なぜか最近とっても気になる言葉がある齋藤です
頻繁に齋藤の周りに出没するので、何か意味があるのかなぁと調べてみました
『足を知る』
『あしをしる』ではありませんよ
『たるをしる』です
何が一番最初か思い出せませんが、雑誌をパラパラめくったり、テレビを観ている時にも出てくる言葉です
インターネットで詳しく調べてみたら、コレに行き着きました
京都の龍安寺というお寺に、右の図のように彫られたつくばいがあるそうです。
真ん中の水を入れる四角を共有すると上から時計回りに「吾唯足知(われ ただ たるを しる)」と読めます。
『満足することを知っている者は貧しくても幸せであり、満足することを知らない者はたとえ金持ちでも不幸である。』
『私は今の私で十分満ち足りている。足りないものなどないのです。だから不平不満など生じない。』
諸説あるみたいですが…
中には常に不平不満ばかり言っている人がいる。
足るを知らない人は一つ満たされても次から次へと新たな不平不満が出てくる。
人の欲望はきりがない。
いつまでたっても満足できず感謝を知らないことは不幸だと思う。
なぜ不平不満が出てくるのだろうか?
一つには、それは人と比べるところからくることがある。
自分が持っていないものを人が持っているとき人を妬み羨む気持ちが起こり、人と比べて自分の現状に満足できず足りないと感じるところからくるのかもしれない。
また、物事が自分の思い通りにならなかったり、自分の気持ちを勝手に人に期待し人がそれに応えられなかったりすると不平不満が出てきたりする。
要するに我執にとらわれ自己中心的な状態のときに不平不満が出てくる。
「暗いと不平を言うよりもすすんであかりをつけましょう」という言葉も思い出される。
口で不平を言うより、現状改善のために自ら行動し努力することも必要だ。
また、もちろん不正に対してはただ黙って耐え忍ぶだけでなく、正していく努力が大切だ。
との見方もあるそうです
矛盾しているように思えるかもしれませんが、何とか実践してみたい齋藤でした