南極昭和基地に日の出がやってきた。5月30日に太陽の登らない極夜が始まってほぼ44日間、待ちに待った陽光をみる観測隊員の皆さんはどれほどこの瞬間を待っておられたことだろうか。基地の皆さん、どうかこの瞬間を是非ネットにアップして欲しいと願うばかりだ。
久しぶりの青空で夏の猛暑がやってきた。フトンのシーツを干した。泥流に見舞われた熱海市も同様で陽射しの中での救助活動の模様だし、九州南部の水害に見舞われた地方も今日は良い天気のようだ。
まもなく梅雨明けだろうか。我が家の真上の空を境にして南側は快晴で北側は雲に覆われている。梅雨明け間近じかかもしれない。
ついに東京五輪の無観客を決めたそうだ。世紀の祭典といわれた国際競技のオリンピックが観客なしで開かれるという前代未聞の大会になりそうでなんとも当局は何が何でも大会ありきを貫こうとしている。スポーツイベントとは競技者がありそれをみる観客があってその声援が競技を盛り上げる。例えば優勝者の表彰式で表彰台に上がる選手は満面の笑みで観客に手を振って応えて国歌斉唱にその極になる。しかし、観客のいない静まり返った競技場では手を振る相手もいなければ優勝の感激など起こらないであろう。新しく作られたオリンピック競技場を見て欲しい。一周400メートルの10レーンの広いフィールドを中心にそれを取り巻くように多くの観客席が設けられているがその席に人を入れないで行う競技がどんなものかだし、開会式のあの声援もなしでは盛り上がりなどあるはずがない。菅総理の口癖の「安心安全を第一に全力で・・・」は口先ばかりのものではないか。
競技に出る選手の皆さんはしらけ切っているに違いない。あの昭和39年の東京オリンピックの開会を宣言した昭和天皇の厳かにも権威ある開会宣言は取り巻く観客の声援の中で行われた。観客有っての大会であって広いスタンドに人影のない開会式など当局のアタマの感覚を知りたい。
プロ野球で騒がれた西武ライオンズの松坂大輔投手が現役を引退する。40歳である。1998年(平成10年)甲子園球場で横浜高校のエースとして大活躍し春夏連覇の偉業を達成してプロ野球西武ライオンズに入団した。なんといっても印象に残るのは優勝常連のPL学園との延長大接戦を制し優勝へ向かったあの試合であろうか。プロ野球での勝利投手は日本では114勝、米大リーグで56勝で合計170勝と以外に少ない。後年殿堂入りには少し物足りない気がしないでもない。
人間若い内は身体を酷使してもそう痛まないし暫らく静養するとすぐに回復するが、50代60代と中年に差し掛かると若年時の酷使がそろそろ出始めて今までの普通の生活に支障を来すようになる。引退を決意したのは若いころのようなスピードのある投球はもはや不可能と判断した為と言えそうだが、彼も身体のあちこちにメスを入れて体の改造を図っていたフシがあり筋肉の老化を速めたのではなかろうか。
人には3種類の運勢がるといわれる。若い頃に現れる若年運、中年に現れる中年運、そして年と共に上昇する老大運だという。さしづめ松坂投手は若年運と言えそうでこの22年間に築いた多くの資産を有効に活用してもらいたい。40歳といえば人間一番の働き盛りで油の乗り切る頃であってOBとして後進の為チームの為大いに働いて欲しいものである。
熱海市の土石流被害でまだ未確認被害者が20数名あるとのことで一刻も早く救出を願うばかりだが、泥流に流され埋まっている方々も相当数あるものとみられる。ほぼ絶望視である。
泥流の発生地は盛り土のようで当時の工事関係者は土砂崩れを見越して途中に砂防ダムを構築していたようだが、土砂はそれを遥かに越えて流れ下ったようである。予想土砂崩れを超えた量の土砂が流れたようで10年前の東日本大震災のあの大津波の被害を思い起こした。万里の長城と言われた大槌町の二重の大堤防で津波被害はこれで防げると確信していたがやってきた大津波はそれを遥かに凌ぐものだった。大自然の持つ力は人知を遥かに超えるものであるということを今回の熱海市伊豆山で起きた土砂崩れがまたしても証明してくれた。
土砂に流された家屋はかなりあるようだが、行方不明者は思った数よりも少ない。ということはここもご多分に漏れずに空き家が相当数あるのではないだろうか。盛り土のドロと関東ローム層の火山灰地のドロで現場の捜索はかなり困難さがあるようだ。