、馬鹿野郎と
   いいたいよ」と言っていた。
   
   この年になると本当に理不尽な事がいっぱいあると解り空しくなってしまう。
   そういう人達の為に祈るしか出来ないのだから。
   そう言う時必ずヨブさんを思う。納得できなさと共に。