阪神淡路大震災から25年が経った。震源地の神戸市はすっかり復興して震災の跡形はほぼ消え失せ復興を成し遂げたようである。被災者の個人的には復興にかかわる借入金の返済が不可能な方もおられるとかだが、やむを得ぬこともあろうからそれは何とか税金の投入でおしまいにしてあげてもよいにではと思う。神戸市も復興債権の返済を完了をしたと昨日の新聞にあった。
阪神淡路大震災は1995年平成7年1月17日朝5時46分に起きた。まだ朝の暗い時間、突然の大揺れに眠りからたたき起こされた。本当に自分の家が倒れそうな気がした。電気はまだ大丈夫だった。テレビラジオは関西地方で大きな揺れが発生したと現在のような地震災害の放送がまだなかった時でその放送もそれくらいでまだ悠長なものだった。出勤のため自宅を出て駅まで行く途中、築地塀が倒れている家もありそこそこの被害があるなと感じつつ駅に到着したが電車はストップの状態で自宅へ戻った。テレビは被害が相当なものと改めて本格的に大被害が発生しているらしいと放送して始めたようだ。
1月17日を遡る半年前より、猪名川町を震源とする群発地震が発生し始めた。1日に何回もゴーという地鳴りと小刻みに揺れる群発地震である。そのような状態が続きに続いて1月17日の遂にその本振れが起きたのである。神戸市芦屋市西宮市伊丹市宝塚市など阪神間の諸都市は壊滅的な被害であった。いわれるように先の東日本大震災が史上最大の地震ということだが、揺れによる家屋の倒壊はほんのいちぶだが阪神はそうではない。一瞬の激しい横揺れに木造家屋はもちろん高速道路が横倒しになり、自慢の山陽新幹線の線路が破壊され、デパートの建物他市役所の庁舎の中二階がスポっとだるま落としのように抜けるほどの激しい揺れでそれほどの地震であった。だから本当の揺れについては阪神大震災のほうが大きかったのは確かなことといえる。
平成3年1991年に雲仙普賢岳の大火砕流に始まる平成7年の阪神大震災、そして平成23年2011年の東日本大震災と平成31年の間にかくも大きな災害を出した時代はこれまでなかったのではないか。平成とは裏腹に災害の時代だった。
雲仙普賢岳で思い出したが、平成3年4月からNHKの朝ドラで「君の名は」を放送したがこの年の6月に大火砕流が発生して多くの死者を出してこの朝ドラもムードをすっかり壊されて人気もすっかり吹っ飛んでしまったようだった。そこで今、当時の映画のシーンを思い起こすべく岸恵子さんと故佐田啓二さんが出会う第3部の映画のいちシーンに合わせて主題歌「君は遥かな」を聴いている。
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