建財社 STAFF BLOG

社員のキャラが丸分かり☆
現場から社員がお伝えします!

短いようで長い時間…

2011年03月31日 | 佐々木

ガタガタガタ…

物件撮影のために郊外の方へ出掛けようとしていた私佐々木でしたが

あのときまだ事務所にいて本当によかったと思いました。

カメラを取りに椅子から立ち上がろうかと思った瞬間にあの揺れが襲ってきました。

2日前に強い地震が来ていたため、警戒はしていたのですがまさかあれほどとは…

だんだんと強くなってくる揺れに立つこともままならず、直ぐに机の下に潜り込みました。

(この時直ぐに机の下に避難したため、急に姿の見えなくなった私を会社の皆さんが

「あれっ、いない!」と思っていたらしいです。)

その間、机の上に置いてあるパソコンが倒れ、コーヒーが入ったコップが倒れて書類が

コーヒーまみれになっていました。

 

ようやく揺れが治まり、コートを着て貴重品だけを持ち全員で外へ避難しました。

幸い事務所にいた全員が無事でしたが、外にいる間も余震は続き恐怖を感じていました。

家族とも比較的早く連絡が取れ、全員の無事も確認できてなによりでした。

避難するときに、靴を履き替えずスリッパのまま外に出たのですが、服装がスカートに

ストッキングだったのでとても寒かったです。

ある程度余震も治まってきたところで、持ち忘れた貴重品を事務所に取りに

数名がビルの中に入ることになりました。

誰が中に入るということになったのですが、そこでWさんが「若い人に行ってほしい」と一言。

私の頭の中では、男性陣が数名行くんだろうな…と思っていました。

しかし、ここでIさんの衝撃発言が!

「僕よりも佐々木さんが若いですよ」と一言。

…一応私女性なんですが………

結局はIさんを除く男性陣4名でビルの中に入り、貴重品や靴を持ってきていただきました。

その後、車と徒歩で無事に自宅まで帰り、家族の無事を確認できました。

自宅の方は、屋根瓦が落ちてたり壁に皹が入っていたりしていましたが

これから復興に向けて頑張ってまいりたいと思います。

また、被災された方々の物件探しにも全力を注ぎたいと思います。

がんばろう!仙台・東北!

 

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記憶…

2011年03月30日 | その他

『ただいま大きな地震がきておりますので、いったん電話を切らせて頂きます。』

電話中にあの地震に襲われた齋藤です。

なぜか妙に冷静に電話対応していたので、1階へ避難した後で笑われました。

 

自分は無事避難出来たので、亘理の家族が心配になりすぐ電話をしたのですが、やはり繋がらないのでメールで一方的に自分の無事を知らせました。

33年前の宮城県沖地震を経験している両親は、また地震がきた時の事を考えて平屋を建てるほど凄い地震だったと話していたのを思い出しました。

まぁ平屋だし、ビルも何ともないから大丈夫だろうと安易に考えてましたが、仙台駅からアパートまで2時間かけて歩いて帰った頃、ようやく母から電話がきて

『津波が来たよ!!4人は無事避難したけど、父と婿さんと連絡が取れない…』

母は姪っ子2人と犬を連れて車で避難所へ行ったものの、避難所には車が溢れていたので急遽海から離れている6号線沿いの小学校へ移動したそうです。

その後、私の姉が仕事から帰ってくる頃に連絡が取れて無事合流したとの事。

なぜか父は避難しないと言って家に残ったそうです。

姉の旦那さんは仕事だったため、無事なのかどこにいるのかも確認出来ない状況と短い電話の中で把握出来ました。

この電話の後、丸2日間、父とも母とも連絡が取れずにいたのですが、災害伝言でお兄さんは無事でいる事が確認出来ました。

私の身近な人の安否を災害伝言で確認しましたが、お兄さん以外誰1人として利用している人はいませんでした。

災害時は携帯電話の充電がないのはもちろん、電波が繋がらない事が多く、落ち着いてからでないと確認出来ないのが現実です。(前もって災害時の連絡方法を決めておく事をオススメします。)

 

地震から4日後、ようやく電話が繋がりやすくなってから母に詳しく当時の状況を聞いたところ…

地震当日・・・・母達が避難した小学校近くのラーメン屋に居たところ、姉の友達と会い避難先を聞き合流。

地震2日後・・・姉が犬の散歩中に6号線付近に父の車を発見し合流。(津波がくる事を知り慌てて車で避難をしたが、後ろから波が追ってきていたそうです)

家族みんな無事に合流をした後は、父の親戚の家で6人+犬1匹の大所帯でお世話になっております。

地下水とプロパンガスのおかげで、電気が復旧してからは通常通りの生活を送る事が出来ているので、ここは天国だと話していました。

肝心な実家の状態は、予想していなっかた津波に襲われたものの、ニュースで見るような跡形もない状態ではなく、ほぼ残っていました。

 実家に通じる道です。いろいろな物が流れてきており、歩きでしか入れません。

 実家の目の前にあった齋藤家の田んぼです。

 つぶれたガレージに3軒隣の家の車がつっこんでました。

ここでせき止められ、家の方には何も流れてきませんでした。

 浜吉田駅の線路の状況です。

 浜吉田駅から実家へ続く道です。

  母の実家へ続く道です。

2枚目の白い建物はお寺ですが、お墓は倒れていました。

  母の実家です。

母の実家も同じ亘理町にあり隣の地区にあるのですが、海がとても近い所に家がありました。

それでも海までは何十軒も家が建ち並び、波の音は聞こえても波は見えないはずなのに…海が見えました。

片付けに来ていた叔父さんが、『見るな』と一言。

あったはずの家が全て流され、海が出来ていました。

懐かしい潮の香り…当分嫌な記憶しか呼び起こさない香りになりそうです。

 

来週は、ちょっとだけ明るい話題をお送りしたい齋藤でした。

 

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ふるさと

2011年03月29日 | 鈴木

あの日から半月が経ちました。つい数日前の事にも・・・ずっと遠い日の出来事のようにも思える変な感覚です。

一瞬にして1万人以上の未来を奪い去った自然の残酷な振る舞い・・・怒り・悲しみ・悔しさ・そして恐れ・・・様々な感情が入り乱れております。

わたしたちに出来る事・・・色々と考えました。

みなさんもある程度、答えが出ているのではないでしょうか?

震災後、宮城県南部(山元町)の情報はラジオやテレビからはほとんど聞こえてこなく心配だけが募りました。

大切な人の安否確認が出来ず・・・。

大地震の日から数日後、自分の眼で確認したく家族(妻と娘)で【ふるさと】を目指しました。

ガソリンもカツカツ、ぎりぎりの行動でした。

国道6号線を南に進むにつれガラクタのように転がっているグチャグチャになった車、誰が使っていたか分からない家具や以前の面影など想像がつかない程に壊れた家・・・なんとも表現できない感情が込み上げてきました。

妻の実家は津波で流され、土台のみ・・・母屋は道路を塞ぎ、離れ(納屋)は100m位流されていました。思い出の品を見つけたかったのですが・・・指定避難所に向かう道路を塞いでいた母屋は大地震の次の日には道路の端に寄せられたと聞いておりました。重要な道路を塞ぐ形になっていたので仕方がない処置だと思います。・・・が屋根瓦や柱、建具などがバラバラに散乱・・・なんとか見つけたのは先祖の遺影でした。近くにあるはずだと思いますが、お位牌は見つけられませんでした。

 

1階がお米の保管や色々な道具を置いていたスペース。2階は部屋になっていた納屋の方は、流されましたが形(2階部分のみ)が残っていたので妻の卒業アルバムや文集などが水に浸からず汚れがない状態で見つかりました。

車を停め国道6号線の高台になっている場所より見た【ふるさと】の景色は変わり果て防風林や駅舎、周辺の家や車などが津波で流され海まで確認でき、海ってこんなに近かったのだと思いました。

海まで直線距離で約2キロ・・・正直、ここまで津波が凄い勢いで来るとは思ってもいませんでした。

大切な人は・・・残念な結果でしたが見つける事が出来ました。

現地に実際行ってみると・・・見つかっただけでも・・・と思えます。その位、凄まじい光景でした。

 

大地震の数日後にはなんとか友達と連絡が取れ話を聞くことが出来ました。

沿岸部に家を建て2月から新居で新しい生活を始めていた友達の家は流され、また別の友達は避難した仙台空港が津波に襲われるなど命からがらで助かったとの信じられない話ばかり・・・。

 

ふと我が家の娘(5歳)の心には今回の震災はどのように写っているのだろうか考えました。

水や電気、ガスなど使えない不便さは実際に体験していますが津波で大きな被害をこうむった町の様子は、もしかしてどこか現実味のない映像に写っている事だと思います。それは大人も同じかもしれませんね。

だからこそ、遊びに行った【ふるさと】のおじいちゃん・おばあちゃんの家、田んぼ畑の周辺のあぜ道・・・幼いながらも自分の眼でみてほしかったという思いがありました。

多くの亡くなった方々のためにも、けしてセンセーショナルな映像として終わらせることなく、すぐ側にいた居たはずの生身の人間が大勢亡くなってしまっている事をしっかりと心に込めて子供に伝えていかなければいけないと感じています。

また、こういう時にこそどういう行いをすべきか、子供の見本となるような行動をしていかねばと改めて思っています。

震災前の自分と比べると・・・多くの不便さは感じておりますが逆にこれまで見えなかった多くの事が見えるようになったと感じています。

人々の優しさ、協力することの大切さ、困難を乗り越えようとする気持ち、生きる力・・・この経験を今後の生活や社会に何らかの形で必ず活かしていかなければと・・・。

みなさん前を向いて一緒に頑張りましょう!!

フザケル時はふざける!ヤル時はやる!!

鈴木でした。

寒い中、自転車で動き回り限られた食料でご飯を作り、また水を汲み何度も往復したり、貴重なガソリン情報を教えてくれたり・・・辛い中でも笑顔をもたらす家族の存在にマジ感謝!!! 

 

大地震当日の社内写真です。

 

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タイトルに悩む

2011年03月28日 | 小山

金曜日の板橋くんが「ブログ再開」でしたが、翌日からの渡辺・高橋は「震災から○○日目になりました」で、

震災後初寄稿でもあり、みんなそれぞれが感じたこと、体験したことをアップしてくれています。

もともと震災の翌々日からブログをアップして、「震災○日目」というタイトルをつけていたのは

私なんですが、2週間経過したことから、いつまでもそのタイトルだと、

震災の呪縛から逃れられないんじゃないかとも思い、そろそろ以前のようにと思ったのです。

でも、今回の震災の残した傷跡は、あまりにも大きく忘れようにも忘れられないものになってしまいました。

 

でも、いろんなことに気付きもしました。

停電が続いていたときに見た夜空には、星がきれいにそしてはっきりと見えました。

仙台でも、こんなにきれいな星空をみることができたんだと意外に感心。

普段はビルやネオンの灯りで、こんなにきれいに見えなかったんですよね。

そして電気のありがたさ、大切さもわかりました。

人間って、一度楽をしたり、便利さに慣れちゃうと、それが当たり前に思っちゃうんですね。

携帯だって、無かった頃はそれが当然だったから別に不自由を感じてたわけでもないのに、

今は、今回のように長時間通じなかったり、充電できなかったりすると、すごい不安を感じてしまう。

今は本当にそういう意味では便利な時代だけど、それだけに今回のような災害が起きた時には、

とても脆い面を曝してしまう。

 

これを機会にいろいろと見直したり、考えなおしたりしてみよう。

 

今日の甲子園では、地元東北高校の試合があります。

地元仙台、宮城はもちろんのこと、東北の期待は大きいと思います。

彼らも震災後ということもあり、少しでも元気づけられればという思いもあるでしょうが、

同校のOGであるプロゴルファー宮里藍から1通のFaxが届いたそうです。

「被災者のために、と言われてると思うけど、自分たちの力でつかんだチャンスなのだから

自分たちのために頑張って」

誰かのためでなく、自分たちのために野球をやっていいというこのメッセージは

選手たちの気持ちを和らげることができたのでは。

そう自分たちのために、精一杯プレーしてください。

その精一杯の姿に元気をもらうから。

頑張れ、東北高校!

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震災から17日目になりました。

2011年03月27日 | その他

こんにちわ

現在PCでHPをご覧頂いている仙台市内在住の方は、少なからずライフラインが徐々に戻られホッとされている

方も多いと思いますが、我が家も今朝 水道が復旧しており 思わず娘が

キャー お母さん 水がでるぅ』 と叫んでおりました。

  震災後 被災で入退去の変更や管理物件の被害状況の確認等でめまぐるしい日々を過ごしてきた私にとっ

ても、これは何より嬉しい出来事です 3日目に電気がついたときもテレビにかじりついていましたが…

勿論、未だに電気も水道も復旧されない地域の方々はたくさんいらっしゃるので、電気が付くだけでもヨシと思わ

なければならないのですが、実家と自宅2件分の給水作業はさすがに堪えました。

米のとぎ汁は洗顔 歯磨き 食器洗いや植木の水へ 使えなくなったら 最後にやっとトイレに流す。

水のありがたみを痛感する毎日 考えないで行動すると手が蛇口に延びているんですよ。

ガソリンは基本的に給水作業のみに残しておき、基本は歩く ひたすら歩く 

自転車を持っていない(乗れないとも言いますが…) 私は通勤と買出しに 太ももとお尻 足の裏が痛くなるほ

ど歩いています。でも 慣れてくるうちに 今まで気に留めなかった景色やお店が目に入るようになり、今回は

そんな地元の商店の皆様にたくさん支えられました。

手に入りにくい鮮魚等が何倍もの値が付く中で、良心的な値段で しかも調理したものを売ってくださった魚屋

さんありがとうございました。 熱々の白身魚のフライ マグロの竜田揚げ は暖かい料理を口に出来るだけ

で感激でした。汁につけたイナダはレンジで調理して頂きました。 

野菜もやっぱり地元の八百屋さん スーパーで何時間も並ぶ時間がなくても 震災後1週間後には冷蔵庫が

一杯になるほど入手することが出来ました。そんな 魚や野菜は

  

パイレックスのヘルシーお鍋で 電子レンジ600W 魚は4分 野菜は1分 大さじ2杯の水を入れるだけで調

理出来ちゃいました。購入したものの お鍋の方が慣れているので ついつい眠らせていましたが 水がないと

お鍋の油がキレイに洗えないので重宝しています。 

こんな時だから もっともっといろんな工夫されていらっしゃる方が多いと思います。

節約 なんて言うと『ふーん』と思うだけですぐ忘れてしまいますが、実際に今すぐ実行できるアイディアをお持ち

の方 是非 教えて頂ければ嬉しいです。

最後に こんな時に癒してくれる 愛犬の 『胡桃ちゃん』 のご紹介。

ウェルシュ・コーギー・ペングロークという犬種です。

  

イギリスのウェールズで牧畜犬としてイギリス王室で古くから飼われていることで知られています。

牛に尻尾を踏まれて怪我をすることを避けるために尻尾を切る習慣がありますが、キツネのような尻尾をして

いるのを見たことがあります。

胡桃ちゃんはペットショップから生後3ヶ月で我が家に来たときにはもう尻尾はなかったのですが 嬉しいとき

はお尻がフリフリしますのでわかります。もう8歳になりますので、目の下にちょっとしわが出てきました。

この震災後は特に とにかく人の傍にいたい… 動物も不安なんでしょうね。

元々食欲旺盛な犬種ですが、野菜が大好きで 実家で作るきゅうりやにんじんを キッチンにこそっと行っては

『カリポリ カリポリ』と食べています。だからドックフードと一緒に入っている白いものは 実は白菜なんです。

女性の美容に野菜は大切ですからね

  震災から17日 長いようであっという間の17日間でした。

電気工事や水道工事 ガス工事の業者の方々 遅くまで作業して下さりありがとうございます。

心配してくださっている遠方の家主様を始め おとり引きを頂いている皆様 少しずつですが、気持ちにも余裕

が持てるようになりました。通常の業務に戻るまで もう少々お時間を頂きたいと思います。

引き続き宜しくお願い申し上げます。                                    高橋でした。              

 

 

 

 

 

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地震から16日目になりました。

2011年03月26日 | その他

地震から4日目位まで電気・ガス・水道がこないので、水汲み等で14階まで階段を使い上り下りの繰り返しで足が痛くなり大変でしたが、電気がきてからはエレベーターを使い楽になりました(水も出ました)。

たまの休日はスーパー等に買い出しに行き、何時間も待たなくてはいけない状態で疲れます。

大変でした。

ガスがまだですが、何とか生活している状態です。

早くガスがこないかと待っているこの頃です。

 

渡辺でした。

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ブログ再開です!

2011年03月25日 | その他

お久しぶりです。3週間振りの登場となってしましました。

地震当日(11日・金)は私がブログ担当だったのですが、ちょうど更新しようかと思っている矢先に地震に見舞われてしまいました。

揺れももちろんこれまでにない激しさだったのですが、その時間の長さにも驚かされました。

地震当時は事務所に居たので、食器棚を抑えていたのですが、揺れがすさまじく、また、戸が開いていたこともあり、相当な量の食器が割れてしまいました。

※正確には地震直後はS課長が食器棚を抑えていたのですが、非常口を確保するため(?)に事務所を真っ先に飛び出していったため、代わりに私が抑えていました。

 

長い揺れが収まった後、私たち(S木課長以外の事務所に居たメンバー)も非常階段から急いで避難しました。

※もちろん、鈴木課長はとっくに外に避難していました。

 

事務所内は書類が散乱し、衝立(ついたて)が倒れ、散々な状態でしたが、スタッフのだれ1人として怪我することなく、無事に避難できたのは不幸中の幸いでした。

 

地震後の市内の状況については社長が毎日ブログを更新しておりましたので、詳細はそちらをご覧ください。

 

ところで、以前も申し上げました通り、私はバスと地下鉄で通勤しているのですが、なかなかすごいことになっています。

バス・地下鉄共に本数が大幅に減少したことに加え、ガソリン不足も重なり、本来であれば、車通勤されている方の多くが公共交通機関を利用しているため、乗車率が尋常じゃないんです。

特にバスがすごく、「満員のため、次のバスをご利用下さい」という運転手さんのアナウンスを毎日聞いているような状態です。

まだまだ、本来の生活に戻るには時間がかかりそうですが、ライフラインも復旧しつつあり、徐々に落ち着いてきましたように感じます。

来週からは、通常の内容でブログの更新を行いたいと思います。

最後に、今回の地震で被災し、お亡くなりになった方および負傷された方々にお悔みとお見舞いを申し上げます。

 

また来週お会いしましょう!

 

 

 

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震災14日目

2011年03月24日 | 小山

あの悪夢から、ちょうど2週間です。

揺れているときのことを思い出すと、さすがにゾッとします。

でも、かなり震災前の普段の生活に戻りました。

昨日、社用車の給油ができたガソスタで今日から給油量の制限がなく

給油できるとの情報が入ったため、朝一早速1台向かわせました。

約1時間並んで、満タンにできました。

仙台でのガソリン不足も、今週末で終息に向かってくれるといいのですが。

東京のガソスタの行列は、今日は全くなくなったようですし。

そういう意味でも落ち着いてきたかと思ってた矢先に、葛飾区浄水場で放射性物質が検出されるなど、

次から次へと問題が起きています。

早く福島原発も落ち着いてくれるといいのですが...

 

2週間が経ち、仕事をする環境としては落ち着いてきたので、

このスタッフブログも震災前のように、当社社員の当番により毎日更新します。

この2週間、私が更新してきましたが、ずいぶん多くの方にアクセスいただき、

PVもかなりありました。拙い文章ですが、お付き合いいただきありがとうございます。

 

仙台中心部は被災地としては、他のエリアと比べたら被害は小さかったのですが、

少しでもこちらの状況やその時の人間の心理を知ったり、また万が一自分が被災した時に、

どうしたらいいのかということを再考するきっかけになっていただけたなら幸いです。

 

私は月曜日が当番ですので、また月曜日にこのブログにお立ち寄りください。

 

 

 

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震災13日目

2011年03月23日 | 小山

我が家では、水道が復旧したので、今朝も洗濯から一日がスタートしました。

下着類は昨日まで、母が洗濯していてくれたので、今日はシーツや枕カバーを

洗濯機に入れようとしたら、ナント母に先を越されていました。

結局出勤まで2度洗濯機を回すことに。

でも天気も良く、いわば洗濯日和です。

 

ガスも私の住んでいる地域では、今週土曜日から復旧開始です。

お風呂も、もう少しの辛抱です!

早いもので、明日で2週間になるんです。

インフラが整えば、生活自体が落ち着いてくるので、これからがスタートって感じですね。

 

当社のオフィスから2棟の高層ビルが見えるんですが、

 向かって左が通称SS30(住友生命仙台中央ビル)、右手がトラストタワーです。

で、今日撮った写真です。

SS30のビルに、何か違和感感じませんか?

そう!塔屋のうえにそびえたつアンテナがないんです

震災当日、ポッキリ折れてずっとぶら下がった状態だったんで、

このビルの南側(折れたアンテナがぶら下がっていた方向)の道路は封鎖され、

いつ落ちてくるのか、わからない状況だったんですが、昨日やっと落下しました。

周囲の人たちは、落下してくれて、ホッと胸を撫で下ろしたらしいです。

 

今日、東京の友達がクレモンティーヌの「上を向いて歩こう」の訳詞を書いたブログを

読んでくれてメールをくれました。

「あの歌詞素敵ですね。

 自分が元気づけなきゃいけないのに、被災地の人達から

 学んだり元気づけられてます。・・・」

私たちは被災したからといって、落ち込んだりしてないですよ。

もう明日を見て、今を過ごしてます。

だから頑張れって言われても、頑張ってるよって思います。

むしろ、一緒に頑張ろうって言われることがうれしいです。

誰かと繋がっていると感じるし、一人じゃないって思えるから。

いつもどこかで私たちのことを思ってくれる、それだけでもいいんです。

自分のことを思ってくれる人がいるってことだけでも!

 

一番町近くのラーメン屋が営業していました。

ただし、具無しとのこと。

「じしん(地震)がないラーメン 〇〇〇円」の手書きのポップ。

なるほどと、ついつい納得。

ちょっとづつ心の余裕も見えてきたのかな?!

 

頑張ろう、仙台!頑張ろう、東北!

 

 

 

 

 

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震災12日目

2011年03月22日 | 小山

今日、天気予報では夕方から雨、場所によっては雪なんです...

避難所にいる方にとっては、厳しいですね。

早く暖かくなってくれるといいんですが。

 

昨日我が家では、水道が復旧しました!

仙台市の発表では、今週25日の予定だったのですが、4日も早かったです!!

トイレの後に流すことができるのには、何かホッとしました。

ちなみに水道復旧前、我が家では一応ルールを作りました。

トイレで小は流さない。母の小用の際、使ったトイレットペーパーはゴミ袋を用意し、そこに捨てる。

そうすることにより、流す際には水も少なくて済みます。

 

仙台市内中心部では、かなり落ち着いてきました。

スーパーなどの行列はかなり短くなり、ドラッグストアーでは行列はありません。

飲食関係で並んでいるのは、ラーメン屋さんとタイ焼屋さんぐらいです。

みんなちょっと違うものが、食べたくなってきてるんですよね!

甘いものや、汁物。

私も一緒です!もともとメン好きの私は、お米は食べなくても平気なんですが、

できればメン類は一日一食は食べたい派。

ここのところ、中華料理屋に入っても、ご飯ものだけに限られ、メン類をだしてくれるところがないんです。

なので、東京の先輩が送ってくれたカップメンを毎日ランチの際に美味しくいただいています。

 

物資面はかなり充足されてきてますが、ガソリンだけはまだまだなんです。

今朝はガソスタの車列が、とんでもないくらい長かったです。

やはり三連休明けの影響なのでしょうか?

片道1車線の道路は、完全に邪魔になっています。

バスなど大型車両が、通れないところもあります。

早く対応しないと、いろいろと支障をきたしそうです。

 

でも、今日昼前に当社社員の奥様から電話があり、近所のスタンドは、大して並んでないとのこと。

早速2台を向かわせました。なんと20分程度で3,000円分(20リットル弱)給油できました。

では、ということで、もう1台向かわせましたが、少し並んでいたようでしたが、1時間で給油できました。

これで、今週いっぱいは案内などにも対応できます。まずは、一安心しました。

朝の行列からは、まだまだのようで、日中簡単に入れられたとういうことは、落ち着くのか否か?

まだ、わかりません。

 

高校の同級生で、某地銀の石巻支店長の友人が、仙台支店との打ち合わせの後会社に寄ってくれました。

彼もしばらく連絡が取れなかった一人。

震災の時、仙台で会議があり、急いで石巻に戻ったそうですが、

中心部はほとんど浸水して立ち入ることもできず、近くの病院の駐車場で2晩過ごしたそうです。

やっと中心部に入り、行内の1階は浸水し、自宅も浸水。

今は銀行の2階で寝起きをしているのですが、インフラがまったく復旧してなく、

かなり不便な生活を送っているようですが、元気に頑張っている姿を見て、安心しました。

電気や水道が復旧し、浮かれていたことに反省...

 

帰宅しようとしたころから小雨が降り出しました。

福島原発の件もあり、雨は嫌だなぁ。しっかり傘をさし、地下鉄に乗りました。

ちょうど帰宅ラッシュの時間帯。

電車を待つ人で、ホームもいっぱい!周りの人を見回すと、ほとんどの人がリュックです!

自分もですが、やはり買い出しや給水される方も多いでしょうし、

両手が空いているのは咄嗟のとき安心です。

 

今回の震災では、防災や震災後の対処法等、かなり教訓ができました。

備えあれば憂いなし。これは正しくだと思いました。

今回震災の影響がなかった方々、防災のことについてのサイトも結構あります。

是非調べていただき、万が一の時のために、備えましょう!

 

 

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