おはようございます。
今朝の仙台は、早朝からの雪で庭は白くなっています。
少し暖かくなってきてたのに、冬に逆戻りです。
さて、当社は多くのお客様に支えられ、今年で創業50年を迎えます。
創業50年は、地元同業者のなかでも老舗なのですが、
京都あたりでは、創業100年でも老舗とは言わず、
200年を超えて、はじめて老舗というのだそうです。
では、日本に創業200年を超える企業が何社あるかというと、
08年4月時点での、後藤光産業創成大学院大学教授の調査では、
3113社あるのだそうです!この数は、もちろん世界一で、全世界の半分を超える驚異的な数です。
ちなみに2位がドイツ1563社、3位フランス331社、4位がイギリスの314社となっています。
じゃあ長寿一の企業とは?
大阪にある金剛組で創業が589年!
578年に聖徳太子の命を受けて、百済から3人の工匠が日本に招かれました。
このうちの一人が金剛組初代の金剛重光
工匠たちは、日本最初の官寺である四天王寺の建立に携わり、
重光は完成した後もこの地に留まり、寺を護り続けます。
それ以来四天王寺の宮大工として、1400年以上にわたり日本の寺社建築を担ってきたのです。
しかし、この金剛組もバブル期にマンションなどの一般建築に手を広げたことが致命傷となり
倒産の危機を迎えたのですが、地元大阪の中堅ゼネコン高松建設(現:高松コンストラクショングループ)の
傘下に入り、何とか倒産の危機は免れ、その後平安時代である970年創業の中村社寺を
傘下に入れるなどし話題になりました。
地元仙台でも、長寿企業はいろいろとあるのでしょうが、
当社の取引先でもある「タゼン」さんは1596年創業!
伊達政宗が豊臣秀吉の朝鮮出兵に従軍するため3000の軍勢を率いて京都・都大路を出発したのは1592年。
金の日の丸を描いた数十本の幟や黒づくめの具足の足軽隊、
クジャクの羽根やトラの毛皮をまとった武将たちなど、
その行軍の絢爛さに見物人は目を見張り、以後派手好みの代名詞として「伊達者」
という言葉が生まれたそうです。
桃山文化へのあこがれが強かった政宗は大阪・田中の郷に住む銅の飾り職人、
善蔵を当時の居城である岩出山城(宮城県大崎市)に招いた。
善蔵はやがて始まる仙台城(通称青葉城)築城に際して、
柱の釘隠に至るまでの銅の装飾全般を請負うことになり、
政宗はその労に報い城下の柳町(現在の一番町)に土地を与えて藩の「御飾職」に任じ、
職人として異例の名字を許したのだそうです。
善蔵は故郷の名を姓とし、「田中善蔵」を略した「田善」が通り名となった。
「タゼン」は善蔵が岩出山城に招かれた1596年を創業の年としているのだそうです。
明治維新後、田善は仙台に配置された陸軍第2師団向けの銅製品製造を一手に引き受けたほか、
1887年に開発した「循環式風呂釜が大ヒットするなど、また大正期には仙台瓦斯会社(仙台市ガス局の前身)
と連携したガス風呂釜の開発が実を結ぶなど事業は順風満帆だったのだが、
1919年「南町大火」と呼ばれる仙台市街の火災で、店は全焼。
しかし、その後「一分間酒燗器」や「七輪銅壺」の大ヒットで繁盛したのだそうですが、
1945年の仙台大空襲で再び店舗や工場を焼失。
当時20歳だった田中善次郎氏は、父の善治氏や弟と焼け跡からカナヅチなどの工具を掘り出し、
東北各地を歩いて鍋、やかんの修理を請け負いながら復興資金を稼いだそうです。
その後回転焼き(今川焼き)調理器が各地でブームになり、浴室などのリフォーム事業も軌道に乗せ、
現在は住設機器を中心とする事業を確立させています。
他にも1604年が伯養軒、仙台ホテル(残念ながら2009年に閉館しましたが)が200年超え、
明治に入り1868年日東写真、日の出納豆製造所、1872年渋谷折箱店、
1878年七十七銀行(1873年が第一銀行ですから、この頃はまさしく銀行設立ラッシュ)
まさしく老舗と言われている企業でも200年は超えていないんですね・・・
当社もこれから100年、200年を迎えられるよう頑張っていかなければと決意を新たにした小山でした。
≪オマケ≫
以前このブログの「老舗!!」でご紹介した庄子屋醤油店さんに、先日伺ったら
堤人形のお雛様が飾ってありました
とても表情が柔らかくてかわいらしいです
なんと、堤人形のお雛様買うのに7,8年待ちなんだそうです。
庄子屋さんのレトロな木造建築と見事にマッチして、素敵でした。